268 キャロルの判断
キバヤシと別れたアキラはクガマヤマ都市とは逆方向に暫く進んだ辺りでバイクを停めた。廃墟の残骸の陰に身を隠して一息吐く。
「取り敢えず、流石にまだ狙われてはいないみたいだな。……だよな?」
アルファが笑って頷く。
『大半のハンターは、まだアキラに賞金が懸かったことも知らないでしょうからね。暫くは大丈夫よ。落ち着いてこれからのことを考えましょう』
「そうだな」
モンスターに賞金が懸けられると周辺のハンター達にハンターオフィスから通知が届く。これによりハンター達は受動的にその情報を得る。しかし人間に賞金が懸けられた場合はそうはならない。これは賞金を懸けられた者が賞金を懸けた者と交渉して賞金を取り下げてもらう猶予などの為だ。
人間の賞金首が新たに出たことぐらいは調べればすぐに分かる。それでも能動的に調べる必要があるので、一斉通知による周知よりは情報が広まるのに時間がかかる。その時間が猶予だ。
尤もアキラの場合はモンスター認定も一緒に受けているので、クガマヤマ都市と提携している警備会社などには通知が飛んでいる。それにより付き合いのあるハンターなどからアキラの情報が広まるのは時間の問題だ。加えてアキラには交渉で賞金を取り下げてもらおうなどという考えなど欠片も無かった。
都市に戻れない以上、アキラの生活は荒野で野宿が基本となる。期間も不明確で、モンスターは疎か自身を狙うハンター達の襲撃まで気を付けなければならない。
当面をどう乗り越えるか。アキラがその相談をアルファと続けていると、キャロルからアキラのハンターコード宛てに通知が届く。中身は秘匿回線への接続コードだった。アキラはアルファと顔を見合わせた後、少し迷ってから接続を繋いだ。
「アキラ。無事なようね。良かったわ」
「キャロル。何の用だ?」
「私の護衛を碌な説明も無く一方的に破棄しておいて、何の用だ? は、ないでしょう?」
キャロルの少し怒っているような声を聞いて、アキラがどこかばつが悪そうな顔を浮かべる。
「あー、悪かったよ。急いでたし、いろいろあったんだ」
「それは仕方無いわ。でも今はこうして連絡を取れるぐらいには落ち着いたんでしょう? 一度会って話しましょう」
アキラが少し表情を険しくして、僅かに間を開けてから答える。
「……いや、実は、あの後にもいろいろあって、それはちょっと難しいっていうか……」
適当にごまかしながら断ろうとするアキラに、キャロルが真面目な口調で告げる。
「リオンズテイル社と揉めて500億オーラムの賞金首になったことと、クガマヤマ都市からモンスター認定を受けたことなら知ってるわ」
アキラが思わず口を閉ざす。その沈黙には雄弁な警戒の気配が漂っていた。それを察したキャロルが続ける。
「言っておくけれど、私にはアキラと敵対する気なんて欠片も無いわ。信じられない。直接会って話すなんて以ての外だ。そう答えるなら、これ以上何を話しても無意味ね。通話を切って」
それでキャロルも黙った。どこか緊張感の漂う重苦しい沈黙が続く。そして1分後、アキラが軽く息を吐いた。
「分かった。会おう」
それで空気が弛緩した。キャロルからも安堵したような口調の声が返ってくる。
「ありがとう。それじゃあ、どうやって落ち合う? あんまり荒野をうろちょろしたくないんでしょう? 良い方法があるなら言って。私はそれに合わせるわ。特に無いなら私の方で考えるけど」
「そうだな……」
アキラはアルファと裏で相談しながら、落ち合う方法をキャロルと決めた。
「分かったわ。じゃあ、話の続きはまた後でね。……アキラ」
「何だ?」
「信じてくれて、嬉しかったわ」
キャロルは嬉しそうにそう告げて通話を切った。
少し驚いたように意外そうな表情を浮かべるアキラに、アルファがやや怪訝な顔を向ける。
『アキラ。良かったの? 500億オーラムよ? 後で金に目が眩んで気が変わっても不思議の無い額だと思うけれど』
アキラが少し苦笑気味に軽く笑う。
「まあ、普通のやつならそうかもしれないけどな。でもキャロルは一晩100億オーラムのやつなんだし、その5倍程度なら大丈夫なんじゃないか?」
アキラもキャロルを完全に信じた訳ではない。だが不必要に疑うのを避ける程度には疑心を制御できていた。
