百二話 立ち塞がらせて貰おうか
「……常識的に考えてあり得るのか、そんな事が」
「あり得るだろう。勿論、ツイていたならばの話だが」
「てめえは取り敢えず黙ってろ」
未来視の効果を齎す魔法は存在しない。
〝古代魔法〟も、同様に、存在しているとは見聞きした覚えもない。
だからあり得るとすれば────〝固有魔法〟の可能性だけ。
ただ、〝固有魔法〟の魔法は総じて相応のリスクが伴うものだ。
例えば俺達が使う〝リミットブレイク〟。
適性の壁を無理矢理に壊すアレは、十分という制限がつく上、その後は身体中が悲鳴を上げ、使い物にならなくなる。
直近では、ベスケット・イアリの〝固有魔法〟を目にする機会があったが、彼女もまた、リスクを背負っていた。
思考を覗くという反則染みた能力であったが、恐らくあれは覗ける情報に限界がある。
リクの頭を覗いた際に、目から血を流していたのがその証左。
偶然、ベスケットに才能があったからアレは有用なものになっているだけで、あの能力は覗いた人物の技量を盗み取る訳ではない。
仮に、数時間先の未来を視る事が出来たとして、そのリスクは一体、どれ程のものなのか。
「……いやでも、ガネーシャさんの言葉は一理あるかもしれない。少なくとも、〝固有魔法〟の可能性より、ボクは単に予想が当たった────もしくは、予想出来るだけの条件を整えてたって考える方が自然だと思う」
「今のメイヤードのダンジョンは、人の立ち入りが制限されてた。工作はし放題……となると、確かにその線の方があり得るか」
問題は、その人物が敵なのか。味方なのか。
恐らく、ヴァネサを匿っていた張本人である事から、〝賢者の石〟生成に関わっていた勢力の人間でない可能性が高い。
ただ、単なる善意でヴァネサを匿っていたと考えるには楽観的過ぎる上、偶然、匿えるだけの手段を持った人間が居合わせたとは考え難い。
「でも、姉さんを匿えるだけの手段を持ち得た人間が、あえてこの子を逃すってリスクを選んだ理由が分からないわ」
「単純に、制限付きの能力だったか。はたまた……逃げられない理由があったか」
「何はともあれ、行ってみるしかねえわな」
間違いなく、そこにヴァネサはいたのだ。
彼女の行方を知る為にも、向かう事は必須だった。
「……質問続きで悪いんだけど、俺からも一ついいかな。ヴァネサ・アンネローゼと一緒にいたもう一人の男。そいつ名前を覚えてないか。もしかしてその人は、」
────グランって呼ばれてたりしなかったか。
カルラと共にいた際に生まれた疑問。
その正誤を問おうとした、瞬間だった。
ず、ず、ず、と地響きに似た音が鳴る。
大地が揺れ動き、ぱらぱらと崩落の音さえも聞こえ始める。
続くように、轟音が。
心なし、足下から聞こえるその音と共に何かの前触れのように、この空間を覆う紫煙が不気味に揺らめく。
「……すみません。丁度、聞こえなくて」
「いや。やっぱり今は先を急ごうか」
言葉を途中で遮られた俺は、メアへの質問を取りやめる事にした。
仮にその者がグランであったとしても、無かったとしても、やる事は変わらない。
今は少しでも早く、メアがいた場所へと向かうべきだろう。
背後から迫る得体の知れない怪物達を尻目に、俺達は先を急ぐべく走る事にした。
* * * *
異臭と形容すべき、鉄錆と肉塊による強烈な死の臭い。
紫煙に包まれた空間ながら、足を伝って確かに感じる表面の滑り。
人同士によって生まれたであろう戦闘痕が、確かにそこにはあった。
「────たく、おれの人生が予定通りにいった試しなんて一度もなかったが、ここまで来ると笑えてくるな。ただ、だからこそある程度の予想が出来るんだが」
散乱するチューブの残骸。
壊された棺。瓦礫の山。肉片。血溜まり。
歴戦の兵士すら身を竦ませるであろう只事ではないその惨状の側で、血を流す外套の男。
泰然とした立ち姿には隙はなく、手練れである事が窺える。しかし、そんな彼は追い詰められていた。目に見えて分かるほどに疲弊しており、相対するシルクハット帽の男との力量差は最早、明白であった。
