百六話 何も分からない
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────娘を、救いたい。
純粋にただただ、己の娘の事を想い、蘇生に文字通り全てを犠牲に、全てを捧げようとしている男の過去に。行動に。
そして、言葉に俺は悲観した。
間違ってはいない。
父としても、人としても、その想いは決して間違ってなどいない。
ただ────その為の手段が最悪だったというだけで。
「……メアの皮を被った偽者といい、〝魔眼〟といい、随分と驚かせてくれる。そして今度は、あの時の焼き増しかね? ただ、様子を見る限りどれも本意ではないようだが」
俺の行為を前にして、ロンは呟いた。
両の目は依然として、焼けるように痛い。
恐らくは、〝魔眼〟という言葉が関係しているのだろう。
だが、今は後回しにする他なかった。
本当は、〝魔殺しの陣〟でどうにか出来るならどうにかすべきであった。
だが、この空間が「魔法」で作られている以上、もし仮に発動してしまった場合、どうなるかは予想もつかない。
下手をすれば、助けるべき相手すらも巻き込んで全員が生き埋めになる可能性だって否めない。
だから、これだった。これしかなかった。
だから、俺に出来るベストは『其処にある』と思い込むべき対象である周囲一帯。
その全てを〝反転魔法〟で埋め尽くしてやる事だった。
「……二十年近く前のあの時も、丁度、こういう状況であったか」
独白のように思えるロンの声。
しかしそれは、確かに俺に向けられていた。
「馬鹿な奴であったよ。敵であるワタシに同情し、救おうなどという感情を僅かでも抱かなければ、結果は違ったであろうに。だから、ああそうだ」
次いで、軽くロンが右の手を振るう。
すると何故か、ぴしりと壊音が展開した筈の魔法陣に走った。
ロンの言う馬鹿な奴とは、誰なのか。
その答えを俺は凡そであるが理解していた。
俺の意思など知らんとばかりに追憶させられたあの記憶の中に、俺と関わりの深い人物がいたから。
エルダスを除いて俺以外に使えないと思っていた魔法を、まるで己の手足のように使う母がいたから。
嗚呼、確かにそうだ。
たった一人の肉親を救おうとして。
しかし、その肉親は己が守ってきた筈の人間のせいで死に。
何一つとして守れず、何一つとして報われなかった男は、肉親を蘇らせる方法があるという救済の手を差し伸ばされ、娘を助けられるのならばと、利用される道を選んだ。
確かに、同情を禁じ得ない。
「これはもう知っているのだよ」
「ああ。そうだろうな。でも、対処には少しとはいえ時間を要するだろ?」
「……なに?」
ロンの言葉を肯定する俺の言葉に、その行為は愚かしいと言わんばかりに歪められていた彼の表情が凍りついた。
この空間はそもそも、ロンの魔法によって創り出されたもの。
ならば、かつて一度経験した事柄に対しての対策を施していても何ら不思議な事ではない。
特に、彼の悲願が絡んでいるのだ。
念には念をと用意をしていた事だろう。
かつて、とことん己が苦しめられた〝反転魔法〟が相手ならば尚更に。
「……ハ、ははハッ。正気じゃないな」
何かに気付いたガネーシャが笑う。
「……周囲一帯に魔法陣を敷き詰める行為を、たった一瞬の為に使い捨てにするだなんてとてもじゃないが正気の沙汰じゃない。でも、だからこそ、値千金の一瞬という時間を確実に得る事が出来る。尤も、私ならばもっと効率の良い賭けをするが」
魔力は有限故に、破れかぶれの特攻など、「愚かしい」の一言で完結する。
ただ、これは決して愚かな行為ではない。
俺の予想が正しければ、ロンの魔力は無尽蔵だ。厳密には違うとしても、ロンならばどれだけの犠牲を払ってでも「無尽蔵」に変えるだろう。
であるなら、ジリ貧だ。
殆ど無敵に近い『夢』を相手に戦うともなれば、まず間違いなく先に俺達の限界が訪れる。