『そういう考えも否定はしないけれど、絶対は無いわよ?』
「そんなものは初めからどこにも無いよ。それにキバヤシからも交渉事を不用意に蹴るなって言われたしな」
500億オーラムの賞金首となったアキラだが、クガマヤマ都市内部の権力争いやリオンズテイル社の支店間の軋轢、更には示談交渉を請け負う交渉人達など、様々な者が様々な目的でアキラに交渉を持ち掛ける可能性が高い。それらの交渉を上手く制御できれば十分な時間稼ぎになる。だから交渉を無条件に拒絶するな。面倒だったら自分に投げても構わない。アキラはキバヤシからそう言われていた。
「まあ、こんなに早く連絡が来るとは思ってなかったけどさ。一応は知り合いだし、ちょっと前まで雇われてた相手だし、今はアルファもいるし、大丈夫だろう」
それを考えが甘いと糾弾することも出来る。だが自分がいるから大丈夫だと言われると、アルファも駄目だとは言えなかった。少し苦笑気味に、しかしどこか嬉しそうに、相手の我が儘を許すように微笑む。
『仕方無いわね。最低限の警戒は保つこと。良いわね?』
笑って念を押すアルファに、アキラも笑って返す。
「分かってる。よし。行こう」
アキラはキャロルとの合流場所に向けて再びバイクを走らせた。
キャロルは荒野仕様の大型キャンピングカーをミハゾノ街遺跡から西へ向けて走らせていた。直に日の沈む夕暮れの中を大型車でも容易に通行可能な地形を選んで進んでいく。
車載の索敵機器には周辺広域にちらほらといるモンスターらしい反応が映っているが、相手との距離や荒野仕様大型車特有の物騒な気配などのお陰で近付いてくる様子は無い。その様子から問題無いと思いながら運転を続けていると車両の近くに突如反応が現れた。
キャロルがそれに気付いて警戒を強めた直後、車両に短距離通信でアキラの声が届く。
「俺だ。アキラだ」
アキラはキャロルの移動ルートに先回りした上で、アルファのサポートによって自身の反応を消していた。強化服の迷彩機能を使用して身体を消し、更にバイクの展開式力場装甲を微弱に発生させて周囲の地形に紛れ込ませていた。加えてアルファの索敵により、キャロルの跡をつける者がいないことを確認してから、迷彩を解いてキャロルの車両へ向けてバイクを走らせた。
「そのまま停まらずに車両の後部扉を開けてくれ」
「分かったわ」
キャロルは車を自動操縦に切り替えて車両の後部に移動すると、格納スペースになっている後部の扉を開けた。
扉が十分に開くのと同時に、荒野をバイクで走っているアキラがバイクごと車内に飛び乗ってくる。すぐに扉がしっかりと閉められて、外部との情報を遮断した。
「アキラ。お帰りなさい。まずはゆっくり休んで……と言う前に、まずはアキラの装備を整えておきましょうか。手伝うわ」
キャンピングカーにはアキラの予備の弾薬類などが積み込まれている。キャロルの護衛を期限不明で続ける予定だったこともあって、その分だけ大量に運び込んでいた。
「そうか。悪いな」
アキラがキャロルに手伝ってもらいながら装備を整える。銃に弾丸を詰め直し、バイクに予備の弾薬を積み込む。銃と強化服のエネルギーパックを交換し、バイクのエネルギータンクも交換する。ブレードの刃も交換し、バイクの武装の液体金属も補充する。回復薬を追加で服用し、キャロルから飲み物を貰って喉を潤し、大きく息を吐く。これで取り敢えず、ミハゾノ街遺跡で襲われてから消費したものは一通り回復した。
「アキラ。何なら話の前にお風呂にでも入っておく?」
「風呂?」
「そう。お風呂。いろいろあって疲れてるでしょう? 話は長くなるかもしれないわ。疲れたまま付き合わせるのもね」
「いや、別にそれぐらい……」
「それにアキラは都市に戻れないから宿にも泊まれないでしょう? 下手をすると、これが最後の機会かもしれないわよ?」
思わず言葉を止めたアキラに、キャロルが当然のことのように忠告する。
「あ、言っておくけど、近くの他所の都市まで行けば大丈夫とか思ってるなら、考えが甘いわよ? 大抵の都市は近隣の都市と相互防衛契約とか結んでるから、クガマヤマ都市からモンスター認定を受けたことを理由に、立ち入りに難色を示されるかもしれないわ」
