迎え討て
ルビ、始めました
アレックスは壁の窪みに手をかけてそこを登っていった。時々崩れ落ちてくる瓦礫を回避しながらなんとか壁を登りきり、そこでようやく一息つく。
やがて立ち上がって屋根の上から地上を見下ろす。
「高さはかなりあるが屋根から屋根に飛び移ることができれば、あるいは……」
アレックスは隣のマンションを見る。助走をつけてジャンプすれば飛び移ることができそうだが、失敗すれば、地面に叩きつけられることになる。しかしメリーの行方がわからない今、それ以外に方法がないのも明白だった。
アレックスは十分に距離を取って博物館の屋根のギリギリまで走り、屋根の縁から隣のビルへと跳躍した。
「うっ!」
跳躍には成功したもののわずかに距離が足りず、落ちそうになるがなんとか屋根の縁を掴んだことで難を逃れた。
屋根へと這い上がり、立ち上がる。そして先程と同じようにアレックスは少し背が低い隣の建物から距離を取り、助走をつけて飛んだ。
次は完璧に着地することができた。後は壁に取り付けられたパイプを伝って下に降りればいいだけだ。
「ああ!? クソクソクソクソ!」
パイプを伝って横に移動していると突然壁とパイプをつなぎ止めていた金具が外れ、アレックスは壁に叩きつけられる。痛みのあまり、手を離しそうになった。
「クソめが……」
このパイプを取り付けた人物に悪態をつきながらもパイプを滑り降り、裏路地へと着地する。
そこにたまたま倒れていた、おそらく旅商人であろう男のリュックを開き、中身を拝借する。
リュックの中には缶詰2つとソーコムの弾倉が3つほど入っていた。それらを全て自身のリュックに詰め込み、アレックスは立ち上がる。次の瞬間にはソーコムを構え、振り返って目の前に現れた人物に銃を向ける。
「待って! 私……」
おそらく先程の騒動を聞きつけてやってきたのだろう。姿を現したのはメリーだった。そうと分かるとアレックスは銃をホルスターに押し込んだ。
メリーは誰しもが尋ねてきて当然な疑問を投げかけてくる。
「何してたの?」
「博物館を見学してた」
アレックスは皮肉を言うが、メリーはそれを無視して続ける。
「さっき私の上を人が飛んでいったの。女の子だろうけど泥だらけだったわ」
「粘土でドロドロにしたんだ。そいつは……俺の、妹。奴はそう言っていた」
メリーは首をかしげる。それもそうだ。彼には兄弟がおらず、彼自身も兄弟はいないと明言していたからだ。
「兄弟はいないんでしょ?」
「ああ。お前には話してなかったが、刑務所で俺たちが殺したバルジーノが俺の血をあるプロジェクトに使っていたんだ。それがジェミニ計画と呼ばれているらしい」
「ジェミニ……双子?」
「ああ。今回襲ってきたのは姉の方のテミスで俺を仲間に引き込んで軍を壊滅させようと思ってるらしい」
「軍を壊滅させるって……それに、なんであなたなの?」
「それは俺にもわからん。多分何かワケがあるんだろうが……」
アレックスとメリーは黙り込む。よくよく考えてみれば腑に落ちないこともある。
まずに話題にも出たとおり、軍を壊滅させるためにあそこまでアレックスに執着する必要は果たしてあるだろうか。
アレックスたちはしばし考え込むが、アレックスは結局考えるのをやめた。
ここで悩んでいても仕方がない。ここにもいつ軍が来るかもわからないのだ。
「とにかく移動手段を探そう。ここから出て、米軍のところまで行かないと」
「そうね……わかった」
メリーは納得する。そうだ、自分の目的は彼女を母親と再会させることだ。それが終われば個人的に軍、そしてジェミニと決着をつけなければ。
アレックスは胸に誓った。
二人は裏路地から出て、メリーの提案により先ほどの立体駐車場へと向かった。アレックスがキャシーに追われていた際にメリーは駐車場での探索を続けており、そこで使えそうなダートバイクを見つけたという。都合の良いことにガソリンも充分でアーリントンまで持つ量だという。
