37 旧領域接続者
アキラは先日エレナから購入した情報収集機器の使い勝手を試しに、バイクでヒガラカ住宅街遺跡まで来ていた。この遺跡は適度に建物が密集しており、モンスターの脅威度も低いので、使い慣れていない情報収集機器を試すのにちょうど良い環境だ。
アキラがクズスハラ街遺跡以外の遺跡に来たのはこれが初めてだ。少々胸を躍らせて、クズスハラ街遺跡とは一風変わった遺跡の光景を期待していた。その期待は半分だけ叶った。
「……何か、クズスハラ街遺跡とは違うな」
アキラは遺跡を眺めながら拍子抜けや落胆に近い表情を浮かべていた。確かにクズスハラ街遺跡とは一風変わった光景だ。しかし倒壊しかけた廃屋が建ち並ぶ遺跡の姿から感じるものは身近なスラム街の雰囲気であり、期待していた風景は、高度な文明の廃墟の雰囲気は大して感じられなかった。
アルファが微笑みながら説明する。
『ヒガラカ住宅街遺跡はクズスハラ街遺跡とは違う時代の遺跡よ。雰囲気が違うのはその為よ』
「どういう意味だ?」
『今の人間が旧世界の遺跡から入手した技術を使って文明を再建したように、過去の人間も同じようなことをしていたのよ。クズスハラ街遺跡を建造した人間と、このヒガラカ住宅街遺跡を建造した人間は同時代の人間ではないのよ。アキラが住んでいるクガマヤマ都市も、100年後にはクガマヤマ都市遺跡なんて呼ばれて、旧世界の遺跡として扱われるかもね』
「……ああ。なるほど。東部の文明は一度だけじゃなく、何度か滅んでいるってことか」
『そういうこと。だからクズスハラ街遺跡で手に入るような遺物が手に入るとは思わないでね。別に遺物収集が目的でもないのだから気楽に行きましょう。情報収集機器の調整は私がやるから、アキラは適当に彷徨いてくれれば良いわ』
アキラが目に掛けている細めの眼鏡にも似たバイザーのような表示装置を指差す。
「俺はこれを着けているだけで良いのか?」
バイザーは情報収集機器の付属品で、収集情報等の表示装置だ。表示部分は透明な素材で造られていて視界を遮ることはない。邪魔なら額の位置に上げることもできる。元の所有者がエレナだった為か比較的小型で、アキラでも問題なく装着できた。
『邪魔なら外しても良いわよ? 別にその表示装置がなくても私が索敵の結果をアキラの視界に拡張表示すれば良いだけだから。誰かにどうやって情報収集機器の表示を確認しているか疑問に思われないために着けていてもいいけれど、コンタクトレンズ式の表示装置を付けているって答えれば済む話だからね』
「別に邪魔にはなっていないし、このまま着けておくよ。一々疑問に思われるのも面倒だし、慣れておかないとな。よし。行こう」
アキラはバイクを荒野に近い廃屋の影に停めて迷彩シートを被せると、遺跡の中へ徒歩で入っていった。
索敵訓練を兼ねて遺跡を慎重に移動しながら探索する。遺物収集の訓練も兼ねて廃屋の探索なども行う。適当な家屋を探索すると、食器などの小物が見付かった。一応これらも旧世界の遺物なのだが、現代でも代用品は幾らでも存在するので大した値は付かない。費用と命を注ぎ込んで旧世界の遺跡に挑むハンター達が態々持ち帰る物ではない。アキラも持ち帰ろうかと少し悩んでから、結局元の場所に戻した。
アキラが遺跡の建物の外観や内装を見て呟く。
「随分しっかりした作りの建物も多いな。こっそり住んでるやつとかいないのか?」
『水と食料とモンスターと盗賊を何とかできれば、そう考える人もいると思うわ』
「……スラム街の方がましか」
『スラム街にすら隠れ住めない訳ありの人物で、食料やモンスターなどの問題を解決できる人なら住んでいるかもしれないわね。そういう人間が仕掛けたトラップが残ったりしていることもあるわ。注意しなさい』
アキラが遺跡探索を続けていると、暴食ワニの死体が転がっているのを見つけた。かなり巨大で、以前アキラが右上段蹴りを叩き込んだモンスターよりも大きい。生きていれば十分な脅威になっていたことが一目で分かる。死体の頭部が半壊していなければ、アキラも警戒して近付かなかった。
アキラが暴食ワニを間近で見た感想を端的に零す。
「デカいな」
