百十四話 神与天賦
* * * *
─────ぱしゃり。
水が勢いよく跳ねる軽快な音と共に、俺の顔に液体がかかる。
〝リミットブレイク〟の代償のせいで、ピクリとも動かなくなった身体は、本来、到底動かせるものではなかった。
加えて、ロンとの戦闘で負った傷である。
脇腹を深々と抉った傷を始めとして、あの戦闘で生まれた生傷の数々は、俺の意識を刈り取るには十分過ぎるものだった。
故に、無理矢理にダンジョンを崩壊させて、あの場を脱したところまでは覚えている。
そして、アヨンが〝逆天〟を発動させた事で全ての事象が逆天し、瞬く間に意識を刈り取られた。発動されるその瞬間まで、崩壊にリソースを割いていたが故に、避けようがなかった。
だからそこから先────メアがどうなったかについてが、どうも曖昧だった。
あの男はメアを奪い返せたのだろうか。
漸く意識が浮上した俺は、そんな事を思いながら、
「……いい加減、起きろ」
頭の中で渦巻いていた思考は、その少女のような声に上書きされた。
まず初めに視界に映り込んだのは虹色に彩られた瞳。気怠げに細められたその双眸は、水面や硝子のように異様に澄んでいる。
見詰めていると、まるでこちらの内奥を見透かされているかのような錯覚に陥ってしまう。
俺は彼女を見ている筈なのに、こちらを覗いている少女の瞳は、俺ではなく、もっと別の何かを見ているかのような。
それが堪らなく、得体が知れなくて。
透き通った瞳は、綺麗ではあるが、少なくとも俺は、人間の瞳とは思えなかった。
加えて、メアの声であってメアの声とは思えない無味乾燥な声音。
感情らしい感情が一切感じ取れない無機質な声だった。
だから俺は、目の前の人物がメアであると認識が出来なかった。
だが、徐々に明瞭となる意識。
ぼやけていた視界が晴れ行き、その姿を捉える。
「……メア?」
「……この身体はな」
そこで、思考が加速する。
思い起こされるロンやチェスターとの会話。
そして、最悪の可能性に辿り着いて、俺は飛び跳ねるように立ち上がる。
次いで、臨戦態勢へと移行しようとしたところで更なる違和感に気付いた。
赤黒く滲んだ衣服の破れこそそのままだが、身体に痛々しいまでに刻まれた生傷が、完全に癒えていた。
何より、本来であれば疲労困憊で動けない筈の身体を、俺はどうして問題なく動かせている……?
「────そいつは、敵じゃない。と、思うぜ。あくまでおれの勘だが」
赤い髪の男が言う。
羽織っていたであろう外套は襤褸と化しており、床に脱ぎ捨てられていた。
まるで、ヨルハのような赤い髪。
相貌も、どこか面影がある。
だから俺は、
「グラン、アイゼンツ」
口を衝いてその名前が出てきてしまった。
「……名乗った記憶はないんだがな。まあ、名前に関して言えばグランであってるが、アイゼンツって姓は知らん。ともあれだ。そいつは敵じゃないと思う。少なくとも、敵ならおれらを治す理由はない。そうだろ? アレクとやら」
一瞬、誤魔化しているのかと思った。
だが、知らないと口にするグランの様子は、決して嘘をついているようには見えない。
これはどういうことなのだろうか。
疑問符で頭の中が埋め尽くされる。
けれど、今はそれよりも優先すべき事があった。だから、俺は今はその事を頭の隅に追いやって、尋ねることにした。
「治、す?」
「嗚呼そうだ。こうしておれらが喋れてるのも、そいつが治したからだ。尤も、その為の道具はおれの私物から勝手にパクってやがったがな」
「……命を落とすよりマシだろう」