アレックスはバイクのシートに跨り、エンジンをかける。ふかしてみると景気の良いエンジン音が聞こえてきた。
「よし、大丈夫そうだ。乗れ」
メリーはバイクのタンデムシートに腰掛け、アレックスの腰に手を回した。
「掴まってろ」
そう言いアレックスはバイクのアクセルグリップをひねる。立体駐車場をかなりのスピードで降りていく。
雨が上がり、雲の隙間から美しい朝の太陽が顔を出した。バイクはその太陽に向かって走り始める。
―
アーリントンまで約148マイル、アレックスたちが乗ったバイクはメリーランドのフロストバーグを通過した。
腕時計の針は7時48分を指している。あと3時間もあればアーリントンにたどり着くだろう。
メリーはアレックスのリュックから勝手にチューインガムを取り出し、それを味がなくなるまで噛み続けている。
「おい、食べたガムはどうしてる?」
「どうって……包むものもないし、捨ててるけど」
「地面に?」
「地面に」
そう言ってメリーは噛んでいたガムを吐き捨てて次のガムを口に入れた。吐き捨てられたガムは地面に張り付いてその姿はすぐに見えなくなる。吐き捨てられたガムを見ていたアレックスは前を向いた。前方によろめきながら男が現れた。
アレックスはブレーキをかけ、男の方を見据える。
彼を見たメリーは怪訝な顔をして言う。
「なんでこんなとこにいるんだろう?」
「決まってるさ」
アレックスは男の頭めがけて銃を撃つ。銃弾は男の頭蓋骨にめり込み、男は地面に伸びた。
「掴まれ! 絶対に離すな!」
そう言ってアレックスはアクセルを全開にする。メリーは慌ててアレックスにしがみついた。
バイクが通り過ぎた岩の陰から銃を持った男たちが現れた。
「チクショウ!」
男たちは隠しておいたバイクに乗り、アレックスたちを追跡し始める。
メリーはまだ味が残っているガムを吐き捨て、ハンドガンを取り出した。
「何なのよ!?」
「アウトローかなにかだろう。ハンドガンは持ってるな? 応戦してくれ!」
メリーは左手をアレックスの腰に回したまま右手でハンドガンを追跡者に向かって撃つ。
その殆どは命中していないが、相手をかく乱させるには十分だろう。
「増えてる!」
アレックスは取り付けられたミラーで後方を確認する。二人組の男が乗ったバイクが3台ほど見える。これで全てとは思えないのでバイクは全部で7台、男はドライバーとガンマンを合わせて14人ほどはいるだろう。射撃に不慣れなメリーが奴らを追い払うことができるとは思えない。速度を上げてアーリントンまで突っ切るしかない。
アレックスはオフロードに出た。こちらのバイクがダートバイクであることに対してあちらはスポーツバイクだ。アスファルトならまだしも、オフロードならなんとかなるかも知れないと考えたからだ。
「お尻が痛い!」
メリーが叫ぶ。それはアレックスも同じだ。ここでは我慢してもらうしかないだろう。
背後で弾が撒き散らされる音が聞こえる。男たちはマシンピストルを所持しているらしかった。
「近づいてきてる!」
男たちは減速することは承知の上でオフロードに入ってきたらしい。銃弾がアレックスたちのバイクを追い、着弾して地面を削り取った。
メリーも抵抗はしているようだったがサイドミラーから見えるバイクの数は大して減っていない。銃弾がアレックスの頬を掠めた。
「数キロ先に見えてきたぞ! もう少しだ」
アレックスはメリーを励ます。少しでも銃弾を回避するために木々の中へ突っ込んだ。
そのすぐ後にどうやら男たちを乗せたバイクが木々に激突したらしく、背後で悲鳴と爆発音が聞こえた。
ミラーで後方を確認するとバイクの数がさっきより4台も減っているのが見えた。
