百七話 僅かな邂逅
この時点で、俺の命運は決定されたのだろう。
────如何なる抵抗も無意味。
ふと、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
同時、身体に痛みが走った。
五感のほぼ全てが痴れて尚、痛覚だけは辛うじて生きているらしい。
ただ、残ったものが痛覚だけだからか、特に敏感だった。そのせいで、痛みは普段と比べ物にならない程、鮮明に感じられ、俺に激痛を齎した。
だけど、未だに「生きている」という自覚はある。
視覚も、聴覚も、嗅覚も。
ほぼ全てが痴れる中、反射的にどうにか避けられたのだろう。
でもそれは、僅か数秒程度の命を繋いだだけの変化だ。誤差と言ってもいい。
「……勘弁、しろよな」
自分が紡いだ言葉すら、耳に届かない。
口パクで言葉を口にしているような状況。
真に、発せているかどうかも判断出来ない中、俺は今出来ることをしようと思考を巡らせる。
だが、その間にも新たな傷が身体に生まれる。抵抗すべく、魔法を撃ち放とうと試みるが、本当に魔法が放てたのかすらも正しく認識出来ない。
得物を振るってみても、空を切った時以上に感触がない。
なのに、痛みだけが立て続けに身体を蝕む。
裂傷。裂傷。裂傷。裂傷。
……それでも俺が存命している理由は、単に偶然の産物であり、五感を失われた中での極限の集中力の成せる技なのかもしれない。
醜くも抗う俺であったが、正直なところ、これが延々と続くと考えると気が狂いそうだった。
終わりの見えない戦い。
圧倒的に不利な状況。
死神の鎌がずっと首に掛けられた状態で行われる命のやり取り。
これは、一体いつまで続くのか。
俺はどうすれば、これから抜け出せるのか。
この窮地を脱する事が出来るのか。
ガネーシャや、外套の男は無事なのだろうか。
────俺は、どうしたらいいのだろうか。
余裕のない頭で必死に思考を巡らせても、浮かび上がるのは諦念の感情ばかり。
こうなってしまえばもう、相手の独壇場だ。
俺がどう足掻こうと、未来は変えられない。
現実、俺が一方的に傷を負っている。
恐らくは、負い続けている。
限界はもうすぐそこだ。
そんな諦めばかりが頭の中を支配する。
────どうしたら、良かったのだろうか。
今更、最善の策を思いついたところでどうしようもない癖に、そんな事を思ってしまう。
微塵も意味などない問いをこんな状況にありながら、投げ掛けてしまう。
否、こんな状況だから、なのかもしれない。
なにせ、俺はまだ死ぬ訳にはいかなかったから。俺達の物語は。冒険は、まだこれからだ。
だから、これで終わるなんて納得出来るはずがない。何より、まだ俺はみんなに恩返しの一つすら出来てないというのに。
でも、打開策がどうやっても見つからない。
故に、どれだけ考えたところで結果は変わらない。時間の無駄で、浪費で、無意味な抵抗。
本来ならば、そのはずだった────その俺の行動は、決して無駄にはならなかった。
『────じゃあ、諦めるの?』
不意に声が聞こえた。
五感、その殆どが真面に機能しない中。
絶体絶命とも言える状況の中。
何処からともなく不思議な声が俺の鼓膜を揺らす。否、鼓膜というより、その声は頭に響くような音だった。
初めて聴く声の筈なのに、ひどく懐かしい。
ひどく、安心感を齎してくれる。
だから。
「諦める、訳がない。どうしようもなくなっても、俺は俺に出来る事をやるだけだから」
だから俺は、こう答えることが出来た。
何を弱気になってたんだ。
魔力は────残っている筈だ。
自分のものを自分のものとして認識すら出来なくなっているけれど、がむしゃらに魔法を撃ち放てばまだ時間を稼げるかもしれない。
そこまで考えたところで、疑問に思う。
────はて、当たり前のように応えたが、先の声は一体、誰のものだったのだろうか。
そもそも、どうして聞こえるのだろうか。
そんな疑問を抱く俺を前にして、謎の声は息を吐いた。
呆れの感情が篭ったものではなく、「そうだよね」と俺の答えに同調するような、そんな吐息。
『本当は、この〝保険〟を使わなくていいなら最後の最後まで使わないで欲しかった。でも、無理だよね。私とヨハネスの子供だもん。無茶をするよね。まぁ、うん。そこは仕方ない』