『これは暴食ワニね。暴食ワニは生物系モンスターも機械系モンスターも食べて成長するわ。取り込んだ金属を強靱な鱗にしたりするの。食べた武器や兵器は体内で修理までして体外に生やして、自身の武装として使用するの。十分成長した暴食ワニは機械系モンスターに勘違いされることが多いけれど、これでも生物系モンスターなのよ』
「あのウェポンドッグと同じか。でもこいつには機関銃とか付いていないな」
『個体差が大きいモンスターだからね。多分食料にしたモンスターに火器で武装した機械系モンスターが少なかったのよ。或いはこれを倒したハンターがその手の武装を死体から切り離して持ち帰ったかもしれないわ。この手のモンスターから生えた火器の中には高性能なものも多いから、初めからそれが目的だった可能性もあるわ。負傷が頭部に集中しているのは、火器を壊さずに手に入れたかったからかもね』
「なるほど。俺にもできるか?」
『撃破は私がいるから可能だとしても、持ち帰る手段がないわ。多分バイクで運ぶのは無理よ。それともアキラが背負って頑張って都市まで運ぶ?』
「嫌だ。車を借りるなり買うなりするまでは無理だな」
アキラはその場を立ち去り遺跡探索に戻った。そして探索を続けながら、何となく気になったことをアルファに尋ねる。
「アルファはモンスターに就いて結構詳しいみたいだけどさ、何であんなモンスターが存在するのかとかも知っているのか?」
『一部ならね。それも知識として知っているだけで、自分で調査した訳ではないし推測も多いわ。知識の出所は内緒よ? いろいろ面倒だから聞かないでね。アキラが100年ぐらい細かな規約を聞き続けた上で、いろいろな条件に同意するなら話は別よ? 聞きたい?』
アルファが不敵に微笑む。アキラは苦笑を返した。
「知識の出所を聞くのは止めておくよ。それで、あの暴食ワニみたいなモンスターは何で存在してるんだ?」
『恐らくは何らかの研究の実験体が逃げ出して野生化したのでしょうね。元々は軍事用の高度なサイボーグでも作る気だったのかもね。メンテナンス不要な自動修復機能を持つ生物に近い機械や、自身の部品の修理製造も可能な機械を人間と統合する研究でもしていた。それを可能にするナノマシンの作成を目指していた。その研究の過程で人体実験の前に犬やワニで試そうとした。ある程度成功して次の段階に進もうとしたら、戦争でも起きて実験体は逃げ出してしまった。そんなところだと思うわ。まあ、誰かが悪ふざけで造って野に放った可能性もあるわ』
アキラがいろいろと想像して顔を少し嫌そうに歪める。
「……どちらにしても良い迷惑だ。旧世界の人間は一体何を考えてたんだ?」
『今の文明の技術に比べて、旧世界の技術は異常なまでに高度だわ。いろいろできてしまうから、いろいろ試したくなってしまう。そういうのは今も昔も変わらないわ。その程度を誤るとその文明は滅んでしまい、旧世界の仲間入りをする羽目になるのよ』
「すると、今もどこかで誰かがやらかして、明日にでも滅ぶ可能性もあるのか」
『多分ね』
「……少なくとも、今の文明は俺が死ぬまでは保ってほしいな」
アキラは何となくそう思った。それを保証するものは世界のどこにも存在しない。
遺跡探索を続けていたアキラは他の建物とは一線を画する邸宅を発見した。他の建物と同様に年数劣化で傷んでいるが、それでも裕福な者が住んでいたことを匂わせる雰囲気を漂わせている。
他の家屋より高価な遺物が残っているかもしれない。アキラはそう判断すると内部の探索を始めた。
その期待はあっさりと裏切られた。邸宅には無数の部屋が存在していたが、基本的にほぼ全て空だった。大勢の他のハンターがアキラと同じことを考えて、邸宅に残っていた遺物を争うように持ち出した結果だ。そこらの廃屋で見付かったなら見逃される安値の遺物であっても、これほどの豪邸の中にあったのなら高価な遺物に違いないと思われて、一切合切持ち出されていた。残っているのは積もった塵や埃ぐらいだった。
アキラは少し意地になって館中を見て回っていたが、どの部屋も空ばかりだった。段々と部屋の中の確認が適当になっていく。空の部屋を確認する徒労にアキラは辟易し始めた時、アルファが急にアキラを呼び止める。
『アキラ。待って。その部屋に入って』
アキラは言われた通りに部屋の中に入ると、態々指示を出したのだから何かあるのだろうと考えて、部屋の中をしっかりと見渡した。しかし部屋の中は間違いなく空だった。