「そりゃそうだ。だから文句は言ってないだろ。で、ワイズマン、でいいのか?」
「……好きに呼べ。別に、今更名前に拘る気はない」
「そうかよ」
────そういうこった。
グランは俺に伝える為に、メアの姿をした目の前の人物と会話をしてくれたらしい。
だから、警戒する必要は今の所はないと思う。と、俺を一瞥し、視線だけで伝えてくる。
「……大罪人、だった筈だろ」
「歴史ってのは、得てして都合よく捻じ曲げられてるもんだ。だからそこに囚われてちゃ、いつか馬鹿を見る。そんな訳で、おれは自分の目と耳だけを信じてる。少なくともこいつはおれ達を助けた。なら、話す余地はあるんだろ。こいつはおれ達を殺すことも出来た。でもしなかった。だから聞いてみようぜ。おれ達を殺さなかった訳を」
「……それはそうと、ワイズマンだって確信を持ってるんだな」
「あんな馬鹿げた錬金術を出来る人間が、二人も三人もいて堪るかよ。しかも、見たこともない製法だった。おれに言わせれば、馬鹿げてるとしか言いようがない製法だった。それが、世紀の天才と呼ばれた人間によるものだと仮定すれば、納得出来るんだよ」
「────当然だ。『ワイズマン』という人間の足跡は、たった一つの事実を除いて全て消した。編み出した製法も、結果も、繋がりも、何もかもを消してある。作り出した製法は、真っ先に消したからな」
そのたった一つの事実こそが、〝賢者の石〟を作り上げた大罪人という過去なのだろう。
「それと、そこの赤いのの言う通りだ。別に警戒する必要はない。こうしてお前達を助けたのは、ただの罪滅ぼしゆえ」
「罪滅ぼし?」
「この身体の持ち主が、お前らを助けろと懇願していた。だから、助けた。この娘は私のせいで巻き込まれた人間だ。私はただ、その罪滅ぼしをしたに過ぎん。感謝される謂れもない」
「……メアは、生きてるのか」
「この身体を生者のものと仮定するならば、お前の言うメアとやらはまだ生きている。私の意志が消滅すれば、この身体の主導権は元通りとなる筈だ。尤も、そうならないようにこの身体自体に細工もされているようだがな」
忌々しそうに、ワイズマンは自身の身体へ煩わしそうな視線を向ける。
幽かに漂う嫌悪感。憎しみの発露。
負に染まった想念。
膨らんだソレは、一瞬にして場を支配して────しかし程なく霧散した。
眉間に皺を寄せながらの数秒程度の瞑目。
その行為はまるで、こうならないように自分の足跡の一切を消したというのに。
俺には、そう言わんばかりにワイズマンが後悔しているように見えた。
「生前とは勝手が違うと言えど、曲がりなりにも『ワイズマン』だろ。どうにかならないのかよ」
グランが問う。
その疑問に対する返答は、あまりに呆気のないものだった。
「なる」
「じゃあ!」
「だが、それをすればこの身体の本来の持ち主は間違いなく死ぬだろう。たった1%の奇跡もなく、死ぬ。それだけは言い切れる」
反射的に弾んだ声で俺が反応したのも束の間。底冷えするほど衒いのない事実を突き付けられる。
「……なら、どうしろって言うんだ」
「少なくとも、ここから抜け出さない事にはお話にすらならないだろうな。どうにかするにしても、こんな場所では何も出来ない」
そうして、ワイズマンは周囲を見回した。
俺と、グラン。ワイズマンの三人を除いて何一つとして生命体の存在しない現在地。
口を閉じれば、シン、と静まり返った静謐が痛いくらいに感じられる。
魔物すら見当たらない薄暗いここは、本当にダンジョンなのかすらも怪しい。
「あの時はこれしか方法がなかったとはいえ、随分と深くまで落ちたっぽいな。確かに、ここから抜け出さないと話にすらならなさそうだ。まあ、助けは……期待しない方がいいな」
