百四話 棺の中身
「……普通、ここは感謝こそすれど文句を言う場面でないと思うのだがな」
ガネーシャが、文句しか口にしない俺達に視線を向けながら呟いた。
それもその筈。
元々俺達は、メアの案内のもと、ヴァネサを探す予定だった。
しかし、その予定はものの見事に狂った。
理由は単純にして明快。
道が変わっていたから。
考えればすぐに分かる話だった。
本来ダンジョンに存在しない道。
そんなものを創り上げる存在が、メアが逃げたという異常事態が引き起こった現状を前に、これまで通りの道を据え置きにする訳がないのだ。
恐らくは道を変化させたのだろう。
だから、俺達の予定は狂い、どうしようもなくなった。
残された道は、己なりに道を探すか。
はたまた、その場で足踏みをするか。
それにあたり、ガネーシャが二手に分かれよう。確実な案内がないなら、纏まって動く理由もない。そう口にし、二手に分かれる事になった────そこまでは良かった。
問題はここからだった。
「……真っ先に〝古代遺物〟を使って足場をぶっ壊すのは流石に予想外過ぎるだろうに」
散々に責められた後だったからだろう。
ガネーシャもガネーシャなりに気を遣ったのか、少し離れた場所で使用するという気遣いを見せてはくれたのだが、そんなものはこれっぽっちも関係がないと言わんばかりに効果が発揮された。
とどのつまり、ものの見事に巻き込まれた。
地盤が急に緩んだとでも言うべきか。
ひび割れる不穏な音と共に俺達はそのまま落下する羽目になってしまった。
「だから、もう一度〝運命神の金輪〟を使ってやっただろう。そらみろ。全員無傷だろうが」
ぶくぶくと若干一名、メアが泡を吹いているように見えるがどうやらガネーシャの視界には入っていないらしい。
ついでに、落下の際にオーネストがクラシアやメア達の下敷きになっていた事も見えていないようだ。
「……それで、よ。これは一体どういう状況だあ?」
身体についた砂を払いながら、オーネストは目を細める。
むせ返るような死臭が真っ先に鼻についたが故か、オーネストの声音は強張っていた。
「見るからに怪しそうな外套男に……あれはカジノにいたちょび髭か?」
オーネストが荒稼ぎをする前に、周囲の視線と話題を掻っ攫っていた正体不明のちょび髭。
だが、カジノで出会った時とは雰囲気がまるで違っていた。
研ぎ澄まされた鋭利な刃のような空気を纏っており、無差別に殺気を撒き散らしている。
間違っても、オーネスト相手に頬を痙攣させながら半笑いで「ありえん」などと口にしていた人間と同一人物には見えなかった。
「穏やかじゃないな」
壊れた何かの残骸。血塗れの肉塊。
凄絶な破壊痕。血を流す、二人の男の姿。
「────く、は、は……ははは」
最中、唇の隙間から溢れる乾いた笑い声が鼓膜を揺らす。
その音の出どころは、ひどい頭痛に耐えるように、左手で頭を押さえる外套の男。
「まさか、五人のうちの一人がお前だったとは。流石のおれも、こうなる未来は想像出来なかった。ヴァネサ・アンネローゼのやつも、予想出来まい。まさか、万が一の保険のせいで、己が妹をこんな場所に引き寄せてしまう、なんてのはな。まぁいい。ここまで来ちまったなら、あいつには悪いが利用させて貰おう。いや、利用する以外に道はないんだ」
ひとりごちるように、ぼそぼそと呟く外套の男の声は鮮明に聞こえない。
彼の声よりも、未だ断続的に続く崩落の音の方がよっぽど大きいから。
やがて、晴れゆく不明瞭だった視界の中で響く声音。
「……〝嫉妬〟、ではないのだね。いや、妙な偶然もあったものだ。カジノで偶然出会った顔とこんな場所で再び、出会う事になるとは。だが、ワタシの邪魔をするというのであれば、誰であろうと────」
この剣呑とした場にあまりに似つかわしくない穏やかな声音で言葉が告げられる。
だが、それも途中まで。
先の落下で意識を飛ばしたメアの下へ視線を向けたロンの言葉が不自然に止まった。
「メ、ア……?」
まるで、幽霊でも目にしたかのようにどこか呆けたような声音。
言葉にこそされていなかったが、その態度は信じられないと告げているようなものだった。
そして、続くちょび髭男────ロンの反応に、その驚愕の感情は俺達にまで伝播した。
「いや、違う」
「…………は?」
瞳の奥に、明確な拒絶の感情が湛えられる。
間違っても、娘に対するものではなかった。
次の瞬間、ロンの姿が掻き消える。
まるで、初めからその場にいなかったかのように。