心を大きく揺るがされたところに追撃を受け、アキラの顔が迷いで険しく歪んでいく。毎日風呂に入る生活に慣れきってしまったアキラには非常に重要なことだった。それでも数秒の沈黙を挟んで大いに迷った後、苦渋の決断を下した。
「い、いや、話を先に済ませよう。何があるか分からないんだ。ここに来た用を先に済ませる」
「そう? じゃあ、あっちで話しましょう」
キャロルが車内のリビングルームへ向かう。アキラは判断を早まったかもしれないと今更悩みながらその後に続いた。
アキラ達はリビングに向かい合って座り、まずは現状の情報共有を始める。キャロルはヴィオラに依頼して得た情報をそっくりそのままアキラに見せた。ヴィオラ自身もアキラの情報を知りたかったこともあり、短い時間で可能な限り調べ上げていた。
その情報の中で、アキラとクロエの戦闘は、ハンターとリオンズテイル東部三区支店の間で行われた遺物譲渡交渉の決裂を起因とする突発的な事態として記されていた。このようなことは遺跡で貴重な遺物を発見したハンターとその遺物をどうしても手に入れたい企業の間でままある事態であり、部外者に記録の改竄等を疑わせる内容ではない。つまり、当事者以外にはそう判断されているという情報でもあった。
そしてアキラはキャロルにクロエ達との戦闘の経緯などを普通に隠さずに話した。それを聞いたキャロルがかなりの驚きを見せる。
「……そのカードを貸すかどうかでそこまで揉めたの? カード自体はもうアキラは持っていなかったのに? その時に誰がカードを持ってたかも、所詮はリオンズテイル社内部の揉め事でアキラには関係無いのに? そもそも普通に貸すって言うだけで、大金とリオンズテイル社への貸しが手に入ったのに?」
「……そうだよ」
そう言って少し不機嫌になったアキラを、キャロルが笑いながら宥める。
「怒らせてしまったのなら御免なさい。別にアキラを悪く言うつもりは無かったの。そういう変に融通の利かないところも、裏を返せば契約に対して極めて誠実ってことだし、私はアキラのそういう面倒臭いところも大好きよ? ある意味で、凄く信用できるってことだからね」
「そ、そうか」
随分と上機嫌にも見えるキャロルの様子に、アキラは少し戸惑いを覚えていた。やったことに後悔こそ無いが、普通の感覚ならば、下手に意地を張って馬鹿な真似をしただけだという自覚も多少はある。それを随分と評価されたことに、機嫌良く笑っていたキバヤシの態度と似通ったものをキャロルから感じてしまい、僅かに覚えた不満など吹き飛ばされていた。
「さて、前提情報の共有は済んだわね。それじゃあ本題に入りましょうか。まあ、話自体は簡単で、アキラに私の護衛を続けてほしいってだけなのよ」
アキラの顔が困惑で歪む。言われたことは理解したが、言われた内容は理解できなかった。言われたことを頭の中で反芻し、聞き間違えや認識の誤りなどが無いか自身に問い質し、間違いなく護衛の継続を頼まれていると再確認して、少々混乱を顔に出す。
「……いや、待ってくれ、俺は今、賞金首になっていて、それも500億オーラムって大金で、ハンターとかから狙われる立場なんだけど?」
「知ってるわ」
「その状態で護衛なんてしたら巻き込まれるだろ?」
「でしょうね」
「俺はクガマヤマ都市からモンスター認定を受けた所為で都市に入れないし、リオンズテイル社っていう大企業と敵対してるんだぞ?」
「分かってるわ。あのね、アキラ。その辺の情報共有はさっきしっかり済ませたばかりでしょう? 私はそれを全部分かった上で頼んでるの」
理解したが理解出来ない状況に、アキラは思わず言葉を止めた。そして困惑を更に高めて、それを短く口に出す。
「……何で?」
今の自分に護衛を依頼する意図が全く分からない。それをありありと顔に出して軽く狼狽えているアキラとは対照的に、キャロルは平静を保っていた。
「その、何で、は、そんな自分に何で護衛を頼むんだっていう意味の他に、その背景とかをいろいろ詳しく説明してほしいって意味とか、いろいろな意味での何でなのであって、細かく答えても切りが無いのでしょうから、纏めて答えておくわ。私はアキラに護衛を頼むデメリットを全部分かった上で、それでもアキラに護ってもらえるというメリットの方が大きいと判断した。だから護衛の継続を頼んでいるの」
キャロルが真面目な顔でアキラの方へ身を乗り出す。