当人である俺達ですら、ここが何処なのか。
明確な答えを持っていないのだ。
グランの言う通り、助けを期待は出来ないだろう。
ならば。
「つまり、自力しかないって事か」
「そういう事になるな。加えて、残念なお知らせもある」
「残念なお知らせ?」
「どういう原理かは知らんが、この場所で魔法は使えない。勿論、〝古代魔法〟も同様に、だ。……いや、厳密に言えば使える事は使える。だが、おれらは使えない」
その物言いに引っ掛かりを覚えた。
「……おれらは?」
「ロン・ウェイゼンと、あの男────チェスター・アナスタシアとの戦闘で、おれ達は魔力を使い切ってる状態だからだよ」
「別に、それなら回復を待てば、」
「そう。おれもそう思ってたんだ。だが、一向に回復しない。だから、使えないんだ」
身体に残っている魔力は────確かに感じられない。
〝リミットブレイク〟とは、身体に備わる魔力を溜め込む器を強引に空にする事で使える諸刃の剣。
周囲に存在する魔力を取り込み続ける事で、膨大な魔力を限定的に己のものに出来る秘技。
しかし同時に、それは取り込み続けられるように本来存在する器の出口を開けっぱなしにしなくてはならない。
結果、肉体の限界である十分を超えた段階で取り込む力は失い、開けっぱなしにされた器からは魔力が垂れ流される。
要するに、今の俺に魔力はほんの一滴程度しか残っていなかった。
「……八方塞がりって訳か。何か良い方法はないのか」
「ないから、こっちはお前が目覚めるのを待ってたんだがな。何やらお前さん、得体の知れない手札を幾つか持ってそうだったからよ。でも、そうか。ないのか。くそったれ、振り出しかよ」
グランは尻餅をつく。
どうしようもないものはどうしようもないと割り切り諦めたのか。
溜息まで吐いて考えを放棄しているようであった。
「プラスに考えるなら、メアを連中から引き剥がせた事を喜ぶべきなんだろうね」
「隠してた手札を全部切ったんだ。これで、何も結果を得られませんでしたじゃ、流石のおれも泣いてただろうよ。間違いなく」
あの時は無我夢中に魔法を発動していた為によく見えていなかったが、グランが何かをした事でアヨンとチェスターが同時に吹き飛ばされていた。
それが、隠してた最後の切り札だったのだろう。
「どうにもならないんだ。だったら、今は状況の整理でもしとくか。なあ、ワイズマン」
「……なんだ」
「お前さんは、何処まで知ってるよ。見たところ、お前さんの意志がその身体に埋め込まれてたんだろ。だったら、主導権が元の体の持ち主だったとはいえ、色々と見聞きは出来てた筈だ。だったら、知ってるんじゃないか。連中が、何をしようとしてたのかを」
「……随分と、詳しいな」
「曲がりなりにも、一応これでも研究者なんでな。多少は分かる。尤も、多少だがな」
────……やっぱり、あんたは。
ワイズマンと言葉を交わすグランの言葉を聞いて、俺はそんな言葉を口にしかける。
レッドローグで出会ったリクも、研究者だと名乗っていた。
あまりに、類似点が多過ぎる。
アイゼンツを否定した事で人違いという可能性も考えたが、やはり彼はヨルハの────。
「で、返事はどうなんだ?」
「……確かに、私はある程度は知っている。だが、ある程度だけだ。しかも、その情報の殆どが虫食いだ。恐らく役に立てないだろう」
「虫食いだあ?」
「……こいつが完成品であったなら、話は違ったんだろう」
そう言って、ワイズマンは己の手の甲に埋まった石をこれ見よがしに見せつける。
