表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
修羅か人か  作者: MASOMASO
1/1

第一話

長編小説。修羅か人か                         


全てはここから始まった。


お姉忘れられないあの日。まだ彼は五歳の幼子だった。

「お姉ちゃん。まだ着かないの?」

その不吉な雨は容赦なく降り注ぎ、すべてを冷たく濡らしてゆく。

そんな中、幼子と十代前半の少女は、降りしきる大雨の中決死の覚悟で

どこかへ向かっているようだ。

「もうすぐだから安心しな。奏歌の都市なら私たちみたいな難民も

受け入れてくれるよ」

那騎と呼ばれた幼子は、黙って大雨の中を走り続けた。

雨は一向に止まない雨は、二人の体力を確実にそぎ落とし、度々夜空に

響き渡る雷鳴は二人の脆い精神を確実に揺さぶり続ける。

そんな時、異変は突如として現れた。

「お姉ちゃん。何か来る!」

那騎はなにかとてつもない怪物が現れるのを全身の感覚で感じ取る。

空から巨大な何かが舞い降り、付近に着地したのだ。

「こんな大変な時にまったくもう!」

姉はヒステリックに叫び、後ろを振り返る。

そこには、一瞬だけの雷鳴によるライトアップで照らし出された怪鳥がいた。

その巨体は普通の人間の五倍ほどある。鋭く光る眼光は二匹の獲物を捉え、

剣のように鋭いくちばしをぐわりと開けた。

「うそだ、こんな時に化け物と…」

 腹を空かせた怪鳥は確実に二人を狙っている。

逃げることはできそうにない。目的地はこの森を抜けたすぐそばだというのに、

なんて不運なのだろうか。

「どうしよう逃げられないよ」

那騎は怯え、姉にすがりついたまま一向に離れようとはしない。

「那騎!先に行きな。私はコイツをどうにかして後を追うから」

その目は、あふれ出す恐怖を必死にこらえながら、立ち向かっていく勇敢さも

感じられた。

「むちゃだ、お姉ちゃんがそんなことしたら死んじゃうよ」

「私が死んでも、那騎は大丈夫」

そう言うと、姉は幼い那騎を突き放し、鞄から取り出した短刀で怪鳥に突撃してゆく。

そこであの大雨の日の悪夢は終わる。そこから先は記憶がないのだ。

覚えているのは、雨に解けて流れてゆく赤い血溜りだけ。

 あの日の出来事を境に少年は修羅となる。


砂漠にはびこる武族達。


 ここは荒れ果てた夜の荒野。吹き抜ける冷たい夜風が髪をなびかせ、堅く覆われた黄土色の大地は草の一本も生えることなく見渡す限り永遠と続いている。

そんな殺伐とした大地を駆ける一団がひとつ。

彼らはこの荒れた荒野をもろともせず馬に鞭を振るい、土煙を巻き上げながらこの世界を駆け大人数を男で構成された一団は皆荒々しく剣や槍。弓などを握っている。

彼らの目的はこの広大な荒野に荒くれる武族達を統一することだ。

必ず武人だけを狙い、関係の無い者は殺さないという美学を持ち、その優れた戦略性と

並外れた兵力を用いて残虐に敵を殲滅する。

そしていつしか彼らは¬魍魎」と呼ばれ、恐れられる存在となっていた。


 今日は何殺したのだろうか。

少年は戦士だった。

今日も明日も明後日も、終わらない戦いに身を任せ、弱肉強食の道を歩む。

立ちはばかるものは全て斬り捨てた。強くなるために幾多の困難と修行を乗り越えてここ

まで来たのだ。彼の目的は¬強くなること」ただそれだけ。

彼にとって強くなることとは、あの日守ることの出来なかった姉に対しての永遠の

贖罪であり、弱かった自分に対する戒めでもある。誰かを守るなどそのような動機で戦う道を選んだのではない。全ては過去の闇へ葬り去られた姉の為だけだ。

唯一の形見となるペンダントを懐にしまいながら彼は今日も戦い続ける。

「那騎、そろそろ準備しろ、戦いは避けられないぞ」

「ああ…わかっているさ」

 那騎と呼ばれた少年は、自分の荷物から戦闘に必要な武器の整備に当たっていた。

彼はこの民族の中でも、優れた戦闘力を発揮する少年だ。

得意の短刀捌きを毎日鍛錬し、大人をも驚かせるような戦績を上げてきた。

この日は、魍魎一族と同じく砂漠地帯の勢力争いを続ける別の武族と戦う

ことになっていた。

朝の作戦会議で教えられたことを頭に入れ、確実に彼の士気は上昇していく。 


 那騎は望遠鏡を取り出すと、少し遠くに敵の民族が正面から向かっている様子を見ることができた。

相手も荒々しく草原を走り、幾多の戦いを潜り抜けてきたことだけはわかる。

「おれは負けない。殺れる自信はある」

弓と使い慣れた短刃を取り出した時には、もう両部族は罵声を上げ交戦状態に入っていた。

敵の投擲部隊が前進し、槍を俊敏に投げつけてくる。

その瞬間避けられなかった仲間がバタバタと何人か落馬した。

「ういやややややあ!」

 そんなことに構う暇もなく、那騎の目の前に大男が斧を振り上げて襲い掛かってきた。

それを軽やかに受け流し、那騎は鋭い短剣を相手のわき腹に斬りこんだ。

大男のわき腹から血が溢れ、うめきごえを上げひるむ。

そのスキを逃さない。彼は小柄な体を生かして、大男の顔に跳び蹴りを入れた。

「じゃあな、おれは大将の首を取りにいってくる。」

 那騎は無謀にも、自分の馬を走らせ、敵陣の中心地に向かおうとした。

「くっ!このガキがぁ、なめんじゃねえぞ」

 後ろを振り返るとさっきの大男が仲間を呼んだのか、さらに大きな男3人が白い馬をこちらにむかって突進させてきたのだ。

「ガキ相手にムキになって。それでも大人か?」

そう言うと那騎は短剣を振り上げ、相手が振り下ろした斧を受け止めた。

火花が散るが、強い那騎といえどもまだ13歳だ。相手の力にはかなわない。

「おい今のうちだ、ゴークジューシースピルポーク、やれぇ」

那騎と剣を交えている男がおいしそうな名前の部下を呼んだ。

「きひひ!おまえはハチの巣なるのゲス」

「しまった!」

那騎が叫んだ時にはもう遅かった。ゴークジューシースピルポークはボウガンを連射し、

那騎の乗る馬の足を射抜いたのだ。

「ぐぶすとるばふぃぃぃぃぃぃん」

 どこかずれた悲鳴を上げながら那騎の馬は暴走する。

「うわっ!止まれー落ち着けー」

とんでもないスピードで馬は走り、戦う群集の中を逆走していく。

「ふざけるな、そっちは戦場と反対の方向だろう」

馬は那騎の忠告も無視して、ついに戦場から出てしまった。

罵声の飛び交う殺伐とした戦場が遠く離れていく。

暴走した馬の精神状態は那騎に沈められるものではなく、どうしようもない。

ここで熟練した戦士なら、馬を静める方法を知っているのだが、その勉強会の時那騎は都のグルメ旅を満喫してさぼっていたのだ。だから当然こういう時に対処できるはずもない。

¬ちくしょう。あのとき真面目に勉強していれば…」

なんと自分は愚かなのだろうか。那騎は暴走する馬を必死に止め…

ガコン!

まじめな思考は突如として中断される。でこぼこと広がる岩に頭を打ったのだ。その衝撃に那騎は気絶し、暴走する馬に無様な形で引きずられる形となってしまった。


絶望的状況は始まる。


妙な心地よさを感じる。堅い地面ではなくふわりと柔らかいものが体の下にある…。

長らく感じていなかった感覚を那騎は感じ、ハッとして起き上がるとなぜだか那覇騎は

見たことも無い場所にいた。そう、日の光輝く緑の平原だ。

¬くそ!馬に引きずられてこんな場所に来たとは…」

彼の目の前には鮮やかな緑の平原と色とりどりの花が咲いている。

それらは頭上に広がる雲と太陽の明暗を受け鮮やかな明暗のグラデーションを作り出し、

遥か向こうに広がる空に溶け込んだかのような青色の山々へ続いているのだ。

 ここは戦場ではなく遠く離れた場所らしい。戦いに戻ることは難しそうだ。

しかたなく、那騎は食料を探し出すことにした、彼には体力が残されていないのだ。

 ボロボロになった靴で暖かい地面の感触を踏みしめると歩き出す。

まずこういう時にやることは盗みだ。

那騎は無言で岩陰に隠れながら周囲を観察すると、獲物がこないことを確認する。

¬左右視界良好。敵及び獲物の存在はなしか」

那騎の計画はこうだ。岩陰に隠れ、もしも手ごろな旅人が近くを通り過ぎたのなら馬車を

止めてもらいかわいいショタっ子を装い相手を油断させ、敵の輪の中に入るフリをする。

そして頃合を見計らって本性をさらけ出し、相手のメンバー一人を人質に取って仲間の

解放の代わりに食料を要求する。それだけだ。

 ちなみに上記の作戦は一番穏便に進むシミュレーションであり、那騎は自分が生きるためなら他者の命を奪っても構わないと思っている。その行動全てに罪悪感など微塵もないし、彼は暴力の世界で生きた彼にとってそんなことは日常茶飯事なのだから。


 それから数時間後、平穏な空の下で緩やかに時と雲は流れるのだがようやく動きがあった。彼の目の前を一台の馬車が通過したのだ。ふとその馬車は停止すると中から旅人三人が現れなにやらおかしな演劇を始める。年は那騎より三つほど上だろうか。

「弱そうなヤツらが三人、一人は男、二人は女、わけわからんことほざいている…」

さっと木の陰に隠れて様子を見ている那騎は、武器を構え戦闘体制に入る。

 彼は暴虐と略奪の一族。魍魎の少年なのだ。これくらいの悪事は毎日やってきた。

成功する自信はある。

「悪いが、おれの生きるためにお前らの食料、貰うぜ」

 凶悪に微笑んだ那騎は旅人を襲撃するために走り出す。


 ここで話は数時間前にさかのぼる。

「なんで俺たちが、こんな危険なことしなきゃならないんだよ」

馬車を御する少年の名前は夏月うげつという。

「文句いうなんてあんたもなまけたものね。出発するときにはあれだけはりきっていた

クセに」

「まあまあケンカしないで、仲良くやろうよ水雪すいせつ。わたしはあんな小さな村にずっといるより、こんな気持ちのいい草原を旅している方が楽しいよ」

「春華、(しゅんか)この光景が気持ちいですって?あたしにはさっぱりわからないわ。

ずっと同じ光景が続いているだけの世界なんかより、城下町のいいオトコと遊びたいわ。うふふふ」

 説明は遅れたが、この三人はある任務を背負っている。

彼女らの住む村は、彼らが援助を受けている帝国に三十年に一度名産品を奉納する行事があり、今年はこの三人が任命されたのだ。

「まあ、俺たちの村もいいかげんだな。だってそんな大仕事をあみだクジで決めるんだぜ?俺たちはそう簡単に決められてもこまるつーの」

「じゃあサボっちゃえばいいじゃないの、そんなことしたら国王の怒りを買って

村は焼け野原で、バラバラの皆殺しだけどね」

「お前は言うことが怖えーよ」

 ポクポクと馬をのんきに走らせている夏月が言う。

あいかわらず空は透き通るような青とやわらかい白の絵の具を混ぜ合わせ、さわやかな南風と共に流れてゆく。

騒がしいものもない。ゆったりとした時間が流れる。

遠くの空に白鳥が飛び、風でなびき、穏やかに茂る木々涼しげな影を作っていた。

真夏のような太陽の光にまぶしさを感じながら春華ふとこんなことをつぶやく。

「うーん、戦闘員って必要かな?」

「ごふっ!いきなり何を言い出すのだよ!戦闘員ならここにいるだろ」

「えっえっえっ!どこにいるの」

興奮したように春華が辺りを探すがどこにもいない。

「お前なーもうちょっと俺を男として見ろよ」

「あら、あんたなんてちょっと馬の扱い方がうまいだけじゃない」

「お前も言ってくれるじゃねえか」

そのとき、突拍子もなく春華が発言した。

「旅に戦闘員は必要!これから先、大変なことがいっぱいなんだよ」

 春華の言う通り、危険を伴う旅には頼もしい戦闘員がいなくてはどうにもならない。

「じゃあどうすんだよ。スカウトする金もねーだろ」

「簡単簡単。武人ホイホイを使って捕まえればいいのよ」

何それ?


 「ちょっと危険だけど、武人ホイホイのために宝箱使うよ」

そういうと春華はホイと宝物箱を取り出した。

あわてふためいたように夏月が壷を奪い返す。

「うわっ!なんてことするのだ!そんな危険なことにこの宝を使うわけにはいかねーってば、

これが壊れたり盗まれたりしたら俺たちの村はとんでもねえことになるんだぞ」

「そうよ、春華。そもそもあんたのいう武人ホイホイってなんなのよ。きちんと、説明してちょうだい」

 水雪が横から口出しした。

「よくぞ聞いてくれました!武人ホイホイっていうのはね。わたしたち3人がこの壷のすごさを大げさにあおりたてたような話をして、近場を通る盗賊をおびき寄せるの」

「ふんふん…それで?」

二人はあきれながらも聞き入っている。

「うまくおびき寄せた盗賊を捕まえるための落とし穴を作る。これで捕獲成功!なんてね」

「…………………」

「で?それで終わりなのかよ」

「うん、終わり」

「なんつー!テキトーな作戦なんだぁそんなバカなワナに引っかかるやついるか!」

「面白そうね。やってみてもいいのじゃない」

いつの間にか水雪の目が光に満ち希望に溢れていた。

「まじかよ…」

 

 「おーい!これでいいのか、春華」

スコップを必死に振り、夏月は泥だらけになりながら地面に大小20もの落とし穴を彫っていた。

「あんたやるじゃない!まるでモグラさんね。いや、ミスタードリラーかも」

「それ褒め言葉か?」

そういいながら夏月は地上に這い出てきた。

「さっ!コント始めるよ」

高らかに春華が叫んだ。

 「いやー!夏月さん、なかなかこの壷は値打ちものですね」

春華が少し老人のマネをしたような声で語りかけた

「ああこの前家の蔵で見つけたのだぜ。なかなかの値打ちものだろ」

「もしかしたらなんとかに鑑定団に出品したら五百万ヤンぐらい値がつけられるかも!」

「オーホホホッ!その場合は覚悟しなさい、お宝クイーンのあたしが帰りの車ごと襲撃して手に入れてやるわー…」

 広大な草原に、しらけた沈黙が流れる。

「だー!やめやめ!こんなことしたってなんにも引っかからねえよ」

ドサッ!

