259 戦闘開始
アキラがキャロルのキャンピングカーで目を覚ました。護衛として突然何が起こっても対応できるように強化服を着たまま眠っていたが、身体への負荷を可能な限り抑える機能のお陰で睡眠に支障は無かった。
アルファといつものように挨拶しながら軽く伸びをすると、軽く柔軟体操をして体を解す。そして装備の点検をしているとキャロルが起きてきた。
キャロルは全裸に薄いシーツを羽織っただけの格好だ。シーツは肌を隠す役目を放棄しており、肌を適度に隠し透けさせて色気を加える作業に従事している。大金を投じて単純な身体能力強化の他に異性を魅了する能力を付加された裸体は、投じた費用に応じた艶めかしくも美しい色気を放っている。但し今はその裸体の持ち主に異性を誘う意気が欠けている為に、色気よりも芸術的な美しさの方を強く感じられた。
「アキラ。おはよう」
「おはよう。キャロル。……車内が家とほとんど変わらないからって、そんな格好で彷徨くのはどうなんだ?」
「良いじゃない。私とアキラしかいないんだから」
「いやいやいや、だから俺がいるだろう?」
アキラのある意味で尤もな意見に、キャロルは軽い溜め息を返した。
「そういうことを言うのなら少しは反応してちょうだい。アキラがあんまりにも反応しないから、これでも結構自負が傷付いてるのよ? それとも視界に入れるのも嫌なほど見苦しいって言いたいの?」
「いや、そんなことは言わないけどさ、普通はもうちょっとちゃんとするものなんじゃないか?」
「普通を語るなら、もうちょっと普通の反応が欲しいところね。はいはい。分かったわ。着れば良いのね」
キャロルはアキラの指摘を軽く流すようにそう答えると、強化服のインナーを着て戻ってきた。肌の露出は抑えられたが体型の凹凸は細かい部分まで見て取れるので造形だけなら全裸とほぼ変わらない状態だ。アキラは一応は着たからといってそれもどうかと思ったが、雇い主の判断なのでそれ以上は指摘しなかった。
一緒に朝食をとりながら、アキラが何となく思ったことを尋ねる。
「護衛の依頼って結構早く終わりそうなのか?」
「ん? そんなことないわよ? どうしてそう思ったの?」
「いや、護衛を頼んできた時の切羽詰まった雰囲気が無くなったように感じたから、問題の目処は付いたのかなと思って」
「ああ、そういうこと。悪いけど目処は全く付いてないわ。だから護衛はこれからも基本無期限で頼むつもりよ。私の予算とアキラの都合が許す限りね」
「そうなのか? まあ、いいけどさ」
勘違いだったかとアキラが軽く首を傾げる。だが実際にキャロルの雰囲気は大分和らいでいた。そして落ち着きながらもどこか親しげな笑顔をアキラに向ける。
「まあ、前より余裕を取り戻したのは事実よ。この前ぐらいの派手な戦闘になっても、最悪でも逃がしてくれるってアキラが言ってくれたからね。頑張ってくれるのよね?」
「前にも言ったが、努力はする」
「期待してるわ」
キャロルは機嫌良く微笑んで食事を続けた。アキラはキャロルの変化に少し不思議そうにしていたが、変に不機嫌な様子や警戒で過度に緊張している雰囲気よりは良いだろうと思い、それ以上は気にしなかった。
食事を続けながらの雑談で、キャロルがアキラの今後を話題に出す。
「私の護衛が終わったらアキラはどうするの? そろそろ稼ぎ場をもっと東に移す予定なの? スポンサー企業とか選んでる最中だったりするの?」
「いや、特に考えてないけど。……スポンサーって?」
言っている意味が分からないという顔をするアキラに、キャロルも似たような顔を返す。
「えっ? アキラぐらいのハンターなら、その手の企業からの誘いぐらい普通に来てるでしょう? チームの勧誘とかも来てるでしょうけど、アキラがどこかのチームに入るとは思えないから、受けるとしたらソロハンター向けの融資案内とか支援契約とかだろうと思ってたけど、もしかして、来てないの?」
「えっと、どうだったかな……」
アキラが思い出す振りをしながら、その辺りの対応を全部投げている者に尋ねる。
『アルファ。俺にもそんなのが来てるのか?』
『来てるわ。我が社が支援するからもっと東の遺跡で稼ぎませんかってね。昨日もリオンズテイル社ってところから今後も見据えた包括的な援助の交渉がしたいって来てたわ。全部断ってるけど。その辺は私が代わりに興味の無い文面の定型文で断るって、前に話したはずよ?』
『おっと、そうだった』
