死後、神に会った
気がつけば、一面霧に包まれたような白い世界にいた。
「……精神と時の部屋……?」
そんな言葉が思わず出てしまうぐらい、周囲の環境は異質だった。上下前後左右真っ白で、比較対象となる木一本生えていないので、広さの検討が付かない。足元に到っては煙が湧いているでもないのに、爪先すら白に飲まれて見えない。
ここでようやく悟る。
「……ああ、足、ないのか……」
つまり自分は幽霊、ここは死後の世界ということか。
船頭に渡す六文銭を持っているか全身をまさぐり、船頭どころか川すら流れていない現状に、知らず知らずに苦笑が漏れる。
「……と言うことは……」
浮かんでくる可能性に、興奮が背中を上ってくる。
「……ネット小説界隈のお約束、神様のミスで死んだ。詫び代にチートもらって転生ってやつか」
これまでの苦笑がなりを潜め、ろくでもない前世でも最後の最後の最後で大逆転を狙えそうだと、歓喜に近い笑みが満面を覆い始める。
はてさてどういう能力をもらおうか、読み漁ったライトノベルやマンガや見漁ったゲームやアニメや特撮物の登場人物達を思い浮かべ、生前の人生管理を怠った神の登場を待つ。
その思考自体、かなりの異常者の片鱗なのだが、当人は気づかない。
どのくらい待たされただろうか。
「残念。三十点」
そんな意味不明な声がどこからともなくかけられ、思考を中断される。
「……問おう、あなたが神か?」
どこかのゲームキャラを真似、偉そうに胸を張る。
返答は然り、だった。
「では、ここは死後の世界」
それに関しても然り。
「神の管理不行き届きで、予定外の死亡」
然り。
「ついては、特典を与えるから、別な世界へ転生してほしい、と」
否。
「……は?」
内心勝ち誇りながらも、表向き深刻な顔でうんうん頷いていたのが、最後の返答で固まった。
「そちらのずさんな管理が原因で、こちらは死んでしまったのでしょう? ならば謝罪と、本来生きるはずだった人生の損失分、補填するのが筋じゃないですかね? そもそも、自分の失敗を認めているなら、姿を見せて土下座の一つでもして、誠意を見せたらどうですか」
理屈は通した。未だ姿を見せない不義理に対しても、誠意を見せれば許してやると許容の姿勢も示した。神と言えど、これは反論できまい。
「ふむ……。つまり、君が辿るはずだった人生を管理し切れなかったのだから、その責任を取れ。残りの人生に相当する補填を。それが要求で良いかな?」
「そう言っています」
そうなのだ。あのまま人生を続けたところで、明るく輝く日の来ることはなかっただろう。それならば、先行き暗い余生を代償に、他の追随を許さぬ圧倒的なチートをもらい、人生を一からやり直して栄光を勝ち取る方が、何万倍もマシな選択というものだ。
死んで早々に未練なく見限った自分の余生と神の贖罪の合計が、チートを持って生まれ変わるのと同価値と計算する辺り、相当にいかれた思考だと認識することはない。
そんな期待感は、次の質問で瞬時に吹き飛んだ。
「では、こちらのこうむった被害への謝罪と、その補填は?」
「……へ?」
思いもよらぬ反撃に再び固まった思考に送られてきたのは、隕石の調達から始まる惑星の創世史だった。
上手く衝突するようそれぞれの隕石の軌道を調整し。ドロドロの溶岩の塊が、太陽から程よい距離を巡るよう計算し――間違えて、距離の近すぎる軌道に惑星を一個作ってしまったが――。熱の冷めた岩の塊に、近場を巡る彗星から水を移し、生命溢れる惑星へと変わるよう采配し。
その後は、最初の生命の原型が生まれ、進化と絶滅を繰り返してヒトの世となるまでの運命の操作へと移行。そのヒトもいつか滅び、ヒトの後に台頭する生命体が現れては、彼らもやがて別の生命体に取って代わられ。
種族の交代を何度か経た後、いつかは星そのものも砕けて終わる……。
そんな一連の流れが、既に神の予定表として描かれ、進行しているというイメージだった。
それは言い替えれば、人一人一人の喜びや怒りや悲しみや楽しみ、本人の決断も苦労も努力も、成功するも失敗するも全てがつぶさに神によって定められているという、身も蓋もない世界の真実でもある。