 その瞬間、何かが猛烈な勢いで落とし穴に落ちた。早すぎて目に見えない。

「うそっ!引っかかったよー」

春華が喜びの声を上げた。

夏月が驚きを隠せず、穴に近寄る。

「あちいいいいいいいいいいいっ!」

どんなヤツが穴にはまったのかはわからない。しかし穴の中からは煙たい白煙と共に

焼かれて叫ぶ悲鳴が聞こえるのだ。

「おい!水雪。お前なにか穴に入れたか?」

「もちろんよ、いろんな穴にワナを入れたわ。うふふ…毒サソリとか針地獄とか

ね。かかったのがどんなやつか知らないけど、火炎穴に落ちたみたい」

水雪が女王様のように微笑む。

「殺してどーすんだぁ、早く助けろよ」

 そう言うと、夏月はロープ取り出し、穴に落ちた者を助ける。

「おーい!無事か、こんな荒いことして…」

その瞬間4人全員に衝撃が走る。

ワナにかかった武人はムキムキの男でもなければ美形な剣士でもない。

十代前半の少年だったのだ。


釣った獲物は修羅だった。


「なんで武人ホイホイに引っかかったのがこんなガキなの!」

武人といえばムキムキマッチョマンが定番でしょうが」

 縄で手を縛られた捕虜少年を見て水雪が文句を叫ぶ。

「まあまあ、俺達の新しい仲間だろ、歓迎してやろうぜ」

「そうだよ!歳が近いのも仲良くできそうだしね」

「捕虜と仲良くですって!?ふざけたこと言わないでよ」

 矛盾的な発言をすると、水雪は捕虜少年を見た。

「えっ…なんで!」

その瞬間、水雪の体に冷汗が流れる。

縄だけが残され、まるで蒸発したかのように、少年の姿はなかったのだ。

「ぐううううぐるるるああすす」

後で間抜けな叫び声が響く。

もしかして!と振り返るとそこには予想通りの光景が広がっていた。

 いつの間にか縄抜けした捕虜少年が左腕で夏月の首を締め、右手でナイフを首に近づけているのだ。

殺風景な草原に緊張が走る。

「くっ…こんなことになるなんて、私もツメが甘い」

 そう思うと、水雪は後方に停められてある馬車を見た。

そこに水雪お得意の武器が収められているのだが、下手に動けば危険だ。

第一この広い広い草原にはこの4人しかいない。

 えたいの知れない捕虜の少年を無意味に刺激すれば夏月の首が一瞬で飛ぶだろう。

いや、それだけではない。確実に水雪も春華も殺される。

子供といえども、彼の殺気はすさまじいものだった。

ここで夏月を殺されれば、馬を操る者はいない。

この旅を続けることはできなくなるのだ。

(くっ!どうにかしてヤツの気をそらすか。それとも色仕掛けでもしかけてみようか)

 こんな状況になっても水雪は頭の回転を止めない。しかし相手は子供のくせにやたらと

穴がなく、つけいるスキが見当たらない。どこかで戦闘訓練を受けているのは間違いない

ようだ。よりによってこんなヤツを捕まえたとは災難である。

そして少年が初めて口を開いた。

「命が惜しい…のなら、七日分の…食料と、逃走用の馬車、を…渡せ。

従わないとこいつを殺してやる」

おかしい。少年の目は獰猛な野獣のようだが、声に力が入っていない。

「早くしろ…」

そう言うと、夏月の首を締める手がだらりと垂れ、少年は力なく倒れこんだ。

「ぐえっ!ぐえっ!はあああ、宇宙から世界を眺めている気したぜ!ああ死ぬかと思ったー」

解放された夏月が激しく咳込む。

「夏月!しっかりしなさい」

水雪がかけよる。

「オレなら大丈夫だぜ、それよりあいつは!」

 見ると、倒れた少年の元に春華がいた。

「この子、かなりむちゃな旅をしていたみたいだよ」

¬そいつの強さ尋常じゃねえし、何者なんだよ!」

夏月が恐る恐る言う。

「わたしは村でずっと薬の勉強やっていたから、この子の疲れた姿を見ればなんとなくわかるの」

遠くの空はもう夕日に染まりつつある。

なんとか危機は去ったのだ。

「私達、なんだか大変な捕虜を捕まえたみたいね」

極度の緊迫感から解放された水雪は地面にへたれこんだ。


心に光が宿る時。


 「うっ…おれはどうなった…」

捕虜少年はうっすらと目を開けた。

時間はすでに夜。いや、あまりにも過酷な戦いの後だったので疲れに疲れ何日か寝てしまったらしい。

音もなく、風もない静寂が続く。遥か天上には無数の星空が広がる理想的な夜の光景だ。

「早くこんな所から出てやる、戦場に戻らなくては」

 そう言うものの、腹が減っては得意の縄抜けすらできない。

数メートル先では、捕虜少年を捕らえた三人が焚火をして夕食を取っていた。

「あんなバカげたワナに捕まるおれは本当に武人か、死にたいくらいだ」

ここの所失敗続きの彼は、自分に失望していたのだ。勉強を怠ったせいで乗馬事故を起こし、見知らぬ土地を彷徨った挙句、腹を空かせて馬車を襲撃したら捕虜となって捕まってしまったなどそれが戦士のやることか。あまりにも惨め過ぎて死にたいくらいの失望が彼をダウナーにさせた。

「ごめんごめん!送れちゃったね」

それはランプを持った春華だった。しかし、依然として捕虜少年は警戒心を緩めない。

「そんなに、警戒することないじゃん、わたしは春華。武人ホイホイの発案者なのだけどよろしくね」

 そう言うと、春華は皿に乗った空羊のチーズとバッキン鳥の肉を差し出し、縄を解いた。

「うううううがるうるるる」

獣のような警戒心をちらつかせ、毒が入っていないことを確認すると捕虜少年はかぶりつく。もう何日も食べていなかったのだ。

「どう…おいしい?」

側に近寄る春華を見て、捕虜少年が言う。

「おまえはなぜ、おれを怖がらない?おれは、おまえたちを殺そうとしたのだぞ」

その目線は鋭く、簡単に人を信用しない目だ。

「わたしはあなたみたいな強い男の子嫌いじゃないよ、ちょっとビックリもしたけど、カッコいいかな?なんてね」

 春華は昼間にあった出来事を思い出しながら話す。

「でも、なんであなたはわたしたちを襲ったの?」

知りたがり屋な春華は捕虜少年に興味があるらしい。

「腹を空かせた獣が生きるために、狩りをするのは当然だ。おれの一族は代々そう教えられてきた。一族の教えに従うなら、おれはおまえを殺すかものかもしれないのだぞ」

威嚇的に捕虜少年は言う。

「大丈夫!あなたはそんな事をする子じゃないよ」

なんともいい加減で根拠のない言葉だが、どこか安心するような響きだ。その瞬間捕虜少年の頬が少し赤くなり、顔を背けた。

「ふん…物好きなヤツ」

 暫くの沈黙が流れた…

一筋の光が照らす二人だけのこの空間以外は全くの暗闇が広がるだけだ。そして春華が捕虜少年の隣に座り込んで話し掛けてきた。

「ねえ、捕虜さんはどこから来たの?」

ふいに春華がそんな質問をぶつける。

少し強めの風が吹く、春華の髪がなびき、二人を照らすランプも音を立てて揺れた。

「おまえたちの知るはずもない、遥か遠くの彼方からだ」

ほのかに輝くランプをどこかはかなげに見つめながら、捕虜少年は無愛想にささやく。

「遠いところから…じゃあ、その遠い場所の向こうには、なにがあるのだろうね」

春華がなにも見えない虚空の暗闇に向かって、語りかけるように話し続ける。

明かりから背を向けた先はどこまでも続く暗闇。ずっと見つめていると飲み込まれそうな

くらい闇は大きく、そして広大だ。その真っ暗な虚無を吹き抜けるようにして冷たく無慈悲な風が春華の髪をなびかせて、無音の夜にひゅうひゅうと唯一の音を響かせるのだ。

「みんなみんな、どこかへ向かっている。行く先も、目的もわからないのに、それでも果てにある希望を求めて…」

その時、夏月の声が聞こえた。春華を呼んでいるらしい

「はーい!今行くよぉ」

そそくさと走る春華を捕虜少年が呼び止めた。

「待て!」

「なに?」

少し捕虜少年は顔を赤らめて言う。

「捕虜なんていうみじめな呼び方はやめろ…おれは那騎だ…それに…」

「それに?」

那騎は尚更言いにくそうだ。

「メシ…うまかったぞ、ありが…とう」

 春華は明るく返す。

「えへへ…どういたしまして、これからもよろしく。那騎!」

その笑顔を忘れることはできない


課せられる那騎の試練。


 「那騎!探したぞ。今までどこをほっつき歩いていたのじゃ」

懐かしい声が聞こえる。

那騎は驚いて飛び上がると、そこには見慣れた魍魎一族達がいた。

「あれ、みんな…。おれは帰ってきたのか」

「そうだおまえは、よその民族に捕虜として捕まえられていたのだ、探すのが大変だったぞ!」

「そうだ族長、おれ、女の子の友達が…」

那騎はいつもの大人ぶった態度をやめ、素直な笑顔で族長に語りかけた。

「おお、あの娘のことか」

はっと後ろを振り返ると、そこには血にうずもれた三人の姿が。

「抵抗したので殺した。なにを怯えておる。これが魍魎一族にとって当たり前じゃろうが」

「うあああああああああっ!」

 その絶叫と共に那騎は夢から覚め、飛び起きた。


「おはよーさん捕虜少年!いい夢見れたか」

起き上がった瞬間そこには夏月がいた。

今は早朝の五時ぐらいだろうか。透き通るような新鮮な空気と、空に広がるクリアブルーの空が印象的で、遠くの山肌にはまだ霧が薄くかかっている。

昨日の暗闇と同じ場所だとは思えないぐらい明るい。

あまりに印象的な悪夢にうなされた那騎は汗まみれだ。

「捕虜なんていうみじめな呼び方やめろ、おれは那騎だ。それとも昨日みたいなことをまたされたいのか?」

那騎は馬鹿にされたことに腹を立て、夏月におどしをかけた。

「いやいや、どんな夢見てたのかな?なんてね。もしかしてエロい夢でも見たのか!」

「くだらない戯言を…」

そう言い放つと那騎は馬車の方へ走り出していった。

 そして馬車の近くで那騎は朝食をとる。もちろん彼はどうやったらこのバカな一団から抜け出して、魍魎一族の元でまた戦いの日々を送れるのか、その方法を毎日考え実行に移そうと企む。しかし捕まったあの日の夜の出来事が引っかかるのだが。

 活動に必要な食事もすませた、那騎はこの一団から脱出することを決意する。

「ふん…捕虜なんて身分はごめんだ、さっさと抜け出してやる」

那騎は鋭い獣の眼光で周囲を見渡した。しかし捕虜を監視する者は見当たらない。

何もない平らな平原にさわやかな朝の光と風が吹き抜けているだけだ。

見張りすらいないとはとんだ腑抜けた旅人たちだ、奴らには旅人としての

険しい道を行く自覚はあるのだろうか、本当にこのキャラバンは馬鹿馬鹿しい。

 だれもいないことを確認すると、短刀と荷物を持って、那騎は脱出を試みた。

そろりと馬車から離れ、何もない平原を走り出す。

そして走れば走るほど馬車は小さくなり、その度に那騎はやったと心が穏やかになった。

「ははは…おれは自由だ。誰の束縛も受けない!」

ここで読者の皆様に、この世界で生きる旅人七か条の一部を教えよう。

第三条.名も知らぬ平原や広大な大地を、一人で知識無しに歩く人は死亡確定。

那騎が数分後、宿営地に戻って頭を抱えたのはいうまでもない。


「捕虜少年!今からいうあたしの話聞きなさい」

そのとき、馬車から豪快に水雪が出てきた。

(ちっ!邪魔者がぁ)

 さてどうするか…こちらには武器がある。非武装のこの女に刃を向ければ相手に勝ち目はないだろう。

そう模索して那騎は懐にある短刀の鞘を抜こうとした。

(くっ、やめておこう。ここで無理に動いて失敗したら、後々にあるかもしれない反逆のチャンスを逃す要因となる)

 そして那騎の隣に座ると、彼と同じように、昨日三人が残しておいたバッキン鳥焼きの薫製を食べ始める。

「おれは那騎だ…捕虜なんていう呼び方はやめろ」

那騎は春華以外の人間には心を開いていない。

「あたしたちキャラバンにはある重大な目的があるのよ。!帝国にお宝を届けなければいけないという使命がね」

「おまえたちの任務なんて知るか」

また那騎はそっけない態度で返す。

「あんたに関係あろうがなかろうがどっちだっていいわ。でもこの危険な旅には強い戦闘員が必要よ!だからあんたに任務は残りの一年間。あたしたちを護衛することをね」

唐突に言い切った水雪にも那騎は動じない。

「一年間だと?ふざけるのもいいかげんにしろ」

冗談じゃない。こんな腑抜け達と一年間旅をするなどまっぴらごめんだ。那騎はいち早魍魎一族の元に戻り、また戦いの日々を始めなければならないのだ。それが自らに課せた贖罪と使命であり、それを放棄してこんな人達と一年間のうのうと生き続けるなど絶対に許されるはずがない。いや、自身がぜったいに許さないのだ。

「あははははっ!強がっているのも今のうちよ」

 そう言うと水雪が鞄からなにかを取り出した。

それは真っ白なオパールが嵌められてある、ペンダントだった。

 そのペンダントを見た瞬間、那騎の顔が豹変する。

「それをどこで拾った!返せ!返してくれよ!」

「あんたが気絶した時に没収させてもらったのよ、懐に入っていたんだけどなかなかいい体してんじゃない…うひひひ」

 水雪はあざ笑うかのようにすけべな笑みを浮かべている。

どうやらそのペンダントは那騎にとってよほど大切なものらしい。

今まで大人ぶっていた雰囲気は見る影もなく、必死の形相で彼はペンダントを取り返そうと奮闘する。

しかし、那騎はいくら強かろうと極端に背が小さい。いくらピョンピョンはねても対する水雪はかなりの長身なので、一向に届くことはない。

「あははははっ!あんたなにその態度!?笑っちゃうわね。さっきまでのクールボーイはどこに行ったの?これだから人の弱みを握って、本性を暴くのって楽しくて楽しくてやめられない!」

 水雪の笑みはより一層悪辣なものとなり、那騎は完全にうちのめされた。

「そのペンダントは大切な物だ。返せ…」

強気に盛っていた那騎の声がしょぼしょぼと小さくなってゆく。そして最終的には

みっともなく哀願するような形になってしまった。

「じゃ!それなら捕虜らしく護衛の件を受け入れなさい。途中でヘマしたり

私や夏月、春華を殺して逃走するなんてことしたら、なんだか知らないけれど

あんたにとって大切なこのペンダントを粉々にぶっ壊してやるわ」

そういうと水雪は鋭いナイフをカツンとペンダントに当てる真似事をした。

彼女のサディスト的な目は本気だ。

「必ずスキを見て殺してやる。覚えときな」

 あのペンダントを盗すまれていたとは予想外の展開だ、これがは迂闊に手を出せない。

那騎は数日前の勇ましく戦場を駆け巡り、鮮血と暴虐に彩られた自分の武勇を思い出す。子供だからといってあなどった敵の大男は全て殺した。魍魎一族の掟通り、那騎も弱肉強食の賢者がたどり着く、選ばれた者だけの世界を信じて戦ってきた。もう自分の弱さが原因で大切なものを失いたくないのだ。

そのために強さだけを求めて殺し合いの世界で生きた那騎は今、戦士としてはどん底の状態だ。考えれば考えるほど残酷なヒーローだった自分と、今のバカバカしいキャラバン隊に囚われた自分のギャップに恥ずかしくなる。