「この部屋がどうかしたのか? 何にもないぞ」
『隠し扉のようなものがあるわ。恐らく地下室があるのよ。隠し部屋だと思うわ』
アキラが部屋の床を見る。床はタイル張りで隙間には埃が詰まっていた。その床の一部に緑色の枠が現れる。アルファがアキラの視覚を拡張したのだ。
アキラがそこに近付き屈んで床をよく見ると、詰まっている埃が少ない溝があった。溝に指をかけて床のタイルを開くと、取っ手が隠されていた。
「これか。どうやって見つけたんだ?」
『情報収集機器で採取したデータを私の高度な演算力で解析したのよ。凄いでしょう?』
さあ褒めろ。そう言わんばかりの態度でアルファが微笑む。
「凄い」
『……あら、随分素直ね』
「えっ? いや、凄いじゃないか」
『そう。凄いのよ。私のサポートの凄さを分かってもらえて嬉しいわ』
素直に称賛したアキラの態度に、アルファは一瞬だけ少し意外そうな顔を浮かべていたが、すぐに普段の微笑みに戻していた。
称賛を要求する自分をアキラはいつものように流すだろう。アルファはそう予測し、異なる結果を確認した。予測と結果の差異は、アキラの観察が不十分なことを意味する。アルファがアキラという人格を未だ掴み切れていないことを意味する。
更なる観察が、行動予測の修正が必要だ。アルファはそう結論付け、それを一切顔に出さずに微笑んでいた。
アキラが取っ手を握り、隠し扉を開けて地下室に降りた。地下室は光源が一切ないため真っ暗だ。入り口から入ってくる光も元の部屋が薄暗いため頼りない。
隠し部屋ならばまだ高価な遺物が残っているのではないか。アキラはそう期待しながら携帯照明を点けた。
地下室が人工の光で照らされる。アキラの目に四方をコンクリートの壁に囲まれた地下室の光景が映し出された。地下室は空っぽで、床、壁、天井以外に見えるものは埃ぐらいだ。その埃すら少ない。
アキラが何とも言えない表情をアルファに向けると、アルファが取り繕うように微笑み返した。
『何もないわね。残念だけれど既に見付けた人がいて全部持ち出したのかしら。……私の所為ではないわ』
アキラには別に責める気などなかったのだが、アルファの妙に言い訳じみた返事を何となく面白く思い、冗談半分で軽く答える。
「……いや、実は更に隠し部屋があるんじゃないか?」
『私が調べた限りではないけれど、もう少し調べてみる? もし存在していて私に見つけられないのなら、情報収集機器の感度の所為になるわ。壁や床にギリギリまで近付いてみて』
アルファから希望を残す返答が戻ってきたので、アキラは念のため調べることにした。壁に鼻先が擦りそうなほど近づいて隙間のようなものがないか見てみたり、床に寝そべって埃が積もっていない場所を探したりした。しかし隠し扉の隙間など、それらしいものは見つけられなかった。
「……ないな。アルファ。そっちは何か見つかったか?」
『残念ながら何も』
「……。帰るか」
アキラは照明を消して地下室から出ようと梯子を登ろうとする。だがそこで止まり、手を伸ばして地下室の入り口を閉めた。光源がなくなった地下室が真っ暗になる。
そのままアキラは地下室を軽く見渡したが、何も見えなかった。
「駄目か。隙間があれば、そこから光が漏れたりしないかと思ったけどな。考えてみれば、そもそもここは地下だし意味ないか」
アキラは今度こそ諦めて地上部分に戻ろうとした。しかしその前にアルファが笑って予想外のことを言い出す。
『いいえ、見つかったわ。アキラの勘は外れたけれどね』
真っ暗な地下室でもアキラにはアルファの姿がはっきり見えている。元々アルファの姿は映像情報のみの作り物で、光源など関係ないからだ。そしてアルファ以外何も見えなかったアキラの視界に、色彩を抜いた地下室の光景が加わった。
『アキラの視界を拡張して、情報収集機器で取得した情報を基に作成した映像情報を追加したわ。色はないけれど、十分でしょう?』
白黒の濃淡で表示される地下室に色彩豊かなアルファの姿が見える。アキラには白黒映像の一部分だけがカラーになっているような少し妙な光景が見えていた。
「……よく見えるようにはなったけど、何が見付かったんだ?」
アルファが床を指差す。アキラがそこを見ると、床に円の中に人の足の裏のようなものが書かれたマークが書かれていた。