自分たちも同じ目に遭わないように気を付けないと。アレックスは細心の注意を払いながら木々の間をすり抜けていく。
「やった! 1台やったよ!」
メリーが嬉しそうに声を挙げる。どうやらドライバーに弾を命中させたらしく、制御を失ったバイクは木々に衝突し爆発を起こした。
ようやく木々を抜けた先には米軍の見張り台が見えた。見張りの兵が驚き、こちらに銃を向けている。
「助けてくれ!」
米軍兵は頷き、アレックスたちを追跡している男たちのバイクのタイヤを見事な腕前で次々と撃ち抜いていった。
それでもすべてのバイクを処理することはできず、猛スピードでアレックスたちと距離を縮める。
アレックスは閉まり始めたゲートに向かってバイクを走らせ、男たちもそれに続く。
「落ちるなよ!」
アレックスはバイクを倒し、閉まり切る直前のゲートに滑り込んだ。背後のバイクは次々と閉じられたゲートに突っ込み、爆発四散する。
アレックスとメリーは駐車場に投げ出された。
「メリー、大丈夫か?」
「生きてるわ……」
二人は傷だらけだった。そこにパトロールを行っていた米兵やアレックスたちを救おうとした米兵が駆けつけてきた。
「大丈夫か!?」
「民間人だぞ、どうする?」
「とりあえず上官に報告だ。お前たちは二人を運べ」
指示を受けた米兵が担架に二人を乗せて運ぶ。残りの米兵はバイクの爆発によって発生した火災の消火作業に取り組み始めた。
―
二日後
「メリー・ウィリアムズの母親? いや、それに該当する人物は見てませんな」
「なんだと? だが彼女は確かに……」
「娘さんの聞き間違いでは? ここのところあなたたち以外には誰も民間人は訪ねてきていません」
そう言って受付係の男はコーヒーを飲み干す。アレックスはため息をつき、ソファーで待っているメリーのもとへと戻った。
「ここにはいないそうだ」
「そんなことないわ! お母さんは確かにここに行くって言ってた」
メリーは声を荒らげて立ち上がる。アレックスはそれを手で制する。
「名前は『アベリィ・ウィリアムズ』なんだろ? 聞いてきたがここにはいないらしい」
「じゃあどこに行ったの?」
「それは……」
「ちょっと」
突然アレックスたちに声がかけられる。声がした方向にはメガネをかけた知的そうな男が立っており、こちらに手招きしていた。
二人は立ち上がり、その男に着いて行く。
「アベリィ・ウィリアムズ……ですって?」
男はそう切り出した。それにアレックスが答える。
「ああ。なにか心当たりが?」
「その名前を持つ人物は数日前までここにいた」
「!?」
メリーが男に詰め寄る。
「ホントに!? どこに行ったの?」
「落ち着いて。彼女はゴビ砂漠に向かった」
「ゴビ砂漠?」
「ああ。モンゴルの近くにある巨大な砂漠だが……最近あそこには良くない噂がある」
「良くない噂?」
メリーの問いに男はメガネを押し上げる。
「ええ。パンデミックが発生してからというものの、あそこでは奇妙な現象が多発している。そこら中に黄色い池ができたり人々が毒に苦しんでいるらしくて、それはどうやら『オルゴイコルコイ』と呼ばれる生物の手によって引き起こされていると」
「オルゴイ……なんだって?」
「オルゴイコルコイ。名前がもうひとつあった気がしますが、忘れました。とにかくアベリィはそいつが巣食ってるゴビ砂漠へと向かった。何らかの理由で」
「アレックス、ゴビ砂漠に行こう!」
「おい!?」
メリーはアレックスの制止を聞かずに部屋へと戻っていった。
「あんた……なんでアベリィのことを?」
「なぜでしょうね? それよりあの子を追わなくていいのですか?」
男はアレックスの背後を指差す。アレックスは戸惑いながらもメリーの後を追った。
部屋に戻るとメリーがリュックに食料やらなんやらを詰め込んでいるのが見える。
「そんなに急ぐな。オルゴイコルコイがどれだけ危険かもわかってないんだぞ」