「さっさと支度しなさい。狩りに出て、捕虜のあんたには働いてもらうわよ」

気がつくと馬車は出発の準備をしていた。先頭には夏月が馬を操る準備をし、

積荷場には春華の姿も見えた。

 那騎の企みはさらに進行してゆく。


望んでないけど旅が始まる。


昔々。この自然溢れる広大な世界に人類はいつの間にか生まれた。

進化と共に文明を得た彼らは生活の場を求めて旅に出るが、そこには多くの苦難が待ち受ける。この地上には人間以上に強大な力を持つ異形の化け物が徘徊していたのだ。

そして人々は自らの生きる世界を賭け、化け物に戦いを挑みそして勝利すると開拓された

広大な土地に人々は住むようになる。やがてこの世界の人間は開拓された土地に住み続ける定住民族と、さらに旅を続ける移動民族の二極化された生活を送ることとなったのだ。


「帝国に向かっていざ出発!」

高らかに夏月はそう言うと、馬車から見える一枚の風景画と比喩すべき光景が

動画として動き出した。

「馬の制御しくじって、地獄行きになったら承知しないわよ」

キツい一言を水雪はぶつける。

「おいおい、村一番の動物使いのオレが、そんなヘマすると思うか?」

夏月は自信ありげに笑った。

「アハハ、陽炎トカゲを怒らせてよく燃やされているのは誰だっけ?」

こう見えても、彼女は彼を信頼しているのだか。

¬これからおれは、どこに連れていかれる」

なんの突拍子もなく、突然那騎が発言した。その顔はどことなく陰鬱として行く先の見えない不安を目の前にしていることを感じ取れる。

 表情は演技ではないものの、もちろんこれは相手の気を引きつける作戦だ。

この頭の悪そうな女に旅の経路を聞くふりをして密着する。

すると、すかさず口と手を封じ脱出のために利用するのだ。我ながらによい案だと那騎は感心した。

「じゃ!ここで旅の進路確認する?」

不安げな那騎にそう問われて、窓の外を眺めていた春華は那騎の方へ振り向く。

風で栗色の髪をなびかせる彼女の美しさに那騎はほんの少しだけ見とれてしまった。

春華は荷物から、大きな地図を取り出すと、那騎の目の前に広げる。

「わたしたちがいるのはこの草原地帯。行く先には山岳地帯が広がっているの」

古いぼけた地図を指差し、春華は説明する。

「その山岳地帯を抜けたら紅路っていう商人の町があって、海や森を越えた先に帝国は…」

今がチャンスだと言わんばかりに那騎は短刀を鞘から抜く。

「大丈夫!あなたはそんな事をする子じゃないよ」

しかし、頭の中に昨夜のあの言葉が響く。

なぜだか、体が反応しない…懐にある短刀の鞘を抜きとることができないのだ。

「あんた達、なにやってんのよ」

 ふいに、水雪が割って入ってきた。

「わたしはね。那騎に旅路のことについて教えていたの!」

春華は明るく返事した。

「ふーん…どうでもいいけど、那騎!あんた自分の身分覚える?」

 那騎はしぶしぶ言う。

「捕虜だ」

「じゃあ捕虜なら捕虜らしく、今から言う私の命令に従いなさい。さもないと…」

水雪は那騎の大切なペンダントを超速で平原を駆ける馬車の外に捨てようとした。

「うわっ!やめろ…従う。それだけはするな」

 突然、那騎の表情が青ざめる。

「アハハ!面白いやつ。」

水雪がけたけた笑う。

「わたしもビックリしたー、那騎のそんな顔初めて見たよ」

那騎は春華のリアクションに意外性を感じた。

そして、水雪が言う。

「じゃあ…命令。今から服を脱ぎなさい」

その発言に全員が沈黙した。

那騎の青ざめた顔が一瞬にして赤くなり、ちらちら春華の方を意識する。

 こんなセクハラ命令が出るとは予想もしていなかったのだ。

(これだからこの女を好きになれない)

「なんてウソウソ!私はガキの裸なんかに興味な」

ギャハハと笑ったその瞬間、ガタンと馬車が揺れ、急停止した。

水雪は嘲笑う顔のまま、荷物の山に衝突する。

 なにが起きたのか、荷台にいた三人はわからない。すると積み荷が不安定に揺れ、窓から見える水墨画のような吹きすさぶ曇り空と、山岳地帯へと続く草原の背景動画が、また静止画になってしまった。

馬を操っていた夏月が三人のいる荷台へ向かっていう。

 「ちょっとおまえら、外に降りてみろよ」

夏月にしては深刻な顔つきで話している。


 「なんなのよ、この足跡は」

驚いた水雪の視線の先には、無数の足跡があった。

 動物使いの夏月によるとその足跡は、大型の爬虫類生物で、ツメの形を見ればかなり獰猛さを垣間見ることができるらしい。

「つーことで、ここは危ないから遠回りするぞ」

 しかし、夏月の決断はあっけないものだった。

「まっ!しかたないわね。強行突破なんて危なっかしいことできないし」

水雪もあっけなく冷めた顔つきで賛成し、馬車に乗り越もうとする。

 このメンバーは試練を避け、人命を優先する主義らしい。

彼の決断に納得しない那騎は顔を曇らせる。

「いや、それは無理だな」

その時、那騎が厳しい顔つきで喋った。

「なにいってん…」

水雪がそう言おうと後を振り返えった瞬間、彼女は言葉を失う。

そこに身長二メートルもありそうな巨大なトカゲの怪物が立ちはだっていたのだ。

 全身が赤いウロコで覆われ、手足には鋭い爪が備わり、怪物の目から発せられる視線は、確実に獲物を狩る殺意を感じとることができる。

獰猛なうなり声を上げ、草原の草を巨体で押しつぶすかの如く、4人の目の前に、にじりよってきた。

「どうやらおれたちは、コイツのナワバリに踏み込んだらしい。ここはおれがやる。おまえたちは下がっていな」

「そんな!怪我でもしたら…」

 春華が那騎を止めようとするが、水雪が行く手を阻む。

「やらせてあげなさい。これも捕虜の仕事よ」


ついに初仕事がやってきた。


 そして那騎は愛用の短刀を片手に構えながら、音もなく赤いトカゲ怪獣に向かって走る。

「修羅は修羅らしく殺し合おうぜ。おれとおまえ。未来に進むのはどっちだろうな」

そうやって相手を挑発するが、当然相手はトカゲ怪獣なので通じない。

 そして時計の振り子のような素早い反復動作を繰り返し、相手をかく乱させようと試みた。それにいち早く反応したトカゲ怪獣は銃口から発射される弾丸のように硬い尻尾を振り回す。しかし標的となった那騎にはよけられなかった。

「ぐっ!このバカ力が」

短刀で鋭利な先端をガードした那騎はバシリと尻尾を弾き返し、空へ振り上げた

その刃を怪獣の横腹めがけてシュートする。

 ナイフ投げの得意な那騎のその技は到底よけきれるものではない。

一瞬にして横腹から黒い血が噴出し、怪獣はうめきごえをあげながらよろめく。

「もらった」

 そう那騎が囁くと、ナイフシュートで体勢を崩した怪獣の腹に潜り込み、強烈な蹴りを叩きこんだ。

しかし思ったより効果は薄く、那騎は潰されそうになる。

効かないのなら次の索を実行するべきだ。那騎はひらりとトカゲ怪獣の背中に飛び乗ると

暴力的に短刀突き刺そうと何度も何度も刃を振り下ろした。

「があああああす!爆ぜろ砕けろ落ちろ潰れろー」

 その形相は地獄で踊るジェイソンやジョンタイターを足して二で割ったような恐ろしく歪んだ形相だ。

だが、那騎のやっていることはほぼ無意味だ。堅い鱗を持つ敵に対し一番堅い場所を攻撃しても傷ひとつつくはずがない。それどころか那騎はブンブンと振り落とされ、叩き落された分余計にダメージを受けてしまったのだ。

痺れを切らした那騎は、大胆にも相手の鋭い尻尾をつかもうとする。

「こうなったら、おまえごと地平線の彼方まで投げ飛ばしてやる…」

全身の筋肉に力を込める。腰にひねりを入れ、反動で相手が吹き飛ぶ様をイメージする。

しかし彼はキメせりふの途中で気がついた。

トカゲ怪獣の体は地平線の彼方に飛んでいくどころが、全く動いていない。

「無理。おれそんな力持ってないのだった」

 もう遅い。容赦なく怪獣の兇悪な尻尾連撃が那騎に命中し、彼は口から血を吹き出して地面に叩きつけられた。


 「あははははは!このままじゃ那騎死んじゃうよー」

血反吐を吐いて地面に倒れこんだ那騎を見て、春華は反射的に爆笑し腹を抱える。

那騎は地面に突っ伏した状態からひらりと起き上がり、血に染められた硬い地面をガサガサと足でかき消す。

「おれはこんなところで死なない。こんなこといままで潜り抜けた戦いにくらべれば…」

 そう言うと、那騎は立ち上がって口についた血を手でぬぐう。

荒涼とした風と空気の流れる中、相手の怪獣もまだ立っていた。

腹に刺された傷はもうふさがってしまったようだ。

「がううううううるううう」

そして獰猛な瞳はさらに危険さを増す。

「もうそろそろ終わらせる」

 なにかを決心した那騎は、怪獣に向かって素早く突進した。

その動きは俊敏かつ威圧的な動作だ。

すると相手もそれにつられ、真っ向から突進する。

このまま両者は直線状に激突し、命がけの一閃を交えるはずだった。

しかし、ここにきて那騎が意外な行動に出る。

激突する寸前で那騎は直進方向を右斜めにずらしたのだ。

これで彼は相手の後ろを取ったことになる。

「未来に進むのはおれだ!」

そう叫ぶと、右斜め下に腕を振り上げ、短刀を投げ飛ばした。

 一瞬の間もなく、怪物の首が飛ぶ。

那騎の投げた短刀は首をスッパリと貫通したのだ。

首を失った怪獣の体は轟音ととてつもない熱気を巻き上げ爆発した。

チリチリと草原の草木が燃え、黒い煙が空へと昇っていく。

そしてその壮大な爆発現場をバックに那騎が短刀を三人のいる馬車に向けて投げた。

シュッと風を切る音がして、短刀は夏月のかぶる帽子につきさ刺さる。

「うわっ!あぶねーな」

夏月が驚く。

「危険を避けて進むのが旅だと?ふざけるな。使命を背負ったヤツなら、血も屍も、厄災も超えていけ!」

息も絶え絶えに那騎は叫んだ。頭から血を流し、その形相は修羅の道を征く者の顔だ。

果たして彼は修羅か人か、どちらなのだろうか。


なぜだかできないことがある。


 一行はとんだトラブルに会いながらも、山間部で一晩を過ごすこととなった。

時刻は夕暮れ時。遠くの山々に日は沈みかけ、辺りは閑静な山道になっている。

今日は日が射さない曇り空だったので、涼しげな風が吹き抜ける快適な夜だ。

「おおっ!すげーじゃん春華。もうあんなに出ていた血が止まってるし」

夏月が馬車からひょいと飛び降りて言う。

「はい、鉄分の補給も済んだし、後は出来るだけ安静にしてね」

「おれは戦士だ。いたわりの言葉なんて必要ない」

 那騎は自分自身に鞭を打つかのような大人ぶった態度で応じる。

「もう!またそんな態度?そんな那騎なんて大嫌い!」

プイと顔を背けられて、那騎はショックを受ける。

「あー残念!捕虜少年がついにフラれてしまった!」

横から夏月が実況中継風に口だししてきた。

「貴様!フラれたとはどういう意味だ」

「へっへーん!お前も思春期だってことだよ」

「許さん!」

 いろんな意味で顔を赤くした那騎が夏月を追い掛け回すが、サルのように走り回る夏月を捕まえることはできない。

夕暮れ時の、のどかな光景を前に二つの影が走り回り、春華は穏やかに笑う。

「あははは!わたしは那騎のそんな子供らしい姿が好きよ」

「よしてくれ…そんなこと言われたら」

 その時、猛ダッシュで夏月に突撃してきた。

「水雪アンドロメダストリーム アーモンド!」

「ばさひけ!」

水雪のドロップキックをもろに受けた夏月は地面に転倒した。

「じゃーん!近くの行商人と交渉したら、こんなに野菜を貰えたわ!おほほほ」

たんまり腕に野菜を抱えた水雪は自慢げに自分の交渉術を語る。なんとも怪しげだ。

「いきなりドロップキックかよ!どうかしちまったのか!」

起き上がった夏月が言う。

「そのとおり!私はあの一件以来、ずっと考え事をしていたのよ」

「考え事!?」

 春華と夏月は興味深そうに聞く。

「聞きなさい。いままでの私たちは甘かったのよ。危険が迫れば楽なほうに逃げ、それでいてヘラヘラ旅を続ける。今まではそうだった。でも私は那騎の一言で自分の愚かさが分かったのよこんなことをしていたら帝国にたどり着く前に死ぬってことをね」

「おい!それってつまり…」

「そう私たちも那騎を見習って強くなるのよ。これからは困難にぶつかっていくわ、

行く手を阻むやつらもぶっとばしていく!どう?文句ある」

 水雪が演説し終えた時には、もう日が沈んでいた。三人を照らす焚き火の炎は威厳とヤル気に満ちたすがすがしい水雪の顔を印象的にライトアップしていた。


 数時間後、四人は夕食の準備を終えていた。

何も見えない暗闇に燦然と輝く焚き火の前には数種類の肉類や野菜類が焼かれており、

3人はそれらをおいしそうに食べている。

「はいこれ!おいしいよ」

 突然横から春華が串に刺さった焼肉を差し出す。

「ありがとう…」

断る理由もないので素直にそれを受け取った。

「那騎!お前の活躍のおかげで今日は助かったぜ、だから晩メシは大サービスだ、たくさん食えよ」

夏月が昼間の死闘をほめたたえる。

「気にするな、おれはおまえたちのためなんかにやったんじゃない。おれは戦士として当然のことをしたまでだ。」

プイとそっぽを向いた那騎に対して水雪が反論する。

「またまた!そんなに大人ぶっちゃって、つーか戦士戦士って言ってもあんたもただのガキでしょ」

「ガキじゃない、おれは戦士だ。甘く見てると痛い目に合うぞ」

 那騎は威嚇の目で言った。


 「ん、そういえばもうすぐ行く紅路ってどんな所なの?」

串に刺さった野菜をほおばりながら春華が突然言い出した。

「ああ、紅路っていう町は、商業の盛んな場所で、人も物もたくさん集まる

多民族都市みたいなところらしいぜ、オレ達は早朝から山を降りて、ずっと平原を進み物資の補給のために行くんだ」

「私も行ったことないけど、いい男いるかしら…あっひゃひゃ」

水雪は妖しいヒョウの目つきを輝かせている。


 それからと言うものの、四人は長い長い帝国への旅路で疲労した心身を癒すために、飲み食いを繰り返す。あらゆることを話し合い、終いには理解不能な色男の妄想を喋り出した酔っ払いの水雪が、夏月をサンドバックのように殴り倒してしまった。

そして、黙って夕食を食べる那騎の後ろにはキラリと光る短刀が握られている。

今は絶好のチャンスだ。

この馬鹿な四人は気が緩んでいる。今のうちにやれる。こんな所から脱出できるのだ。

那騎の顔には悪意と殺意に満ちていた。

しかし、なぜか体が動かない。

(なぜだ…なぜ動かない。今がチャンスだ。この刃でこいつらを斬れ…。

なにをためらっている)