「こちらの予定に狂いを生じさせたんだ。謝罪の一つでもして、誠意を見せるべきなんじゃないかな?」
どこか揶揄する響きのある神の声に、ないはずの血が頭に上っていく感覚に襲われる。思い出したくもない屈辱的なあの時代が、神の立てた予定通りに運行されていたのだと知り、ふつふつとした怒りが湧いてくる。
「……じゃ、じゃあ……あの、クソな人生は……」
中学二年でイジメに遭い、以来二十年、引きこもりの自宅警備員を一日も欠かさず勤めてきた。資格なし学歴なし職歴なし。ついでに賞罰もなし。それだけで全てを語り終えてしまう、ないない尽くしの何もない空っぽな三十余年の人生。
「その通り。そうなるよう、私が決めた」
再びイメージが流し込まれる。今度は惑星の創造から終焉までの予定ではなく、本来自分が辿るはずだった神の決定――運命だ。
これから三年後、父が体調を崩すのを機に、両親は介護付きの施設に入居するため自宅の売却を勝手に決定。家を売られたら住む場所がなくなると、散々売却に反対していたにもかかわらず、三十過ぎたなら食い扶持ぐらい自分で稼げと家から追い出され。こちらはこちらで、自分に相応しい職場がないから自宅警備員をしていたのだと、無理解な両親に絶縁状を叩きつけ。しかしやはり相応しい職場は見つからず――元から労働意欲はほぼ皆無、中学中退の職歴なしの三十代に高給の仕事があるはずもなく――ほどなくしてホームレス化。
翌早春、ゴミ捨て場で漁ったコンビニ弁当が中り、ふらふらになって泥土を盛っただけの河川敷を歩いていたところ、足を滑らせて深さ二十センチの川に転落、そのまま溺死。遺体は発見される前に雑草に覆われ、冬になる頃には土砂に埋もれて誰にも気づかれず。
約十年後に河川敷の改修工事が行われるが、その時にも遺体は発見されない。近所でも存在を忘れられていた自分の存在は、両親にも死亡を知られることなく、星が砕け散るまで陽の光を浴びることはない。
実に、死後すらも救いようのない終わり方だ。
これが、神によって定められていた一生だ。
「でもまあ、そうだな。確かに、君の人生をきちんと管理しなかったこちらにも非がある。詫びよう。すまなかった」
惨めったらしい人生の運命を見せてから謝罪するなど、悪意しかないだろう。
「ふ・ざ・け・る・な!」
血肉を持っていた時ですら、ここまで怒り心頭したことはなかった。
「ふざけてなどいない。君の人生はこうやって終わるはずだった。本来の予定通りの終わりを迎えさせられなかった謝罪をしろ。管理不足の責任を取って相応しい代償を払え、が君の要求だろ?」
「違う! そうじゃない!! 曲解するな!!」
自身の辿るはずだった人生を管理し切れなかったのだから、その責任を取れ。神にも確認を取られた内容を、曲解だと都合良く捻じ曲げても悪びれることはない。
それもそうだろう。
明らかにされた本来の運命を、今さら惜しいと思えるはずがなかった。あんな人生は、生きてきた三十余年と合わせても、何万個積み重ねたところで塵芥に等しい。返すと言われても断固として断る代物だ。
むしろ、あのように最低な人生が定められていたのなら、その分の詫びを込めてチート能力を与えて転生させることが、誠意というものだろう。
そう、全ては神が悪い。こちらに相応しい才能を与えず、苦労や挫折をせずに成功できる運命を定めなかった神が諸悪の根源だ。
自分の身に起きた悪いことの責任は常に他者にあり、何一つ行動していない自分は無辜の犠牲者だ。そうやって常に自己正当化してきたから、生前イジメられていた――それとて被害妄想によるものが多分に含まれるが――のだとは、死んだ今になっても気づくことはない。そのような考えをするように定められているのだから、全ての責任を神に求めるのは、ある意味正しいのかもしれない。
「寿命は予定の残り三年と……お詫びに少し延長して四年にしよう。これなら働かなくても、新しい両親に家を追い出される心配も、ネグレクトされることもない。ホームレス歴の分もこれで帳消し。良いボーナスだろ? ……こうとでも言えば良いのかな?」
「そんな詭弁で責任取ったつもりか! それは責任逃れって言うんだ!! てめえ、人の命を何だと思っていやがる!!!」