「でもお母さんが!」
そう言ってメリーはリュックを背負った。彼女はどうしても行くつもりらしい。
「はあ……わかった。でもどうやってゴビ砂漠まで行く? ここからだとほとんど裏側に位置する場所だぞ」
「その心配はありません」
声の方を振り返ると先程の男がこちらを向いて立っていた。顔には余裕のある笑みが浮かんでいる。
「着いてきてください」
そう言って男が部屋を出る。メリーがそれに着いて行き、部屋に取り残されたアレックスは急いで支度をして部屋を出た。
男に着いていった先の部屋には巨大な戦闘機のようなものがあり、ここはそれを格納するためのハンガーのようだった。しかし、それはこの世界のどんな戦闘機にも似つかない独特なフォルムをしていた。
「すごい」
メリーが感嘆の声を上げる。
「あんた一体何者だ?」
アレックスが男に聞く。男はそれに気を良くしたのか、得意げに話しだした。
「実は私、この米軍基地に所属している研究者でしてね。このジェット機は私が開発した中でも最高の作品だ。さ、乗って。目的地はゴビ砂漠に設定してあります」
「すごい、ありがとう!」
メリーはすぐにジェット機の内部へと入っていった。しかしアレックスは一切身分を明かそうとしないこの男に不信感を抱いていた。
「どうして俺たちに協力する?」
「私も軍のやり方には懲り懲りでね。まあ、そのうちわかりますよ」
男はそう言ってハンガーにある個室に入っていった。そんな彼に対する不信感を胸に秘めたままアレックスはジェット機に乗り込んだ。
乗り込むと同時に機械で合成して作られた若い女性の声が機内に響き渡る。
「機体ナンバー1 自律型アンドロイド搭載ドローン『MADE in』起動しました。ご主人様、なんなりとお申し付けください」
「ご主人?」
アレックスが男の方を見る。男は目をそらし、咳払いをしながら言った。
「ああ、気にしないで。私の個人的な趣味でして。MADE、客をゴビ砂漠までお連れしろ」
「承りました。ゴビ砂漠へ出発します。衝撃に備えてください」
MADEと呼ばれたアンドロイドが警告する。窓の外から格納庫のゲートが開き、警告音が鳴り響く。
アレックスとメリーは席に着き、ベルトを締めて発射に備えた。MADEがカウントダウンを開始し、男が外から何か言っているが上手く聞き取れなかった。
「カウントダウンを開始します。10、9、8」
「アレックスさん! アベリィはゴビ砂漠に住んでいる民族のもとへ向かいました! そこに向かうんですよ!」
「ああ!? なんだって?」
「3、2、、1、発射
次の瞬間、とてつもない衝撃が二人を襲った。そしてすぐにMADE inは発射され、一瞬で雲の中へと突入した。
「無事に発射に成功致しました。リラックスしてコーヒーをお飲みください」
手元のボードが開き、そこからコーヒーが注がれたコップが出てきた。アレックスはそれを手に取り、一気に飲み干す。
「なんであんたはMADEって呼ばれてる?」
「はい、アレックス様。私は世界中のどこからでも発進でき、世界中のどこにでも着陸できるジェット機として造られた陸海空移動用汎用戦闘機です。主に生物や荷物を迅速に運ぶことからこのような名前が与えられました」
MADEは淡々とした口調で話す。その声は無機質ながらもどこか生命を感じさせる声だった。
「ジェット機なのに戦闘機なのか。それじゃあ機銃やミサイルもあるのか?」
「はい、アレックス様。私は必要に応じて移動モードと戦闘モードを変更することができます。ですが大抵の戦闘機は私に着いてくることは不可能なため実戦経験はありません」
「ああ、ああ。科学の進歩ってすごいな」
アレックスは座席に深く座る。メリーは窓から見える雲海を目を輝かして見つめていた。
「すごい……雲の上ってこんなことになってるんだ」