「それで、どう? 護衛の継続、受けてもらえない?」
アキラは自分が平静を少々欠いていると自覚していた。混乱の続いている頭を整理しようと、取り敢えず質問をしようとする。だがその前にキャロルに釘を刺される。
「先に言っておくけれど、依頼を受けられない理由が、賞金首の状態で護衛なんて引き受けても護衛対象を巻き込むだけだ、だから受けられない、その手の私のデメリットが理由なら引き受けて。さっきも言った通り、私は分かった上で頼んでいるわ」
聞こうとしていた内容を纏めて潰されたアキラが黙る。更にキャロルが続ける。
「アキラのデメリットで受けられないのなら、私も可能であれば譲歩するわ。何かある? あるなら言って。その摺り合わせの為の交渉だからね」
アキラは護衛を引き受けた場合のデメリットを考えてみた。しかし、キャロルを巻き込むというもの以外は浮かんでこなかった。逆にキャロルからデメリットが告げられる。
「私の護衛をする以上、足手纏いが増えるというデメリットは確かにあるわ。でもそこは私も一緒に戦うってことで相殺してもらえない? これでも装備だけは調えたつもりだから、そこまで足手纏いにはならないと思うわ。少なくとも私の護衛を続けるメリットを吹き飛ばすほどではないはずよ?」
そしてキャロルはアキラが護衛を続けた場合の利益を笑顔で話していく。
キャロルと一緒に行動するので当然ながらキャンピングカーを使用できる。荒野で寝泊まりしても風呂や柔らかなベッドでの睡眠を維持できるのだ。食料や予備の弾薬等も車両に大量に詰め込める。長期間荒野を彷徨う事態になっても、バイクでの移動とは日々の生活水準に雲泥の差が生じる。
安全面でもキャロルのキャンピングカーに搭載されている高性能な索敵装置が使用できる。車両の装甲はバイクより数段上だ。戦闘でも、アキラ一人よりキャロルに手伝ってもらった方が単純な火力でも戦術でも勝る。良いこと尽くめだ。
アキラもそれらの説明に異存は全く無かった。だがそれでも、そうか、それじゃあ、と納得して護衛依頼の続行を引き受けることは出来なかった。寧ろより怪訝な顔付きになって難色を示していた。
キャロルも流石に笑顔を崩す。
「私としては物凄く良い話を持って来たつもりで、だから自信を持ってアキラを呼んだのだけど、何が駄目なの?」
その尤もな不満に対し、アキラも理解を示した上で、どこかすまなそうに顔を歪めていた。
「いや、物凄く良い話ってのは、俺もよく分かるんだけどさ」
「じゃあ、何が不満なの?」
キャロルはそう言って真面目な顔でアキラを見詰めた。その顔には焦りと不安が僅かに滲んでいた。
アキラが首を縦に振れない理由は、キャロルの話が自分にとって余りにも都合が良すぎるからだ。そしてその都合の良さを、幸運として素直に受け入れるのではなく、何らかの罠だと警戒してしまう思考にあった。
アルファに確認を取るか。そうも考えたアキラだったが、取り止めた。少しは自分で判断する。騙された時は、自分が間抜けだっただけ。元々その考えでキャロルの護衛を引き受けたこともあり、アキラは自分で考えようとしていた。
アルファに判断を投げずに自力で考える分だけアキラの思考時間が延びていく。その沈黙にキャロルが少しずつ焦りと怯えを強くしていく。そして更に沈黙を挟んだ後、キャロルの表情に気付いたアキラは、自分が考えすぎていることに気付いた。
「キャロル」
「な、何?」
「これだけ聞かせてくれ。俺はリオンズテイル社ほどの大企業との交渉を蹴るなんて普通なら絶対しないことをした上に、その企業の人間と殺し合って500億オーラムの賞金を懸けられるようなやつなんだけど、本当にそんなやつに護衛を続けて頼むのか? 護衛を頼んだことで変な騒動に巻き込まれても、それが俺の所為じゃなければ気にしない。その辺もちゃんと考えた上で頼んでいる。前にそう言ってたけどさ、限度はあるんじゃないか? 本当に良いのか?」
自身の一連の行動を客観視して恐らく一般的な価値観で判断すれば、間違いなく頭のおかしい人間に区分されるだけのことはした。アキラもそう理解しており、その自覚ぐらいはあった。自覚しているが、自身を止められないだけだ。