……そうだった。
クラシアは言っていたじゃないか。
「────だけど、それが不完全なものだったから、本来の性能を発揮できなかった。そういう訳か」
メアの身体に埋められたそれは、〝賢者の石〟に、限りなく酷似したものであると。
つまりそれは、本物ではないと言える。
「嗚呼、その通りだ。おまけに記憶も混濁している。随分と無茶を重ねて私を起こしたのだろう。本当に、嫌になる」
声のトーンは終始、変わらない。
だが、表情だけはほんの僅かながら変化が見られる。
そう口にするワイズマンの表情に滲むそれは、沈痛のような。後悔のような。怒りのような。自嘲のような。
その姿は、まるで自分という存在を徹底的に否定し嫌っているように見えた。
否、そうとしか見えなかった。
「なら、ワイズマンを頼るのも無理ってか。おいおい、本当にどうしようもないのかよ」
魔法は使えない。
道具らしい道具もなければ、手掛かりの一つすら見当たらない静まり返った現在地。
おまけに、頼みの綱のワイズマンは、元の記憶すら曖昧と言っている。
グランは、その事実を前にヤケクソに自分の頭を掻いた。
「さてさて、どうしたもんか……って、ああそうだ。そうだ。忘れてた。ちょい気になってた事があるんだが、一ついいか?」
顔を引き締めて、グランは何故か俺に向けて問いを投げかけてくる。
「お前さん……あいつ、どっちだと思う?」
「…………は? どっち?」
あまりに神妙な面持ちで、真剣味そのものな声音であったから身構えたものの、やって来たのはよく分からない問いだった。
ワイズマンには聞かれたくないのか。
背を向けて、俺にだけ聞こえるような体勢で、だーかーら、と繰り返してくる。
「あいつの、性別だよ。お前、どっちだと思う」
「…………」
あまりにどうでも良くて。
あまりに興味がなくて。
今、その問い掛けは必要なのだろうか。
そもそも、それを知ってどうするのだろうか。
頭の中に浮かんだ諸々の感情を一纏めに、俺は呆れた視線を向けるも、グランは全く気にした様子もなく言葉を続けた。
「ちなみにおれは何となく、女な気もしてるんだが、名前からして男だよなあ」
「ちなみに、女だったら、何か不都合でもあるのか」
「ばかやろう!! 大ありだろ!!」
何故か俺が怒られた。
こんなことも分からないのか、みたいな。
……納得がいかない。
「……なんというか、おれの体質なんだろうな。女の子供からの懇願に、おれはてんで弱い。明らかに人として間違った懇願でもない限り、ほぼほぼ断れない。説明しにくいんだが、頭が拒むんだ。ソレを」
真剣に一応聞いてみた。
聞いてみた、のだが、到底聞くに値しないカミングアウトだった。
一体、俺にどうしろと言うのか。
「だから、あいつが男であるという確証がないうちは、あいつからの頼みにおれが頷いた時、ぶん殴ってでも止めてくれ」
「つまりそれってロリコ────」
「おおっと。そこから先を口にするってんなら相応の覚悟を持てよ? 血を見る羽目になるぞ。具体的には、今すぐに」
その殺気があまりに濃密で、鬼の形相となるグランの様子に、俺はすんでのところで言葉を飲み込んだ。
「いいか、勘違いするな? おれは少女趣味がある訳じゃない。少女の頼みを断れないだけだ」
一体何が違うのだろうか。
理想と現実が乖離している事はよくある事だが、こんなのが兄だと知ったらヨルハが悲しむのではないだろうか。
……いや、リクもグランの事は度し難いシスコンと言っていたのである意味、事前情報通りといえば通りなのか……?