「はい、メリー様。雲の上は常に快晴です」
MADEは相変わらずの口調で事務的に話す。そんな彼女は気を利かせたのかメリーの目の前に小さいディスプレイを表示し、パンデミック発生前の映画を再生した。
「あ、これってエイリアン? こんなこともできるんだ」
「はい、メリー様。私は作成され、上映された映画の殆どを保存していますので視聴したい映画があればなんなりとお申し付けください」
「わかったわ」
メリーはそう言って再生された第一作目のエイリアンを鑑賞した。アレックスはコーラを取り出し、それを飲んでいた。
―
「アレックス様。起床時間です、アレックス様」
MADEがアレックスの顔に水を噴射する。アレックスは目を開き、窓から外を見た。
「ゴビ砂漠上空に接近。間もなく着陸します。ベルトを締めてください」
そう言われたアレックスは指示通りベルトを締める。メリーはというととっくにベルトを締めており、着地への準備は完璧なようだった。
「地上へ接近中。カウントダウンを開始します。10,9,8,7、」
MADEがカウントダウンを開始した。窓の外から見える砂漠が凄まじい速度で近づいて来る。
「3,2,1。姿勢を変更し、着陸します」
MADEが減速し垂直着陸態勢に入った。機内のアレックスたちは一瞬だけ宙に浮いた。
やがて機体は砂漠へと降り立ち、静止する。
「目的地に到達。ご武運を!」
新たにMADEが用意した衣類を身に漬け、二人は外に出る。するとMADEは再び垂直に離陸し、飛び立っていった。アレックスは袖をまくった野戦服の肩からフードのように白いスカーフを被る。
メリーも茶色の長袖の肩から頭にかけてフードのように赤いスカーフを被るがこちらはスカートの上にもう一枚赤いスカーフを腰に巻いた。
「まるで赤ずきんだな」
アレックスが茶化すとメリーは照れくさそうに下を向いた。
「早く行こ。あそこに集落が見えるわ」
メリーが指さした方には岩に紛れて分かりづらいが、比較的大きい集落が見えた。
アレックスたちはそこに向かって走る。この辺りにはオルゴイコルコイは生息していないらしいが砂漠は夜になると急激に冷える。その前にあの集落にたどり着きたかった。
少し走って集落にたどり着いた。骨で作られたゲートがあり、そこから2枚の赤い旗が垂れ下がっている。
そこをくぐると市場に出た。人が多く、かなり賑わっている。その市場で1店だけ人が少ない店があり、そこに二人は近づいていく。
「あら、旅の方? 赤ずきんちゃんなんか連れてどうしたの?」
店番の若く露出が多い服装の女が話しかけてくる。彼女はスカーフで顔がよく見えないアレックスの顔を覗きこもうとしていた。そんな彼女を無視してアレックスはメリーの母親について尋ねる。
「ああ。人を探している」
「人?」
「女だ。年齢は30代ぐらい」
女は頬に手を当ててしばし考える。やがて思い出したのか手を叩いた。
「ああ! 最近はここに来る人はあんまりいないしよく覚えてるわ。キレイな人だったわよ」
女は楽しそうに話す。それにメリーが質問する。
「なんで人が来なくなったの?」
「普通はあまり話さないんだけど……赤ずきんちゃんには特別に教えてあげるわ」
女はそうは言ったものの隠そうともせずに続ける。
「最近私たちの集落から少し離れたところに怪物が出没してるらしいのよ。オルゴイコルコイってみんなは言ってるわ」
「そいつは……本当に存在してるのか?」
アレックスが詰め寄る。女は驚いた顔をしているがアレックスの問いに頷き、続けた。
「ええ。私も見たんですもの。遠方の村に荷物を運んでて、そこから戻る最中にね。その日は砂嵐が頻発しててよくは見えなかったんだけど遠くにこんなに大きな赤っぽい蛇が動いているのが見えたわ」
女は手を精一杯広げてその大きさを表す。