体が言うことを聞かない。

殺意がなにかの意志に邪魔されているのだ。


過去、それはふりきれないもの。


「もう!二人とも元気すぎだよ」

 春華は疲れて眠り込んだ水雪と夏月に笑いながら布を被せた。

火は弱火になり、楽しい夕食も終わった。

「さっ!わたしも片付けして寝ちゃおうかな」

「……………………」

その時、那騎がなにかを思いつめたように立ち上がり、どこかに行こうとしていた。

「あれ、どこに行くの」

「ちょっと一人になりたい、明日の朝には戻ってくるから心配しないでくれ」

 どこか優しげな顔でそう言うと那騎は闇に消えていった。

二日目の夜はまだ終わらない。


 そこは暗闇の山道。目に見えるものはなにもなく、

那騎は手探りと感覚だけで、不安定な砂利道を歩いている。

「ここらへんか」

那騎は暗い山道の脇に広がる森の中の一本だけ倒れた木を手探りで探し出した。

 疲れたように腰を下ろし、キャラバンから持ってきた薪を地面に広げ、火打ち石で着火すると、ぽつぽつと明るい炎が薪に広がり始める。

 その炎は、全てを飲み込むかのような暗黒に現れた希望の光とも表現すべきだろうか、

心に潤いと光を与えるその小さな輝きは体全体へとほのかな温かみが広がり、なにも写し出されていないどんよりと曇った夜空に煙となって消えていく。

「あの旅人達に捕虜として捕まえられて十日…一向に本隊と連絡もつかず、

戦列への復帰は困難を極めた…」

力なく那騎はため息をついた。

 彼は偶然とも言うべきトラブルに巻きこまれ、無理やり捕虜として、働かされることとなった。

 もちろん、彼は血と凄惨な暴力の渦巻く世界で生きる決心をした少年だ。

そんな世界に生きる那騎は、とうぜんあの三人と共に平穏な人間の生活を送る気など全くない。

捕まったときは全員バラバラにして、即刻魍魎一族の元に帰るつもりだった…。

しかし、不思議なことにそれができないのだ。

 あの三人と共にいると、なぜだか奇妙な安らぎを覚えてしまう。

その感情は修羅としての那騎から戦士としての何かを奪い、代わりにいいようのないものを得ている気がしてならないのだ。

「おれは修羅だ!おまえたちなんかと馴れ合うつもりは…」

 天に向かって修羅の殺意を含んだ声を上げる。

「そうだ、みんなきり捨ててしまえ」

その時、後から幼い子供の声がした。

「誰だ!」

 はっとして後を振り返ると、そこには幼い子供がいた。

五才くらいだろうか。歳の割にはやたらと威圧的な目線を持ち、手には短刀を持っている。

「おまえは誰だ?どこから入ってきた」

小さな少年と目線を合わせるために腰を低くし、優しい表情で問いかける。

二人の表情を克明にライトアップする炎は依然として明るく闇夜を照らしている。

「おれはナキ、死んだねえちゃんのために戦っているのだぞ」

 その瞬間那騎は言葉を失った。

「そうか…おまえはおれの」

那騎はその少年の正体に気がついた。

その少年こそが、暴虐の魍魎一族として戦う彼の存在意義そのものだったのだ。

「おまえはなんであんなヤツらと仲良しなのだ?おまえはたたかうことをやめちゃうのか!そんなことしたらお姉ちゃんが…」

 意外に幼い少年の言葉は残忍だ。

「すまない。おれにはどうすればいいか分からない。」

 彼の頭に忘れられないあの日の記憶がよぎる。

あの日、大切な姉はオパールのペンダントを残して死んだ。

えたいの知れぬ怪物に肉も骨も残さず食い殺されたのだ。

その時幼かった那覇騎士は修羅の道で生きる決心をした。

 この世にはびこる猛者どもを全て斬り捨て、誰も傷つくことのない優しい世界を作る。

だから魍魎一族に那騎は拾われ、今まで生きてきた。

そして那騎はぐっと幼い少年をだきすくめて語りかける。

「確かにおれは修羅だ…でもこの旅で、なにか新しいもの得て…」

パチパチと焚火が燃えさかる音だけが聞こえる。

「…………………!」

焚火で写し出された影はひとつだけだった。

「今のは幻覚?いや、夢か」

どちらなのかはわからない。

 今夜を一人で過ごしたかったのは、揺らぐ気持ちの整理をするため。

那騎は自分がどちらの世界の人間なのか、いよいよわからなくなってきた。

そして那騎は深い眠りにつく。


那騎と春華の朝の冒険。


朝になって那騎が一団の宿営地に戻ってみると、まだ夏月と水雪は寝ていた。

といっても2人の寝方は異常なものだった。

水雪はモグラのように地中に掘った穴の中から上半身だけが突き出ている状態で寝ており、夏月は木の上で寝ているのだ。

「なんなんだこの二人は…」

那覇騎は驚く。

その時、後ろから声がした。

「おっはよー那騎!」

ふりかえるとそこには活動的に汗を流しながら走ってくる春華がいた。

すがすがしい朝の風が綺麗な彼女のショートヘアーをなびかせている。

「ああ…おはよう、春華、こんな朝早くからどこに?」

「実は昨日の夕方に他のキャラバンの人達からこの山の森にある薬草の情報をちょっと聞いちゃってね、どうしてもわたしの研究に必要だから、

薬剤の調合に必要な薬草を採りにいくために近くの森に行ってたの。でもツタとか樹とかがものすごく茂っていて、歩くのも大変だったから帰って来ちゃった」

春華は明るい表情で話す。

 この山は斎藤山(さいとうさん)という名で通っている。この山は東西を分断する形で連なる山脈で、そのせいか東と西では微妙に生物や植物の生態が異なるのだ。

 その中間に位置するこの場所は、独特な生態を持った植物が密集しており、旅をする薬剤師や学者達から、研究対象にされることが多いと春華は説明する。

もちろん魍魎一族の戦士として戦いの日々を乾燥地帯で送り続けていた那騎は、こんな場所があなんて知るはずもない。

3日目の予定では前日に上ったこの山を下り、物資補給のために紅路という町に行くらしい。

 ここで那騎は考えた。

今、この奇妙な寝相で寝ているこの二人をほっといて、春華と一緒に薬草探しの小さな冒険に出てみるのはどうか。

 か弱い春華をそんな危険な場所に一人で行かせるのも大変だろうし、ここで那騎の戦士としての強さを見せたらきっと彼女の高感度も上がるであろう。

そんなことを考えると、那騎の心の中になにかがこみあげてくる感覚がした。

「……おれも手伝うぞ。そんなに大変な思いをしている春華をほっとけない」

「えええ!本当にいいの!?」

春華は目を輝かせる。

だめだ、修羅の那騎であろうともこの輝きには敵わない。

「当然だ、春華の手伝いをしなかったことが水雪に知られて、怒ったあいつが罰として

おれの大切なペンダントを壊したりしたら、たまらないからな」

そういうと那騎は馬車の方へと駆け出す。

「準備と着替えをしてくる、ちょっと待っててくれ」

 そして三十分後には出発の準備ができた。

「えへへ…わたし、那騎と二人きりで出かけることになるなんて思わなかったよ!

よろしくね」

(そんなこと言われるとおれは心がどうかしてしまう、なんなのだこれは!)

 那騎はこの熱い高揚感をたびたび感じる。

なぜだろうか、あの日の夜に言われた一言で、修羅の那騎の中にえたいの知れない何かが芽生えつつあるのだ。

 気持ちのよい朝日の中、幻想的な寝相をしている2人をほったらかして那騎達の小さな希望と恐怖の冒険は始まる。


 しばらく二人で山道を歩くと、そこには確かに森林地帯があった。

しかし森の入口は明るくも怪しげで多数の植物やいばらが絡み合い、行く手を阻んでいる。

「ここか…確かに厄介だ」

「わたしもがんばって入ろうとしたのだけど、なかなかうまくいかなくて…」

 那騎は音もなく短刀を鞘から抜くとサッと振り払う。

その瞬間ばらりと音を立て、ツタや植物の根が地面に落ちた。

「どうだ…これで進めるだろ」

この芸当を披露すれば春華も驚くだろう。好感度アップ間違いなしだ。

「那騎!早く行くよ〜」

サッサと春華は森の中に突入していた。

「あの〜おれのやったことは?」


 森の中はうっそうとしげる植物が密集しており、行く先行く先に厄介な

植物がバリケードのように塞いでいる。

その中を、エネルギッシュに那騎は駆け抜け、手に軽々と持った短刀で植物を切り裂き、進路を開拓してゆく。

活動的に動く那騎の汗からさわやかな汗が頬を伝い、森林の豊かな地面に滴り落ちた。

「春華、おれから離れないでくれ、はぐれたら大変なことになるからな」

「わかってる、わたしが頼んだんだから、勝手なことなんてできないよ」

那騎の後ろにいた春華は、突然前方にある小高い岩場二に上り始めた。

「うーん、今は薬草のありかまで三分の一ぐらいの…」

そう言いかけたとき、春華が乗っていた岩場がズルりと斜面を崩れ落ちた。

「いやっ!バランスが」

春華は焦り、身動きがとれない。

反射的に那騎は春華の手を握り、助け出す。

助け出した瞬間、春華の乗っていた岩場が崩れ落ちていった。

「ふっー!助かったよ那騎。ありがとう」

「ああ、いいさ…」

その時、那騎は自分が手を春華の手を握っていることに気づき、あわてて手を離した。

「あははははっ!何照れているの?」

明るい顔で春華は笑う。

あまりの恥ずかしさに那騎は顔を赤くする。

 それから草木を斬り、春華のナビゲート通りに進路を開拓していくこと二時間。

もうすぐしたら目的の薬草の場所にたどり着くというところで二人は休憩をとる。

近くに清らかな泉が流れ、獰猛な動物も生息してない安全な場所を見つけたのだ。

「ふっ!探索がここまできついとは…」

那騎は天上に輝く太陽を仰ぎ見ながら言う。

「これも那騎のお陰、ありがとう。わたしがあの日仕掛けた武人ホイホイで那騎を捕まえられてよかったと思うよ」

(こんな人に捕まえられるとは。おれも幸せ者だ!)