アキラは適当に興味が無い口実でキャロルに説明した。実際にその手の誘いに興味も無かったので、その辺りの対応を全てアルファに投げていた所為で知らなかったことまでは気付かれなかった。
「そうなの。ハンター稼業は儲けも多いけど装備や弾薬とかに金が掛かる分だけ一度資金的に失敗すると立て直しが大変だから、資金の伝を抱えておくのも悪くないと思うけどね。アキラだって遺跡探索の失敗で装備を失ったからって、今更生身と拳銃だけで遺跡に行きたくはないでしょう?」
「そりゃそうだけど、今までそういうの無しでやってきたからな。それに受けるとスポンサーの意向とかいろいろあるんだろう?」
「まあ、その辺は向こうも金を出している以上、慈善事業じゃないんだから利益がいるのよ。仕方が無いんじゃない?」
「気乗りしない」
本当に面倒そうな顔を浮かべているアキラを見てキャロルが軽く笑う。そして少し考えてから続ける。
「それなら前も言ったけど、私と組まない? 遺跡探索で装備を丸ごと失うような羽目になって、しかも金まで無くなったとしても、私と組んでおけば安心よ? 酷い負傷で遺跡探索が無理になっても、私が副業の方で治療費と装備代ぐらいは稼いであげるわ。私が副業でどれだけ稼げるかはもう知ってるでしょう?」
ハンターとしての雰囲気で軽くそう提案してくるキャロルに、アキラは微妙な表情を返した。
「……いや、実際に組んだとしても流石にそれはどうなんだ?」
「組んだのならば後は一蓮托生。私は気にしないわ。まあ、返事は聞かないから頭の片隅にでも入れておいて」
キャロルはそれでその話を流した。アキラも深くは考えなかった。だが記憶の片隅には残った。
そこでヴィオラからキャロルに通話要求が届く。それに出たキャロルが話を聞いて少し怪訝な顔を浮かべると、どこか不思議そうな視線をアキラに向けた。
「アキラ。ヴィオラから変な情報が来たわ。リオンズテイル社がアキラを探しているらしいけど、何か心当たりとかある?」
「いや、無い。……ん? リオンズテイル社? そこって確かレイナ達の会社だったような……」
「そういえばそうだったわね。で、アキラの居場所の情報を別の情報屋から求められたから売っても良いかって聞いてるけど、どうする?」
アキラも怪訝な顔を浮かべる。
「待ってくれ。何で俺の居場所の情報なんかに値が付くんだ?」
「さあ、私に聞かれてもね。あ、ヴィオラがそれを調べるのなら情報料は要相談だって言ってるわ」
「……状況がよく分からないけど、取り敢えず俺の情報は売るなって言っておいてくれ。調査は頼まない。余計な金は無いからな」
「分かったわ」
キャロルはヴィオラにその旨を伝えて一度通話を切った。その後すぐに音声を介さない方法で再度ヴィオラと情報端末で通信を繋ぐ。
『私よ。さっきの調査って、私が頼むのは有り?』
キャロルはアキラがヴィオラの提案を断った理由を、情報料や交渉の面倒さなどと、得られるかもしれない情報の価値を天秤に掛けて、面倒臭いと思った気持ちが勝ったからだと考えていた。そして実際にそうだった。
そこで代わりに自分が情報を買い、何か問題があれば後でアキラに伝えようと考えた。その問題が面倒事を引き起こした結果、アキラが自分の護衛を続けられなくなると困るのだ。
ヴィオラもその程度は見抜いた上で答える。
『良いけど、私と貴方の仲だからって料金はちゃんと貰うわよ?』
『分かってるわ。まあ出来れば、私と貴方の仲を考慮していろいろ優遇してくれたら嬉しいけどね』
『じゃあ私と貴方の仲だし、特別に情報は先に渡すわ。料金は内容を確認してから要相談で。ミハゾノ街遺跡のハンターオフィス出張所の食堂にいるわ。今から直接取りに来て』
『もう調査済みだったの? 相変わらずね。でもそれなら態々直に受け取りに行かなくても送信すれば良いでしょう?』
不思議そうな口調で答えたキャロルに、ヴィオラが少し楽しげな声を返す。
『悪いけど、秘匿回線でもない通信に流せるような内容じゃないの。受取場所を遺跡の中にしないだけましだと思ってちょうだい。だからこの情報、結構高いわよ? 買うのはやっぱり止めておく?』
『買うわ。分かった。今からね。すぐ行くから待ってて』
『お待ちしてるわ』
ヴィオラとの通信を切ったキャロルは、アキラに人と会う用事を思い出したとだけ伝えて、これからハンターオフィスの出張所に向かうと告げた。アキラは気にせずに準備を始めた。