「姿形はメアだが、違う。これはメアじゃない。これは、ワタシの娘ではない。ならば、キサマは一体誰だ?」
場面が無理矢理に差し込まれたかのように、ロンの姿が目の前に現れる。
そして、姿を覗かせる闇色の刃。
振るわれた凶刃に対して、俺は反射的に〝古代遺物〟を差し込み、防御。
「……ッ、ぐっ、メアを連れてここから逃げろッ!! ヨルハ!! クラシア!!!」
凄絶な衝突音と共に得物を伝って痺れがやってくる。
だが、音の割に衝撃の威力が少なく感じた。
その訳が、俺と同時に展開された目の前の見えない壁のような盾であると見抜いた上で、俺はそれを展開した張本人であろう人間────外套の男を一瞥した。
「気にするなよ。敵の敵は味方、って言うだろ」
────〝古代魔法〟。
しかも、無音かつ無拍子での発動。
恐るべき練度だった。
ただ、その発動兆候や癖に覚えがあった。
微妙に異なっているが、彼の動きはリクによく似ている。面影が、どうしても重なる。
その間に、新たな影────オーネストが割り込み、顕現させた〝古代遺物〟を用いてロンに向けて刺突を一度。
「あ゛?」
しかし、その刺突は防がれることは無く、そのままロンの身体を素通りした。
まるで、実体ではなく幽体であるかのように。
そしてそのまま、槍から抜け出したロンは、右上上空に身体を躍らせて脚撃を繰り出す。
その動作を前にして、オーネストは手首の動きだけで一瞬で槍を旋回し防御を試みる。
間一髪間に合う防御。
轟く衝突音。
しかし、直後、力任せによる一撃によってオーネストが力負けをし、身体は後方へと大きく蹴り飛ばされた。
「……くそ、がッ。一体どう、なってやがる……!!」
先程は槍を通り抜けた実体のない身体。
だが今は、ちゃんとした実体として蹴り飛ばしてきた。
全くもって意味が分からない。
オーネストの疑問は尤もなもので、俺でもその現象は不思議極まりなかった。
「……魔法、なんだろうが訳がわかんねえッ。それに、なんだあの馬鹿力はよ……!!」
「……影魔法の応用、にしても、系統が違い過ぎると思う。〝古代魔法〟でも、ない」
思考を巡らせ分析する。
俺の知識が足りていない〝影魔法〟関連かと考えたが、それにしても系統が違い過ぎる。
これは、幻惑系統の魔法だ。
……ならば、こいつはロン・ウェイゼンではない……?
だが、ロンでないならばあれ程露骨に、過剰な反応をメアに見せる筈がない。
堂々巡りだ。
どうしたらいいのか。どうすべきなのか。
何をどこまで信じるべきなのか。
「────なあ、お前ら。目的は同じ。だから、共闘しようぜ。なんて、本来は言いたいところだったんだが、お前らにはやる事があるだろ。それに、見ての通りコイツは普通じゃない」
最中、よく分かっただろと指摘をするように、外套の男から言葉がやってくる。
そのまま、連続して魔法の発動。
四方を覆うようにロンの周囲で結界が展開。続けざまに見たこともない魔法────視覚化された呪詛のような文字列が、紫の靄に紛れて漂っていた毒々しい何かと混ざり合い、ロンへと襲い掛かる。
恐らく、魔法攻撃だけは有効なのだろう。
オーネストの攻撃に目もくれなかったロンの表情に、皺が刻まれていた。
「やっぱり貴方は」
言いかける。
でも、頭の中に渦巻いた疑念をどうにかする前に、外套の男の言葉が続けられたせいで遮られてしまう。
「そんでもって、おれの場合は一人の方が色々とやり易い。だからコイツに構わず、お前らは遠慮せずに先へ行けよ。特別に相手を引き受けといてやる。それと、」
────ヴァネサはこの先にいる筈だ。
最後の言葉は、ロンに聞こえないようにと考えたが故の配慮か。
唇の動きだけで伝えられた。
ロンに真正面から「娘でない」と否定をされたメアの事については気になる。
だが、今はヴァネサが優先だ。
この先にいるのであれば、言う通りに追いかけるべき。
何より、先の僅かな攻防を見ても俺達がロンに対する有効打を持っているとは思えない。
けれど、この状況を見るに外套の男の劣勢さは火を見るより明らかだ。
決して少なくない血を流しており、喘鳴の音が途切れ途切れに聞こえてくる。
何故、ヴァネサの手助けをしたのか。
ロンの足止めをしているのか。
疑問だらけだが、今の外套の男の様子を見るからに、この状況を打開出来るだけの何かを隠し持っているようには見えない。
だから、彼の言葉に従った場合、恐らく十中八九、グラン・アイゼンツの可能性が高い外套の男は命を落とすだろう。