「お前にだってあるだろ。こう、弱い人種ってやつが。大丈夫だ。人には誰しも、隠しておきたい秘密の一つや二つくらいあるもんだ。お前さんにもあるだろ。な? な?」
その問いに、特にはないと答えようとした俺であったが、それより先に会話が聞こえていたのだろう。
ワイズマンの声が聞こえた。
救いは、その声に感情が一切篭っていなかった事だろう。
「……下らん」
肩越しに振り向くと、汚物を見るような目でワイズマンは、俺とグランを見ていた。
とんだとばっちりである。
このままグランと会話をしていては、更なる被害を受ける事となる。
そう判断した俺は、すっかり毒気を抜かれながらもその場を離れる事にした。
どの道、ここから抜け出すには周囲の調査は必須。
だから、「ちょ、待てよ」と制止するグランの声を振り払って、壁のある場所まで取り敢えず歩いてみることにした。
「────本質を理解する事、か」
ふと思う。
あの奇妙な空間で邂逅した母から告げられたその一言。
この場所の本質を理解出来たならば、脱出も出来るのではないだろうか。
そう、思いはする。
だが、あれ以来、〝魔眼〟が発動する様子はない。
自分の意思ではどうにもならない現状だった。
とはいえ、魔法の習熟の速さがそれに関係していたとすれば、あの時のような明確な発動云々はあまり関係がないのではないだろうか。
……答えを知る者がいないために、思考は堂々巡り。
ともあれ、不確定な力を頼りにする訳にはいかない。
そう割り切った俺は、歩くこと数分。
漸く壁────行き止まりにたどり着いた。
同時、俺は妙な納得感に襲われた。
「……あぁ、そうか。そういう事か」
一人で納得する。
俺は、メアを逃す為に無我夢中でダンジョンを壊すべく一切の容赦なく魔法を使っていた。
だから、足場が崩れる事は当然だった。
他でもない俺が狙ってやったのだから。
しかしだ。
如何に全力で魔法を使ったとはいえ、ここまでの空洞を作る事が本当に出来ただろうか。
元より周囲が薄暗い事も関係しているだろうが、遥か上方に広がる闇は、目を凝らしたところでちっとも果てなど見えやしない。
そして、足場。
数分程度歩いて分かったが、魔法で強引に空けたにしては、随分と平らで整っている。
まるで、初めからこの場所が存在していたかのような。人が歩く事を前提として作られているかのような整然さだ。
極め付けに、目の前の壁である。
「──────」
思わず、俺はソレを見て言葉を失った。
時間を掛けて我に返るも、抱く感情に大した変化はない。
ただただ、「なんだこれは」という感想だけが脳内を埋め尽くす。
だがそれと同時に、色々と納得が出来た。
いや、納得させられた、が適当か。
「…………ぃや、とんでもないな」
感嘆したのは壁の大きさではない。
納得を齎すキッカケを与えてくれたそれは、決してそんな単純なものではなくて。
目を奪われたのはその壁に刻まれた魔法陣────否、魔法陣とも言えない、その原型すら最早留めていない術式の跡。
それを魔法陣と理解出来たのは、これまで培った知識と、偶然の運でしかない。
だが、理解してしまえば良く分かる。
壮大でありながら、綿密で、常識を当て嵌めてしまえば真面に理解する事すら許されないソレを前にしては、なまじ魔法の知識があるからこそ言葉を失う。
「……一体、どんな化け物がこんなものを作り上げたんだ。それも、ダンジョンの地下に」
魔法だけではない。
錬金術をはじめとした、他の分野の技術までもが余す事なくこの壁画のような魔法陣もどきに刻まれている。それが奇跡的な配合で、天運があってこその適合で、相応の覚悟があったからこそ、一つのものに纏め上げられたであろう事は辛うじて理解出来た。
有する効果は、増幅。固定。循環。発生……。