「本当は、あんたと戦う気なんざ微塵もなかったんだがな。何せ、あいつからも勝ち目がないと忠告をされていたから。『怠惰』を相手にお前では、逆立ちしても勝てないと言われていたから」
そもそも、外套の彼にとって戦闘は門外である。本来の予定では、裏でサポートに徹し、タソガレからの依頼をこなすつもりだった。
だが、不測のアクシデントがそれを許さなかった。故に、こうして戦っていた。
「全く、嫌になんぜ、この正義感はよ」
今から遡る事、二時間ほど前。
〝古代魔法〟によって構築された空間の中で待機していた彼、グラン達はあり得ないものを見た。
それは、棺に入れられていた少女の姿。
そして、そんな少女に再度作成したであろう〝賢者の石〟を使用しようとする研究者達の姿。
故に、ヴァネサは飛び出した。
そこから、アクシデントの連続だった。
ヴァネサからその危険性を説かれ、今すぐに行動しなければ取り返しのつかない事になると捲し立てられたグランは、危険過ぎるが故にヴァネサを止めようとした。
だが、研究者達が口にする妙な言葉もあって、その剣幕にグランは押し負けた。
何より、グランには自分でさえも分からない妙な正義感があった。
生来のものと言っていい。
〝闇ギルド〟の人間を目にすると、無性に嫌悪感に苛まれる事の他に、彼は幼い少女を見捨てられない正義感を持っていた。
己の失った過去に関係をしていると自覚をしてはいたが、どれだけ無謀であっても見捨てる事だけは出来なかった。
そして、研究者から少女────メアを救い出し、ヴァネサは彼女にとある魔法を掛け、救う為にと一人、研究所の場所へと恐らくあるであろう薬を求めて走っていった。
グランは、間違いなく厄介な奴が出てくると踏んで、ヴァネサを追いかけさせない為に『隠れる』選択肢を捨てた。
だからこそ、自分の側に置くより逃した方がいいと考えてメアをあえて逃した。
結局、その予想は正しかった。
多少、〝古代魔法〟を上手く使えるだけの人間が、勝てるような相手ではない。
『怠惰』と呼ばれるロンの戦闘能力は、それ程までに底が見えなかった。
「流石に、荷が重いどころの話じゃねえぞ、くそったれ」
内心の焦りを出来る限り隠しながら、グランは言葉を吐き捨てる。
本来の予定ならば、ロンの相手は『大陸十強』のカルラ・アンナベルがする筈であった。その為に、わざわざ彼女に〝賢者の石〟の錬成陣────タソガレを匂わせる手紙を送り、二重の意味でカルラを釣ってメイヤードに誘き寄せたのだから。
ただ、神という存在はとことんグランの事が嫌いならしい。
打てる手は全て打つ。
それを信条にするグランだからこそ、今、ダンジョンにやって来ていたのがカルラではなく、別の五人組であると知っていた。
だが、贅沢は言っていられない。だからメアには、カルラと縁がある彼らを頼れと言葉を残した。
ただ、多少の危険をおかしてでも、カルラとの接触をしておくべきだったか。
今更過ぎる後悔をしながら、グランはくひ、と不敵に笑った。
「……ならば何故、邪魔をした」
「そんなもん、決まってるだろ。見過ごせねえからだよ。それに、あんな話を聞いて首を突っ込まねえ訳にもいかないだろ」
研究者達が口にしていた妙な話────それは、実しやかに囁かれる噂。
本当に存在するかも分からない、『獄』について。
「成る程。確かに、出来なくもないわな。お前が、『影』じゃなく、『夢』なら出来なくもないな……!!」
己の願望を現実に昇華させる夢魔法ならば。
本当に存在しているならば、彼の力で『獄』への入り口をこじ開ける事は不可能でない筈だ。
────漸く、合点がいった。
元々、グランの中には拭い切れない痼があった。〝賢者の石〟の生成には、研究者でない『怠惰』の力は必要ない。
精々が、見張りの人間としての価値しかない。
なのに、研究者達はメアと呼ばれた少女をロンの枷と呼んだ。まるで、この計画に欠かせない人間のように。
その理由が、グランにはどうしても分からなかった。
だが、先ほど漸くその理由が判明した。
ヴァネサも知らなかった事から、一部にしか共有されていない極秘事項だったのだろう。
