王の訪問
杖を突いたカザフがアレックスとメリー自身の自室へと招き入れる。そこは集落にあった彼の部屋と全く同じ造りとなっていた。家具の配置も全く同じ、そんな部屋にアレックスとメリーは奇妙な感覚を覚えた。
「異国の者にとっては不便かもしれんが……しばらくはこの地下壕で我慢してくれ」
「ありがとう。それで……メリーの母親のことだが」
アレックスが切り出す。カザフは深刻そうな顔をして、部屋の椅子へと腰掛けた。アレックスとメリーもそれに対面する形で椅子に腰掛ける。
「約束は約束だからな、きちんと話そう」
「単刀直入に聞くが……アベリィはどこに行った?」
「彼女はここから遥か南西の地、アフリカのシンビリス山へと向かった」
「アフリカか……」
アレックスは天井を見つめてため息をつく。ここからだと随分遠い。一体、どうすればアフリカへと短時間で移動できるだろうか。
「我々の馬を使っても非常に時間がかかる上、あの地からは最近良くない噂を聞いておる」
「なんのことだ?」
「あの山に目のない男を引き連れた魔法使いが度々現れていると」
「魔法使い?」
アレックスとメリーはお互い、顔を見合わせる。目のない男、というのは軍の兵士のことだろうが魔法使いだって?
そんなものがこの世界に果たして存在するのか。アレックスはカザフに目で訴える。
それを察したカザフは部屋の奥に行き、ビデオカメラを手にして戻ってきた。
「これに、その姿が」
カザフはカメラの映像をこちらに見えるようにして再生ボタンを押した。
撮影者と思わしき男が、何か言いながら木々の間をくぐり抜けていく。最初は草木が男の体に擦れる音しか聞こえなかったが、やがて発泡スチロールがこすれるような音が聞こえ始める。兵士の声だ。
撮影者が木々の間から声のする方向にカメラを向けた。そこには大量の兵士に囲まれた一人の少女の姿が映っている。やけに露出が多い服装で健康的な褐色の肌が丸見えになっている。頭にはいかにも魔女が被っていそうな帽子を乗せているが、信じられないことにその帽子の根元の辺りからは大きな猫の耳が帽子を突き破って飛び出ている。それを見たアレックスはカザフに答えを求める。
「これが……魔法使い?」
「左様。この魔法使いが最近シンビリス山の集落の近くにある古代遺跡に姿を見せているらしい」
話している間も映像は続く。撮影者が 「なんだこれ……」とつぶやく。
その瞬間、それまでカメラに収められていた魔法使いの姿が消えた。
撮影者はパニックを起こしてその場から逃げ出した。途中でカメラが後方を映すと、そこにはこちらへと走ってきている大量の兵士と例の魔法使いが宙に浮き、こちらを指差して笑っているのが見えた。
間を置いて頭に響くノイズ音が聞こえ、映像がストップする。
「どうした?」
「わからん。しかし友人の話によるとその現場には撮影者の姿はなく、特に争った形跡もなかったらしい」
カザフの言葉にその場にいた全員が黙り込む。これまでにもバルジーノやテミスといった超人と戦ってきたアレックスでさえも、この映像に映っていた少女が何者なのか理解できなかった。
「とにかくわしの部下に映像の解析を続けさせよう。お主たちは休んでいきなさい。特にお主はさぞ疲れたことだろう」
カザフがアレックスの方を見る。言われて初めて、アレックスは自分の体には思っていた以上に疲労が溜まっていることを実感した。
「それじゃあ、お言葉に甘えるとしよう」
アレックスは立ち上がって部屋を出ていく。メリーもそれに続いて部屋を出ていった。
―
「ねえ。ねえってば」
「?」
突然頭を撫でられ、目を覚ます。ベッドの隣には馬車にアレックスたちを乗せてここまで連れてきてくれた例の女、ファリがいた。一体こんな時間に何の用事だろうか。
「なんなんだ?」
「あなた、本当にアフリカまで行くの?」
ファリがベッドに横になる。アレックスは警戒して壁側に寄った。
「そんなに怖がらないで……もし本当に旅をするのなら、私も連れて行ってくれない?」
「なんだって?」
アレックスは彼女が何を言いたいのかイマイチ理解できなかった。会って間もない男に一緒に旅をしよう、などといった提案を持ちかけるものだろうか?