『透明な蓄光塗料で書かれているわ。分かり易く表示しているけれど、実際には真っ暗な状態で、かつ情報収集機器の感度の限界で、辛うじて読み取れる程度の発光しかしていないわ』
「……ここに立てってことか? 地下室に何でこんなものが書かれているんだ? 旧世界の文化か何かなのか?」
『さあ、そこまでは。私の旧世界の知識にもそんなものはないわね』
「せっかく見つけたんだ。立ってみるか」
アキラは自分の足の裏を床の印に合わせるようにして立ってみる。するとアキラ達以外には誰もいないはずの地下室にメイド服を着た女性の姿が突然現れた。少し驚いたが、同じような経験はアルファで体験済みだ。アルファの仕業だと考えて視線をそちらに向ける。
しかしアルファはそれらしい態度を返してこなかった。
『何も起こらないわね』
「アルファ。何の真似だ?」
『何の真似って、何が?』
アキラが表情を険しくさせるが、アルファは全く見当が付かないという態度をしている。
「何って、俺の前にいるやつ……」
アキラがそう言った瞬間、アルファがアキラの強化服を操作してアキラを力尽くで円の外に引き出した。
「急になんだよ!?」
本当に急だった所為で強化服の動きに付いていけない体に強い負荷が掛かり、アキラは少し体を痛めていた。その痛みと急な動作の不満を表情と視線に乗せてアルファに向ける。
だがアルファはそんなことなどどうでも良い剣幕で、真剣な表情で叫ぶ。
『頭痛は!? 吐き気は!? 意識はしっかりしている!? この声は聞こえている!? 私の姿はしっかり見えている!?』
アキラはアルファのその唯事ではない剣幕に驚き、少したじろいでいた。
「だ、大丈夫だ。頭痛も吐き気もないし、意識もしっかりしている。ちょっと体が痛むだけだ」
『そう。良かったわ』
アルファは安堵の息を吐いてアキラに笑いかけた。
『アキラ。さっき見えたと言っていた誰かは、今も見えている?』
アキラは視線を人影の方に移すが、その人影は完全に消えていた。
「……いや、見えなくなった。で、一体何だったんだ? 何でそんなに慌てていたんだ?」
アルファが真面目な表情で話し始める。
『今から説明するわ。今、アキラは死にかけたかもしれなかったの』
「し、死にかけたって、どういうことだ?」
『アキラの脳には無線のような通信機能がある。前にそう説明したわね? それは旧領域接続者と呼ばれる人の能力なの。アキラはついさっきその弊害で死ぬ危険性があったの』
訳も分からず死にかけたと聞かされて驚くアキラに、アルファがその理由の説明を続ける。
東部に現存する旧世界の施設を繋いでいると考えられている旧世界のネットワークは、今では旧領域と呼ばれている。本来その旧領域には旧世界製の接続機器などの特別な遺物を介さなければ接続できない。
しかし東部にはごく稀に、そのような特異な遺物も無しに生身の脳だけで旧世界のネットワークに接続可能な人間がいる。旧領域接続者と呼ばれる者達だ。
『……それで、アキラもその旧領域接続者なのよ。自覚はないと思うけれどね。アキラが私を認識できるのも、私のサポートを受けられるのも、アキラが旧領域接続者だからなのよ』
アキラはかなり驚きながらも怪訝そうな顔を浮かべている。
「それと、俺が死にかけた理由がどう関係するんだ? 俺が見た誰かが旧領域接続者にしか見えないやつだったとしても、それで死ぬってことはないだろう? そういうやつを見ると死ぬのなら、アルファを何度も見ている俺はとっくに死んでいるはずだ」
『旧領域接続者にも能力に差異があるのよ。旧領域から取得可能な情報の種類や量には個人差があるわ。アキラは偶然にも私と相性が良かったのよ。アキラが見た人間は旧領域上の存在である可能性が高いわ。旧世界ではそういった実体を持たない者を自分の視覚や聴覚に拡張表示させて、いろいろなサポートをさせていたことがあったの。施設の備品として存在することもある。道案内をさせたり、施設の案内をさせたり、情報取得の手助けをさせたり、いろいろね。旧世界では旧領域接続者なんて珍しくなかったのでしょうね』
「凄く便利そうだなって感想しか思いつかないけど、何か危険なのか?」
『アキラが見たという人を私は認識できなかったけれど、アキラにはどんな人が見えていたの?』
「メイド服を着た女性だ。危険な感じはしなかったけど」