「……誰が想像出来るってんだ。〝賢者の石〟を用いて『ワイズマン』を蘇生させ、〝賢者の石〟に組み込まれる隷属の技術の応用で『獄』の住民を利用するなんざ」
『ホムンクルス』の生成が行われている以上に、嫌な予感がするからとグランを送り込んだタソガレの予感は見事に的中してしまっていた。
「……考えがイカれてやがる。世界相手に戦争でもふっかける気かよ」
「さてな。ワタシには、そんな事はどうでもいい。〝嫉妬〟のやつが何を考えていようが、テオドールが何を企んでいようが、この先の未来に何を描き、何を望んで何を見ていようと、ワタシからすればそんなものはどうでも良いのだよ」
肩を竦めながら、マジシャンめいた身なりの男────ロンは言う。
グランとの間に決定的な差があるからこその余裕なのか。
どうあってもこの先の未来は変わらないと決めつけているのか。
もしくは、グランがヴァネサを匿った時と同様に、別空間にメアを匿っていると踏んでいるのか。
それとも、棺の中に安置されていたあの少女が目覚めた事を彼はまだ知らないのか。
ロンの殺意はグランにのみ向いており、ヴァネサを追い掛ける様子も、メアを追う様子も見受けられなかった。
〝古代魔法〟は、使用者が死ねば効果は解除される。
故に、グランを殺してしまえばいいと考えている可能性は十二分にあった。
「あの時交わした約束を果たしてくれるのであれば、ワタシもまた、あの時交わした約束を果たすまで。それだけの話なのだよ。たとえその内容が、如何に救い難いものだろうと」
「……それを本当に、お前の娘が望んでるとでも思うのか」
「何も知らない人間ごときが、知ったような口を利かないでもらえるかね……?」
ぞわり、と背筋が凍る程の殺気。
ロンの周囲は異様なまでに波打ち、黒い靄が容赦なくグランに襲い掛かる。
ヴァネサが、ロンほどの人間から一度とはいえ逃げ切れた理由。
それは、運良く彼女がロンの動揺を誘う言葉を口にしたからであった。
ヴァネサは、ロンが自身の娘の蘇生を望んでいる事を知っていた。
だから、多くの人間の犠牲の上で成り立つ〝賢者の石〟を用いて蘇生された人間が、本当にそれで喜ぶのか。
何より────研究者の一人として参加していたヴァネサが、ここで生成されている〝賢者の石〟がかつて『ワイズマン』が作り上げたものと構造が致命的に異なっている。
貴方が望む結果を、得られる可能性は限りなく低い────。
それらの言葉を偶然にも突きつけたからこそ、運良くヴァネサはロンから逃げる事に成功した。
「……いや、知ってるさ。下手すりゃあ、ヴァネサ・アンネローゼよりも知ってるさ。お前が信じるかは知らんが、おれは一人の『ホムンクルス』をよぉく知っているからな」
『大陸十強』────規格外の世紀の毒使いを、グランはよく知っていた。
彼の治療さえも受けたグランの場合、それこそ身を以て。
「『ホムンクルス』の製造に関わってしまった希代の毒使いを、おれは知ってるから」
「……毒使い、だと」
「お前でも知ってるだろうよ。『大陸十強』、タソガレの名は」
グランのその会話に、時間稼ぎの意図がある事をロンは見透かしていた。
だがそれでも、『大陸十強』の名前があまりに大きかった事。直近で、『大陸十強』に関わる意味深な発言をテオドールがしていた事もあり、ロンはグランの言葉を無視する事は出来なかった。
────あんな技術は、生まれるべきではなかった。
そんな後悔の言葉を常日頃より口にし続ける人間を、グランは知っていた。
希代の毒使いであり、筋金入りの〝研究者嫌い〟。
タソガレが『ホムンクルス』に固執する理由は、己が『ホムンクルス』であると同時に、その製造に己が望んだ訳ではないとはいえ、関わっていたからであった。
「……そうか。カルラ・アンナベルを巻き込んだのはキミだったのかね」
魔法学院に鎮座する根っからの引き篭もり。
そんなカルラ・アンナベルの重い腰を上げさせた人間が、『大陸十強』絡みの人間というならば納得が出来る。
そう結論づけてロンは目を細めた。