そして、僅かな時間しか稼げずに終わる事だろう。
『夢』による事象をひたすら凍らせ続けても、やがて限界はくる。
〝反転魔法〟の限界もくる。
〝古代魔法〟の限界も、また。
だから俺は、ガネーシャではないけれど賭けをする事にした。
先の哄笑は、その事も踏まえてのものだったのだろう。
「合わせてくれ」
外套の男に向けて、俺は言う。
彼がグランでない場合、破綻する行為。
しかし、悠長に言葉を交わして打ち合わせをする時間は許されていない。
ぶっつけ本番。
この限られた言葉と時間で、どうにか理解してもらう他ない。
俺に出来る事はただ、彼────グラン・アイゼンツがやり易いように、リクと同じ癖を真似て行使するだけ。
「おいおいおい。お前、なんでおれの癖を知ってるよ」
ロンの時のように、記憶が頭の中に流れ込んだ訳ではない。
ただ俺は、リクの癖を模倣しただけ。
それでも、外套の男からこの反応が出てくるという事は、俺の予想は間違っていなかったのだろう。
「っ、気になる事は多いが、まあ、目を瞑ってやる。少なくとも、これをおれに委ねたお前の判断は間違ってない!!」
大量の魔力を犠牲にして生み出した一瞬の重みを刹那の間に理解した外套の男は、俺を問いただす事を後回しに、合わせてくれる。
積み上げてきた経験は勿論、センスも、技量も、〝古代魔法〟における何もかもにおいて、俺は外套の男に劣っている。
そもそも、俺達が駆けつけるまで、一人でこの怪物の足止めをしていた人間だ。
比べる事すら烏滸がましい。
外套の男の足下から這い出で、蛇のようにうねり出す文字列が四方へと伸びてゆく。
そして、右の手を掲げた彼が言葉を紡ぎ、ソレは完成する。
「覆い尽くしちまえ────〝刻梵陣〟────!!」
構築されると同時に自壊を始める〝反転魔法〟。
刹那、魔法で防ぐには時が足りないと判断したのか、何処からか取り出した得物を片手にロンが此方へ言葉なく肉薄を始める。
「────」
「だが、それも一歩遅い」
ガネーシャの氷による足止め。
しかし、即座に溶かされる。
其処に氷がないと思えば、氷は消える。
『夢』の世界ではそれが当たり前なのだから。それでも、その間は致命的。
次いで繰り出された単調な連続の攻撃を、俺は再び換装。
〝古代遺物〟を取り出し、用いる事で防ぎ、これでロンごと閉じ込める事が出来た。
俺達は、その結果に満足をする────そう思っただろロン・ウェイゼン。
そして俺は魔法陣を浮かべた。
「……転移魔法、だと?」
強いから。
経験値が並じゃないから、一発で看破してしまう。そして必要以上に警戒をしてしまう。
だけど、彼は俺が転移魔法の適性がない事を知らない。
ただ、得体の知れない相手としか知らない。
だから、これが活きてくる。
雷の魔法で、精巧に擬態しただけの張りぼての魔法陣にロンは警戒をしてしまう。
特に、側にいたのが何も知らないガネーシャと外套の男の二人というのも良かった。
「ぃ、や、ブラフか」
転移魔法とは、二つの点を繋ぐもの。
転移陣が発動した時、転移先に指定した陣も起動しなければ、転移魔法は完成しない。
その様子がない事から、ロンはブラフであると一歩遅れて気付いた。
しかし、その間に次が完成する。
続けて大魔法。ガネーシャによる、その合わせ技。
「〝凍ル世界〟────〝氷河の番人〟」
大地に再び氷が走り、周囲の気温ががくりと低下する中、眼前全てを支配する氷が、パキリパキリと音を立ててある形の構築を始める。
それは、槍を携えた巨人だった。
まるで魂を吹き込まれたかのように、自律して動くソレは狙いをロンへと定める。
最早、制御はガネーシャから離れており、術者を殺したところでもう止まらない。
やろうと思えば、ガネーシャの真似事は俺にも出来るだろう。
しかし、これを一息で行うともなれば、後どれだけの修練を積めば良いのか、想像もつかない。
「────で、おれでダメ押しってとこか?」