「最近は長老の一人息子がオルゴイコルコイの調査に向かってるわ。名前はグドゥフルって言ったかしら。今なら長老の家にいるんじゃないかしら」
そう言って女は集落の中心にある塀に囲まれた屋敷を指す。アレックスは目で感謝の意を訴え、屋敷に向かった。
それに着いて行くメリーの背に向かって、女は呼びかけた。
「またおいで、赤ずきんちゃん! サービスしてあげるわよ」
メリーは振り返ってお辞儀をし、アレックスに着いていった。
一方、アレックスは屋敷の門を見張る兵士に事情を説明し、なかに入れてもらった。
彼は身分を偽ったことをメリーに話す。
「いいか。俺たちはこの砂漠に米軍の調査員という立場でやってきた。ということにしておいた。それっぽく振舞うんだ」
「わかったわ」
見張りの者に案内され、長老の部屋に通される。部屋は綺麗な飾りつけが施されており、清潔に保たれていた。
部屋の中央に取り付けられたソファーに座っている長老と思わしき老人の対面にあるソファーに二人は座る。
「あんたがここの長老?」
「いかにも。私がここの統治者、カザフ・ホミドル」
長老は閉じられていた目を開き、アレックスとメリーの顔を交互に見た。
「お主らが来ることは……お告げにより、とうに知っておった。目的はその子の母親じゃな?」
カザフと名乗った老人は的確に二人の目的を突いてくる。メリーは身を乗り出してカザフに聞く。
「お母さんは? ここにいるの?」
「落ち着くのじゃ……お主の母親はもう、ここにはいない」
老人は一切のためらいもなく言った。メリーの表情がどんどん曇っていく。
「しかし……遠くには行ってはおらんじゃろう」
その言葉にメリーが顔を輝かせる。彼女はカザフに母の行方を訪ねた。
「じゃあお母さんはどこに行ったの?」
「……」
突然黙り込むカザフにメリーが首をかしげる。しばらくしてカザフが口を開いた。
「今すぐ教えることはできん」
「もったいぶらないで教えて!」
「メリー!」
興奮するメリーをアレックスがたしなめる。メリーは「ごめんなさい」と謝り、ソファーに腰を下ろした。
「良い。まあ、さっき言ったとおり今すぐ教えることはできん。じゃが、条件を飲んでくれたら教えてやってもよかろう」
「条件?」
身を乗り出したアレックスの目の前にカザフは指を立ててみせた。
「条件はひとつ。我々の避難作戦に協力して欲しいのだ」
「避難作戦だって? 一体何から」
「この地に巣食う邪悪……オルゴイコルコイから」
「なんだって? この辺りにはいないんじゃないのか」
「いや、おる。地下深くで彼らは眠っておる。しかしいつまでも眠っておるわけではない。彼らは数百年に一度目覚め、我ら地上の民を喰らいつくさんとするのじゃ」
カザフは見張りの男の一人に合図をする。すると男は部屋の本棚から一冊の本を取り出し、それをカザフに手渡した。
カザフは本のページをめくり、あるページを見せてくる。
「これは……」
「そう、彼らオルゴイコルコイ……お主らの言い方だとモンゴリアンデスワーム。6年前の忌まわしい事件によって彼らは凶暴さを増し、人を襲うようになったのじゃ」
忌まわしい事件、というのは軍によるウイルスを使ったテロのことだろう。あのウイルスはこんな辺境の地にまでも影響を及ぼしていたのか。
アレックスはあの時、研究所でどうすることもできなかったことを悔やんだ。
「彼らはもうじき目を覚ますじゃろう。その前にあそこに見えるわしの祖先が残した地下壕へと逃げなければならん」
カザフが窓から見える変わった形の木を指差す。アレックスはカザフの方に向き直り、話す。
「あんたらを助けたら、本当にメリーの母親の行方を教えてくれるんだな?」
「もちろん。私は約束は必ず守る」
「どうする? メリー」
アレックスはメリーの顔を見る。彼女は頷き、カザフに条件を飲むことを約束した。