何かしらの事情故に、譲れないのか。
はたまた、俺達を欺いているが故にこの行動に至ったのか。
彼に対する情報が不明瞭過ぎるが為に分からない。でも。
「オーネスト」
「あいよ」
────なら、ここからは二手に分かれよう。
そう口にするより先に、オーネストからの返事が来た事に若干驚いてしまう。
でも、お前の考えそうな事は分かンだよと言わんばかりの半眼で見つめられた事で、俺はたまらず苦笑いを浮かべてしまう。
「……何年の付き合いだと思ってンだよ。てめえの考えてる事くらい分かるっての。だが、あの化け物を二人で止められンのか?」
視線の先では、外套の男が行使した古代魔法がどういう原理か自壊を始めていた。
忌々しげに鳴らされる外套の男の舌打ちが、意図した自壊でないと証明しており、本来であれば盤上不敗の一手とも言える〝古代魔法〟が、足止めすら満足に出来ていない。
「無理だろうな」
即座にそう返事をしたのはガネーシャだった。
「私が知る限り、ロン・ウェイゼンは『天才』の類の人間だ。しかも、騎士としての経験値も計り知れない。相手にするともなれば相応の犠牲を払う必要があるだろう。だが、それだけならお前ら二人で問題はなかった筈だ。そもそも、あの外套の男一人でどうにかなっていただろう」
「……何が言いてえよ」
「問題は、あいつが使っている魔法だ。恐らくは、禁術指定異端魔法。それも、その中でもとびきりの『最悪』────。だから、オーネスト・レイン。お前ではなく私が残ろう。何より、気になる事がある」
「ぁあ?」
二人で止められるか否かを問うた理由は、オーネスト自身が手を貸してくれようとしていたからだろう。
ガネーシャもまた、その意図を見抜いた上で言葉を告げていた。
「物理特化のお前と、魔法特化のあいつでは相性が悪いと言っている」
そこまで言ったところで、喉を鳴らしながら外套の男がクハ、と笑った。
やがて、その笑いは苦笑に変わる。
「……先にいけって言ってるのが聞こえないのかよ」
「聞こえてる。聞こえてるが、二手に分かれてここでコイツを足止めしておく方が効率的だ。それに、敵の敵は味方であるが、敵を殺す為に敵の敵を囮に使う可能性もゼロではあるまい」
だから、オーネストの代わりに残ると口にするガネーシャだが、俺からすれば彼女の能力は未知数だ。
確かに、魔法使いの土俵において物理特化のオーネストが勝負を挑むことは圧倒的な実力差がない限り無謀に等しい。
とはいえ、ガネーシャの言っている事は正しいが、運任せな戦闘スタイルの彼女よりはオーネストの方がずっと────。
そこまで思ったところで、思考を遮るようにガネーシャの声が続けられた。
「特に、今日の私は運が良いんだ。言っただろう。ツイていると。それも、相手が『夢』であるなら抜群に」
────パキ、リ。
そんな音と共に、細氷が幻視される。
目の前で舞い散ると共に、ひゅぅ、と冷気を伴う風が吹き抜けた。
「足止めが目的ならば、私ほど適任な人間もいまい」
フィーゼルに所属するSランク冒険者。
その中でも訳ありが集うパーティー〝ネームレス〟。最後の一人。
「一応言っておくが、私の氷は少しばかり寒いぞ」
ガネーシャがロンに向かってそう告げた直後、大地に氷が恐るべき速度で走り、広がると共にソレは俺達の世界をいとも容易く氷原に染め上げた。
オーネスト達と俺達を分けるように、氷の壁さえもが生まれていた。
「……は。運に頼る必要なんて、どこにもないじゃないか」
思わず本音が漏れる。
魔法師である俺からしても、その才能は圧倒的だった。
魔法陣の高速展開。
有無を言わせぬ間に、自分の土俵へ引き込んだ。
その実力は、Sランクに相応しいの一言。
少なくとも俺は、〝運〟なぞに頼る必要のない確かな実力を彼女は持っていると思った。
「違うな、アレク・ユグレット。いくら強かろうと、いくら経験を積もうと、いくら小賢しかろうと、〝運〟がなければ死ぬ時は死ぬ。そういうものだ。だから、自虐こそしていないが私は私の魔法に絶対の信を置いていない。何故なら、魔法の実力は〝運〟に劣るものと考えているから」
否定をされる。
それは、明確な拒絶であった。
過去に何があったのか。
詮索をする気はなかったが、ここまでの実力を持った人間が己の実力を過信するどころか全く信用していない理由とは一体何なのだろうか。
「余所見をするな。死ぬぞ」
