百十話 〝獄〟への扉
……力という力を絞り出した。
お陰で、立っている事すらままならない。
だが、ふらつく身体を意思でどうにか捻じ伏せて、歩み寄る。
未だ帯電の余波が見受けられる爆心地。
ロンがいた場所へと、向かおうとして。
しかし、重心を前に倒した瞬間にバランスが崩れる。
「全く、無茶をする」
ぐらり、と揺れる視界。
頭から地面へ倒れ込む事を覚悟するも、その瞬間がやってくる事はなく、代わりに呆れ交じりの声が聞こえた。
支えるように目の前に現れたのは、氷の壁。
ガネーシャの仕業であったソレに、俺はもたれかかった。
「……手伝ってくれても良かったんだけどな」
「生憎、子守りで手一杯だ」
あの時のように無茶をさせる訳にはいかない。そう判断をしたガネーシャが行ったのかは不明だが、メアは意識を失っているのか、彼女に抱えられていた。
「それも、そうか」
何処か曖昧な感覚ながら、未だに手にしていた〝星屑の祈杖〟に視線を向ける。
既にその力の殆どを失っている上、残骸のような状態にあった。
……親父に何と言い訳をすればいいか。
そんな事を思いながらも、俺は無くさないようにと、その残骸を握り締めた。
「……成る程な。そいつが、『夢』を連発出来ていた絡繰って訳だ。凡そ真面なもんじゃないと予想は出来ていたが……」
比較的マシな状態にある外套の男が、歩み進められなくなった俺の代わりに、ロンの下へと向かう。
そして、地に伏せる彼を見下ろしながら、襤褸と化した衣服の隙間から覗く異様極まりない紋様に視線を落としていた。
間違いなく、それは〝呪術刻印〟。
先程まで余裕染みた態度を貫いていた筈のロンは、何故か急に疲弊を濃く表情に滲ませる。
限界が来たのだろう。
余裕があるならば、『夢』で回復させているだろうし、その予想は的外れでない筈。
〝魔眼〟の効果が切れたのか。
使えなくなったのかは分からないが、厳密には分からなかったが、俺はそう仮定した。
「代償は……寿命ってとこか。そうまでして、おれらと戦う必要はあったのか」
顰めっ面で彼は言う。
あまりにそれは、重い代償であった。
その問いに対して、ロンからの返事はない。
意識はある癖に、すぐの返事はなかった。
どころか、此方を侮蔑するような表情を向けてくる。まるでそれは、分かりきった問いを投げ掛けるなと責めるかのように。
だが、身体が動かないのか。
これ以上の抵抗する様子は見受けられなかった。
「……それが、約束だったのだよ」
「約束、だ?」
「ワタシがすべき事は……カルラ・アンナベルをこの先へ向かわせない事。そして、今回、この一件に介入している第三者の存在を見つけ出す事。それが、ワタシの役目であり、交わした約束であった」
この空間は、ロンは創り上げたもの。
道の造りも、彼のみが知っている。
ここにいるという事は、先に進む為にこの道を通らざるを得ないのだろう。
だから、ロンは此処にいた。
「さすれば、メアを生き返らせる事が出来るのだと。そう、言っていた。だから、従ってやったのだよ……結果は、このザマだが。カルラ・アンナベルでもない人間にここまで追い詰められるとは思ってもみなかった」
「それは、可笑しい」
「可笑、しい?」
外套の男が、否定する。
ロンが嘘をついている可能性も十分にあったが、メアに敵意を振りまいていたあの行動から、その可能性は極めて低いものだった。
「メア・ウェイゼンは確かに生き返ってる。お前らが用意した〝賢者の石〟で、確かに生き返った! おれがその瞬間を目にしている。研究者共が集くその光景を、おれはヴァネサと共に見た。だから、それは可笑しいんだよ……!」
「……ワタシの目が、ソレがメアじゃないと告げているのだよ。メアではない何かであると。故に、その言葉は信じるに値しない」
ぐぐぐ、と震える身体をどうにか両の手で支えながらロンは身体を起こそうと試みる。
そんな光景を前に、底尽きた力を振り絞り、彼を止める────という選択をせず、俺は言葉を投げかけた。
「ならなんで、あの時、確実に殺さなかった? 百歩譲って選択を間違ったとしても、殺せる機会はあった筈だ」
〝寂魔の灰鉄〟を使った直後に生まれた一瞬の隙の間に、殺せば良かった。
なのに、何故それをしなかった。
メアじゃないという絶対的な確証があったならば、何故、殺さなかった。
「…………」
俺の問いに対して、ロンは口籠る。
自覚がある上での選択だったのか。
違うのか。
俺には分からない。
ただ、この沈黙こそが何よりの証明であり、他でもない答えだと思った。
「……正直、メアを生き返らせたいと願うあんたの気持ちは分からないでもない」
擁護する気はないが、これは本音だった。