キャロルを遺跡のハンターオフィス出張所まで送り届けたアキラは、そのまま出張所の外に残ってキャロルの戻りを待っていた。アキラを外に待たせたのはキャロルの指示だ。情報を買わないと言ったアキラをヴィオラと会わせてアキラが変な勘繰りを起こすのを防ぐ用心だった。
アキラは余裕を取り戻したキャロルの様子と、遺跡とはいえハンターオフィスの施設の中で戦闘騒ぎは起こらないだろうという判断から、護衛を引き受けているが少しぐらい離れても大丈夫だろうと考えてキャロルの指示に従った。
アルファと雑談しながらキャロルの帰りを待っていると、急にアルファが軽い警戒を促す。
『アキラ。一応警戒して』
『何だ? また変な騒ぎの前兆でも見付けたのか?』
『そこまで大袈裟なものではないけれど、この周辺を包囲するように展開している人達がいるのよ』
アルファに教えられた方向を見ると、以前食堂で見たメイドや執事のような格好の者達が周囲を警戒するように辺りを見渡していた。
『前にここの食堂で見た場違いなお嬢様っぽいやつがまた来るから、先に安全を確保しようとしてるだけじゃないか?』
『そうかもしれないわ。だから一応って言ったのよ』
『了解だ』
アキラは余り気にせずにキャロルを待ち続ける。その間に周辺のメイドや執事の人数が増えていく。アキラも含めて近くのハンター達も不思議そうに怪訝そうにその様子を見ていたが、メイド達にそれを気にする様子は無かった。ただアキラに強めの注視と警戒の視線を向ける者がいた。
アキラもその視線に気付いていたが、自分の装備が他のハンター達に比べて格段に高性能な物だと知っているのでその所為だろうと考えていた。メイドや執事が全員しっかりと武装していることも、知人にシオリとカナエという似たような者がいるので気にしなかった。
やがてクロエがラティス達を引き連れて姿を現した。荒野側からこちらに向かって歩いてくるクロエ達の姿を見たアキラは、そのままハンターオフィスの出張所に入るのだろうと考えて、予想通りだったと思いながら邪魔にならないように通りの逆側に移動した。
しかしクロエ達は出張所の側まで来ると中には入らずにアキラの方へやってきた。アキラが思わず怪訝な顔を浮かべる。クロエは配下を引き連れてそのままアキラの前に来ると、まるで対峙するように立ち止まった。
「貴方がアキラね?」
「……そうだけど」
クロエの表情は疲れ気味だが酷く鋭い。昨日から一睡もせずにオリビアの件の対処を続けていた所為だ。単純な疲労と眠気は高価な回復薬を服用して吹き飛ばしたが、自身の状況を理解しているからこその過度な緊張による焦燥までは消せない。それを意地と気力で吹き飛ばしている分だけ、その目付きは険しく鋭いものになっていた。
「リオンズテイル社から連絡が入ったはずだけど、通話要求も届いたはずだけど、何で全部無視したの?」
「何の話だ?」
「答えて!」
情緒不安定気味のクロエが放った気迫にアキラが軽く引き気味になる。そこにラティスとパメラが割って入り、パメラがクロエを宥めながらアキラから距離を取らせ、代わりにラティスがアキラの前に立つ。
「初めまして。私はクロエ様の側仕えをしておりますラティスと申します。主の非礼を変わってお詫び致します」
「あ、はい」
「我々はリオンズテイル社の者です。実は先日からアキラ様にアポイントメントを取ろうとしたのですが、連絡が付きませんでした。差し出がましいとは思いましたが、こちらにも事情がありまして、直にお伺い致しました。少々お時間を頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」
「まあ、この場で、少しなら……」
「ありがとう御座います」
ラティスがアキラに一礼して下がっていく。代わりに深い呼吸を繰り返して興奮を抑えたクロエが再び前に出る。そして白いカードを取り出してアキラに見せた。
「このカードに見覚えがあるわね? いえ、このカードの所有者は貴方よね?」
「いや、違う」
「そんな訳無いでしょう!?」
クロエが思わず声を荒らげると再びラティス達が割って入った。今度はパメラがアキラの前に立つ。
「初めまして。パメラと申します。先程挨拶したラティスと同じくクロエ様の側仕えをしております」
「……ああ、そう」
「我が社が得た情報に由りますと、現在このカードの所有者はアキラ様となっております。心当たりは御座いませんか? もし本当にカードの所有者が他の方であるのでしたら、その方を教えて頂けると助かるのですが」