最後に、外套の男。
「びびったぜ。なにせ、おれが嘘をつく時の癖をお前が知ってるなんて思わなかったからよ」
偶然にも俺は、リクの癖を熟知していた。
ヨルハに攻撃すると見せかけて────。
そんな立ち回りを彼はしていたから、見せかけの攻撃をする時の癖も、一応知っていた。
ダメ元ではあったけれど、それすらも理解してくれるとは思わなかった。
最悪、結界の中に閉じ込めれば良いと考えていたが、これは嬉しい誤算だった。
……だからこそ、リクの最期を彼に伝えるべきか。考えると心が痛むが、今はその偶然に感謝をしよう。
「幸いにして、まだ〝過剰摂取〟の効果は続いてる。遠慮はなしといこうじゃねえか」
見せかけでしかなかった筈の〝古代魔法〟の行使はそのままに、同時並行で、別の魔法を用意。
「────〝弔骸の丘〟────!!!」
視覚化された文字列が、大地に溶け込む。
続け様に、そこから隆起するナニカ。
それは、骸だった。
人の形を失った屍人。
その、軍勢ともいえる圧倒的な物量。
悍ましい声をあげて、それは人間であればあり得ない挙動で以て身体を起こし、ロンへと焦点を定める。
そして最後に、俺が更に畳み掛ける────!
先の意図しない覚えのない記憶の喚起によって目にした光景。
ロンが行使していた得体の知れない『夢魔法』を使わせない為に。
そう思って畳み掛けた俺達の行動に、間違いはなかった。隙はなかった。
完璧と言っていいものだった筈だ。
間違いなく、全力だった。
だったのに。
「────……さて。良い夢は見られたかね?」
行使しようとした魔法の音の代わりに、聞こえる筈のない声が聞こえた。
案外それは、近くから。
案外それは、庭でも散歩しているかのような様子で、普段となんら変わりなく。
嘘だと頭が否定するが、その声が幻聴でも、油断を誘う為の偽りでない事は何故か分かってしまった。彼の存命の理由は、続く筈だった轟音が、僅かの物音すら立てずにパタリと途絶えた事がその証左と言えるだろう。
本当に文字通り、全てが消えた。
一部ではなく、全てが。
夢から覚めた時のように、一瞬で全てが。
「……幾らなんでも、出鱈目過ぎるだろう」
得体の知れない剣術を扱い、状況の把握も常人のソレとはかけ離れていた親父と。
多くの天才から認められていた母が揃っていて尚、倒せなかった化物。
それが、『夢魔法』であり、ロン・ウェイゼン。
相手が悪すぎる。
現実逃避すら出来なかった俺は、小さく笑った。
頬を引き攣らせる苦笑いしか出来なかったが、俺は笑った。せめてもの、強がりを見せつけるように。
……『夢魔法』を使われた時点で、勝負は決まっていた。宮廷魔法師としてガルダナに籍を置いていた際、漁りに漁った書庫の文献にも、ついぞ『夢魔法』に対する対策の記載はなかった。
ただ、魔力切れを狙うしかない。
そのくらいだった。
この調子だと、結界に閉じ込めるという選択肢も恐らく、ダメだった事だろう。
だけど、彼をオーネスト達の下に行かせる訳にはいかない。
その感情が、身体をどうにか奮い立たせる。
だから。だからと足掻こうとして。
「ワタシを止めたいならば、カルラ・アンナベルを連れてくるべきだったな」
しかし、その言葉を最後に何故だか俺の視界が真っ黒に染まってゆく。
端からゆっくり、絶望の代名詞のような真っ暗闇が侵食を始める。
側で、悔やむような声をあげる外套の男の言葉や、俺と同様に驚愕を隠し切れないガネーシャの声が聞こえたが、それも遠ざかってゆく。
まるで、意識を手放し、夢の世界に落ちてゆくかのような、そんな奇妙な感触だった。
音が消えて。
匂いが消えて。
そして、視界が塗り潰されて。
こうなる可能性を俺は知っていたのに。
知っていたのに、止められなかった。
「キミ達では、ワタシを止められやしない。キミ達如きでは、ワタシは止まらない」
その言葉を最後に、何も分からなくなった。