四年で終わってしまう数字合わせの生に興味はない。望むのは、賞賛と栄光に満たされた華々しい人生なのだ。それを実現するためのチート能力を寄越しやがれ。
何度訴えてもこちらの真意を汲み取らない神を、上げ膳据え膳してくれていた母に向けるのと同じ地の口調で罵った。自分の才覚とは、神に特典のチートをもらって転生してから発揮されるものなのだ。それを理解できない神に向ける敬意など、分不相応の仕事でも探して働けと言い続けていた母に対するものと同じで十分だ。
「不良品」
迷いなく戻ってきた答えに、怒りが一瞬治まり、しばらく思考が停止する。
「……は?」
「だから不良品」
怒りが再燃する前に、神の説明が続いた。
「そうだろ? 今し方見せたように、いつ生まれて、何を感じて何を考えて、どう動いて、いつどこで死ぬのか、すべての生命の運命は原核生物の一匹に到るまで、そちらの人生の成功も挫折も全て予定に組まれて、世界はその通りに動いていた。予定通りに動かないものは、不良品だろう?」
ただし世界運営の予定に狂いを生じさせる大層なものではない。いつどこで予定外の死亡をしても、歴史にいかなる影響を与えずに終わるだけの、誤差にすらならない末端の一つ。そういう役どころに配置されたヒトは、設定した運命の関係上、世界に影響を与えずに消えるため管理が甘くなりがちになり、不良品の発生率が高い。今回の不良品は、特別な例ではないのだ、と。
「……てめえ」
神――自分の人生の全てを、それこそ文字通りに決定していた絶対者――への元から持ち合わせていなかった敬意は、チート能力をもらって転生うはうはハーレム新人生が期待できそうにないと判明したところで、敵意へと変わっていた。
「ふむ……やはり不良品は不良品か」
それでも神は動じない。動じる必要すらない。
「本来の君に用立てた性格なら、ここはベソかきながら、米つきバッタみたいに頭をペコペコ下げて、『ごめんなさい許して下さい人並みの人生が送れる転生で良いのでお願いします』と、相手の顔色を伺うはずなんだが……」
やれやれと肩を竦めながら溜め息をつくような気配があった。
ほぼ同時に、霊体の両手が満足に見えなくなる程に、周囲の白が濃くなっていく。
「……おい」
発した自身の声が、不安になるほど虚ろになっていることに、変調に気づかされる。
「何をしやがった!?」
一秒前と比べても、声音に響きがない。
「不良品のどこに異常があるのか、確認するのは当然の作業だろ? それも終わった。後は廃棄するだけ。不良品をわざわざ改造してどこかに放り出して、他の世界に迷惑をかける訳にはいくまい?」
そもそも転生とは救済ではなく、生と死を繰り返す苦行のことだぞ?
真意は伝わっていた。
しかしながら律儀に戻ってきた回答は、求めていたものではなかった。心なしか、神の声との距離が遠くなっているようにも感じる。
その間にも目の前は真っ白に染まり、見えている白が空間を占めているのか、視力を失って白しか見えなくなっているのか、判然としなくなる。
「……待て。待てよ……」
大声を出したつもりが、耳に届く声はそよ風にもかき消されてしまいそうにか細い。
……同じ不良品なら、定めた運命を覆して、歴史を変えるぐらいの影響力を持ってくれれば良かったのにな。
そんな呟きが聞こえた気がする。
「……いや、待って下さい……」
チート能力をもらって転生。どころか、このまま無に還される可能性に思い至り、遅まきながら神の翻意にすがろうとする。
自分は自分が正しいと知っている。正しい自分が正論を語っているのだから、神でも正論を受け入れるべきだ。
なのになぜ、神にゴミ同然に捨てられなくてはならないのか。
しかしもう、神からの返答はない。
遅すぎた……のではなく、始めから神の恩恵を得られるはずがなかったのだと、自覚することはない。
「…………」
何かを叫んだつもりだが、その声が発せられたのか、耳に届かなかっただけなのか、それは当人にも分からない。
神への謝罪も贖罪も何一つ実行せずにいた魂とか意識とか呼ばれる何かは、やがて、どこにあるのか知れない白い世界の、白い闇に塗り潰されて消えていった。