「リオンズテイル社の人なら、シオリってやつは知ってるか?」
「存じております」
「そいつだ。というよりもそのカードはシオリから渡されたんじゃないのか? 何で知らないんだ?」
状況を訝しみ始めたアキラが怪訝な視線を向け始めた。パメラが全く言い淀むことなく当然のことのように答える。
「社内の事情により現在カードはクロエ様が管理しております。その後に我々もオリビア様と連絡を取ったのですが、オリビア様はそのカードの所有者をアキラ様だと言っておられました。シオリには特別に貸し出しただけだとも。何かご存じではありませんか?」
「ああ、そういえばそんなことを言っていたような……。でもまあ、俺はもうそのカードをシオリにあげたと思ってるから、俺はそのカードを俺の物とは思っていない。だから返すとか言われても受け取らないぞ。その返す返さないの取引はシオリともう済ませたからな」
「ご心配なく。カードを返しに来た訳ではありません」
「じゃあ何の用だ?」
パメラが下がり、ラティスの尽力で興奮を抑えたクロエが再びアキラの前に出る。
「このカードをシオリに貸したように、私にも貸してほしいの」
アキラにとっては妙な頼みに、アキラが露骨に怪訝な顔をする。
「貸してほしいって……、借りたんだろ? シオリから」
「……ええ、借りたわ。でもそれは私達での話、社内での話なの。オリビア様は今もカードの所有者は貴方だと思っているわ。だから貴方に頼んでいるのよ」
「シオリから借りたってオリビアに伝えれば良いだけだろう?」
アキラのその軽い考えを聞いてクロエが歯を食い縛る。それで済むならこんなことにはなっていない。思わずそう叫ぶのを何とか堪えた。しかしその分だけ表情が一度大きく歪んだ。そして深呼吸して硬い笑顔を浮かべる。
「……こっちにもいろいろあってね。元の持ち主の許可が欲しいのよ。私に貸すと言ってくれればそれで良いわ。渡すでも売るでも構わないわ。勿論、只でとは言わない。言い値で買うわ。好きな額を言って。ハンター稼業の支援だって手厚くするわ。人も出せる。高ランクハンター並みに戦える者だって出せるわ。好きな条件を言ってちょうだい」
余りの好条件に、アキラが逆に警戒を高める。
「嫌だ。断る」
クロエも思わず叫ぶ。
「何でよ!?」
「そのカードは俺の物じゃないからだ。人の物は勝手に貸せないし売れない。それだけだ」
「所有権は貴方にあるって言ってるでしょ!?」
「その辺の取引はもうレイナ達と済ませたんだよ! そのレイナから借りたんだったらそれで良いだろうが!」
アキラは妙な苛立ちを覚えている自分に気付いた。だがその理由までは分からず、苛立ちのままに声を荒らげていた。そこでアルファが優しい声でアキラを宥める。
『アキラ。落ち着いて』
『……ああ。悪い』
アキラが深呼吸をして気持ちを落ち着かせていく。過去に何度も繰り返したことであり、すぐに気は随分と楽になった。
ここでアルファがカードを渡すようにアキラに促していれば事態は収束していた。しかしそれは言えなかった。アキラとの付き合いで、その言葉はアキラという人格の深い部分に酷く触れると判断していたからだ。以前にはそこに触れられた所為でエレナ達でさえ切り捨てようとしていた。それほどまでに強く深い負の感情を生み出しかねない危険な部分を刺激する恐れがある。そう考えていた。
実際にはアルファの考えすぎであり、仮にカードを渡すように勧めていれば、アルファがそう言うのであればと、渋々渡す程度で済んでいた。だがクズスハラ街遺跡でのアキラとツバキの遣り取りを知らないアルファには、アキラが自分の意向をそこまで優先してくれるとは思えなかった。
後は坂下重工の伝で手に入れた装備さえ届けば、アキラへの依頼である遺跡攻略を漸く進められる。その状態でアキラの機嫌を著しく損ねる訳にはいかなかった。その所為でアルファにはアキラに落ち着くように言うのが限界だった。
クロエは非常に厳しい状況に立たされていた。オリビアの件の失態が知れ渡れば一族での立場が終わりかねない。派閥への説明は何とかごまかしきったが現状のままでは限度がある。何とかしてカードを本当に自分の物にする必要が有った。そうしなければ、着の身着のままで防壁の外に追い出されかねなかった。
まずはカードの本来の持ち主であるアキラと交渉してカードを正式に借り受ける。その後に所有権を自身に移す。計画は問題ないはずだった。