意識がロンから逸れた瞬間、ガネーシャからの言葉と同時に氷が席巻した場所から、殺意と共に異形と形容すべき槍のような矢が飛来する。
反射的に身を翻し、回避を試みるも、恐るべき速さで肉薄したソレは頬を掠め、火傷のような熱さが走った。
「泣けよ、震えよ、ひれ伏せよ────」
地獄の底から聞こえてきたかのような、地を這うような低い声音。
疲労らしい疲労も、焦燥も、感情の熱さえも、何も感じさせない平坦な声だった。
だからこそ、余計に気味が悪い。
魔法とはそもそも、詠唱を必要としない。
だが一部の魔法使いは前口上を述べる。
それは偏に、イメージの明確化。
魔法とは一言で表すならば、要するにイメージの具現である。
故に、使い辛い大魔法の場合、このように詠唱のような前口上を述べる人間も少なくない。
凍てついた場所から聞こえてくる声音が、こんなにも恐ろしいと感じる事は後にも先にも、もうないだろう。
「────〝悪夢の具現〟────!!」
「────〝天蓋星降〟────!!」
恐ろしかった。
故に、手にしていた〝古代遺物〟の換装という動作は、頭で考えるより先に行動に移された。
影色に染まった大きな手が、鋭利な爪を伴って地面から這い出てくる。
同時、影色の騎士と思しき影が複数召喚。
魔法を幾ら打てど、消滅しなかったあの怪物とよく似たそれは、警戒心を引き上げるには十分過ぎる代物だった。
直後、〝古代遺物〟によって生み出された星々のような光が、言葉もなく降り注ぐ。
さながらそれは────飛来する隕石。
大地を抉り、穿つそれは生み出される影色の怪物を粉砕には至らないものの、確実に行動を制限してゆく。
故に、彼の狙いであるメアにまで攻撃を届かせない事に成功する。
「先に行け、オーネスト!!!」
「しゃぁ、ねえか……ッ!! 先に行っとくぞ!!!」
「………チ」
ぐにゃりと空間が歪む。
変貌する光景。
しかし、その先を読むかの如き速度にて、氷原が侵食を始める。
「たく、強えやつが二人もここに残ってどうするよ……!! だが、助かったのも事実、か。なら、悪ぃが付き合って貰うぜ。ヴァネサ・アンネローゼが恐らく生命線である今、あいつを行かせる訳にはいかねーんだ」
そして、外套の男による〝古代魔法〟。
〝古代遺物〟に、大魔法と、最早、大技のバーゲンセールだ。
しかし、それでも攻め切れない。
決定打が生まれない。
寧ろ、そこまでして漸く時間稼ぎらしい時間稼ぎとなっている。
その事実に顔が歪んだ。
「……そこの男。聞きたい事がある」
「いいぜ。おれに答えられる事ならなんでも答えてやる。ただし、あいつの足を止められてる「今」限定だけどな」
「十分だ。では、あの子供は、本当に「メア」か?」
「それは、どういう事だ?」
てっきり、直前の「生命線」という男の言葉について尋ねるとばかり思っていた。
だが、そういえばその前にガネーシャは気になる事があると言っていたと思い出す。
「気になっていたのは、あの少女の記憶の失い方についてだ。かつて私は、心操魔法と呼ばれる異端魔法の使い手に出会った事がある。メアと名乗ったあの少女の記憶の失い方は、心操魔法を使われた人間のソレだった。記憶の欠落というよりあれは、記憶を無理矢理に消されたが故の症状とよく似ていた」
「……随分と、周りが見えてるな」
心操魔法とは、端的に言い表すならば、精神的な効果を齎す魔法のひとつ。
使い方は様々で、他者に用いる場合もあれば、己自身に使用し、「思い込ませる」事で自己の強化を施す用途もある。
だが、通常の魔法とは異なり過ぎるが故に〝異端魔法〟と呼ばれていた。
「……記憶を無理矢理消したのか? いやでも、どうして。何の為に。いやそもそも、記憶を封じ込む事なんて、」
そこで俺の言葉が止まる。
俺の記憶の中に、それが出来る人物がいたから。
研究者と呼ばれる者達────錬金術師。
彼らならば、多少の記憶を封じ込む事くらいならば可能であった筈だ。
状況からして、それを行った人物はヴァネサ・アンネローゼだろう。
もし仮に。
仮に、あれがメアではなく、〝ワイズマン〟なのだとしたら。
仮に、メアであり、〝ワイズマン〟でもある存在であったならば、判断出来てしまった理由は兎も角、ロンがああして拒絶した事に説明がついてしまわないだろうか。
「……そうだ。ヴァネサ・アンネローゼが記憶を飛ばした。だがあれは仕方がなかった。誰が想像出来るよ。〝ワイズマン〟と書かれた棺の中に、あんな少女がいるなんてことはよ」