あまりに多過ぎて。尚且つ、それらが原型を留めないほどに弄られていて、俺でさえも理解が難しい。
恐るべきは、そのまさしく神与天賦としか言いようがない奇跡が、たった一人の手によって行われていたであろう事実。
刻まれた魔法陣もどきを見る限り、全てが間違いなく同一人物の手で行われている。
「……少なくとも、造り上げた人間を、自分と同じ人間とは思いたくないな」
「────なるほど。こいつが、この国の秘密か。造られた国、メイヤード。恐らくは、このでかい空間全てに刻まれてるんだろう。にも関わらず、その一つ一つが専門外のおれでも一目で分かる人智を超えた奇跡。ここまでの馬鹿げた才能を持ってるのなら、嗚呼確かに。国の一つや二つ、造れてしまうのも頷ける」
俺を追いかけてきたのか。
割り込むように口を開くグランの言葉は、然程驚いていないようだった。
それだけのナニカがあると、事前に心構えをし、知っていたかのような物言い。
「造られた、国?」
「このメイヤードは、本来存在しなかった国。人の手によって造られた国だ。造り上げた天才の名前を、ノステレジア、と言うらしい」
聞いた事もない名前であった。
「しかしこれは……狂気の沙汰だな。いつのノステレジアなのかは知らないが、造り上げた人間は到底正気だったとは思えない。そうだろ? なにせ、ここに刻まれた魔法陣。その一つ一つが、人の血で描かれてる。それだけの譲れない何か。突き動かすものがあったんだろうが、おれからすりゃ、狂ってるとしか言いようがない」
「……違いない」
肯定する。
肯定するしかなかった。
そして、不思議と魔法陣からは決然とした意志のようなものが感じられる。
それは祈りのような。願いのような。怒気のような。懺悔のような。誓いのような。
かくあれかしと希う感情がどうしようもなく伝わってくる。
俺にはそれが、悲鳴のように感じてしまった。
やがて、俺達を不審に思ってなのか。
後からやって来たワイズマンの足跡が聞こえてくる。
……まず、い。また変な勘違いをされるのは厄介極まりない。
そう思って今度は手遅れにならないようにと、グランから距離を取ろうとする。
だが、俺の行動は途中で中断された。
「────……なんで、泣いてるんだあんた」
感情を映さない無機質な虹の双眸は、涙で濡れていた。
眦から涙がこぼれ落ちている。
鼻を啜る様子も、拭う様子もなく、ただただ涙していた。
「……分からない」
力のない声だった。
俺達と離れた間に何があったのだろうか。
浮かんだ当然とも言える疑問。
しかしそれは、ワイズマンの焦点が俺達ではなく、揺るぎなく壁へと向いていた事で理解した。彼女は、アレを見て涙している。
「分からない筈なのに、なのに、止まらない。どうして涙が出てるのかも分からないのに、止まってくれない」
────だが、と言葉は続く。
「ここが、私にとって大事な場所である事は、分かる。それだけは、分かる」
「…………」
ワイズマンの蘇生が、メイヤードで行われた事には理由があるのだろうか。
けれど、それだけだ。
それ以上は、これだけでは何も分からない。
当人の記憶は朧げで、どうして泣いているのかすら分からない状態。
手掛かりを得られる可能性は、極めて低い。
やがて、ワイズマンは言葉にならない声で、何かを繰り返し呟き始める。
流れていた滂沱の涙は、次第に変色。
赤が混じり始める。
どう見ても、普通じゃなかった。
「……連中は、〝獄〟って場所をこじ開けた。その為に、ロンを利用していた。メアの蘇生という餌を垂らして」
連中は、その為に〝賢者の石〟を持ち出した。だが、実際は全てがワイズマンの蘇生のためであった。
なら一体、連中は────ワイズマンに何をやらせる気であった……?
〝賢者の石〟の量産?
それとも、世紀の天才であるその頭脳を用いて、別の何かをさせる気であったのか?