アレックスは何か裏がないかと探りを入れる。
「どうして俺たちに着いていこうと思ったんだ?」
「だって、面白そうじゃない。あなたみたいな勇敢な人と一緒なら、刺激的な体験もできそうだしね」
そう言ってファリは体を起こし、悪戯っぽく笑う。灯された蝋燭の火が不思議な雰囲気を作り出し、部屋全体を包み込む。
ファリが体を起こし、こちらへと這い寄ってくる。
「ねえ、いいでしょ?」
「……」
アレックスの頬に手が当てられる。しかしアレックスはその手を除け、ファリの目を見据えて言う。
「無関係のあんたを危険にさらすことはできない」
アレックスは冷たく突き放すように言うがファリは一歩も譲ろうとしなかった。
「どうして? あなたと関わった以上、もう私は無関係ではないわ」
「だが……」
「もし……シンビリス山にいるのがジェミニだったら?」
「どうしてそれを?」
アレックスの疑問にファリは満足気な顔をする。しかし、何故彼女がジェミニという存在を知っているのだろうか?
それになぜあのビデオカメラに映っていた魔法使いのことを知っており、それをジェミニと言い切れるのだろう。
この女は何か知ってる。アレックスはそう思った。
「一緒に連れて行ってくれるなら教えてあげるわ」
「待て!」
ファリはベッドから飛び降り、部屋を出ていってしまった。アレックスはそれを追って部屋から出るが、既に彼女の姿はなかった。
「どういう……ことだ?」
アレックスは部屋の外を見渡すが、特に変わったところはなかった。首をかしげながら部屋に戻ると、メリーがすやすやと眠っているのが見える。時刻は5時を指している。ファリのことは色々と腑に落ちない点もあるが、今はそんなことを考えていても仕方がない。そろそろ支度をしておこうか。アレックスは自分とメリーのリュックに荷物を詰め込み始めた。
―
「起きろ」
メリーを揺さぶって起こす。彼女は眠たそうに目をこすりながら体を起こす。
「いま何時?」
「もう8時だ」
アレックスが腕時計の針を見せる。それを見たメリーは慌てて飛び起き、大急ぎで支度を始めた。
アレックスはため息をついて、部屋から出る。そこには土を固め、それを鉄骨で支えた程度の無骨な壁があった。時折、土が天井から降ってきており壁が今にも崩れてしまいそうな感覚を覚える。
そんな頼りない壁を見ていると部屋からメリーが飛び出てきた。
「終わったわ! さ、行きましょ」
メリーがアレックスの横を通り過ぎ、カザフの部屋へと向かっていく。アレックスもそれに続き、カザフの部屋まで歩いて行った。
扉を開くとソファーにカザフとグドゥフルとファリが座って待機しているのが見えた。
メリーが首をかしげながらカザフに聞く。
「なんでファリまで?」
「彼女は昨日見せた映像の女に見覚えがあるらしい。初耳じゃが……」
「言ってなかったからね、長老様」
ファリはまさに赤ずきんのように赤いスカーフを頭に被せていた。他は相変わらず露出が多く、グドゥフルは目のやり場に困っているようだった。
「とりあえずファリの言い分はわかった。それで、グドゥフルはなぜここに?」
「俺もあんたに着いて行く! 砂漠の景色はもう見飽きたんだ」
グドゥフルは得意げに胸を張って言う。しかしカザフがそれを制した。
「ならん! お前はまだ未熟、戦うにはまだ早い」
「俺をオルゴイコルコイの監視役に任せたのは父さんじゃないか!? それにアレックスはオルゴイコルコイを命を賭けて倒したってのに、どうして何年もオルゴイコルコイを監視してた俺はダメなんだよ!?」
グドゥフルはカザフの前に立って言う。しかしカザフは冷静にグドゥフルを諭す。
「監視と戦闘は違うぞ。それに、お前はまだ『あの水』を操ることができんだろう」
「またそれか? あんな水、操れたところで何なんだよ!?」
「おい、親子喧嘩はまた今度にしてくれ」
アレックスが二人の間に入る。グドゥフルはそれが気に入らなかったのか、アレックスに掴みかかってきた。
「親子喧嘩なんかじゃない! 俺は本気で外に行きたいんだ!」
「外はお前が思っているほど、甘い世界じゃない」
グドゥフルは何か言いたげだったが、やがて手を離す。そしてカザフとアレックスを睨みつけて、部屋から出ていってしまった。アレックスはカザフの方を見る。
「うぬ……やはりあいつを連れて行くことはできんな。三人はわしに着いてきてくれ」
カザフが杖を突いて立ち上がり、部屋の奥へと消えていく。アレックスたちはそれを追って、カザフが入っていった部屋へと入っていった。
そこは大きなホールのようで、たくさんの人々が身を寄せ合っていた。その間をカザフが杖を突きながら歩いていく。
「どこに向かってるんだ?」
