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里斗と秋葉  作者: ほしな まつり
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里斗と秋葉・ご

同じ日に二度も同じ扉をノックする事になるなんて……と律は日もとっぷりと暮れた頃、再び里斗と秋葉の住処を訪れていた。

今度は最初の軽めのノックですぐに扉が開く。目の前には昼間と同様、里斗とその手を繋いだ秋葉が立っていたが、昼間と違うのは秋葉が既に夜着を着ているのに対して里斗は日中の格好のままだという点と里斗の苦笑気味の表情が物語るように秋葉の瞳がすでに泣きすぎて真っ赤になっているという点だった。

秋葉の見目には触れずに律はしゃがみ込んで殊更明るい声で「こんばんは、秋葉」と挨拶の言葉を投げかける。


「こっ……ひっく……こんばん……っひぅ……律……」


緊張からでも羞恥からでもなく声を詰まらせながらどうにか挨拶を返した秋葉の頬に律は持参してきたハンカチを押し当て瞳に溜まっている涙を吸わせた。


「こんなになるまで泣いて……こすったのね、秋葉。これじゃあほっぺたがヒリヒリして痛いでしょ」

「っく……い……痛くなっ……ない……」

「へぇ、秋葉って意外と意地っ張りだったんだ」

「だろ。俺もここまで頑張る秋葉は初めてで……涙も舐めさせてくれないんだ……っと、こんばんは、律。悪いね、こんな時間に」

「こっちこそゴメン。もっと早く来るつもりだったんだけど……」

「妹達は大丈夫かい?」

「うん、あやがいるから。それにせりもお姉さんぶりたいみたいではりきってくれて」

「へぇ、あの小さかった芹がね」

「芹だって秋葉と同い年なんだからもう随分しっかりしてきたのよ」


二人のやり取りを黙って聞いていた秋葉がぽろぽろと新しい涙を零し始める。それを見た律が慌ててハンカチを頬にあてた。


「あっ、違うのよ、秋葉。別に秋葉がしっかりしてないって言ってるんじゃないから」

「そうだよ秋葉。今までずっと俺と一緒に寝てたんだし。俺だって識の所になんか行かずに秋葉といたいよ」


里斗も隣に腰をおとして懸命に尻尾で秋葉の頬をなでるが今夜ばかりは秋葉の表情は綻ぶどころか更にくちゃくちゃになっている。更には自分から里斗の手を離し、秋葉はよたよたとそのまま律の首にしがみついた。


「あらら、ちょっと嬉しいなぁ」

「俺は益々識の所に行きたくなくなってきた……秋葉、頼むから機嫌を直して……は無理か……、せめて泣き止んでよ」

「まあ、今晩はこうやって私で代わりが務まっている間に行ってきなさい、里斗。すっぽかしたら絶対、識に怒られるわよ」

「それがわかってるからこうやって律に来てもらったんだけどさ……ああ、もうっ」


そう言うと意を決したように立ち上がりもう一度秋葉の頬を尻尾で撫でてから里斗は今、律が入ってきた扉の外へと向かう。


「頼んだよ、律。出来るだけ早く帰ってくるから」


その言葉に秋葉を抱きしめていた律は尻尾をゆらり、と揺らして見送ったのだった。






夜も更けて里斗が識の元へ行ってからずっと泣き続けていた秋葉の瞳からようやく涙が止まり、一人で寝るには少し広いベッドで横たわっている身体から力が抜けたのを確認した律はこれまたずっと撫で続けていた秋葉の頭からゆっくりと手を離した。

ベッド脇にペタリと座り込んだまま同じ体勢でいたせいで身体のあちこちが固まり、痛みを訴えている。それでも節々の痛さなど秋葉の心の痛みを考えれば比べものにならないとわかっているから律は違う意味で顔をしかめた。


芹の話をしたのは失敗だったかな……


九年前、里斗がどこからか秋葉を連れ帰って来た時から秋葉の世界には里斗しかいなかった。まだ乳飲み子妖狐だった秋葉に与える為、たまたま律達を訪ねて来ていた芹を産んだばかりの母妖狐から乳を分けて貰い、秋葉の世話を一から十までひとりでしていた里斗を見かねた律がたまに住処に呼んで芹と一緒に面倒をみていた事を秋葉は覚えていまい。

妖狐の赤ん坊は生後二、三ヶ月の間、乳を飲んで成長し、その後は段々と普通のエサを食べるようになって一年もすれば自分でエサの調達を出来るようになる。

そうするとそのまま親妖狐と一緒に生活する者もいれば、妖力の高い子妖狐は独立して他の土地へ移住したり、定住せずに放浪暮らしを楽しむ場合もあって、それは親妖狐にも言える事で、子妖狐が独り立ちできる一歳を過ぎると自ら離れて行く夫婦も珍しくない。

その後、同じパートナーと行動を共にするかしないかは自由なので、何年も夫婦という関係であちらこちらを巡りつつ毎年必ず子妖狐を授かっては娘妖狐達の元へ育児をおしつけていく律の両親はかなり特殊な例と言えよう。