「ありがとう、異国の者たちよ。今日中に出発するぞ、お前たちも支度をしろ」
見張りの男が車椅子を押し、カザフを乗せて部屋から出ていく。しかしもうひとりが彼に尋ねる。
「長老……グドゥフル様は、何処に?」
カザフはこちらを見るがアレックスは首を横に振った。
「あやつもこの日が来ることは分かっておるはず。きっと戻ってきているじゃろう」
見張りの男に連れられ、カザフは部屋を出た。アレックスとメリーも立ち上がり、部屋を出る。
部屋の外では召使い等屋敷のものたちが慌てふためいていた。おそらくカザフの指示を仰いだのだろう、中には荷物を纏めて屋敷を出ていくものまでいる。
屋敷を出ると同様に人々は落ち着かない様子で屋敷の前に集まってきていた。
カザフは車椅子に乗ったまま演説台に上がり、人々に語りかけていた。
「皆の者、落ち着くのじゃ。オルゴイコルコイが目覚めつつあるこの時こそ、団結し力を合わせるべきだと思わんか?」
カザフの言葉を聞いた人々は幾分か落ち着きを取り戻したようでだんだんとカザフに注目が集まっていく。
「民よ、オルゴイコルコイに屈するな。全てを投げ捨てでも生きる覚悟を持つ者だけが生き残れる!」
人々は歓声を上げ、支度をしていない者は自宅に戻り、他は右手に見える巨大な馬舎へと向かった。
アレックスたちもそこに向かう。途中、先ほどの露出が多い服装の女が現れた。
「こっちよ!」
彼女に着いていった先には2頭の馬と馬車が1台、用意されていた。
「自分で言うのもなんだけど私、馬の扱いが得意なのよ。さあ、乗って」
彼女は馬車の運転席に登る。アレックスたちは後ろの荷台に登り、中に入り込んだ。
人々が大行列を組んで集落のゲートに向かっているのが見える。
「行くわよ!」
女が手綱を使い、馬を発進させる。
合図を受け取った馬は嘶き、行列の最後尾に馬を走らせているカザフの後ろに向かった。しかしその間に誰かが割り込んでくる。
「父さん!」
「グドゥフル……どこに行っていた」
その少年は上半身を動物の毛皮で包んでおり、同じく毛皮で作ったズボンを履いていた。
「ちょっと遠くまで行きすぎてさ。で、この人たち……誰?」
グドゥフルはこちらに向きながらカザフに聞く。アレックスとメリーはそれぞれ名を名乗った。
「アレックスだ。米軍の調査員として……オルゴイコルコイの生態を研究しに来た」
「私も同じく米軍の調査員で名前はメリー」
「オルゴイコルコイを? 命知らずなんだな……でも悪い奴じゃなさそうだ。俺はグドゥフル、よろしく!」
グドゥフルは明るい笑顔を見せる。そしてすぐに前に向き直り、行列を乱さないように馬を操る。
彼は非常に手馴れているようで馬は彼の意のままに動いていた。それを見た女が羨ましそうに言う。
「いいな~グドゥフルくんは。私でもそんなに上手に馬を扱えないわよ」
「ファリさんの教えがあったからだよ」
グドゥフルは前を向いたまま言うがその声には照れくさそうな色が混じっていた。
ファリというらしい、アレックスたちが乗った馬車を操る彼女は彼をからかって楽しんでいるようだった。
「もし逃げ切ることができたら、あなたたちにも馬の扱い方を教えてあげるわ」
ファリはそう言い、こちらを振り向いてウインクする。それは大人の色気というべき魅力が詰め込まれており、それを見たアレックスは咄嗟に顔を背ける。メリーが顔を覗き込んで、聞いてくる。
「どうしたの?」
「なんでもない」
アレックスは誤魔化したつもりだったが果たして本当に上手く隠し通すことができただろうか。
アレックスが俯いていると突然、前列から叫び声が聞こえた。
カザフが何か言っているがよく聞こえない。アレックスは馬車から顔を出し、外を見る。
「奴らがきたぞ!」