だからこそ、その自分に護衛を頼むなど、アキラには何らかの裏があるとしか思えなかった。しかしそれをそのまま告げるのは、キャロルのことを信じられないと言っているのと同じだ。曲がり形にも、アキラはキャロルを信じてここにいる。少なくとも自分の敵ではなく危害を加えるつもりも無いはずだと判断している。
そして裏を全て話せと言っても無駄だと理解している。裏の何某らの事情が、自分を敵に回すような内容ではないと、キャロルから既に告げられている。
無条件に信用も信頼も出来ない。だが条件付きでなら信用し信頼も出来るかもしれない。アキラはその条件を求めるように、敢えてキャロルに疑い深く尋ねていた。
一方、そう疑い深く問われたキャロルは、少し意外そうな顔を浮かべただけで軽く笑って返した。
「そんなことを気にしてたの? 大丈夫よ。前にも言った通り、アキラの所為じゃないなら私は気にしないわ。リオンズテイル社と戦って賞金を懸けられた経緯の詳細を聞いても、アキラの所為じゃなかったしね」
キャロルは何でもないことのようにそう軽く答えた。
だがそのキャロルの態度とは対照的に、アキラの反応は大きかった。かなり驚いたように目を大きく開き、キャロルを非常に意外そうな目で見る。
「アキラ。どうしたの?」
「い、いや、何でもない。……その、俺があいつらと揉めたことなんだけど、キャロルも俺の所為じゃないって考えなのか?」
どこか恐る恐る聞き返してきたアキラに、キャロルは多少アキラを贔屓した判断だと自覚しながらも本心で告げる。
「まあね。騒ぎの規模はデカいけど、乱暴に要約すれば、あいつらが遺物を寄こせってアキラを武力で脅したけど返り討ちにあったってだけでしょ? 悪いのは向こうよ。アキラじゃないわ」
「……、そうか」
「まあ、強いて言うのであれば、リオンズテイル社みたいな大企業に突っ掛かるなんて何やってるんだってところが、アキラの悪い部分かもね。でもアキラのその辺の融通の利かないところは今更だし、本人が自分の意思で意地を張ってるのだし、他人がどうこう言うことじゃないわ」
キャロルがそこまで言ってから少し挑発的に微笑む。
「それに、その融通の利かない部分は、護衛を頼む者にとっては寧ろ利点よ。何しろそこまで融通が利かないのなら、途中で敵が強いから護衛やーめたなんて絶対言わないでしょう? リオンズテイル社ほどの大企業からあれほどの好条件を出されても蹴飛ばすんだもの。何があってもしっかり護ってくれるって期待しちゃうわ」
アキラが少し吹き出すように苦笑する。
「ものは考えようってことか」
「そういうことよ」
キャロルも笑って返した。そして一度表情を引き締める。
「……それで、どうかしら。納得してもらえたのなら、私の護衛を継続してほしいのだけれど」
「分かった。引き受ける」
これで断られれば後が無いと、内心で非常に緊張していたキャロルとは対照的に、アキラは余りにもあっさりとそう答えた。その所為でキャロルは喜びながらも軽く戸惑っていた。
「ありがとう。助かるわ。……でもそんな軽く受けるなら、ごちゃごちゃ言わずに引き受けてくれても良かったのに。もしかして、私を揶揄って楽しんでたの? 女のそういう楽しみ方は感心しないわよ?」
冗談半分に笑いながら誘うように聞き返すキャロルへ、アキラが軽く笑って返す。
「そんなんじゃないよ。まあ、俺も賞金首になったりモンスター認定を受けたりでいつも以上に疑い深くなってたんだ。悪かった。その分ちゃんと仕事をするから勘弁してくれ」
「期待して良いのね?」
「一応、仕事は真面目にやる方なんだ。そういう意味での、期待ならな」
「報酬をベッドの上で支払うとかの期待も含めちゃ駄目?」
「駄目だ」
「残念」
アキラとキャロルはそう軽い冗談を言い合うように笑いながら、護衛依頼の再締結を終えた。
その様子を、アルファが表面上は微笑みながら、じっと見ていた。
夜の荒野を進むキャンピングカーの中で、アキラがゆっくりと風呂に入って心身を癒やしている。様々なことが有りすぎた一日だったと、お湯に意識を半分溶かしながら入浴欲を満たしていた。
アルファは裸で浴槽に腰掛けている。実在しない水滴が髪を潤い輝かせ、きめ細やかな肌を伝い豊満な胸の先から滴り落ちて、優美な裸体に色香を加えていた。その光景はいつも通りアキラの視界に入っているが、いつも通りアキラには酷く軽んじられていた。