譲れない理由があったのだ。
その過程はともあれ、己の寿命どころか、全てを差し出してでも叶えたい願いだったのだろう。
そうまでする事に、理解がない訳ではない。
「だけど。だけど、だ」
妻を亡くし、その忘れ形見であるメアと共に何一つとして間違った道を歩んでこなかったロン・ウェイゼンに振り掛かった不幸。
敵ながら、同情を禁じ得ない上、もし俺が彼のような立場にあったならば、ロンのように生きていたかもしれない。
もしくは、リクのように、こんな世界は無くなってしまえばいい。
そう、願っていたかもしれない。
「……ロン・ウェイゼン。気付いてくれ。いい加減に、気付いてくれ。どうして、あんたは〝テオドール〟を信じるんだ。あんたの願いが、叶えられる保障がどこにある」
何があってもメアを蘇生すると、誓書でも交わしたのだろうか。
魔法で縛ってでもいるのだろうか。
そうなる未来でも視たのだろうか。
誰か、信頼出来る人間が、間違いはないと太鼓判でも押してくれたのだろうか。
ならば、良いのだ────と、本来ならば思うべきなのだろう。
本人が納得した上で行為であるならば、俺が何かを言える余地はない。
ないのだが、テオドールが。
〝闇ギルド〟が、馬鹿正直に約束を守るような連中とは、とてもじゃないが思えない。
利用されるだけ利用され、使い潰されるのがオチだ。
だからこそ、リクは何も信用していなかった。全てを疑い、全てを使い潰す前提で動いていた。
リクよりも長く身を置いているロンであるならば、尚更それが分からない訳がない。
「…………では、逆に聞こう。キミは、たとえ間違いだらけの道だと知っていたとしても、そこに微かな光があると知ったならば、差し伸ばされた手を握り返そうとは思わないのかね」
瞳の奥に、仄暗い感情を湛えながらロンは言う。
……思う。思うとも。
思うからこそ、彼の気持ちが分からないでもないと告げたのだから。
一縷の希望に縋る気持ちは、よく分かる。
一人ではどうにも出来ず、途方に暮れ、何もかもを失ったロンに手を差し伸べたのが〝闇ギルド〟であった。
だからこそ、そう説明を受けた上で声高に否定出来る筈もなかった。
敵意は……ある。
瞳の奥に湛えられた敵意は未だ健在だ。
しかし、ロンは言葉を続けた。
「……メアが死んだ最たる理由は、先天性の〝迷宮病〟を患っていたからだよ。それも、生まれてすぐ身体に現れない、限りなく後天性に近い〝迷宮病〟だった」
「それ、は」
────〝魔人化〟。
思わず、その言葉が頭に浮かんだ。
〝迷宮病〟を患った人間は、人間として扱うべからず。そんな決まりがある事を、冒険者である俺は勿論知っていた。
でも疑問が残る。
何故、ロンはこのタイミングで関係ないとも取れる話題を口にしたのだろうか。
「メアの母親は、冒険者だった。ワタシが騎士であった頃に、とある依頼の件で、彼女と出会った。〝寂魔の灰鉄〟は、その時に見つけたものだ。ワタシはいらないと固辞したのだが、彼女もいらないと固辞をしてな。ワタシの中では彼女の物であったから、終ぞ、使う事はなかった。だから、そもそもワタシが持っている事を知っているのは、ワタシと彼女を除き、メア一人だけなのだよ」
事前にその事を知る事は不可能。
だから、俺がメアに教えるという事も不可能であり、
「だから、なのかもしれない。本当にメアならば、傷をつける事すらないからと使ったのやもしれない」
現実、傷を負わなかったどころか、その効果を確かに知っていた。
「恐らく、彼女はメアなのだろう。だが、ワタシにはメアでない誰かに映る。……ワタシの義眼は、職人の国アルサスにて造られた特別製。ワタシの目には、未だにメアとはまるきり別の人間だろう、波長が視える」
「……それは、あの棺が関係してるんだろうよ」
「ひつぎ?」
「この子は、〝賢者の石〟で蘇生される直前まで、『ワイズマン』と刻まれた棺の中に、安置されていた」
外套の男がそれを口にした瞬間、ロンの様子が一変した。
活気が戻った。
そう錯覚してしまう程に、濃密な殺意が突如として膨らんだ。
「そう、か。そういう事かね。元より、そういう腹積もりであったのかね。ワタシどころか、メアまで利用する気か、〝嫉妬〟……テオドール……ッ」
「────そうして、事情を知った者同士で力を合わせ、この計画を見事、阻止しましたとさ。めでたしめでたし。ってか? いや、無理だわなぁ? 親の仇であるロンとおめーさんが同じ天を仰げる訳がない。だから、まあ、正直なところ放置でも良かった。良かったんだが、ここまでの番狂わせが起きてくるとそうも言ってらんねーわな?」
何処からともなく、声が聞こえる。
呟きのような、消え入りそうな声。