『本来危険なものではないからね。問題は彼女が旧世界の存在で、旧世界の人間用の装置であり、今の人間の事情を一切考慮しない可能性が高いことなの。アキラが彼女を認識できたことで、アキラには送信される情報を問題なく処理できる能力があると誤認する可能性が高いわ。仮定の話になるけれど、アキラが見た彼女がこの館の管理人格で、アキラにこう尋ねたとするわね。この館の情報が必要ですか? アキラは何て答える?』
「ああ、とか、欲しい、とか、お願いします、とかだな」
『そう答えると、アキラは死にかねないわ』
「そんなことで死ぬの!?」
予想外の返事に驚愕したアキラに、アルファが念を押すように説明を続ける。
『言ったでしょう? 今の人間の事情を一切考慮しない可能性が高いって。この館に関する全ての情報がアキラに送信される可能性があるわ。例えば館の構造情報が、分子レベルでの物理演算を可能にするほど詳細に、大量に、一度に送信されるかもしれないわ。許容量を超える情報をアキラの脳がノイズとして無視すれば良いけれど、アキラの旧領域接続者の能力が下手にその情報を受け入れようとしたら、高確率で廃人か脳死ね。実際そうやって死ぬ旧領域接続者は多いみたいよ』
アキラは絶句していた。そして暫くして我に返ると、深呼吸をして何とか気持ちを落ち着かせた。その間アルファは黙って待っていた。
『落ち着いた?』
「な、何とか。……アルファ。さっきの質問には、何て答えるのが正解なんだ?」
『そうね。いいえ、と答えるべきね。あるいは、極めて精度の低い情報を、視覚的に処理可能な形式で、ぼやけた映像情報としてほしい、とか言ってみれば良いかもね。或いは手持ちの情報端末に送信してくれと頼んで、その受信形式を説明してみるとか、いろいろ考えられるわ。それでも絶対安全とは言い切れないけれど。こちらの了承を得ようとする礼儀正しい相手なら大丈夫かもしれないってだけで、承認を取らずに送ってくる場合もあるわ』
「……その場合、打つ手無しか? 何とかならないのか?」
アキラが表情を険しくする。自身が旧領域接続者だと教えられ、即死する危険性を教えられ、対抗策も存在しない。それは幾ら何でも勘弁してほしいからだ。
アルファが唐突に普段と異なる口調で話し始める。その表情もどこか能面のようだった。
『対象者の生命維持に対する致命的な損害を回避するため、ネットワーク経由での入力情報に対し、呼称アルファによる中継処理を許可しますか? 詳細な処理内容については、第一に……』
アキラは以前の出来事を思い出すと、説明を遮って答える。
「許可する」
『許可受諾を確認しました。……まあ、これである程度は大丈夫よ』
アルファの口調と表情が元に戻ったのを見て、アキラは内心少し安心した。
「今のはあれだろ? 前にもあったあの面倒な許可のやつだよな?」
『そうよ』
「前もってやっておけなかったのは、あれか、許可を得る為の許可がないってやつか」
『そういうこと。いろいろやって良い許可を前にアキラから貰っているけれど、そのいろいろに含まれていないものも多いのよ』
「そういうのは、まだたくさんあったりするのか?」
『勿論。山ほど残っているわ。具体的な内容は話さないし話せないわ。理由は分かっているわよね?』
「分かってるよ。聞くと100年かかる上に、許可を得る為の許可がないんだろ?」
『話が早くて助かるわ』
アルファはそう言ってどこか楽しげに微笑んだ。アキラはアルファに苦笑を返しつつ、取りあえずこれで即死する危険性は劇的に下がったのだろうと思って安堵した。
アキラは再び照明を点けてから、もう一度先ほどの位置に立つ。すると色彩を取り戻した地下室に、再びメイド服の女性が現れた。
容姿端麗な女性が静かで愛想の良い微笑みを浮かべている。黒と白のみで構成されたメイド服には、実用性など完全に切り捨ててファッション性のみを重視した装飾が施されている。その装飾の為に布地が潤沢に使われており、きめ細やかな肌の露出を顔と首に止めている。黒い靴の先がスカートの先から僅かに見えており、両手には白の手袋を着けている。黒髪を纏めるリボンは非常に長く、重力を無視して宙に舞っていた。
確かに見えるが実際には存在しない。アキラはそのアルファと似た存在を興味深く見ていた。