「すぐに分かる」
カザフがホールの奥の床にある扉を開いた。アレックスたちに「入れ」と目で合図する。
メリー、ファリ、アレックス、そしてカザフといった順番でそこの梯子を降りていった。
地下は暗闇に包まれており、カザフが部屋に灯りを灯すまでは何も見えない状態だった。
突然部屋が明るくなり、そのせいでしばし、目が眩む。やがて目が慣れ、部屋の全容が確認できてくる。
ここはどうやら小さい洞窟のようで、奥にある縦穴には着色料を使ったのではないかと目を疑うほどに青く、美しい水が溜まっていた。
「アリバトス?」
ファリがカザフに聞く。カザフは頷き、水を掬いそれを石にかけた。すると水がかかった石は跡形もなく消えてしまった。アレックスとメリーは我が目を疑った。
「これはわしの先祖が今ままで守ってきた不思議な力を持った水、アリバトスじゃ」
カザフが縦穴へと向かう。彼の足が水に浸かっていく。沈むのではないかと不安になって彼を見ていたアレックスとメリーだったが、いつまで経ってもカザフは沈まない。それどころか水の上を歩いている。常識では考えられない不可思議な現象を、あの水は引き起こしているようだ。
「アリバトスはわしの先祖の血を引くものだけが自在に操ることのできる水。受け継いだ血が濃ければより強大な力を発揮する」
そう言ってカザフは手を振りかざす。すると水が龍の形を作り、また水の中へと沈んでいった。
「この水が俺たちと何の関係がある?」
「わしがこの水でお主らをアフリカまで運ぶ」
アレックスには、カザフが何を言っているのか全く理解できなかった。水で人を運ぶなど、いくらなんでもできるはずがない。しかもゴビ砂漠とアフリカはかなり離れている。まず不可能だ。
「どうやって?」
「それはお主らが自分で確かめることじゃ。水の中に入るが良い」
ファリは臆することなく水へと向かう。しかし、足を踏み入れた途端にけたたましい轟音と地面の揺れが起きた。
「なんだ!?」
その場にいた全員がよろめいた。揺れが収まると地下へと下りるのに使った扉から大量の人が悲鳴を上げて、入り込んできた。
人々は水がない方の奥に逃げようとするが、如何せん数が多すぎた。奥に伸びた洞窟の中がすぐに満杯になり、数名が隠れきれていなかった。カザフは人々に落ち着くように指示しながらもそちらへと近づいていく。
「何事じゃ」
「奴が……目覚めた」
カザフに何かを伝えようとした男の上から突然、巨大な物体が飛び出てきた。
男は断末魔を上げながらそれに飲み込まれる。
「ああ……災厄の邪神が、目を覚ましおった!」
そう言ってカザフは、突然降ってきた物体に歩み寄る。物体が頭を持ち上げてこちらに向き直る。
巨大な物体だと思っていたのは、先日撃退したものよりも巨大なモンゴリアンデスワームだった。
奴は口から唾液のようにネバネバした黄色い液体を垂れ流し、カザフの姿をジッと見つめている。
「カザフ、やめろ!」
アレックスが引き止めるがカザフは止まらない。まるで何かに取り憑かれたかのように歩き続け、モンゴリアンデスワームの目と鼻の先で足を止めた。
カザフが両手を広げ、モンゴリアンデスワームを見据える。
「帰れ! お主らは外に出てはいけない!」
突然声を張り上げたカザフのその態度に、モンゴリアンデスワームはたじろぐ。しかし、すぐに頭を近づけ、カザフをまじまじと見つめる。
目もないのにどうやって彼を確認しているのだろうか。アレックスはメリーとファリに隠れるようにジェスチャーで指示し、自身も岩陰に隠れてリボルバーを構え、様子を伺う。
カザフもモンゴリアンデスワームも全く動く気配がなく、緊張した空気が張り詰めていた。
しかし先に、モンゴリアンデスワームが沈黙を破る。頭を一層持ち上げたかと思うと、口から黄色い唾液をカザフに吹きかけようとした。
その瞬間、岩陰から何かが飛び出てカザフを突き飛ばした。
「父さん、危ない!」
「やめろ!」
飛び出したのはグドゥフルだった。黄色い唾液は飛び出てきたグドゥフルに吹きかけられる。途端にグドゥフルが耳を塞ぎたくなるほどの断末魔を上げた。
グドゥフルが溶けていく。鍛えられた肉体は最早見る影もないほどにドロドロになり、苦しみに歪むその顔からは頭蓋骨が飛び出している。
メリーは耳を塞ぎ、固く目を閉じていた。ファリは溶けていくグドゥフルから目を離せないでいる。
一方アレックスは、狙われているカザフを救うべく、モンゴリアンデスワームの口の中に爆薬付きのクロスボウの矢を放った。
矢は口内で爆発し、モンゴリアンデスワームの頭が跳ねる。奴がひるんでいる隙に、アレックスはカザフを引きずって奥の洞窟に連れて行く。