「それよりさ!朝なんにも食べていないんだから、朝ごはんにしよう」

 そう言うと春華は荷物から包み紙を取り出し、中からこんがり焼けたパンが現れた。

「ありがとう…本当にいいのか?」

恥ずかしそうにそう言うと、那騎は食べ始める。

 そのパン生地はこんがり焼けて香ばしく、ちょうどよいぐらいの硬い食感が

パリパリと口の中で割れていく。

そして、春華が突然こんなことを言った。

「そうそう、わたし前々から気になってたんだけど、那騎はどこから来たの?」

ごふっと那騎は喉を詰まらせそうになった。

それは那騎にとって最も聞かれたくない質問だった。

「遠いどこかからだ」

 那騎は自分が屍の上に立つことでしか生きられない魍魎一族の一員であることなど

知られたくない。この旅で修羅の自分の中から生まれつつある、人間的な一面を

信じている春華にその裏側にある本当の自分の本性を明かしてしまったら彼女はなんと

言うだろうか、おそらくは悲しむであろう。そんなことだけは絶対にしたくない。

「むーん、わたしは基本的に知りたがり屋さんなの、このまま那騎のことを

なんにも知らないなんてできない、那騎にはどんな家族がいるの?それくらい

教えてくれたっていいじゃない」

健気に春華は問い詰めてくる。

すると那騎の顔が曇った。

「家族は年上の姉ちゃんがいた。とっても優しくて頼りがいのあるいい人さ」

「へーお姉ちゃんか、その人はどこにいるの?」

春華はさらに質問する。

「猛獣に食われて死んだ。あのときおれがもっと強ければ…」

思い出すあの日の光景。絶対に人には明かさない彼の過去だ。あの悲劇を

繰り返さないために必死になって那騎は強くなった。

それ故、その一言はとても重い。

「だから那騎はあんなに強いんだね。でもそんなに抱え込んじゃだめ、

今はわたしたちがついているんだから!」

 その言葉にはなんともいえない人間的な暖かさを感じる響きがあった。

「こんなに人に優しくしてもらったのは何年ぶりだ…」

那騎の涙腺が緩む。

修羅の道を行く少年は己の居場所をつかみとろうとしていた。

「心配しないで、わたしはずっと那騎のお姉ちゃんでいるよ」

突然、春華が那騎の手を握りしめた。その言葉に偽りはない。

二人は手と手で繋がり、互いの温い感触を共有する。

春華の手は艶やかでふっくらとしたかわいらしい形をしていた。

「それはホントか?…もしも本当なら、おれは春華のためになんでもやってやるぞ」

那騎の涙は一行に止まる気配もなく流れ続けていく。

「あれー那騎が泣いてるよ〜オカシイなー」

「う…うるさい!これは顔から滲み出る汗だ!そんなこと言ってないでさっさと先に進むぞ!」

がっと力強く立ち上がると、那騎は春華が求める薬草を探し求めに歩を進めるのであった。


 もしも…自分の信頼する人の裏側に、自分の知らない暗黒の一面があったらどうなるだろうか。

 いや、所詮信頼や恋慕といった人間の気持ちは、相手に対するありもしない

妄想にしかすぎないのだ。

人間はそこまで、個人の一途な幻に合わせだけのご都合的な生き物ではない。


沸き上がる疑念そして恐怖。


 やっと水雪は目が覚めたときには、日の光はだいぶ高く昇っていた。

「ふわー!なんだか不思議な夢を見たってカンジね」

おおあくびをしながら水雪は夏月に問いかける。

「へええ…どんな夢だったんだ?」

「だれもがうらやむ夢よ、聞きなさい!私はモグラみたい地中をもぐっているの。

目指す先はとある富豪の宝物庫。まんまと地中から床を突き破って侵入できた

私はガッポガッポお宝盗んで大儲け!大勢のイケメンホストと六本木で

遊び回ったのよん…うふふふ」

「なんかそれ、世界観壊してないか?まあそんなことどうでもいいとして、

その夢の中にオレもいたのか?」

夏月は目を輝かせて質問した。

「もちろん、あんたもいたわよ!お宝で稼いだ金が尽きて、私が車ごと銀行に突入したときにぶっ飛ばされて死んだ銀行員としてね」

「あっちゃーオレって夢でもやられ役じゃん!」


 あまりにも奇妙な寝相の2人が、くだらないコントを繰り広げていたそのころ。

「ふっ!やっと着いたか」

休憩からエネルギー全開で険しい森林地帯を突き進むこと一時間半。

やっと那騎と春華はお目当ての薬草が咲く場所へとたどり着いていた。

その薬草とは、効能はわからないが小さな花を実らせたなんの変哲もない

かわいらしい白の花だった。

「やったよ!那騎、わたしずっとこれを探していたの」

「研究が進んでよかったな」

那騎は微笑かける。

春華のその笑顔をずっと見ておきたい気持ちでいっぱいだ。

これを幸せというものなのだろうか。

「さあ帰るぞ…」

 そう言いかけたとき、静寂な森が揺れた。

ズン!ズン!ズン!なにかの巨大生物の足音が地面を伝って響き、草木が揺れる。

「ひえっ!なにか来るよ」

「しっ!あまり騒ぐな、おれから離れるなよ」

那騎は春華の前に立ち、戦闘態勢に入る。

地響きの主は巨大な毒蛇だったのだ。

禍々しい巨体をくねらせ、口からは赤い下がペロペロと出ている。

小さな2人を見下ろしながら大蛇は腹をすかせているようだ。

「ふん、お前はこの森の主か、」

 戦闘は避けられないと悟った那騎の目が修羅の目へと変わる。

そして那騎は懐から短刀を出した。

しかし…さっきから体の調子がおかしいのだ。

精神が以上に高揚して、体中から尋常ではないオーラと熱気が放出される。

「ぐええええおおおあああっ!なんなんだよこれは…」

苦しみの声を上げながら那騎は自分の体がバキバキ変容していくことに気づいた。

腕が硬質的なドラゴンの鱗のようなものに覆われ、頭からは二本の角がニュキニュキ生え出てくる。

背中からとさかと翼が飛び出し、全身が異形の化け物へと変貌をとげ、服がはじけとんだ。

「ぎゃおおおおおす、なんだこれは!春華!助けてくれー」

 悲痛な叫びを上げながら那騎は春華に助けを求める。

「きゃははは那騎ってすごいんだね、わたしの実験大成功!」

信じられないことに、春華はあどけない少女の笑顔を浮かべていたのだ。

「どういうことだ…」

 那騎の姿はもう人間ではなく、全身が赤い鱗に覆われた翼竜に変貌していた。

「知らなかった?わたしがあげたあのパン…実はあれにはバケモンエキスっていう人間をモンスターに変身させる薬が入ってたの。いえい!バケモンゲットだぜぇ」

 完全に裏切られた。那騎は春華の生体実験に利用されたのだ。

しかし、嫌な気持ちもするが、むしろ好きな人に支配される幸福感すら感じられる。

「嘘だ…春華はこんなことをしない」

「那騎はわたしのこと好きなんでしょ?じゃあ、あいつをやっつけてよ!報酬はデート一回ね」

 赤いドラゴン(以下ドラ那騎)に変身した那騎は、なぜかその命令に従った。

意志とは関係ない。この体にはそういうマインドコントロール機能があるようだ。

 ドラ那騎はくるりと相手の大蛇の方を向く。

「駅前三丁目山田立ち食い蕎麦屋パトロンストリームミサイル!」

昨日徹夜して考えた必殺技の名前を高らかに春華が叫ぶと、ドラ那騎の口から無数のミサイルが発射された。

 なす術もなく、大蛇は被爆し、周囲に大きな爆発が全てを焼き…

「はうぅぃぃぃ」

とてつもない精神的衝撃によって那騎は目を覚ました。

那騎はどうやら寝ていたらしい。

 目の前にはお目当ての薬草を摘んだうれしそうな春華の姿が…

「那騎―!終わったから帰ろうよ」

「春華…おれはなんで寝ていた?」

なぜだか春華の姿を見ると恐ろしくてたまらない。

「あっ!ごめんね…薬剤師にとっての秘密事項を部外者に漏らさないため、那騎には十分間眠ってもらっていたの」

 あの悪夢のような出来事は、眠らされたときに見た夢だったのか…。

それとも本当に起きたことなのか…。

 那騎にはわからない。しかし自分の大好きな春華の裏に、自分の知らない異形の春華がいるかもしれないと思うと、心細くなり、背筋に寒気がするのだ。

 複雑な疑念を抱きつつ、那騎は春華と共に森を後にした。


波乱の一日は幕を開ける。


 それから数日後。一行は話に聞いていた紅路という町に辿りつく。

¬あっ!見えてきたよ」

春華が馬車から顔を覗かせ、青い空となだらかに広がる平原を見ると

確かに遥か前方には小さな城砦都市らしきものが見え、馬車を進めれば進めるほどおぼろげな影がくっきりと姿を現わすのだ。

¬私達。あの町で物資の補給をするのね。なかなか楽しみじゃない」

 そう水雪は怪しくほほ笑むが、入国するために番人に呼び止められる。

¬お前らは何者だ」

ここは、城壁の張り巡らされる商業小国紅路の門前。

外部からやってくる旅人は、必ず出入国に関して必ずここを通らなければならないのだ。

平原にポツンと建つこの小さな国に入ってくる旅人は多いらしく、門前はそれほどの人数

ではないが、旅人と馬車が列を作って並んでいる。

一行は目的地の一つであるここにたどり着き、只今入国審査を受けているのだ。

¬オレ達は故郷から帝国に宝を届けるために旅をしてんだ。ほら、これが証明書だぜ」

帝国の国王のサインが入った一枚の紙をむーんと見つめると、ごつい番人は理解したらし

くなにかの書類を出して言う。

¬よーし。お前らがいかがわしいものでないことはわかった。全員職業を告げ、この国で

荒事や重大な犯罪を起こさないというならこの契約書にサインしろ。もしもそれを破って

重大犯罪を犯したら、即効で捕まえて明朝には処刑だからな」

意外に用心深い番人である。

¬オレは動物使いで、こっちの高飛車な女は植物使い、そしてこっちの和やかな女の子が

薬売りで、最後にこの小っこいくせに生意気なガキが捕虜っーことで」

 一言多い気がするが、番人は納得したらしく入国を許可した。

¬よし。入っていいぞ」

四人の乗った馬車は門を潜ろうとするが、那騎はすれ違いざまにこう言われた。

¬その歳で捕虜なんて惨めだな」

¬得るものもあるさ」


 それから一行は門をくぐり、賑やかな大通りに出た。

¬すげーな。こんな所初めて来たぜ」

大通りにはいくつもの店や屋台が軒を連ね。多くの屋台が肉や料理を焼くおいしそうな

匂いで溢れている。そして人種や種族を問わない多くの人々が店に置かれてあるアクセサリーや衣類。そして武人に必要な武具を見て売買が行われ、人ごみと活気に溢れた光景が

中心にある時計塔を中心に広がっているのだ。

四人は見たことも無いその世界にしばし圧倒されていたが、すぐに夏月と水雪がバラバラ

に行動し始める。

¬じゃ、オレは食料品集めてくるから、お前らも必要なもの頼むなー。夕方の六時にここに集合ということで!」

¬さっ!久々に遊びましょーか」

そう言って二人は去ってゆく。そして残されたのは春華と那騎二人だけだ。

そして那騎は春華に引っ付き、顔を赤くして誘う。

¬二人でどこかに行ってみないか」

¬ごめーん。私も行くところあるの。那騎は那騎で楽しんでねー」

そう言って春華は去ってしまった。

¬はぁ。なかなかうまくも行かないな」


ある料理屋の息子。


平穏な暮らしを手に入れると、一部の人間に副作用が出る場合がある。

それは、変わりゆく日常を「永遠」と錯覚してしまうこと。

人々それを退屈と呼ぶ。 

 朝日が昇ると共に、今日も変わらない日常はやってくる。窓の外を見れば広がるいつもと変わらない光景。親しい友人とのたわいもない会話。

そんな日常に疑問を持つ人も、すくなからずいるであろう。まるで同じ一日を繰り返しているかのようだと。退屈な日常に飽きた人々は「非日常」と言う名の未知の世界を求めていく。

二番街に立つ食堂「砂搭堂」の一人息子。水砂もその一人であった。


 今日は両親とも定休日で出かけているので、家には水砂一人だけだ。

ベッドから降りた水砂は寝癖を直し、顔を洗い、衣装箱に入っている服に着替える。

一階に降りるとそこは石畳の土間の自宅兼食堂。

大して客はこないが、水砂の家は小さな料理屋なのだ。腕はまだまだまだだが、水砂もできることがあれば手伝っている。

「全く…定休日だからって、少しは片づけようよ」

テーブルに置きっぱなしの皿をせっせと片づけた。

 そして食堂の椅子に腰掛け、だらんとすると弛緩なぜだか無気力な顔を浮かべ耳を澄ます。聞こえるのは大通りを行く人々の活気に満ち溢れた声。そして騒がしく賑やかな雑踏の音だ。燦々と輝く太陽の光が窓を通してこの家に入り、そして明かりも灯していないこの店は対照的に薄暗く静かな空間を維持している。

「…………………」

 しばらくの沈黙が流れた。

「なんにも変わらない。この家も僕の部屋も…毎日毎日同じものを見て、同じように

みんな動くだけ。つまんないよ」

そう、水砂はずっとずっと永遠に続く変わらない日常に飽き飽きしているのだ。

今日も明日も変わることなく店を手伝い、近所の友人達と遊び、笑い、そして年頃の少年

らしい感情や心で色々な経験をする。一見幸せそうに見えるが実際経験し続けているとその内飽きて、終いには夜悲しくて泣いてしまうこともあるのだ。

いつまでもいつまでも終わらないように錯覚してしまう¬日常」に乗って、行く先に目も眩むほどの膨大な¬時間」が老いて死ぬまで待っているからである。

そんな膨大に待っている時間の中でそれでもこの日常が終わらないとしたら?

そんなことを考えると恐ろしくて足がすくみ絶望してしまう。まるで自分が死ぬまで時間とこの日常に束縛された奴隷として生きているかのように錯覚してならない。

 そして、水砂があこがれる理想の生活は旅人だ。

刺激とスリルにあふれる、危険に満ちた未知の世界へのあくなき探求と挑戦。

毎日違う町や人々と会い、変わりゆく世界で何かを学んでゆく。

彼らの生活は我々定住民と正反対なのだ。だから定住民族として、この町で生まれ土地を守りこの町で老い死んでゆく定めを持った水砂は、どうしても旅人の生活に憧れを持ってしまう。彼らは自分と違って退屈な生活を送らないからだ。