続け様、殊更に大きく、足音も聞こえる。
しかもそれは、俺達がやって来たところからではなく、オーネスト達が向かった場所から。
「……チェスターさん?」
近づいて来た人物を、俺は知っていた。
だが、次第に見えてきた人物は、口をついて出てきた人物の名とは異なる人間。
見慣れたマッシュヘアの男性、ロキだった。
「やあやあ、みんなお揃いで」
「……なんだ、ロキか」
確かに、先程チェスターの声が聞こえたと思ったのだが。
一瞬、疑問に思うがロキはチェスターに会いに向かっていた筈。
もしかすると、一緒にここまで駆け付けてくれたのやもしれない。
そう思ってしまったから、俺は警戒心を解いた。
ガネーシャも、いつも通りの気安い態度でロキの名を呼ぶ。
「随分と手こずったみたいだねえ? 本当は僕も手助けしたかったんだけど、色々と手間取っちゃってさ。でも、ま、君達ならなんとかするって信じてたよ」
「実は、後ろで隠れてたとかいうオチじゃないだろうな。お前、そういう姑息なところあるからな」
ロキならば、やりそう。
などと思ってしまうあたり、俺の中でもロキに対する信用がないんだなあと苦笑いを浮かべてしまう。
ただ────なんだろうか。
この、言葉に出来ない違和感は。
「……流石に、そんな真似はしないって。ま、まあ? オーネスト君相手になら考えるかもしれないけど」
言動に不自然なところはない。
目の前の人間は紛れもなく、ロキ・シルベリアだろう。
だが、何かが引っ掛かる。
筆舌に尽くしがたい違和感に襲われて────俺は一歩、下がってしまった。
「……アレク君?」
気の所為であるならばいい。
気の所為であるならば、何も問題はない。
だが、彼が本当にロキであるならば。
「どうして、そいつを守ろうとしたのさ?」
俺は、限界を迎えている身体に鞭を打ち、倒れ伏すロンの下に駆け寄って身体を引き摺りながら距離を取った。
側には外套の男もいる。
彼も同じ意見だったのだろう。
「……お前、今何をしようとした?」
「何って、息の根を止めようとしただけだけど」
「ロンは大事な情報源でもある。もうほとんど力尽きてる。抵抗らしい抵抗も出来ない筈だ」
確かに、彼を生捕りする事は危険極まりない。
だが、それに見合っただけのリターンもある。ロンから情報を引き出す事が出来れば。
「いやいや、危険だよ。アレク君。その考えは改めるべきだ。それに彼は────」
直後、瀕死の重体を負っていた筈のロンの声と共に、もう一つの声が轟いた。
「────彼の死は、この計画に欠かせないものなんだから。彼の死で以て、〝獄〟の扉をこじ開ける条件が整うのだから」
「ッ、〝嫉妬〟ッ!!!」
「そこから離れろッ、後輩!!!! そいつはロキ・シルベリアじゃねえ!!!!」
背後から轟くその声に覚えがあった。
それは、レッドローグで別れた筈の知人。
レガス・ノルンの怒声であった。
直後、身体に激痛が齎される。
認識した時には既に、身体を何かが貫いていた。
「こい、つは、ロン・ウェイゼンの……!!」
身体を貫いた正体である影色の刃を睨め付けながら、外套の男が言葉を吐き捨てる。
なんでお前が使えるよ……!! という彼の疑問に対し、不敵な笑みが返ってくる。
「……〝嫉妬〟の能力は単純明快。〝嫉妬〟の一定条件、下に置かれた能力を、完全に模倣するもの。魔法、の、適性すら関係なく、あいつは模倣出来てしまうのだよ」
ロンが暴露する。
しかしその間にも、彼もまたロキの顔をしたナニカから攻撃を受けており、苦悶に表情を歪めていた。
「惜しかったなぁ? あと少し、すれ違いがなきゃ、ハッピーエンドに辿り着けたかもしれなかったってのに。だが、まあ、こういうもんだ。世の中ってのはこういうもんだ。理不尽な不幸ってやつは、そこら中に転がってる。だから今更でしかねー。そうだろ、ロン」
「……チェスター……ッ!! あんたか……!!」
がらりと変わった話し方。
そして、違和感の正体。
ロキの顔が剥がされ、その中から見慣れない灰が混ざったような色合いの白髪の男の顔が出てきた。
相貌こそ異なっているが、彼は紛れもなくチェスター・アナスタシアであった。
「怒るなよ。俺チャンは、嘘は言ってねーだろ? 俺チャンが、こっち側じゃねーとは一言も言ってねえ筈だぜ?」
どうしてここにレガス達がいるのかは分からない。
だが、事態の様子からしてロンをここで殺す事が悪手である事は理解した。
そして、疲弊した身体で〝嫉妬〟と呼ばれるチェスターの足止めが難しい事も。
チェスターが此処にいる。
……という事は、彼に会いに向かったロキ本人が、無事でない可能性が極めて高い。
何より彼は、どうしてオーネスト達が向かった場所からやって来た……?