……一体、何を言っているのだろうか。
そうは思えど、俺はその声を不審がる事は出来なかった。
なぜならば、あはは、と悪戯っぽく笑う声を、俺はずっと昔に聞いていたから。
加えて、この言葉を信じるならば、声の主は俺の────。
……でも、納得している場合ではない。
意識を逸らせば逸らしただけ、俺は死が近づく状態に置かれている。
ロンの攻撃をどうにかする為にも、
『あぁ、大丈夫。これは思念みたいなものだから。外の時間は完全に止まってる。ただ、本当に止まってるだけだから解決にすらなってないんだけど』
「思念……?」
『そう。それが、私の〝魔眼〟の能力だったから、といえば分かりやすい?』
焼けるように熱かった筈の両の目は、ロンのせいで微妙な違和感程度に変わっている。
ただ、彼が俺の目を見て口にしていた〝魔眼〟という言葉は未だに謎で、喉に刺さった小骨のように、俺の中で煩わしく引っ掛かり続けていた。
だから、気になっていた。
『〝魔眼〟っていうのは……そうだね。簡単に説明するなら、目を介して魔法のようなものを発動してるその一点においては、限りなく〝呪術刻印〟に近いかな。で、私の〝魔眼〟の能力は、「時間の固定」。だから、こうして自分の時間を思念という形で固定をする事が出来た。こうして私がアレクと話をする事が出来てる理由は、そういう事なんだ』
そして、命を落とした理由も、それが深く関わっていると何処か寂しげで申し訳なさそうな様子で告げられる。
「時間の固定」。
もし、その言葉が本当に正しいのであれば、規格外にも程がある。
最早、〝固有魔法〟の域だ。
しかも、桁違いに万能な能力であったベスケット・イアリすらも上回る程の能力だ。
ひとり、俺が驚愕に目を見開く中、彼女は言葉を続けた。
『……本当はさ。家族三人で、話すとか。そんな事に力を使いたくはあったんだけどね。でも、私はヨハネスと違って何もしてあげられなかったから。だからせめて、こういう形で母親らしい事をしようと思った。きっと、無茶をするだろうなって事は分かってたから。ヨハネスには……申し訳ない事をしちゃったんだけど。でも、笑って許して貰うしかないかな。私の性格は、ヨハネスが一番知ってる筈だし』
……それにきっと、この保険の存在もバレてるんだよね。って、彼女は笑う。
『でもだから────死なせない。アレクだけは絶対に、死なせないよ』
気がつくと、俺の目の前に亜麻色の髪の女性がいた。
視覚を含む五感が機能していない筈なのに、俺の目にはよく知る人物が映っていた。
実際に言葉を交わした記憶は殆どないけれど、親父が後生大事にしていた写真に映り込んでいた人であったから、俺もよく知っている。
やがて、その見慣れた貌は、目と鼻の先ほどの至近距離にまで近づいて────そして、おでこをコツンと軽く突き合わせられる。
「なに、を」
琥珀色の瞳と目が合う。
何をしているのだろうかと思ったのも束の間。
ロンを目にした際に、俺の意思とは関係なく流れ込んできた記憶の奔流が、再び頭の中に流れ込んでくる。
でも、肝心の中身がまるで違った。
何より、ロンの時は朧げにしか理解出来なかった筈のものが、今はずっと鮮明に理解出来る。そんな気がした。
『出来ることなら、私の口で全て教えてあげたかったんだけど……私に許された時間はあまりないから。だから、〝星屑の祈杖〟の本当の使い方も含めて、アレク自身に理解をして貰う他なくて』
だけど、少しだけ違和感がある。
流れ込んでくる記憶は、どこか断片的だ。
部分部分でしか理解出来ない。
ただ、記憶とは違う別の何かも頭の中に流れ込んでくる。
『〝魔眼〟には、色々と種類があるんだ。皆が皆、同じ能力って訳じゃない。だから、私の予想が正しければ、アレクの能力は「本質を理解する事」だと思う。それは、生物だろうが、無機物だろうが関係なく』
そう言われて、妙に腑に落ちた。
であるならば、理解が出来る部分も多かったから。
魔法学院の教師であったローザをして。
他の教師達をして、俺の魔法の習得速度は異常の一言だった。そう、常日頃言われてきた。
原因が、それであるならば、納得が出来るような気がした。