「いいなー僕もそういう生活やってみたいー」

繰り返される日常に飽きた水砂は、未知なる世界との出会いに空想を膨らませる。

そんな時、頭に名案が浮かんだ。

「そうだ!そんなに毎日が退屈なら、自分の知らない世界を探しに行けばいいんだ!」

毎日毎日同じ生活に飽き飽きしているのなら、ではその流れを変えることはどうだろうか。

つまり日常に非日常を求めるということだ。もしかしたら自分が気付いていないだけでこ

の見慣れた町のどこかにも彼の知らないスリルや出会いが待っているかもしれない。

例えば異国の地から来た旅人や、この紅路で活躍する秘密組織。あるいはファンタジック

な美少女との出会い。などなど考えただけでも心躍る出会いが待っているかもしれない。

それに今日は定休日だ。だから家に鍵をかけ遊びに出ても構わないだろう。

水砂は押さえきれない冒険心を胸に、夏の光輝く大通りへ飛び出す。

 しかし、彼は知らなかった。

これが地獄の始まりだということを。


異世界探し。


 二階ある自分の部屋の窓からいつも見える、城壁に囲まれてひしめき合う店や家の光景。

商人や売り子が大声で商品のアピールをし、訪れる旅人は皆それらの品物に興味津々だ。

それは、毎日繰り広げられている見慣れた世界だ。

 ここは誰もが自由に、そして虐げられることのない平穏な世界そのもの。

だから道行く人々の顔から笑顔は消えない。

そして周りの親や大人からいつもこう言われる。

「この町は幸せそのものさ」

水砂はその言葉を信用していたものの、疑問にも思う。

本当にこの世界は幸せなのだろうか。

わからないものへの疑念が、彼をどこかへと導いてゆく。


「おっ!水砂か。今日はお出かけかい」

見慣れた露天商のおじさんが明るく声をかけた。

「うん、たまには僕も知らないところに言ってみたいんだ」

「ははは!あんまり危険なことに首をつっこむなよ」

「だいじょーぶ。この町は安全で楽しい町なんだ!お父さんや母さんも

そういつも言ってたから」

水砂はそういって去っていく。

 歩き続けること数分。彼はあることに気がついた。

つまらないのだ。

この道もあの道も、水砂が知っている風景、建物、人物ばかり。

もう何回も見続けてきたこの飽きてしまう町。

「もう飽きたよ。なにか僕の知らない場所はないのかな…」

「おっ!少年。お前この町のヤツか?」

振り向くとそこには十六歳ほどの旅人の少年がいた。

年は水砂より3つほど年上だろうか。手には食料品が抱えられている。

おそらく旅人であろう、自分が知らない世界からやってきた人と会うだけで

なぜか心がワクワクする。

「うん!そうだよ。お兄さんはどこから来たの?」

「オレは他所から来た旅人なのだけどよ、この町で油売っているところ知らねーか?」

十六歳ほどの旅人の少年はそう問うた。

¬それなら、二番街の炎陽油店で売っているよ。この道を真っ直ぐ行って右だね」

 そう答えると旅人の少年は礼を言って去ってゆく。しかし水砂は彼を引き止めて逆に

質問したのだ。

「ところで、お兄さんに聞きたいのだけれども、この町であんまり知られてない

ところってある?そこに行ってみたいんだ」

「???自分の住んでいる町なのに自分の知らないところ?お前も変わってるな」

 少年は首をかしげる。

「あー参考になるかはわかんねーけど、裏路地に行ったことあるか?」

「いや、ないよ」

「都市ってのはデカければデカいほど、裏路地は知られてないんだぜ。

でもあんまり近寄るなよー」

 そう言うと青年は大通りに消えていった。

「ありがと!お兄さんも元気でねー」

水砂は別れの挨拶をして歩き出す。

 「裏路地か…思えばあんまり行ったことなかったんだ」

思わぬ所に盲点はあった。

水砂が知っているのは大通りばかりだったのだ。

自分の住む見慣れた町の裏側とは是非気になる。

「なんだかワクワクするなー」

知っているようで知らなかった未知の領域に、少年は期待を膨らませてゆく。


 数分後。

水砂は町の役所にいた。

町の中心であるここなら、自分が知らない裏路地という未知の場所へのルートを

教えてくれそうな気がするのだ。

「こんにちはー」

水砂はガチャリとドアを開ける。

その瞬間、ある光景が目に写った。

「あんたさーこの値段本気?」

「いえいえ…わたくし共にはこの程度が限界でして」

 そこには、長い黒髪をさらりと風でなびかせる美しい女性が、

見たこともない花束を商人に売り付けていた。

その女性の鋭い目つきに商人は圧倒されている。

「もうあきれた、これくらいもらえれば十分よ」

 女性は役所から出ようとしたところ、偶然にも水砂と目が合ってしまった。

「あ!あんたこの町の子供?しまったーこんなとこにまで、

わたしの本性曝しちゃうなんて」

 水砂には彼女の言う本性そのものが、普段の性格なのでは?と感じられる。

「気にしないでよ。それよりお姉さんは、この町の裏路地ってどこにあるかわかる?」

先ほどの青年とは対照的に、この女性はにんまりと笑みを浮かべた。

「あんた、もしかしてアッチの世界にあこがれてんの?そういうのサイコーに好きよん。私も帝国にお宝の壷を届けなくちゃいけない任務に嫌気がさして、久しぶりに

オトコと遊べる店探していたの。あっ、話それてたわね。裏路地なら四番街の野菜屋の

角を曲がったところよ」

 そういうと猛スピードで女性は走り去ってゆく。

「教えてくれてありがとー!4番街か。よし、行ってみよ」

水砂は四番街の裏路地への入り口を目指して走ってゆく。

退屈な日常を飛び越えて、彼は新たな世界を垣間見るのだ。


未体験領域。


四番街の野菜屋にはわりと早く到着した。

「この角だね…」

水砂の後ろには聞きなれた都市の明るい雑音がどこまでも響いている。

その明るくほほえましい光景を背に、水砂はボッカリと暗黒の穴を開けたかのような

裏路地に入る。

 裏路地への入り口は急な階段だった。

カツンカツンカツン。

水砂は恐る恐る歩を進める。

しかし、歩けば歩くほど表通りの聞きなれた雑音は遠のいてゆくのだ。

表通りにあふれる光が消えてゆき、広がるのは真っ暗な闇。

暗黒の世界へ水砂は飲み込んでゆく。

いくら助けを求めようとも、この世界に入り込んだら、もう二度と戻れないような気さえするのだ。そして階段を降りたところで、彼はふと後ろを振り向く。

表通りの賑やかな雑音が消えたのだ。

そう、光さえも。

 「僕は怖くなんかない!退屈な日常から抜け出したくてここに来たんだから」

水砂は自分自身にそう言いきかせる。

その時、階段は急に終わりを告げた。どうやら、裏路地に到着したらしい。

 そこは彼が十三年間「紅路」という都市で生きてきた中で全く知らなかった場所。

日常に飽きた水砂が求めた、非日常の領域そのものだった。

上から注ぐ微かな太陽の光が、薄暗くこの空間を照らしており、この場所がどういう情況なのかがおおよそ把握できる。

 覆い重なるように乱立する建物と建物の谷間にできた、アンダーグラウンドと呼ぶべき世界だろうか。

表通の賑やかな雑音は階段を下っていくうちに消えた。覆い重なる建造物が遮断したのだ。

「こんなところがあるなんて知らなかったよ。十三年も暮らしてきたのに…でもワクワクするなぁ」

 その時、恐る恐る歩く水砂の足元に何かがぶつかった。

「?なんだろう」

その瞬間水砂は凍りつく。

そこには無惨な死体が転がっていたのだ。

しかも一人だけでなく何人も何人も。

「ひええええ」

 水砂は声にならない悲鳴をあげた。

ショッキングな場面に出くわした水砂に更なる恐怖が襲い掛かる。

「くれぇぇぇぇ!もっと欲しいんだ。金は出す。お願いだはー」

向こうの路地から地獄の叫びが聞こえてくる。

 覗きこむとそこには精神が崩壊寸前の中年男と、栗色のショートヘアーが印象的で美しい少女がいた。

少女はなにやらあどけない笑みで男を誘惑し、手には袋に包まれた白い粉を持っているようだ。その取引がなんなのが、水砂にはすぐわかる。

薬物の取引だ。ロクでもない大人達が現実から逃げるために究極の快楽として

手を染める究極の方法。そんな外道の取引が目の前で行われているなんて信じられない。

そんなこと遠い世界のように感じていたのに、こんな光景紅路であるはずない。

だが紛れも無くここは水砂の家の近所である。

 直感的にまずいと水砂は感じ、一秒も早く去ろうとする。

自分はとんでもない世界へ踏み込んでしまったのだ。

「こんなところになんて、来るじゃなかった!」

 早く階段を昇って元の世界に戻らねば。

必死の形相で走れば走るほど彼の心拍数は跳ね上がり、呼吸が苦しいくらいに荒くなる。

「オイ!そこのガキ」

荒々しい声で水砂は呼び止められ、振り向いた。

そこには大きな凶器を携えた大男が一人。

こうなっては逃げられそうにない。

「お前。ここが俺達のナワバリだと知ってんのか?どこから来た!」

 男は凶器を水砂の首に近づけて脅す。

「ああああああ…」

水砂はあまりの怖さに喋れない。

「がはははは!お前は上の世界のガキか。今日で二匹目の獲物だとはツイてるぜ」

 そう言うと男は、抵抗不可能なほどの暴力的な力で水砂を引きずっていく。


 捕らえられて数分後、裏路地の奥に古びたドアの前まで水砂は連行された。

「お楽しみはこれからだ」

男は冷徹にそう言うと、横暴な手つきでドアを開ける。

そこはかなり広い空間の酒場だったのだ。

いかにも酒場の中は外道や低俗を思わせるように荒れ、壁も床もなにもかも

不衛生で薄汚い濁った空間だ。正に裏世界と呼ぶべき光景に相応しいことに、異常な酒や薬の臭いに包まれて酒場は異臭を放ち、手や顔に異常な刺青を施した十人ほどの奇妙な大人たちが正体不明の肉や食料を食いちって狂乱の宴を奏でている。

ゲラゲラ笑う者。酒に酔って剣を振り回す者、薬物で精神が麻痺し、おかしなたわごとをつぶやく者。とにかくさまざまな人間が狂気的に入り乱れている。

 自分のまだ見ぬものへの好奇心がこんな災いをまねくとは…水砂は入ってはいけない世界に踏み込んでしまったのだ。

「お前ら!コンドルのジョーがまた誘拐してきたぜぇ!えげつねえことしやがる」

ケタケタ異形の男たちが笑うと、コンドルのジョーと呼ばれた男はこう言った。

「たりめーよ!俺を誰だと思っていやがるんだ。ところでこいつはどこに売ろうか」

「もちろんバラして全部の肉を売り飛ばすのさ!」

「なにいってんのさ!調教して売春宿に売り飛ばすなんてのはどうだい」

「だっははは!他国に売り飛ばせば高くつくだろうよ」

 狂気的な大人達はさまざまなえげつない意見を持ち寄る。

どうやらこの酒場にいる人間は、人間を人間と思わない最低な極悪人らしい。

「お前らうるせーぞ!おい、ゴークジューシイスピルポーク。こいつを牢屋に連れていけ」

「へい、わかりやした」

水砂は強引に引き渡されると置くの部屋に連れていかれた。


こういう世界もアリなんです。


「ぶへうげ!」

水砂は横暴な手つきで牢屋に投げ込まれた。

「地獄へようこそ。ゆっくり楽しんでいきなはれ、ひひひ」

いやな笑みを残してゴークジューシイスピルポークは去る。

「なんなんだよもー」

 水砂は絶望的な状況に泣き出してしまった。

できることならば数時間前に戻りたい。

自分が朝、あんなことを思わなければこんな地獄に堕ちることもなかったのだ。

ああ、もう一度日の光を見たい。あの平穏な日常に戻りたい。

あふれる涙を浮かべ、そんなことさえ思ってしまう。

しかし、彼は変わらない日常に飽き飽きしていた筈だが。

その時、カビ臭く古ぼけた牢屋の角から声が聞こえた。

「お前もここに誘拐されたのか」

「誰か居るの!」

水砂はその方向を振り向いた。

そこに居たのは水砂と同じくらいの年の鋭い目つきの少年だった。

手には厳重な手錠がはめられている。

「そこに居るのは、僕と同じ年ぐらいの子?」

 絶望的な状況は変わらないが、泣き止んだ水砂は少し安心した。

「おれの名は那騎。不意打ちを食らってここに連れてこられたのさ。お前はどうしてここに来た?」

その問いに水砂は顔を曇らせる。

¬退屈で退屈で…そんな毎日から抜け出すために、冒険してみたかっただけなんだ」


 どのくらい昔だったのかは、今となってはわからない。

まだ、水砂が幼かったころ。隣の家で事件が起きた。

その日はうろ覚えだが覚えている。

隣の家になにかの騒ぎで、大勢の野次馬が集まっていたのだ。

「まあ…なんて不幸なことに」

「何が起こったのかはわからないけど、ここの家、強盗に入られたらしいわよ」

「なんでも、よそからきた旅人の仕業らしいね。奥さんも夫もお子さんも惨たらしく…」

野次馬の会話に、幼い水砂は耳を傾けるが理解できない。

そして不思議に思った水砂は母親と父親に問いかける。

「なにが起きたの?」

「おまえは知らなくていいことだよ」

そう言って、両親は口を閉ざす。

長らく水砂は知らなかった。

闇は平穏のすぐ側にあるということを。


 ラリパッパ水砂。


 ¬どうしよう!殺されちゃうよおおお」

水砂は自業自得ではまった地獄で錯乱し、そして泣き叫んでいた。

意味も無く牢屋をうろついてはくしゃくしゃと髪を掴み、地面に膝をついて絶望の叫びを

上げるなど、意味不明な行動を泣き叫びながら続けるのだ。この上なく哀れでみっともない姿であることはいうまでもない。しかし死を目前にした人間が平然とすることなど不可能であるように、彼の行動も実に人間らしいと言えよう。

 それから三十分ほどが経過した。朽ちた牢屋で水砂は泣き叫び、のたうちまわることにも疲れ死人のような顔を浮かべ放心状態に陥っている。あまりの絶望的な状況に心もなにもかも壊されてしまったのだ。

¬帰りたい…もうおうち帰りたいよ。誰か助けて…」

家に帰りたいのは当然だが、それはできそうにない。なら扉の向こうにいるヤクザ達に

命乞いをして助けてもらおうか。お願いしますから助けてください。なんでもしますから

とそんなことを言うのも今彼に残された道だが、そうすると相手はロクでもないことを要求するに違いない。例えば人身売買で遠い国に売り飛ばされるとか、身の毛もよだつが

猥褻なことをされることも十分にあり得る。全部嫌だが殺されるよりはましだ。

死んだ目で水砂はそんなことを考えながら、牢屋の壁にもたれかかっていた。

それを見た那騎は、やっとのことで口を開く。

¬じゃあ聞くが、日常を抜け出したくてここまで来たお前が、なんで今更になって

日常に帰りたいと思う?退屈で退屈でしょうがないんじゃなかったのか?」

 意外に鋭い問い掛けだ。しかし、水砂は自分の抱える心理の矛盾を理解することは

できなかった。

¬分からないよ。でも今こうして考えてみると僕は幸せ者だったなって思うよ。

お父さんとお母さんが頑張って建てた店を僕も手伝って、多くはないけどお客さんも

そこそこ来ていた…」

力なく語る水砂だが、ここに来てなぜだか那騎はすっとんきょんな声を上げる。

「お前の家は料理屋なのか!」

一体なにを考えているのだろうか。この非常時にどうでもいいことを話すなんて。

「そうだよ…僕の店は二番街にある砂塔堂っていう店なのだ。お客さんからは日替わり

ランチAセットが評判良くて…名物は…」

いつのまにか水砂はこんな牢獄で店の宣伝をしていた。

¬帰りたい…こんな所で死ぬなんていやだ」

それは紛れも無い真実の意志だ。幻想にまみれた欲望に突き動かされ、愚かにも水砂は

こうなってしまった。でも今となっては本当に大切なものが何かを分かるような気がする。

そんな真理を掴み取った水砂を見て、那騎はフッと安心し決意したかのように話し始めた。

「そのうまいと噂のお前の店…行ってみたくなったな。そうと分かればここを早く出るぞ」

「ここを出る…」

何を言っているのだろうか。この期に及んでそんな戯言を話しているとは呆れたものだ。彼も水砂と同じく投獄されて頭がおかしくなったのだろう。

「どうやったら出られるの…説明してよ」

「いいか?おれの懐にあるものが入っている、それを取れ」

彼は本気らしい。その真面目な顔をなんとなく信じたくなり、幾分か正気を取り戻した

水砂は従った。

那騎の着物の懐に水砂は手を突っ込みがさがさ探り始める。日も差さない地下の牢獄なので辺りは薄暗いがそれでも水砂は懸命に胸元を触るが、那騎はその手から別のものを感じたらしい。

「変なとこ触るな。あひぃ」

水砂には変な気など微塵もない。ただただ言われたままに薄暗い中で胸元を探るが、那騎には体を撫で回されるように感じたらしく、うすらうすらと彼の堅さと柔らかい筋肉を兼ね備えた体はうすらうすらと快楽を感じ、わずかだが卑猥に歪む顔と同時に小さく喘ぎ声が一定の間隔を空けて発せられる。