……分からない。
分からないが、目的の為にロンを躊躇なく殺そうとし、関係のないメアを利用し、そこに至るまでに、恐らくは百以上の魔法師を殺して〝賢者の石〟の礎とした連中が果たして、ワイズマンを蘇らせるだけで満足するだろうか。
満足しないとすれば、ならば連中は一体、何を施したのだろうか。
──── だから考えた。俺チャン達は、他の人間と魂を一つの身体に同居させた上で蘇生をさせれば、思うように『ワイズマン』を制御出来るんじゃねーのか……ってな。
思い起こされるチェスターの言葉。
「……グラン」
「分かってる。みなまで言うな。不完全な蘇生だったせいで、連中の予定していた本来の効果は引き出さなかった。が、この場所に来てしまった事で記憶が喚起されて、調和が始まってやがる」
このままだと、連中の思い通りになる。
しかも俺達は今、魔法を満足に使えない。
ゆえに。
「だから、最悪の場合、二人揃ってお陀仏だ」
グランの言葉と、俺の心境はものの見事に一致していた。
「どうする。一縷の希望に賭けて殺してみるか」
人体と異なる生命体〝ホムンクルス〟が、首を切り落とされたから絶命するとは限らんが。
乾いた笑いと共に付け加えられたグランの一言に、俺は笑ってやれるほど余裕はなかった。
「……だめだ」
仮にワイズマンを殺してしまった場合、それ即ち、同時にメアの死も意味する。
だから俺は拒絶する。
「じゃあどうする。死ぬか?」
「死なない」
「だが、戦う術のほとんどを失ってるおれ達と違って、あいつは違うぜ。なにせ製法から分かると思うが、〝賢者の石〟ってのは魔力の塊だ。あいつは恐らく、この状況でも問題なく戦えるぞ」
ここで錬金術にのみ精通していると予想するのは、あまりに愚かな考えだ。
ゆえにこそ、グランの言葉が最善である。
だがである。
「……分かってる。だけどこれから先、あのふざけたアヨンのような存在が複数出てきた場合、俺らで対処出来るとは思わない」
「だからこそ、不安要素は消しとくんだろ」
「だとしても、真正面からぶつかって勝ち続けられるとは思えない。勝機があるとすれば、あの鎖だと思う」
「あの鎖……? ぁあ、あれか」
手枷のように巻き付けられていた透明の鎖。
何より彼女自身が、囚われの身と言っていた。
歴史に名を残す大悪党。
そんな連中を馬鹿正直に一人一人相手に出来るわけがない。
あの時は偶々一人であったが、これから先も一人ずつという保証はないのだ。
だからこそ。
「……ワイズマンに、あれをどうにかさせるのか」
「そうする以外に、俺は方法を思いつかない」
「一理ある。が、時間は待ってくれないみたいだぜ」
ワイズマンの変化が顕著なものに変わっていた。うわ言のように呟かれるそれは、呪詛のようで。
「分かってる。でも、待ってくれずとも時間を稼ぐ事は出来る」
即ち、問題の先送り。
何の解決にもならない事は分かる。
でも今は、それでも時間が欲しかった。
「────〝眠れ〟────」
パチン、と指を鳴らし、ワイズマンの耳へ音を響かせる。
「…………暗示か」
グランがすぐに気付く。
これは、指を鳴らす音を伝達させて行う簡易的な暗示の魔法。
身体の中に残っていたほんの一滴ばかりの魔力でも行える魔法。
特にこれは、正気を失っている人間ほど効きやすい。懸念は、ホムンクルスが人間として定義出来ない乖離した生命体である場合だった。
けれど、程なく糸が切れたように倒れ込むワイズマンの姿を見て俺は自分の予想が正しかったのだと安堵の息を吐く。
ただ、気になる点があった。
ワイズマンが呟いていた呪詛のような言葉。
辛うじて聞き取れた一言。
────私はただ。私達はただ、平穏に生きていたかっただけなのに。
それが、喉の奥に刺さった小骨のように、煩わしく残っていた。
その言葉だけは、ワイズマンのもののようにも、メアのもののようにも聞こえたから。
刹那、反射的に感じ取れた嫌な空気を前に、背中から気持ちの悪い汗が流れる。
顔は引き攣る。
勘弁しろよ、と弱音を吐かなかったのはせめてもの意地だった。
「もう放っておいてやれよ。こいつの事は────いや、この二人の事は」
「そうもいかんじゃろう。儂も、我が身が可愛いのでな。まさか、アレで逃げ切れたと思っては……いなかったろう?」
「……次から次へと。呪われてんのかよ、くそったれが」
声の主は、〝逆天〟のアヨンのもの。
俺達は決して彼女を倒した訳ではない。
ならば、こうして追ってくるのは必然であり自明であった。
「ダンジョンを壊す発想には驚かされた……が、それだけじゃな。では、続きといこうかの? 生きたくば、次を見せよ。可能性を見せよ。〝英雄〟へと、至る事じゃな。ともすれば、儂を打倒出来るやもしれんぞ? クソガキども」