『私が施した「封」はもう解けてる筈。だから、理解出来てる筈だよ。どうすればいいのか、なんてものは』
頭に流れ込んでくる記憶。
ベスケットのように、何もかもを覗けるような万能な能力ではない。
本質を理解したからといって、見様見真似で模倣出来る訳でもない。
あくまで、そう。
ただ、理解をする事が出来るだけ。でも、今はこの能力が何よりも心強かった。
「…………止めないんだ」
時間がないと言っていた。
ならば本来、ここで俺が口にすべき事柄は、〝魔眼〟についてか。
もしくは、既に一度戦った事のある彼女に、ロン・ウェイゼンとの戦い方を聞くべきだろう。
けれど、俺の口を衝いて出てきた言葉は、脈絡のないそんなものだった。
こうして、思念を固定するだなんて行為をやってのけた理由は。
そもそも、〝星屑の祈杖〟を遺した理由も。
今、俺と言葉を交わしている理由も。
何もかもが、「心配」だからという純粋な気遣いからくるものだと理解してしまったから。
なのに、そんな言葉を一言として口にしない。口下手な訳でも不器用な訳でもないのに、口にしない。
何故だろうかと思っての、問いだった。
『そりゃあまあ。私だって散々、無茶をして、周りに心配をかけてきた人間だから。どの口が言うんだよって話になるでしょ。それに、無茶をする時は、何かしらの譲れない理由がある時だって、私が一番分かってるから。だったらさ、止められる訳がないよね』
「…………」
『ただ、母子揃って似たり寄ったりな人生を歩むとは思いもしてなかったけど。……いや、母子だからこそ、似ちゃうのかな。アレクはどちらかと言えば私に似てるから、仕方がないと言えば仕方がないのかな』
暗に、無茶をする性格であると言われて微妙な気持ちになったが、ローザから散々言われていた事もあってか、すぐに受け入れる事が出来てしまった。
そして流れ込んでくる、断片的な記憶。
その側には、常に親父がいた。
────おれが気に食わなかった。だから、国を出た。アリアのせいじゃない。どうせ、遅かれ早かれおれは国を出てただろーよ。王子だろうが何だろうが、気に食わねえもんは気に食わねえ。だから未練なんてねーよ。気にすんな。
俺の知らない────そもそも、俺の生まれていない頃に口にされた親父の言葉。
自身の生い立ちを一切話そうともしない親父の秘密を、意図せずして垣間見てしまう。
確かに、言える筈もない。
イシュガル王国と呼ばれる大国の第三王子として生を受け、貴族社会の中で生きてきて。
平民ながら、周囲を実力で黙らせたにもかかわらず、身分の違いゆえに貶められ、策謀に巻き込まれたアリアを守ろうとしたお人好し。
その原因が、深く根付いた国そのものにあり、企てた人間が兄であると知った親父が、「気に食わねえから」という言葉だけを残してこれまで積み上げた全てを投げ捨ててアリアと共に国を出たという────そんな記憶。
「……確かに、よく似てる気がする」
親父の立場が、俺にとってヨルハ達なのだろうか。
事情は違うが、その境遇は確かによく似ている。そんな気がした。
『それで、お人好しなところは……うん。ヨハネスに似たのかも』
殆ど何も話せてないのに、おでこを合わせていると何故か俺の心の中を見透かされている気に陥る。否、見透かされているのだろう。
あのにぶちんなオーネストにすら心配をされた俺だ。もう少し、ポーカーフェイスでも覚えなきゃいけないのかなと思って、俺は苦笑いを浮かべた。
『ああ、ならきっと、肝心なところで抜けてるところも似ちゃったのかな。あのね。あのね、寒くなったら、ちゃんと体調管理には気をつけなくちゃいけなくて。お金の使い方も、考えて使わなくちゃいけなくて。それで、それでね』
魔法学院も卒業し、宮勤めもして。
成人なんてとうの昔に迎えた俺に向けるべきではない言葉の数々。
そこで理解する。
彼女の中では、幼い頃の俺で時が止まっているのだ。
決して、俺が頼りないからではなくて、そう考えれば当然とも思える発言。
父と二人の生活も決して悪くはなかったが、きっと、家族三人揃っていたならば、さぞ楽しい日々を送れていたんだろうなと、ふと、そう思ってしまった。
時間がない事を気にしているのか。