アレックスは行列の左手の砂が膨れ上がっていくのが見えた。それはどんどんこちらとの距離を詰め、突然砂が一際盛り上がったかと思うと地中から何かが飛び出してきた。それを見た人々が口々に心境を口にする。
「あれが……オルゴイコルコイ?」
「初めて見た」
「大蛇……」
オルゴイコルコイ、ウイルスで進化したらしい『モンゴリアンデスワーム』は全長600メートルはありそうなぐらいの巨体を持ち上げ、行列の上を山なりに飛んで見せた。
奴の体に付着していた砂が滝のようにアレックスたちを叩きつける。
「何も見えない!」
ファリが声を上げる。幸いアレックスたちの馬車は屋根が付いており砂に叩きつけられることはなかったが、外は落ちてきた砂でしばらく何も見えなくなった。
アレックスは外で馬を操っていたファリに声をかける。
「大丈夫か?」
「ええ、なんとか」
砂の雨が止んだ。モンゴリアンデスワームの姿は見当たらなかった。それを悟ったカザフはこの場にいる全員に告げる。
「皆のもの、速度を上げるのじゃ!」
それを聞いた人々は馬を加速させる。馬は嘶きながらも先程までのペースでは考えられないほどの速さで走り始めた。カザフはこちらにクロスボウを投げてきた。
「異国の者よ。オルゴイコルコイを撃退せよ。しかし、決して殺してはいかん。奴らの怒りを買うぞ」
カザフがこちらに忠告する。アレックスは頷き、馬車の屋根へと登った。
そこからモンゴリアンデスワームの姿を探すがその姿が見えない。既に砂の中へと潜り込んだのだろうか。
砂漠一帯を見渡していると、行列の後方で砂が盛り上がっているのが見えた。アレックスはクロスボウに爆薬付きの矢を装填し、盛り上がった砂に向けて構える。
チャンスは一度。失敗すれば、この行列ごと奴に飲み込まれる。
モンゴリアンデスワームが姿を現した。ウイルスで巨大化したその巨大なイモムシを思わせる体の先端に見える
口に向かって、アレックスはクロスボウの矢を放った。矢はモンゴリアンデスワームの口内へと吸い込まれていき、次の瞬間には爆発した。爆発の衝撃でモンゴリアンデスワームのすぐそこまで迫っていた頭が持ち上げられ、砂に沈む。
「やったか!?」
クロスボウを下ろし、様子を伺う。どうやら完全に倒すことができたわけではなく、モンゴリアンデスワームはその巨体を震わせて砂の中へと潜り込もうとしていた。
その隙だらけの巨体に再び装填した爆薬付きの矢を放つ。矢が刺さり、爆発する。地中からモンゴリアンデスワームのくぐもった悲鳴が聞こえた。
あと少しで撃退できそうだ。そう考えたアレックスは周囲に気を配りながらクロスボウに矢を装填する。
装填し終わるとモンゴリアンデスワームの襲撃に備えるが、いつまで経っても姿が見えない。
アレックスは首をかしげ、行列の進行方向を見る。そこには目的地の目印である一本の木がある。もしかしたら撃退できたのかもしれない。
そう考えたアレックスはカザフにそのことを伝える。
「カザフ、奴は逃げ出したようだ」
その報告を聞いた人々はホッと胸を撫で下ろす。しかしカザフは気を緩めずに木の下まで移動するように人々に命令する。
やがて行列は木の下へとたどり着き、人々は馬から下りて地下壕へと続く扉を開いていた。
アレックスも周囲を警戒しながらそちらに向かう。馬から下りたグドゥフルがこちらに駆け寄ってくる。
「あんた、すごいな! オルゴイコルコイを倒しちまうなんて!」
グドゥフルはまるで世界を救った英雄を敬うような目でこちらを見ている。
アレックスはその視線を避けようとして顔を背けるが、グドゥフルはそれを許さない。
「俺の父さんだって怖がるあいつらをやっちまうなんて本当にすごいよ!」
「誰にだって出来るさ、あんな事」
アレックスは一貫して突き放すような態度を取るがグドゥフルはなおもアレックスに質問を続ける。それは見かねたカザフがグドゥフルを強引に連れて行くまで続けられた。