考えれば考えるほど、悪い予感が巡る。
気づけば、動悸が聞こえる程に動揺していて、最早、冷静に物事を考えるだけの余裕はなかった。
身体の限界がある────それがどうした。
今は。
今は確かめなくちゃいけない。
もし俺の考える最悪が現実ならば、助けに向かわなくちゃいけない。
だから。だから。だからだからだから。
「────〝リミットブレイク〟────ッ!!!!」
あと少しだけ、保ってくれよ、この身体。
「脅威はカルラ・アンナベルだけだと思ってたんだが……まさか、ロンを倒した上で更に奥の手を隠し持ってるとは流石の俺チャンも思わねーよ。身体が万全だったなら、届いたかもしんねーな」
それは、遠回しに俺の敗北を予期する言葉であった。
「だが、てめーの刃は届かねーし、そもそも、真面に相手をしてやる気もねえ」
技量も何もない、大魔法の発動。
後方から放たれるレガスの援護。
けれどあまりに呆気なく、透明の壁によって防がれる。
それは、外套の男が使っていた筈の〝古代魔法〟────。
続けて、ガネーシャの足下に魔法陣が浮かぶ。
ロキが好んで使っていた転移の────。
「ガネーシャッ!!! メアを渡すな!!!」
「もうおせーよ」
次の瞬間、メアの姿がチェスターの側に転移。
「扉を開ける条件も、器も、全てが揃った。後は、最後の役者を起こすだけ。とはいえ、魂を封じられていても既に意識はあるんだろうが」
チェスターは、懐から小瓶を取り出す。
その中身は、鮮血にとてもよく似ていた。
「世紀の大天才である『ワイズマン』を制御するにゃ、ただ〝賢者の石〟で生き返らせるだけじゃ到底足りなかった。『大陸十強』タソガレのように、隷属の魔法を自力で解かれるのがオチだ。とはいえ、『ワイズマン』を出し抜く事なんざ、土台不可能な話だ。この分野で勝てる人間がいたならそもそも、手間を掛けて『ワイズマン』を蘇生させる必要もなかった」
語る。
酒でも飲んでいるのかと思うほどに、チェスターの口はあまりに軽く、ぺらぺら回る。
「だから考えた。俺チャン達は、他の人間と魂を一つの身体に同居させた上で蘇生をさせれば、思うように『ワイズマン』を制御出来るんじゃねーのか……ってな」
要するに、能力の制限。弱体化。
それに選ばれたのが────メアだったという事か。
「〝魔人化〟が進行していたメア・ウェイゼンの魔力量は、常人のソレとかけ離れてる。だから、都合が良かったんだ。悪く思うなよ。てめえの都合で他人を巻き込み、どん底へ落とす。そりゃ、てめーもやってた事なんだからよ。なあ? ロン・ウェイゼン」
盛大に、煽る。
ここで馬鹿正直に立ち向かってくるならば、意気揚々と殺すのだろう。
本当に、悪辣に過ぎる。
それを分かっているからこそ、今にも飛び出しそうなロンを外套の男が抑え付けていた。
だが、相手が悪かった。
あまりに、悪過ぎた。
ロンとの戦闘で疲弊を重ねた俺達が、チェスターと対等に戦うには分が悪かった。
「さぁて。最高に楽しい宴といこうじゃねーか。『ワイズマン』?」
メアの手の甲に埋め込まれた〝賢者の石〟に、小瓶の中身が溢されると同時、眩い光が迸り────狙い過たずそれは、ロンの腹を貫き大きな穴を空けた。
それも、メアが意識を取り戻した最悪の瞬間に。
「────……お父、さん?」