あたふたと、指折り数えながら「それとね。それとね」と、同じ言葉が繰り返される。
日常的な心配ばかりで、思わず微笑ましく思う笑みが溢れてしまって。
そして、
『────それでね。大事な人は、悲しませちゃだめだからね。……まぁ、私が言っても説得力の欠片もないんだけどさ』
「……。分かってる」
『うん。なら、よし』
表情に入り混じった悲しげな色は、見間違えかと疑ってしまう程の一瞬で隠れた。
でも、それが見間違いでない事は俺がよく知っている。
だから、何を言おうかと考えたが、俺はただ、その言葉を肯定するだけにとどめる事にした。
『じゃあ、これが最後かな』
至近距離にあった彼女の顔が遠のく。
『〝魔眼〟は万能なものだよ。〝呪術刻印〟のように、代償らしい代償もなくて、魔法には到底不可能な事象を現実のものに出来るから。だからこそ、まだテオドールに知られる訳にはいかない。だから、おまじないを掛けさせて』
直後、両目にちくりと痛みが走る。
何故、そこでテオドールが出てくるのだろうか。
『テオドールは、もう手段を選んでない。当たり前の人倫を期待しちゃいけない。私がそうであったように、〝魔眼〟を持っていると知れば、まず間違いなくアレクまでもが標的になる。彼自身が利用されていた存在という事もあって────彼も、人を利用する事に然程の躊躇いを抱いてない。ロン・ウェイゼンが「夢魔法」に目覚めた事だって、本当は、』
「……テオドールは、一体何者なんだ?」
そこで、言葉が止められた。
一瞬、テオドールにロンの名前が出てきた事で、俺の現状を知っているものかと思ったが、どうにもそうでないらしい。
本当に偶然、その二人の名前が出て来たようであった。
でなければ、俺がテオドールについて尋ねた瞬間に、こんなにも驚いたような貌は見せなかっただろうから。
『……アレクも、もう出会っちゃってたか』
時間の限界が近いのだろう。
声が遠のいてゆく。
声量を小さくした訳ではないだろうに、聞こえにくくなってゆく。
でも辛うじて、俺は声を拾う事が出来た。
『彼は、ね────かつて、神さまって呼ばれていた存在に、操られていた人間なんだ』
表情に滲んでいた感情は、憐れみのような。
悲しみのような、嘆きのような。
……そんな、感情ばかり。
「──────」
ただ、どうしてそんな事を。
そんな事情を知っているのだろうか。
そう尋ねようとした俺の声が、言葉になる事はなかった。
『ごめん。もう、時間みたい』
意識が遠のいていくような、そんな不思議な感覚に見舞われる。
視界が、ぼやける。
『でも、大丈夫。また会える。また会えるから』
「……分かったよ、母さん」
『────』
最後に何かを言おうとしていたが、その言葉は全く聞こえなくて。
でも、また会えると言っているのだ。
その時に、続きを話そう。
そう思い、俺は思考を切り替えた。
……やるべき事は、分かった。
どうすれば、ロンと対等に戦えるのか。
〝古代遺物〟と思っていた〝星屑の祈杖〟の本当の使い方。
そもそもこれが、〝古代遺物〟ではなく、〝ダンジョンコア〟によって作り出された特別な武器である事も。
『夢魔法』の本質とは、「願い」だ。
「願い」の強さによって、何もかもが左右される。
だから、揺るぎない意志と願いを携えた『夢魔法』使いなど、悪夢の象徴のような存在だった。
真正面から戦って勝つだなんて、土台無理な話でしかない。
故に、真正面から正々堂々と戦う選択肢はあり得ないのだ。
かと言って、小細工や策を弄したところで、吹かれる灰のように吹き散らされるが関の山。
ならばどうするのか。
決まっている。
力が足りないならば、どこかから持ってきてしまえばいい。
全知全能に近い『夢』に対抗出来るだけの力を────ダンジョンの力を、引っ張ってくればいい。
今の俺ならば、どうすれば良いのか。
それが、よく分かる。
────本質を理解する事のできるアレクになら、扱える筈だよ。
そんな幻聴に背中を押されながら、俺はこの悪い夢を斬り裂くために、唱える事にした。
「覚醒しろ────〝星屑の祈杖〟────」
何処かで何かが共鳴するかのような音と共に、俺の視界を覆い尽くしていた暗い紗のようなものが取り払われた。