「こんなに僕がまじめにやってるのに。那騎は変態だね」

水砂はかなり引く。

「はぁはぁ…勘違いするな…おまえなんかにやってもらう筋合いはない…どうせなら春華に!はぁん」

 水砂はやっとのことで懐からなにかを取り出した。

「これは…針金?」

水砂の手には、細長く銀色に光る針金がにぎられている。

「そうだ。それを使っておれの手錠を外せ。」

 その針金を見て、水砂は怒った。

「なんでもっと早く言わなかったのさ!」

「ふざけるな。今にも発狂しそうなやつに渡したってどうにもならないだろう。おれは待っていたのさ。お前がちゃんと現実と向き合って、正気を取り戻すのを…」

 水砂は黙って手錠外しに奮闘する。

驚くことに、手錠はあっさり外れた。

ここの連中は化け物並の体を持っていても、頭の方はあまりよくないらしい。

「おまえのおかげで助かった。ありがとう」

自由になった那騎はさっと立ち上がる。

「どうするの?那騎が自由になったって、どうにもならないよ」

「そう思うか?」

 那騎は意味ありげな笑みを浮かべ、牢屋の壁に歩みよる。

そして短刀を鞘から抜くと、水砂の目の前で振りかざした。

すると壁はおもちゃのように崩れ去ってしまう。

「あああ…」

脆い壁にはポッカリと穴が開いていた。

水砂はあまりの凄まじい光景に唖然とする。

「ちょっと暴れてくる。ここにいろ」

その目は修羅と殺戮を予感させた。


生きるための戦い。


 水砂が死を目前にして錯乱し、那騎がけしからぬ性欲に発情していたそのころ。

狂人共の宴は、ますます加速していた。

 酒を飲み、怪しげな薬品を吸い、もはや、やりたい放題である。

なにせ、活のいい獲物が二匹も入ったのだ。子供はどんな売り方をしても高く売れる。

 人命をなんとも思わない下等で低俗な者達らしい考えだった。

「ゲヘヘ…親分。今日はツイてますね。それにしても、なんであのガキはこんなとこに迷いこんだのでしょうか?」

ゴークシューシースピルピルポークはいやな笑みを浮かべて言う。

「あの年頃のガキなんて、俺達の住む世界があるなんぞ知らねーんだよ!好奇心に…」

 コンドルのジョーが話しかけたその時。

突然、けたたましい牢屋の壁がなにかの衝撃によって破壊された。

 その瞬間、ピタリと騒音が止む。

砂煙が舞い上がり、その奥から、子供らしかぬ殺意に満ちあふれた那騎が現れた。

「……なんだテメー?」

荒くれた狂人達は威圧的な態度で迫る。しかし那騎は動じない。

「おれは修羅の道を生きる。だからかかってこい。未来に進むのはおれだ」

その言葉は明らかに宣戦布告だ。

そして、沈黙がまた騒音に変わり、狂人達はゲラゲラと腹を抱えて笑い出した。

「あひゃゃゃ!コイツは傑作だ。ガキが!なめんじゃねえぞ」

 突然、那騎に迫り来る外道Aが、拳を振り下ろす。

那騎動じることなく相手の動きを見切ると、華麗なジャンプで相手の頭に強烈な蹴りを打ち込んだ。そのままでいれば標的にされるので素早く回避だ。

「上等じゃねえか!」

外道B外道C外道Dが今度は同時に剣を振りかざすが、これは相手に出来そうにない。

那騎はドンと酒場のテーブに乗り、近くにあった酒瓶を噴射した。

外道B外道C外道Dは前が見えなくなってよろめく。

しかし、スキを見せたのが最後。

那騎はいつの間にか壁に立てかけられてあった大剣を手に取ったのだ。

そして一振りで外道BCDの腹を刺し、三人は生き絶える。

 ところが、そのスキを狙って横から外道E外道Fが飛び掛かってきたのだ。

とっさの事態に対応できず、那騎はのしかかられてしまった。

「よくもやってくれたじゃねえかよ。」

狂人E狂人Fはそう言うと何度も何度も那騎の顔を殴りつける

これは那騎にとって大ダメージだ。このままだと敵に殺されてしまうから

なんとかして状況を打破しなければ。那騎はあれよこれよと索を考える。

「うるさい!おれはこんなとこで死なない!」

「黙れ!弱いやつは食われる運命なんだぜ」

狂人Eは嘲笑い、那騎は反論した。

「おれはまだ春華にキスもしてもらってない!それで死ねるかぁ」

「コイツ。メチャクチャ言ってやがる!」

 気合いで狂人Eを跳ね上げ、腹を突き刺した。

そして那騎は返り血を浴びる。

その時、彼の忘れていた感覚が戻ってきた。生き延びるための、残酷にして崇高な本能。

そう、戦いで人を殺すことである。

 那騎は殺し合いでしか生きられない、魍魎一族の少年だったのだ。

長らく失っていたその感情が、煮えたぎるマグマのように沸き上がり、対立関係にある、人間としての優しさや思いやりが消えてゆく。

「あははは!この感覚!思い出した。いいぞ!いいぞ!この調子で全部やってやる」

血にまみれた那騎は力を欲し、狂った人形のように笑い出す。

「こいつ!ガキのくせに…何者なんだよ」

狂人Fは悲鳴を上げた。

「おれは人間なんかじゃない。おれは魍魎一族だ」

そこにいるのはまさしく、人間の皮を被った化け物だった。

「バカな!荒野を荒らし回っている伝説の魍魎一族だと!」

恐れを成した狂人たちは、バラバラと逃げ出す。

「んな化け物がここにいる!答えろ!」

「その化け物が世界中を連れまわされている。そのくらいこの世は理不尽だってことさ」

血にまみれた修羅は、恐怖に駆られ剣を振りかざしてきた荒くれを糸も簡単に切り伏せるとそのまま、次から次へと襲い掛かる荒くれを斬り続けた。

 子供だと思ってあなどってはいけない。

彼は人でありながら、人ならぬ道を歩む残虐にして非道な魍魎一族。

幾千幾万の戦いを潜り抜け、あらゆる戦法を知り尽くした地獄の使者と言っていいだろう。

当然、ひとつの町で荒々しく悪事を働いているだけのぼんくらに勝機などあるはずもなかった。


愚かな少年。


 どれくらいの時間が経ったのだろうか。

那騎に言われるがまま、水砂はずっと牢屋で待っていた。

しかし、問題はそれではない。

問題なのは、牢屋の外で尋常ではない騒動が起きているということだ。

 荒々しい狂人の叫び声と罵声が響き渡り、けたたましい音と共になにかが破壊されてゆく。殴り合う音、斬り合う音。悲鳴や罵声が現れては消えてゆく。

とにかく想像を絶する暴力的な音だけが聞こえてくるのだ。

「一体、何をしているんだ」

水砂はいいようのない不安につつまれる。

そして彼は意を決したように、壊れた壁から牢屋を出た。

「おーい那騎〜もう終わっちゃ…」

その瞬間、水砂は絶句した。

「あひぃぃ!」

彼が目の前には十人の人間の死体が転がり、辺り一面血だらけなだったのだ。

その光景は生臭く、そして目も当てられないほどの悲惨な場面だった。

水砂はあまりの恐怖に腰が抜け、床にへたれこんでしまう。

 まさかこれほど残忍なことを那騎一人でやったのだろうか。

そんな筈はない、彼はただの子供だ。

恐怖で錯乱しそうになる水砂は、酒場の奥で力なくへたれこんでいる人影を見つけた。

血に染まった短刀を持っている那騎だ。

¬水砂か…さあ、帰ろうか…」

¬ごめんね僕がバカだったよ。もう二度とこんなことしないから、もう帰ろう」


 水砂は、ボロボロに傷を負った那騎に手を貸しながら、やっとの思いで

裏世界から脱出した。

圧倒的な力を持つ那騎といえども、あの大人数を相手にはかなりの

苦戦を強いられたようだ。

この傷を負った那騎を連れて、大通りを歩くのは目立ちすぎてまずいので、

人目を避けて歩き、やっとのことで「砂塔堂」にたどりついた水砂は、扉を開けるや

否や、力なく床にへたれこんだ。

「やっと帰ってこれた。ごめんなさい」

 水砂の目の前には、見慣れた日常の風景が広がっていたのだ。

使いこまれたかまど。古ぼけた客用のテーブル。

雑然と置かれた食器。

小さな窓から見える見慣れた大通りの光景。

これらの風景に、水砂は飽き飽きしていたはずではないか。

いや、それは大きな間違いだ。今となっては分かる。

変わらない日常と平穏こそが、人として至極の幸せだということを。

 その尊さも知らず、「退屈」の一言それを片付け、求めてはいけない

世界を求めた自分はなんて愚かなのだろうか。

「おい!聞いているのか」

へたれこんだ水砂ははっと我に返り、那騎に呼ばれているのに気がついた。

「約束はどうした、助けてやるお礼に、おれにうまい飯を食わせるんだろ」

那騎はどっしりと客席に座り、だだっ子のように文句を言っていた。

「もちろん、那騎は僕の命の恩人。大サービスするよ」

そう言うと、水砂は涙を拭うとかまどに火をつけ、厨房からさまざまな食材を取り出してきた。

どの肉も野菜も、外国から取り寄せた高級食材ばかりだ。

勝手に使うと親から怒られるのだが、そんなことは関係ない。

今、ここにいるお客様は、水砂の命の恩人なのだ。

 

 「うめえ。久々にこんなもの食ったぞ」

水砂の用意したジョニーゴアニーピョップシチュー定食を、

美味しそうに那騎食べていた。

その表情は子供らしさに溢れ、先ほどまでのあの恐ろしい那覇とは、全くの別人に

思えてくる。

 水砂も疲れたので早めに食事を済ませ、楽しそうな笑顔を浮かべた。

時間は夕暮れ、日の沈みかけている太陽光はオレンジ色の暖かい光を放ち、

辺りを騒がしくも、穏やかな雰囲気に包み込む。

遠くの大通りからがやがやと活気に溢れた雑音が聞こえ、それに加えて家路を急ぐ様々な人々の影が忙しく動いている。

これもいつもの変わらない光景。

決して、退屈などではない。人として喜ぶべき世界だ。

「おまえ、やっと壁を破ったな」

突然、なんの前触れもなく那騎がそんなことを言った。

「かべ?どういうこと」

あまりにも突拍子もない発言に、水砂は理解できない。

「おまえは、この世界が平和だと信じていたな?」

 那騎は鋭く問い詰め、水砂は顔を曇らせる。

「う…そりゃあ僕だって、生まれてからずっとそう教えられて信じていたんだ。でも、あんなもの見せられたら僕だって…」

水砂は言いにくそうだ。

無理もない、今日一日で、嫌というほど裏の世界というものを思い知らされたのだ。

「おまえの信じている平和な世界なんて単なる幻想さ。子供が見ている世界なんて、我が子の無垢を信じたい親が、子供を守るためにつく嘘にしかすぎない」

那騎の言葉は容赦なく、そして刺々しい。

「そんなこと言わないでよ!」

「違う。この世界はとんでもなく落ちぶれている。殺し。暴力。詐欺。強盗。人身売買に児童誘拐。薬物取引。おまえの言う「平和」のすぐ側に、数えきれない悪事は蔓延してんだよ」

 那騎は世界の真理を語り始め、水砂はだんだんと恐ろしくなる。

認めたくないが、それは事実だ。

その時、突然那騎が目の前から消えた。

水砂がはっとして振り返ると、那騎が後ろに回り、水砂の首に鋭い手先を突きつけてきたのだ。

「気をつけろ、おれたちあっち側の人間は、おまえら凡人をいつでも狙っている。

油断していると闇に引きずりこまれるぞ」

 水砂はあまりの威圧感に耐えられず、椅子から転げ落ちた。

「はははは…驚いたか。すまん。ちとやりすぎた」

那騎は力を抜き、リラックスする。

「ふー!冗談にしてはやりすぎだよ」

息も絶え絶えになった水砂の顔から、汗が滴り落ちる。

「でも那騎。僕はそれでも信じたいんだ。この世界には、恐ろしいこともあるけど

うれしいことだっていっぱいあるってね」

 水砂の表情がパッと明るくなる。

その顔は、希望と明日に向かう志しに溢れていた。

そして、那騎は紅に輝く光を背に、そっと水砂の手を取り言う。

「その通りだ。落ちぶれたこの世界にも光はある」

那騎の脳裏に、あの三人が浮かんだ。

「そうだ。言い忘れてたんだけど、昼間に僕は君の友達と会ったんだよ。

水と食料品を抱えたお兄さんと、長い黒髪のお姉さんにね」

 水砂は思い出すようにして言う。

「あいつら。やりたい放題なことを…」

那騎はその二人よりも、春華の行方が気になった。

「もうひとり知らないか?春華っていう栗のショートヘアーの女の子さ」

那騎は一通り、春華の特徴について話すが、何故か話せば話すほど、水砂は青ざめてゆく。

「どうした?」

那騎は問い掛けた。

「あんまり思い出したくないんだけど、僕はその子に似た女の子を見よ。その子は薬物の密売をやっていたんだ」

那騎はハッとしたように立ち上がる。

「メシうまかったぞ。またいつか会おう」

金を乱雑に置くと、あっという間に大通りの雑踏に中に消えていった。

「ちょ!今日は休業日…」

当然だが聞こえなかった。


 信じたくない。

できれば嘘であってほしい。

那騎は夕日に包まれた大通りを走っていた。

「春華。どこにいる…」

事の真相を確かめるために那騎は春華を探していたのだ。

那騎の知っている春華は薬の密売など絶対にしない。ただの優しい少女だ。

しかし、春華が優しい少女の皮をかぶった極悪人だったらどうなるだろうか。

 那騎の信じている春華は偽りの姿なのか

精神的消耗によって、息も絶え絶えになり体から力が抜けてゆく。

「気をつけろ!馬鹿者」

ふらふらと走る那騎は老人とぶつかり、ずっこけた。

体に力が入らない。先程の殺し合いで、血を流しすぎたのかもしれない。

「春華!おれの知っている春華は…」

夕日の中を那騎は、埃だらけになっても走り続ける。

 そのただならぬ状況に通行人が注目し始める。

そして、気付けば那騎は西門にたどり着いていた。

「おーい!那騎。遅かったじゃねーか」

「つか、あんたボロボロじゃん。なにしてたのよ」

そこには夏月と水雪がいた。

「夏月!春華はどこにいる!」

激しい表情で、那騎は夏月に問い詰めた。 「

うおっ!恐えーなぁ。春華なら後ろにいるぜ」

はっとして那騎は後ろを振り返る。

「那騎!今日一日楽しかった?後でお話聞かせてよね」

そこにはにこにこと笑う春華がいた。

なぜだろうか那騎は恐ろしくてたまらない。

「さっ!今日はわたしが見つけた宿に行くわよ。ついて来なさい」

「やった!今日は暖かいベッドで寝られるの?わたしうれしい」

「おいおい!おまえが選んだ宿なんて信用できねーよ。やらしい宿じゃねえだろうな」

三人は青ざめた那騎をよそに宿へ向かう。


不穏で愉快な一夜が始まる。


「夏月。ここって結構広いよね、なんだかいい宿みつけちゃったみたい」

春華は宿の大広間を見て嬉しそうに笑っている。

この宿は、紅路の町の中心地である5番街で3番目に大きな宿なのだ。

一階は受付兼大食堂になっており、地下には天然の温泉まで完備され、

行き交う人々は皆旅人。さまざまな国の人種が顔をそろえている。

「やっぱ都の宿は広れーな、ここまで来た甲斐があったぜ」

夏月も興味津々だ。

「気を抜くなんて甘いことしないで。やっとわたしたちの旅も折り返しだけど、

まだまだ危険はたくさんあるわ。

この宿にもわたしたちの命を狙う悪党がいるかもしれないのよ」

警戒心の強い水雪はこの人込みの中でも気を許さない。

「大丈夫だって。いざって時には、夏月を身代わりにして逃げちゃえばいいじゃん」

「お前も酷いやつだな!」

 和やかな空気で受付を済ませるが、その時水雪はただならぬ気配を背後から感じる。

「はっ!ヤツが近くにいる!」

もしかして宝を狙う敵か?瞬間的に春華は防御体勢を取り、いつでも逃走できるように

身構えた。

「何?もしかして敵?」

だが、春華の読みは外れたらしく、水雪は近くにいたプロレスラー的な体格の

男性に声を掛けたのだった。

「イエーイ!わたし好みのお兄さん発見!お兄さんいい筋肉してるぅ。今日

わたしの部屋に遊びにこない?」

水雪が張り巡らせていたのは、イケメンセンサーだったらしい。

「オー!キモイデス。コノヘンタイヲドウニカシテクダサーイ」

「そんな下らないことしないで!さっさと行くぞ」

そう言って夏月は水雪を引っ張ってゆく。

「はいはいつまんないの。ほら、捕虜もぼさっとしてないで行くわよ」


 それから四人は二部屋ずつ部屋を借りた。那騎と夏月。そして春華と

水雪の組み合わせだ。

部屋は石畳の造りで、部屋の奥には小さな窓がひとつ。天井には古ぼけた

ランブが吊るされている。

お金がないとはいえ、なんと地味な部屋を借りてしまったのだろうか。

「ひー!今日も疲れた」

二つしかない小さなベッドにどさっと夏月が座りこむ。

 那騎は窓辺に座り、夜の街を見ていた。

夜になってもこの町の活気は衰えない。窓からは様々な店や屋台が放つ光に溢れ、

今だ騒がしく活力に満ちた雑踏は、旅人もここに住む人々も入り混じり終わらない

宴を奏でるのだ。このような光景は旅をしているものならなかなか

見られないだろう。なぜなら旅人は人気の無い平原や大地を渡り歩くことが多いからだ。

そして危険な世界を渡り歩き、海に浮かぶ小島のように閉鎖的な定住民族の村や町に

たびたび訪れ、それぞれ全く違う世界を垣間見るのが旅人の醍醐味といえよう。

 その頃夏月はベッドに寝そべり、しばらくだらだらしている。そして荷物棚の所に

小さな小雑誌が置いてある事に気付いたのだ。退屈しのぎに読んでみようかと思い

夏月は本を開く。

「商業都市紅路ガイド…」

『商業都市紅路は、五番街を中心に一番街から十番街まで構成された、石畳の町並みと、

赤い尖んがり屋根が目立つ平和な都市です。

犯罪発生率はゼロ等しく、旅人の皆様は安心してお買い物を楽しめます』

 ガイドブックの冒頭部分にはそう書かれてあり、目次にはオススメの店などを

紹介する項目が載っていた。

しばらくそれを見ていたが、ふと夏月は那騎を見た。

しかし那騎は窓辺に座り、憂鬱な顔でなにやら考え事をしている。

「おいおい。一体どうしたんだよ那騎。いつもの怖えーお前とは大違いだぜ。

なにかあったのか」

夏月は心配して問いかける。

「………。聞きたいことがある」

重々しく那騎は口を開いた。

「なんだ?」

「どんな人間だろうと、裏はあるものなのか?」

「どういうことだよ。詳しく教えてくれ」

 夏月は興味津々だ。

那騎の目から、ほんの少し涙が出た。

「おれは恐ろしくてたまらない。おれにとって大切な人が、知らない姿を持っていると思うと震えてしまう。おれは大切な人を信じられないのか?こういう時にはどうすればいい?」

「心配いらねーよ」

 那騎は突然、幼い子供を扱うかの如く、夏月から頭を撫でられた。

暖かい感覚が伝わり、思い悩んでいた不安や悲しみが消えていくような気がする。 

「イマイチわかんねーけど。おまえはおまえの心でまっすぐそいつを信じてやれ。

自己チューな愛を貫くんなら、騙されたっていいじゃん。男っていうのは、そういうバカな生き物なんだぜ。おまえは捕虜なんだから、惑わされないでしっかり働いてくれよ」

「捕虜なんて惨めな言い方はやめろ。おれは好きでおまえらといるわけじゃない

おれはおまえらの首をいつでも狙っている。甘く見るなよ」

那騎はさらりとそう言うと、部屋を出た。


 「あうううう。気持ちいいー」

そのころ、水雪と春華は地下の天然温泉にいた。

水雪はよほど気にいっているらしく、天然の温泉で黒く美しい髪を流す。

「この温泉は、疲労や血行不良。お肌の艶にいいみたい」

春華は関心したかのようにお湯を手で掬って観察していた。

「さすが薬剤師。そんなものでもわかるのね。それならさあ…男を一発で落とせるホレ薬なんてのも作れる?」

 「あはは、それは無理!できれば自分でがんばってね」

春華が明るく笑うと、しばしの沈黙が流れた。

「春華。あんたさあ…この前捕まえた捕虜の事、どう思ってんの?」

ふいに水雪がそんな質問をする。

「弟ができたみたいで、とっても嬉しいに決まってるじゃん。もっと仲良くしたいなっていつも思ってるの。那騎は強いし頼りになるよ」

 水雪はそれを聞くと、黒く美しい長髪を流麗になびかせて温泉から上がる。

「確かにあいつは強いわ。これから旅も大変になるんだから、ビシバシ使ってやらないと」


 続いて夏月と那騎も温泉に入った後。

それからしばらくして四人は食事を取り、夜も遅いのでそれぞれ寝ることにした。

そして、深い眠りについた那騎は夢を見る。

「那騎はわたしのこと、どれぐらい好き?」

夢の中で、那騎は春華と一緒にいた。

「春華は死んだおれの姉ちゃんに似ている。できれば、ずっと一緒にいたい…」

那騎は顔を赤らめる。

そう、那騎はいつのまにか、亡き姉と面影を重ねていたのだ。

「わたしも同じだってば。じゃあこの薬を飲んで、わたしの操り人形になってくれる?」

「!!!」

 春華はいつの間にか、手に怪しげな薬品の入ったフラスコを持っている。

那騎は恐怖に青ざめる。

「おまえは誰だ。おれの知っている春華はそんな悪人なんかじゃない!」

「違う違う!那騎の言う裏のわたしがわたしそのものなんだってば。ねえ那騎…裏のわたしも表のわたしも好きになって。そうすればわたしはシアワセだもん」

那騎は動揺して動けない。

「ふざけるな…おれは優しい春華しか信じない。おまえなんかどっかにいけ」

すると、春華は明るい笑顔で答える。

「ずるいよー那騎だって裏でいろんな人達を殺して殺して殺しまくってるんでしょ。

わたしもたくさんの人の心をぐちゃぐちゃに壊しちゃったの。だからわたしも那騎も同類。仲良くしよー」


 「ぶはっ!」

那騎はとんでもない悪夢で目が覚めた。

「はあはあ…夢か」

全身から汗がにじみ出て不快な気分を晴らすため那騎は窓に歩み寄る。

時刻は深夜。辺りは静寂に包まれ、窓の外に広がる騒がしい屋台も死んだように静まりかえり、天空からは月明かりがかすかに照らしているだけだ。

「おれは迷わない。春華…今からでもおれは真実を知りたい」

 那騎は真相を知る決意をしていた。

 