「アルファには見えないんだっけ?」
『大丈夫よ。さっきの許可で私にも見えるようになったわ。ただし向こうが私を認識できるわけではないから気をつけてね』
「分かった。すると向こうには俺が独り言を言っているように見えているのか」
『見えていればね。単なる映像データなら、人型の看板と同じよ』
「そういえばさっきから動いていないな。えっと、聞こえてる?」
女性がアキラの呼びかけに応じて恭しく一礼する。
『初めまして。新規ユーザの登録処理を御希望で御座いますか?』
アキラには女性の説明の意味が分からない。だが先ほどのアルファとの会話を思い出して、まずは断ることにする。
「いいえ。ちょっと聞きたいことが……」
『畏まりました。当製品の御利用を心からお待ち申し上げます』
女性は再びアキラに一礼した後、その場から姿を消してしまった。
「……何だったんだ?」
『実体はない。呼びかけることで反応する。提案を拒否すると消えてしまう。一回その場から離れて、今度は前向きに検討するので説明してほしいとか言ってみたらどう?』
「やってみるか」
アキラは一度その場を離れてから、また同じ場所に立つ。するとまた先ほどの女性が再び現れた。
「少し聞きたいことがあるんだけど」
アキラがまた呼びかけると、女性は再び動き出して恭しくアキラに一礼する。
『初めまして。新規ユーザの登録処理を御希望で御座いますか?』
『それを検討するためにいろいろ話を聞きたいのだけれど、構わないかしら?』
今度は先にアルファが尋ねてみたのだが、女性は全く反応を示さなかった。
『駄目ね。アキラ。情報端末を出して』
アキラが情報端末を取り出すと、情報端末からアルファの声が出る。
「いろいろ検討したいから、この端末にそちらの情報を送ってほしいのだけれど、可能かしら?」
アキラしか聞こえない念話ではなく、アルファのしっかりとした音声が地下室に響いた。しかし女性は何の反応も示さなかった。
『これでも駄目か。アキラが言ってみて』
「この端末にそっちの情報を送ってほしいんだが、できるか?」
女性が漸く反応を示す。
『畏まりました。御利用を御検討いただき、誠にありがとうございます』
アキラが手元の端末を見る。しかし何か変化が起きているようには見えなかった。
『端末の受信部に反応はないわ。残念だけれど、この端末が受け取れる形式の情報ではないみたいね。もう諦めて帰る?』
「諦めなかった場合、どういう手があるんだ?」
『アキラを経由して情報を受け取る手があるわ。彼女の姿が見えている以上、アキラには情報の受け取りが可能よ。ただし、さっきも説明したとおり一定の危険はあるわ。私が可能な限り安全にするけれど、絶対はないわ。どうする?』
アキラが少し悩んでから答える。
「……やる。ここまでやってよく分からないで帰るのは気になるし、ハンター稼業に危険は付きものだろう」
『分かったわ。情報は少しずつ送るよう厳命してね。何か異常を感じたら、すぐにその場から離れること。恐らくアキラがその場所に立っていないと情報が送られることはないはずよ』
アキラが覚悟を決めて口に出す。
「……その情報端末ではなく、俺に情報をできるだけ少しずつ送ってくれ」
女性が再び一礼する。
『畏まりました。情報を送信いたします』
アキラは何かあればすぐにその場を離れられるよう身構える。しかしその決意と覚悟は裏腹に、特に異状は感じられなかった。頭痛も吐き気も覚えない。意識もはっきりしている。視界がぼやけるようなこともない。
『アキラ。もう終わったわ。大丈夫よ』
「随分早いな。凄く覚悟したんだけど、何も感じなかったぞ?」
『途中からアキラを介さずに直接私が情報を受け取れるようにしたからね。アキラを経由した通信を最小限に抑えて、簡単に説明すると、先に連絡先だけ交換して後は私が連絡を取って直接いろいろ聞き出せるようにしたのよ』
「そうか。結局彼女は何だったんだ? 姿も消えているし」
『話すと長くなるから、今日はもう帰りましょう。直接お金になるわけではないけれど、結構収穫は多かったわ。今日は情報収集機器を試すだけだったのに、予想外の成果があったわね』
「そうなのか? まあいいや。後で説明してくれ」
その後、アキラは遺跡探索を切り上げた。バイクは無事だったので、徒歩で都市に戻る羽目は避けられた。