「ああ。何があっても止めなきゃいけなかったんでな。念には念を入れさせて貰った」
「く、ふっ。ふふふ、ふは、はははっ。あははははははははははははははっっ!!!」
グランの言葉に対し、ロンは弾けるような哄笑で以て応えた。
取り繕ったものでなく、本当に、ただただ可笑しいと言うように嘲りの感情を顔に滲ませてロンはどこまでも愚かだとグランを哂う。
「何が、あっても? 止めなきゃいけない? ふ、ふふは。正気かキサマ。冗談にしてももう少しマシなものがあるだろう? こんな世界を守って、一体どうなるという」
未だ抑え切れない笑みを噛み殺しつつ、ロンは問い掛ける。
顔は笑っているが、目は異様に澄んで据わっていた。戯言を宣う道化呼ばわりされたグランであったが、声を荒げて即座に否定をする事はしなかった。
記憶こそ失っているが、己の過去が決して真面なものではないとグラン自身も理解している。どちらかと言えば、彼はロン側の人間だ。そんな自分が、世界を守るかのような言い草をしている。
だからこそ、ロンの哄笑を否定出来る筈もなかった。彼もまた、心のどこかでそう思っている者の一人であるから。
「『大陸十強』も堕ちたものだな。力量が及ばないどころか、こんな夢見がちな男を寄越すとは」
────おれも、そう思う。
グランは喉元付近まで出かかった言葉をどうにか飲み込み、苦笑いを浮かべて誤魔化す。
もし仮に、この場にグランではなくタソガレがいたならば、こんな状況には陥っていなかった事だろう。
そもそも、ヴァネサの暴走を許さなかっただろう。
彼女らが引き起こした不測の事態に見舞われて尚、己の目的を果たしていた事だろう。
力不足極まりない。
己の力をそう評価しつつ、しかしグランは、いや────と言葉を口にする。
「……いや、そうとは限らねえだろ。未だにちっともお前に勝てる気はしないが、負けるとは一言も言ってないだろうが。それに、おれじゃなければあの二人を助けるなんて選択肢は取らなかっただろうし、取れなかっただろうよ」
だから、タソガレの判断は間違っていなかった。
そう己の心の中で言葉を続けて、自分の正体を悟られないようにする為か、外套の先を引っ張り、グランは目深にかぶり直す。
「それに、考えもみりゃ、悪い話でもねえか。外には恐らく、〝嫉妬〟がいるんだろうが、そっちの戦力らしい戦力はそんだけだろ。お前がおれに釘付けされていれば、それだけ他の負担が減る。まぁ、生きてる心地はしないんだが」
ロンの発言からして、〝嫉妬〟もいる事は確かだ。
だが、考えようによってはロンをここで足止め出来るのは悪い話ではない。
そんな事を考えながら、魔法を展開する。
「正直なところ、お前が意地を通そうとする理由も、『ホムンクルス』に縋ろうとする理由も、どちらも分からないでもない」
ここで、『ホムンクルス』の欠陥を説明したところで、ロンは納得をしないだろう。
彼にとって娘の蘇生は生きるよすが。
手段である『ホムンクルス』は希望の光だ。
「それが、執拗に『夢』じゃなく『影』を使おうとするお前ならば尚更に」
雁字搦めにロンが過去に縛られている事は明らかだ。でなければ、かつての己の魔法のみを使うという行為に走るとは思えない。
『夢』を使えば終わるだろうに、ロンは何故かそれをしない。
グランはその理由を、制限等ではなくロンの心情的な問題からくるものだと見透かした。
「ただ、意地や義理があるのはお前だけじゃねえんだわ」
刹那、ばりんっ、と硝子が割れるような音が四方から轟いた。
「それに、おれはお前らが大嫌いなんだ。だから、こんなのはおれの柄じゃないんだが、あえて言おう。立ち塞がらせて貰おうか」
魔法の発動。
奇妙な文字列が空間中に浮かび、まるで意思を持っているかのようにそれらが蠢き、発光。
己の手足のように、予備動作も最小限に行使するグランの技量にロンは眉を顰め、その正体を看破する。
「……〝古代魔法〟か」
「御明察。そんな訳だからさ、おれの気が済むまで戦ってくれよ。〝ロン・ウェイゼン〟」
止まっていた戦闘音が、一際大きく再び鳴り響いた。