疑惑の少女春華。


那騎は宿の屋上に立ち、夜の静まり返った街を眺めていた。

騒がしいこの都市の住民は、もう寝てしまったのだろう。

吹き抜ける冷たい風は那騎の髪をなびかせ、木々を騒がしく揺さぶる。

夜空を見上げて見えるのは、雲の隙間から少しだけ見える満月だけ。

星もなければ生きているものも感じない、まるで死んだかのように静まり

かえったこの夜の光景は、なんとも不気味だが夜らしい夜だ。

「那騎ー!こんな夜遅くに呼び出してどうしたのー」

後ろから春華の声が聞こえる。

那騎は意を決していた。

彼女にかけられたドラッグブローカー(薬の売人)疑惑の真偽を確かめると。

「こんな夜遅くに呼び出してすまない。おれにはどうしても確かめたいことがある」

「気にしないでよ。仲間の悩みを聞いてあげるのもわたしの仕事だもん」

那騎は思い切って口を開いた。

「春華…今日この町で…」

だめだ。那騎の口から肝心な言葉が出ない。

那騎は、真相を確かめるのが怖かったのだ。

極度の緊張から足がふらつき、汗がポタポタと流れ出て妙なめまいに襲われる。

そして目の前が朦朧とした那騎の目には、なぜか春華が亡き姉と重なった。

精神的な消耗が激しすぎる。このままでは言いたいことも言えない。

 那騎には、この時間を永遠に終わらないかのように感じた。

この静寂な世界には、自分と春華の二人だけだ。水雪も夏月もいない。

愛の告白にピッタリの場面なのだが、那騎はそんな気など微塵もない。

「ちょっと、どうしちゃったの那騎?薬持ってこようか」

 疑惑の晴れない春華の言う「薬」とは、どちらのことを言っているのかすら怪しい。

「はぁはぁ…心配ない。それよりは春華、言いたいことがある」

「えっ…なになに?」

春華は変な期待をしてうれしそうだ。

¬おれの知っている春華は、本当に春華なのか?」

¬あったりまえじゃん。わたしはずっと那騎のお姉ちゃんだってば」


 那騎は諦めた。

入る必要のない相手の闇の領域に踏み込むなど、やってはならないのだ。

そして、那騎はぼんやりと今朝のことを思い出す。

(あの手…柔らかかったな)

彼は、崖から落ちそうになった春華を助け出したのだ。

あの朝の冒険は忘れられない。

結局真相はわからない。それでも那騎は優しい春華を信じたかった。

言い終えた那騎はぱたりと倒れ、そのまま寝てしまう。

ずっと悪夢にうなされてほとんど寝ていないのだ。しかも昼間は裏の世界の奴らと殺し会いもした。そんな状態で力尽き寝てしまうのは当然だろう。


朝になったらここを出て、また帝国への旅が始まる。

 

商業都市紅路。


「ええと、ジョニーゴアニッピョップシチュー用の肉に野菜に牛乳と…」

水砂は早朝から、買出しに行かされていた。

この町の早朝は景色の良さで評判高い。

空を見上げると、青と白の絵の具を混ぜ合わせたかのような青空が

どこまでもどこまでも広がり、まぶしいばかりの燦々とかがやく太陽が

真夏のこの都市を照らしている。

「おっ!買出しかい?偉いじゃねえか」

水砂は露天商のおじさんに声をかけられた。

「そうだよ。今は帰り道なんだ」

相変わらず都市は騒がしくにぎわい、この町は今日も元気いっぱい、平穏そのもの。

町には薬物を吸って幸せな若者で溢れ、大通りを奴隷を乗せた大きな馬車が通り過ぎる。

水砂は殺人鬼と悪徳詐欺師とすれ違い、ロリコン誘拐犯に道を教え、

真っ直ぐ家に帰ろうとした。

「水砂ー!今買出し中?」

そのとき、突然後ろから声をかけられる。

そこには知り合いの女の子がいた。

「あっ沙良さら僕はお使いに行っていたんだ。今日来るお客さんに

出す料理を作るためにね、どんなお客さんが来るんだろ。わくわくするなー」

水砂は三番街にある服屋の一人娘。沙良にひそかな想いを寄せているが、

沙良は気付かない。

「今度あたしにも料理食べさせなさいよ、それにしてもいい天気ね」

沙良と水砂はどこまでも広がる青空を見上げた。

白い鳩が石畳の地面から一斉に飛び立ち、五番街の時計塔が時刻を告げる金を鳴らす。

「うん今日もいい天気だね」

 そう言うと、水砂は明るく笑った。 

光と闇があいまみえるこの世界で、少年は生きていく。


 退屈な日常などない。捨てていい日常などない。

そして、変えることのできない世界なんてどこにもないのだ。


海辺の話。


「那騎。お前はなにをしている」

那騎は、また嫌な夢を見ていた。

そう、今彼は夢の中で魍魎一族に取り囲まれているのだ。

「心配かけてすまない。おれは今捕虜として捕まっている。隙を見て

脱出するから、待っていてくれ。必ず帰ると誓う」

那騎はそう弁解するものの、魍魎一族達は動じない。

「お前の言葉は偽りだ。勝手に戦場を抜け出したお前は、今どう生きている?

戦いを忘れ、あんな者達と平和ボケした生活を、のうのうと送っているではないか。

忘れたのか?我らの使命は大切な者を奪った憎き敵を打ち倒すために、修羅の世界で

戦い続けることなのだぞ。お前が能天気にダラダラ生きている間にこちらは、どれだけの

血を流す戦いを続けていると思う。修羅の世界から抜け駆けは許さん。その重さを

お前はわかっているのか?だったら戻ってこい」

 一族達の言葉は、那騎の心に重く突き刺さる。

「違う!おれがこんな所にいるのは、不幸な事故だ。おれはこんな所にいるつもりはない」

「じゃあなぜあのような者達と馴れ合う?」

「それは…」

那騎は答えられなかった。

修羅として生きる残忍な彼は、今普通の人間として生活している。

そんなことを自分自身の心で許す筈はない。

しかし、気付けば彼は平穏の世界に流されるが如く、漠然とそこにいる自分がいる。

なぜ自分のようなあちら側の者である自分が、こんな世界に身を置いているのか。


 那騎はうっすらと目を覚ました。

最初に感じたのは、潮風の匂いと吹き抜ける爽やかな風。

そして頭上に輝く暖かな太陽。

あきらかにおかしい。

昨晩は、商業都市紅路に泊ったのではないか。

あの都市には海を匂わせる潮風など届かないはず。

疑問に思った那騎はさっと飛び起きる。

目に映ったのは青い海と広大な砂浜だった。

 まぶしい太陽に照らされた海は透きとおるようなクリアブルーに輝き、

大きな波や小さな波を鼓動のように作り出し、

空は晴天と呼ぶにふさわしく青々と広がり、遠くの空から穏やかかにカモメが飛び立つ。

透き通るような黒い瞳に写るその光景を、彼は一コマ一コマ鮮明に記憶している。

そう、一向は那騎が寝ている間に紅路を出発していたのだ。

「那騎−!やっと起きたのーこっちにおいでよ!おもしろいよー」

海辺の方で那騎を呼ぶ可憐な声が聞こえた。

 あの人影は春華だ。

彼女は海に入るため、ボディラインがくっきり見えるほどの軽装だった。

海の反射光に照らされた彼女の美しい姿に那騎は惚れ惚れする。

「待て、おれもいますぐ行く!」

那騎はそう答えると、さっと馬車から飛び降りて砂浜を駆け出した。

柔らかい砂浜は動きにくく、ズボズボと足がはまって砂浜に足跡が出来てゆく。

進めば進むほど大きな海が鮮明になり、那騎は爽やかな気分になる。

 きっと春華のことだろう。他の二人も交えて海で遊んでいるに違いない。

青い海に入り、健気に笑う春華。

夏月は春華に水をかけられ、ぶざまに転び、それを見た水雪はけらけら笑う。

これぞ常夏の海に相応しい、ジュブナイルサマードリーム。

那騎はその妄想を膨らませるが、次の瞬間真相を知って愕然とした。

「出来た!これぞ水雪エクスペリエンスサンドアートの完成よ」

「うひょーでっけえ魚が釣れたぜぇ」

「波が気持ちいいー」

3人は一緒に遊ぶどころか、三人はバラバラに遊んでいるのだ。

「こんなのアリかよ!」

那騎の妄想は粉々に破壊され、ショックのあまり柔らかい砂浜に仰向けに倒れこんだ。


 それからしばしの時が流れた。

あいかわらず水雪と春華は一人で海を満喫している。

「これぞ砂丘に現る水雪大豪邸エックス!」

「見て見て!わたしこんなに泳げるんだよ」

那騎は呆れ果て、波打ち際を力無く散策し始めた。

照り付ける太陽と、常夏の輝きを見せる海を見ていると、那騎は自分が修羅の世界の人間だということを忘れてしまいそうになる。

彼は本来ならば、このような光の世界にはいてはいけないのだ。

 などと憂鬱な気分に浸っていると、那騎はあることに気がついた。

数十メートル先の高い岩場で、夏月がなにかをしているのだ。

「なにをしている」

那騎は超速で歩み寄り、夏月を覗きこんだ

「おわっ!なんつー速さなんだ。お前は化け物かよ!」

夏月は驚いている。

「当たり前だ。おれを誰だと思っている」

那騎はにやりと意味深な笑みを浮かべた。

 そして、夏月は懐になにかを隠している。

那騎が来た瞬間、彼は何かを素早く隠したのだ。

「面白そうな物を持っているな。ちょっと見せてくれ」

またもや那騎は駿速の手さばきで夏月の隠し物を引ったくる。

「うぉ!勝手なことすんなよ」

夏月は顔を赤くして取り返そうとする。

「千万しょうし!おれの前ではあらゆる隠しごとも無駄なのさ」

 那騎が手に取ったのは、美しく精巧に彫られた石版だった。

石を削って造られ、その像は四人の男女と馬車を模っている。

「うまい…これはよくできている」

那騎は感心した目で石版を鑑賞していた。

「あたり前だろ!オレは動物を扱うだけが能じゃねーんだからな」

もちろん、夏月は水雪に軽々と扱われている。

「それにしても意外だったぜ。戦うことしかできねーお前が、こんなものに興味を示すなんてな」

 那騎は暴虐の限りを尽くす魍魎一族なので奪った宝を鑑賞することはよくしていた。

「ここはいい風が吹く場所だな」

そういうと那騎はぺたんと座りこみ、青く輝く天上から吹き抜ける風が潮風と混じり合い、彼の髪を靡かせる。

「気になるな。この彫刻はなにを意味している?」

那騎は不思議そうな目で彫刻を見る。

「さあ、どこかの旅人を描いているんだろ」

夏月と那騎は知る由も無いが、この石版は数百年後にまで語り次がれることとなるのだ。

そして、いつの間にかその石版には言い伝えまでつくようになってしまう。


 ある日、小さな村に住む三人の若者は旅立った。

目的は、帝国の王に宝を献上すること。

約束を破れば村は報復を受け火の海に。

だから村人の命を背負った三人は進まなければならない。

山を越え谷を越え、海も森も街も走り抜けて…。

天上に広がる夜空を見ては、離れてゆく故郷を思い、

沈む夕日は彼らに過ぎてゆく月日と郷愁の想いを湧き立たせる。

 長い旅は果てしなく続き、三人はあらゆる厄災も困難も跳ね退けて進む。

そして彼らは四人となった。

捕らえた捕虜は、どこか遠い荒野の国から迷いこんだ少年。

しかし、凄まじい強さであらゆる敵も討ち倒す少年には心がなかった。

だから旅人は少年に失った心を与え。

少年は捕虜として、永い永い旅の護衛役を命じられる。

奇妙な絆で結ばれた三人の旅人と捕虜は突き進み、旅人達はいつも願うのだ。

この旅が終わり、我ら功績が故郷を遥か遠いに未来まで存続させるということを。


 「すげーだろ。こうやって遺した想いはオレ達が死んでも、

何千年の時を越えて受け継がれるんだぜ」

夏月は得意げに笑った。

「未来か…」

那騎は、はっとして気付く。

自分は今まで過去にしか執着していなかったのだ。

あの日の悪夢を憎み、亡き姉のためだけに強くなってきた。

もしも、あの日の悪夢を振り払い新しい未来を切り開けるとしたら?

もしかしたら修羅として生きる那騎は、新しい道を歩むことができるのかもしれない。

だが那騎は、そんなことをしようなどと、一片も考えたことはなかった。

自分には過去しかないのだ。いつもいつも過去のあの日を思い、そして守れなかった姉に

対して何度も何度も謝り、その贖罪として戦い続ける自分がいる。これからもこれからも

贖罪はやめないし、それを忘れて生きようなど絶対に思わない。

「那騎。なにか大きな音がしないか?」

ふと夏月がそんなことを言う。

確かに、地面を伝わって轟音が響いている。

「なに!また化け物か。おれが斬り刻んでやる」

さっと戦闘状態に入った那騎は短刀を鞘から抜いた。

「いや、今回の相手はお前でも無理だぜ」

那騎は怒り出し、最大のパワーを発揮する。もう彼を止められる者はいない。

「どこだ!どこにいる」

「ああ、後ろにいるぜ」

那騎はきっとして振り返る。

そこには青く巨大な津波が迫っていた。


青い魔の手は、轟音を響かせながら迫ってくる。

美しい海はその姿を一変させ、あらゆるものを地獄に引きずりこむ亡者に変貌したのだ。

「おれはどんなやつにも立向かってやる。未来に進むのはおれだからな」

そう言うと彼はさっと腰に差した短刀を鞘から抜き、波に向かって構えた。

 津波からは逃げられない。

那騎はヤル気だ。

¬いやいや!常識的に無理だろ!津波だぞ津波!タチの悪いチンピラでもなければ

殺し屋でもないんだぞ」

しかし、戦いにおいて天才的な実力を発揮する那騎に勝てるものなどいないのだ。

「悪人も怪物も津波も関係なくもぶった斬る」

修羅の少年は舞い踊る獅子の如く跳ね上がり、白刃を煌めかせながら飛び掛かった。

「うぉりゃゃゃゃー!」

無理でした。

「ヒーローのくせにハッタリは見苦しいぞー」

そう夏月は、言うと上から迫り来る波に押潰される。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