「あんたはみんなを連れて逃げろ!」
カザフは頷き、洞窟の奥へと消えていった。アレックスはファリにクロスボウと矢を投げ渡す。
「いるからには役に立ってもらうぞ」
「役に立ってみせるわ!」
ファリは投げ渡されたクロスボウと矢を受け取り、一瞬で装填してみせた。そのまま岩を駆け上がって、岩の上から狙いを定める。アレックスはおびえているメリーを奮い立たせ、自分を援護するように指示する。
そして振り向くと、すぐそばまでモンゴリアンデスワームが迫ってきていた。
咄嗟にショットガンでモンゴリアンデスワームの口内を狙い撃つ。弾丸が散らばり、モンゴリアンデスワームを怯ませた。
アレックスはメリーを、ファリがいる岩とは反対側にある岩に登らせる。アレックス自身はモンゴリアンデスワームを撃ち続け、自分に注意が向くように仕向けた。
そんなことには気づかず、モンゴリアンデスワームはアレックスに向かって唾液を吐きかける。
身を隠せるぐらいの大きさの岩に飛び込み、それを回避する。唾液はついさっきまでアレックスがいた地面に水たまりを作った。そこから、わずかに生えていた雑草や石が音を立てて溶けていく。やつの唾液は強酸性の毒なのかもしれない。
アレックスはすぐさま立ち上がり、水が溜まっている縦穴へと走る。
背後からモンゴリアンデスワームの巨体が地面を這う。それに合わせて地面が振動し、唸り声のような轟音が聞こえる。
それに追いつかれないようにアレックスは必死に走った。やがて、縦穴まで来たところで、ファリに自分がいる一帯を撃つように言った。
「ファリ! 俺の足元を撃て!」
「何考えてるの!?」
「いいから早く!」
「もう!!」
ファリは爆薬付きの矢をクロスボウへと二本同時に装填し、アレックスめがけて撃つ。
矢は二本とも地面に打ち込まれ、辺り一帯を吹き飛ばした。
ファリは、声を上げてアレックスの安否を確認する。
「生きてる!?」
「なんとかな」
爆風によって巻き上げられていた砂が薄れ、アレックスの姿が見えていく。
アレックスは、壁から突き出ていた岩に掴まって、水に落ちないようになんとか耐えていた。
モンゴリアンデスワームはというと、爆薬によってできた穴に頭から落ちていった。地面は削れ、水が溜まっている縦穴にまで達しており、そこから水が流れ出していた。
「まさか……」
洞窟から様子を見ていたカザフが声を上げた。流れ出した水は削れた地面に進入し、モンゴリアンデスワームが埋まっている穴に流れ込む。
水がその巨体を包み込んでいく。すると、水が煌き始め、モンゴリアンデスワームの体と同化し始めた。
洞窟から現れた人々もその光景に目を奪われているようだった。やがてモンゴリアンデスワームは完全にその姿を消してしまった。
「王よ……浄化されたか?」
カザフが穴を見つめて問う。その手には杖の形をした法具が握り締められており、その先端に取り付けられた青い球体が光を発していた。
アレックスは壁を伝ってなんとかカザフのもとへとたどり着くことができた。
「あんた……何をしたんだ?」
「これはアリバトスに入った物を水と同化させる効果を持った杖じゃ。もう二つほどある」
カザフがそう言うと女が片手に杖を束ねて、カザフに渡した。カザフは赤い球体が取り付けられた杖を掲げる。すると水が屈強な戦士のような男の姿を模った。
「これは過去にこの地を守っていたと言われる守護霊を模したものじゃ。危機が迫れば、わしら部族を助けてくれるじゃろう」
カザフが杖を下ろすと、それに合わせて男もアリバトスに戻る。次にカザフは紫色の球体が取り付けられた杖を掲げた。するとアリバトスの色が紫色に変色し、ボコボコと音を立てながら泡立ち始めた。
「これがお主らをアフリカへと連れて行ってくれる」
カザフは泡立つ水に入るよう指示する。当然ながら三人は警戒して動こうとしない。その様子を見たカザフが立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。
「不安か?」
「そりゃあ、まあ」
カザフがファリを見る。ファリは頷き、アレックスとメリーの手を引っ張って、水へと突き落とした。
「何するんだ!?」
「私も初めてだけど……アフリカに行くしかこの方法はないのよ!」
ファリもアリバトスに飛び込む。すると三人の体が泡に包まれ、水底へと沈んでいく。
やがて急激な眠気に襲われ、三人は目を閉じた。
泡が収まり、三人の姿が消えたのを確認したカザフは踵を返し、洞窟で待つ人々の方へと戻っていく。
しかし、その目にはこれまでの部族の長としての威厳は宿っておらず、彼の中で何かが壊れたかのような、禍々しい力が込められていた。