そこまではいつも通りの光景だ。だがアルファの表情はいつも通りではなく、少し気懸かりなものを漂わせていた。
『アキラ。今更だけど、キャロルの護衛を継続して良かったの?』
アキラはそのアルファの表情を見て、珍しい顔をしていると思いながらも軽く答える。
『ん? 良いんじゃないか? 護衛を続けたお陰で、こうして風呂にも入れるしな』
『入浴と、アキラの安全を引き替えにされても困るのだけれど』
『特に何かと引き替えにしたとは思ってないんだけど、何かあるか?』
『キャロルは一体何を恐れて護衛を頼んだのか。その何かが全く分からない状態で護衛を続けるリスクよ』
『まあ、それは分かるけど、そもそも初めからその辺は分かった上で護衛を引き受けたんだ。今更だろう』
『あの時と今では状況が違うわ。リオンズテイル社と敵対して、クガマヤマ都市からモンスター認定を受けた500億オーラムの賞金首と一緒にいるデメリットを相殺できるほど、キャロルはその何かを恐れている。彼女にも何か事情はあるのだと思うけれど、流石にそこまでの何かにアキラも巻き込まれる恐れを軽く扱うのは無理よ』
アキラも軽く頷いて納得は示した。だが意見は変えなかった。
『そりゃ裏はあるだろうさ。でもキャロルだって俺の事情に巻き込まれる覚悟を決めてるんだ。その辺はどっちもどっちじゃないか? 俺としては、俺にばっかり利点がある話を持ち掛けられたことも含めて、その辺のリスクを多少負うのは仕方無いと思うけどな』
入浴の快楽に屈したアキラが小さな声を漏らし、機嫌の良さそうな顔で浴槽に手を触れる。
『それに、護衛依頼を断ってたら、今頃荒野で野宿だろう? それも1日2日じゃなくて、下手をすれば3ヶ月ぐらいずっとだ。……無理だって。路地裏に転がっていた頃の俺なら出来たかもしれないけど、今の俺には無理だ。その路地裏未満の荒野で寝泊まりする日々を回避する為なら、多少のことは我慢するよ』
アキラは嫌そうな苦笑を浮かべながら顔を横に振った。アルファが呆れたように溜め息を吐く。
『全く、アキラも贅沢者になったわね。その程度の考えで引き受けて、もしキャロルが裏切ったらどうするの?』
『大丈夫だろう。まあそうなったらその時に考えるよ』
アキラは軽い調子でそう答えた後、アルファが妙にキャロルに厳しい態度を取っているような気がして、僅かに怪訝な表情を浮かべた。すると、アルファがほぼ同時に自信たっぷりに微笑む。
『その時は任せなさい』
アキラがその笑顔を見て、先程のアルファの態度を自身のサポートの有用性を自分に伝える為だったと判断し、そんな理由かと思って苦笑する。
『分かってるって。その時は頼んだ』
満足げに微笑んでいるアルファを見ながら、アキラは意識を再び湯に溶かしていった。
上機嫌で湯に身を任せるアキラへ微笑みを向けながら、アルファはアキラの返答に対して警戒を強めていた。
キャロルが裏切ったらどうするのか。その問いかけは確認だった。アルファは以前のアキラならば、その時は殺そう、と軽く答えていただろうと判断している。
しかし今の結果は異なっていた。大丈夫だろうと、裏切る確率は十分に低いと告げた上で、裏切った仮定での処置に対しても、その時に考えるという具体性に欠けた殺意の低い答えを返している。
それらの返答から、アルファはアキラがキャロルに随分と気を許していると判断していた。敵か、敵ではないか、その二択以外の存在に限りなく近付きつつあると警戒を強めていた。
人は肯定を望む。アキラも例外ではない。ミハゾノ街遺跡でクロエ達と敵対した自身の行動を肯定してくれたキャロルのことを、アキラは高く評価した。それでキャロルへの態度を変えたのだ。アルファはそう判断していた。
そしてそう考えて警戒しながらも、あの時のアキラの言動を肯定したのは自分の方が先であり、同じように肯定を示すのならば、先に肯定した方が効果が高いはずだとも考えていた。
危ないところだった。アルファは現状をそう判断した上で、だらしなく顔を緩ませているアキラを見ながら、アキラとキャロルを同じベッドで寝かせるのは阻止しようと考えていた。間違いが起こると、困るからだ。
実在しない者は、それを視認できる者の視界の中で、以前と変わらずに微笑みながら、以前と変わらずに思案を続けていた。