しかしそのアキラというハンターと連絡が取れない。ハンターオフィスを介して破格とも思える好条件を提示しても定型文で断りを入れられる。ハンター相手なら本来有り得ない事態に、想定することさえ普通はおかしい状況に、クロエは遂に配下を率いてアキラに直接会いに行った。
そして直接会ってもアキラの態度は変わらなかった。クロエの機嫌が更に悪化する。
「何が不満なのよ……。私達はリオンズテイル社なのよ? そこらの中小企業じゃないのよ? 5大企業の全ての経済圏に支店を持つ大企業なのよ? そこがハンター活動を支援すると言えば、ハンターなら連絡ぐらい取るでしょう!? それも無視して、何が不満なのよ!」
「知るか。俺の都合だ」
ハンターの利害や常識から考えればクロエの言い分が正しい。ハンターオフィスを介している以上、詐欺なども余程のことが無い限り有り得ない。ハンターなら飛びつくのが自然だ。だからこそクロエの焦燥は強くなっていた。
険悪な雰囲気が強くなっていく。アキラの苛立ちも高まっていく。アルファが再度冷静になるように促す。
『アキラ。本当に落ち着いてね。下手に刺激しても相手がうるさくなるだけよ』
『……ああ、分かってる』
アキラは再度深呼吸して気を落ち着かせた。そしてキャロルが戻ってくるまで揉め続けても仕方が無いと考えて妥協案を出す。
「……分かった。貸す」
「本当!? いえ、当然よね。良いわ。条件を言って。幾ら欲しいの?」
「要らない。金も支援もな。但し、この手の面倒事をもう俺に持ち込むな。分かったな」
「分かったわ。約束する」
クロエはアキラの言葉を理解できないと思いながらも、それらの疑問は全て棚上げして安堵の息を吐き表情を和らげた。だがそれも続く言葉ですぐに戻る。
「あと、一度レイナ達に確認を取ってからだ。俺としてはカードはレイナ達に渡したんだ。それぐらいはさせてもらうぞ」
「……えっ? 待って!?」
アキラは構わずに情報端末を取り出してシオリに連絡を取った。慌てているクロエの前で状況を伝える。そしてシオリからの返事を聞いて表情を大きく歪めると、クロエに強い警戒を向けた。
「カードはレイナを殺すと言われて脅し取られたと言ってるぞ? どういうことだ?」
この時点でアキラはクロエ達を、自分を騙そうとしている者達と認識した。
クロエは黙っている。
「説明しろ。説明できないなら帰れ」
クロエはそれでも黙っていた。アキラがますます警戒を高める。すると急にクロエが笑いだした。
「ごめんなさい。変な手間を取らせて」
もうアキラと真っ当な取引は出来ない。それぐらいは分かった。後ろ暗い取引を悠長に進める時間もない。そんなことをしていれば、派閥の他の者が自分を排除してカードを奪い、アキラと取引を遣り直すだけだと分かっていた。時間も手段も限られている。残された選択肢を選ぶことに躊躇はなかった。既に一度やっており、ある意味で成功したからだ。
どこまでも追い詰められていた分だけ反動も大きく、一度決めてしまえば意志は揺るがなかった。クロエが手で軽く合図をする。するとクロエの部下達が一斉に武器を構えて配置に付く。その後に、笑って告げる。
「カードを、渡して」
アキラは先程から覚えていた苛立ちの理由に気付いた。どことなく見下したような僅かな視線。通って当然だというような態度での要求。そして、その後の行動。かつてアキラがスラム街の裏路地で蹴飛ばされていた頃に何度も味わった経験だ。
積み重ねた成果。もう昔の自分とは違うのだという自負。それらが罅割れていく。その割れ目からかつての感情が漏れ出していく。その感情のままに否定の言葉を口に出す。
「嫌だね」
アキラからも相当な威圧が漏れている。ラティスとパメラも先日にカナエと対峙した時のように臨戦態勢を取っている。
だが既に箍が外れているクロエは全くたじろがなかった。寧ろ笑みを深め、逆に脅しの言葉を重ねる。
「貴方だけで済むと思ってるの? リオンズテイル社は大企業だって言ったはずよ? 私達の手は長いのよ?」
かつての自分が声を上げている。積み上げた自分がそれを抑えている。もう以前の自分とは違うはずだという願望が、アキラにギリギリの返事を口にさせる。
「……まるで断れば俺の知り合いに危害を加えると言っているように聞こえるな。違うのなら、否定してくれ」
それでもクロエは笑みを深めただけだった。
「解釈は、任せるわ」
「……。そうか」
アキラはかつての表情でそれだけ答えた。それを契機に、場の全員が銃を構え、銃弾に殺意を乗せて撃ち出した。
戦闘開始。