だから芹と秋葉は同い年の妖狐と言うより同じ乳を飲んで育った乳姉妹のいうもっと深い繋がりを持っているのだが……芹は秋葉の事を物心ついた頃から毛嫌いして近づかない。

秋葉の方も他者との関わりが苦手なせいか、それを改善したいとも思っていないようで…………と考えて律は自然と眉間に皺を寄せた。

果たして秋葉は芹に距離を置かれている事に気づいているかな?、と……だいたい秋葉の視界にはほぼいつも一人の妖狐しかいないのだし、他者からの悪意のある視線や言葉は嫌と言うほど浴びているから芹のちょっと不満げな態度など気づいていないかもしれない。

気づいているのは律と……そして多分、里斗。

けど秋葉を傷つける程の物ではないから放置だろう。関係性を取り持つなんて思いつきもしていないに違いない。

だいたい常日頃から「秋葉には俺がいればいいよね」と笑顔で言い切るアブナイ幼馴染みなのだ。

ただし、その言葉通り、秋葉の傍にはいつも里斗がいる。

秋葉が小さい頃は彼女の妖力や毛色で他の妖狐達から危害を加えられるのを危惧してだと思っていたが、九年経った今、「秋葉」と呼ぶ優しくて甘い声に当然のように繋げる手、慣れた仕草で彼女を抱き上げる様は里斗のあらゆる種類の愛情が注がれていた。

そんな存在が突然現れた他の女妖狐めぎつねの元へと行ってしまったのだ、律はあらゆる負の感情を抱え込んで痛みに耐えているのか、丸く縮こまって寝ている秋葉の姿を見てもう一度大きな溜め息をつく。

きっと秋葉は里斗がいなくて一人では眠れない弱い自分とは逆に妹達の面倒まで見ている同い年の芹を比べてしまったのだろう、眠りに落ちる寸前、微かな声で「ごめん……なさい」と誰に言うともなく謝っていた。






小さな話し声で眠りから覚める。

けれど意識は覚醒するどころかすぐに夢の中へ引き返すつもりなのか感覚がまったくハッキリしてこない。

秋葉はいつも睡眠を終わらせることが苦手だった。いくら寝てもぼんやりするし気持ちは起きようとしていても自分の内側はそれに従わずどんどん眠りへ引き込もうとする。

原因は自分でも分かっていた。

どんなに寝ても妖力の生成が間に合わないからだ。

体力と同じように妖力も生活していれば日々増減を繰り返す。そこで食物の摂取や睡眠等で減った分の回復を図るわけだが秋葉の場合、どれほど食べたり寝たりしても少しずつ妖力が減っていく。もともと小柄の体躯のせいか小食なので食べる量を増やす事も出来ず、残る手段として睡眠に頼るわけだが、完全に妖力を回復させようとするならほぼ一日を寝て暮らさなくてはならないようで、結局、里斗から妖力を補充してもらって毎日を過ごしているのだ。

だから秋葉の朝は里斗の声で始まる。

いつも「秋葉、朝だよ」と告げられ、意識を浮上させようと頑張ってみるがゆるゆるとした動きに対して眠気が強引にそれを引き戻そうとすると、秋葉の意志を助けるように唇から里斗の妖力が少量流し込まれて、それを馴染ませている間に次第に目が覚めてくるのだ。

けれど今は誰も秋葉を助けてはくれない。

だから遠くで小さく聞こえる里斗と律の声をただ耳に入れただけで秋葉はすぐにまた眠りについた。


「ありがとう、律…………秋葉、あれから大丈夫だった?」

「まぁ、里斗が予想している位は泣き続けたわよ」

「あー……そうだよね」

「なんだ、今回はあまり嬉しそうな顔、しないのね」

「俺の居ない所で泣かれて嬉しいわけないだろ」

「……わがまま」

「そうだよ。律は知ってると思ってた。だから今晩もわがまま、聞いてもらっていいかな?」

「はいはい、そのつもりよ。言っておくけど、里斗の為じゃなくて秋葉の為だからね…………って、ちょっとっ、里斗!、こんな所で脱がないでよっ」

「だって一刻も早く秋葉の隣で横になりたいんだ」

「……うわっ、何、その痕、すごい数ね」

「あー、もう識に身体中、好き勝手されて……」

「愛されてるわね、里斗」

「…………否定する気力も妖力もないよ……律も早く帰って少しでも休んで」

「そうね。それじゃあまた今晩」

「ああ」


いつもすぐ自分の隣にあったはずのぬくもりがやっと戻って来て、秋葉は無意識に顔を寄せる。ところがヒクリ、と鼻が反応し、本能で寝たまま身体を反転させた。そんな秋葉の動きは単に寝返りと判断したのか、特に気にも止めず里斗はいつものようにその細い腰に両手を伸ばし自分の胸元へと引き寄せる。後ろ向きになったとは言え普段通り密着した体勢では我慢出来ずに背けたはずの物が再び鼻を刺激して…………秋葉は生まれて初めて里斗の腕の中で里斗の匂いに微かに混じった知らない匂いを嗅ぎながら眠り続けた。

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