脱獄大作戦
「……うう」
ひどい頭痛がする。どうやらかなり長い間意識を失っていたらしい。
「ここは?」
アレックスは体を起こし、辺りを見回す。どうやら刑務所のようだった。
頭がぼんやりして状況が把握できない。鉄製の扉に近寄り、取り付けられた格子窓から外の様子を伺う。
「クソ……誰かいないのか!」
「ここにいるぞ」
格子窓の下から突然醜い男の顔が現れた。アレックスは後ろに飛び退く。
「誰だ!?」
「はは、ビビってるな。俺は『バルジーノ』! ここの刑務所長をやっているので用があるならバルジーノ所長、と呼ぶように!」
自称刑務所長のバルジーノと名乗った男は扉の前で笑っている。
その顔には無数の傷が刻まれ、左目があった場所にはスコープのようなものが取り付けられている。
髪は短く切っているもののところどころ変色し、見るに堪えない姿となっている。
「ここはどこだ? メリーは!?」
「そう興奮するな……ここはカナダのロッキー山脈。そこに軍が立てた刑務所の一つだ。それにあの小娘には何もしてない」
「お前が俺たちを襲ったのか?」
「いや、襲ったのは下っ端の兵士だ。俺とあの姉妹はそれを指揮してた」
「あの姉妹?」
「あいつらは俺を執事か何かのように使いやがる! ……あの姉妹はお前を兄と呼んで慕っているが……お前がどう思っているかは知らん」
「その姉妹は、一体何者なんだ?」
「法・掟の神テミスから名前を取られた姉のテミス、性愛・豊穣・戦を司る女神イシュタルから名前を取られた妹のイシュタル。
奴らはジェミニ計画と呼ばれるプロジェクトによって造られた3組存在するうちの人造人間姉妹。
軍の中でも唯一の『成功作』と呼ばれるジェミニだが、ある男のDNAを使った結果、超人的な身体能力と頭脳を持って生まれてきた怪物だ」
「そのある男って?」
「貴様だよ、アレックス。お前が眠っている間に俺が血液を採取し、それをプロジェクトに使用した。通常のジェミニは普通の人間と同じように時間をかけて成長し、実験に使用されるんだが……奴らはお前のDNAに完璧に適合し、わずか1ヶ月で急成長を遂げやがった!」
バルジーノは声を荒げて語る。アレックスはそれを無言で聞き続ける。
「さらに奴らは血液の主のDNA情報に全く従わずに活動を開始した。その場にいた研究員は全員惨殺され、博士がどうにか説得して仲間に引き込むことに成功した」
「その内容は?」
「お前を捕獲することに協力する。既に捕獲には成功したがな」
「俺を捕らえて……どうするつもりだ?」
「さあ? そこまでは俺も知らん。だが奴らは貴様を手に入れさえすれば軍に用はない。邪魔な俺たち……いや、俺たちどころか軍もろともは壊滅させられるだろう」
「つまり、奴らは軍に造られたのに軍に従わず、俺を捕まえたらあんたたちを……?」
「そうだ。だからその前に貴様をここに閉じ込めた。奴らはこの場所を知らない。知っているのは俺だけだ」
「……」
テミスとイシュタル。軍に造られた人造人間でありながら軍に従わない彼女たちとは一体?
しかしそれよりも気になることがあった。
「どうして……俺を実験の材料に?」
「貴様が適正だと判断したからだ、上のお偉いさんがな。貴様は軍の研究所に単身潜入し、あの惨劇から生き延びた。しかもヘリの墜落に巻き込まれたにも関わらず生還を果たした。そんな人間を上の奴らが実験材料に選ばないはずがない」
「……」
「巻き込まれて気の毒だが……これからもお前は軍とあのジェミニに狙われることになるな」
「軍も? 何故俺を狙う?」
「貴様を軍としてスカウトしたいのだろう。なんせ奴らは力を求めてるからな」
「俺一人をスカウトしたところで何が変わる?」
「お前個人が必要なのではない……お前の力とDNAが必要なんだよ」
「俺のDNA?」
「テミスとイシュタルはお前のDNAを使った唯一の成功作、ある意味失敗作だがな。しかしその程度の失敗、奴らの技術でどうとでもなる。改良を続けて兵士に変わる新たな兵士を作り出す気なのだろうな」
「なぜだ? 何故そこまでして……」
「上を求めるものはとどまる事を知らないんだろう。軍のトップがそういうタイプの人間だったというわけだ」
「自分の欲望のためなら人を……世界を犠牲にしてでもいいのか?」
「軍の目標は『ウイルスの、ウイルスによる、ウイルスの、そして我が軍のための世界』。お偉いさん方は自分たちが正しいことを行っていると思ってるんだろうよ」
「なんてやつらだ……」
「ああ。あいつらはクズだ、最低のな! だが、それが面白い。俺はそういう人間に着いて行く」
バルジーノが芝居がかった動作で手を振り上げる。
「あんたもイカレてるみたいだな」
「ふん、イカレてるならお前とこんなに長く話してないぞ」
「そういえばあんたはなんでジェミニや軍のことを?」
「冥土の土産に聞かせてやろうと思ってたんだよ、貴様にな!」
そう言ってバルジーノが扉を文字通り取り外した。
普通に開くのではない、格子窓を掴み、まるで当然のことと言わんばかりに扉を強引に取り外したのだ。
バルジーノは笑いながら部屋に入ってくる。上半身は傷だらけの裸で腰にボロボロになった布をいくつもつけていた。
「軍には不慮の事故と言っておいてやるよ! さあ、特等席にご案内だ!」
バルジーノがアレックスの首を絞める。抵抗しようとするがバルジーノの力には歯が立たず、意識を失った。
―
「う……ここは?」
アレックスは広い部屋の中央で手と足を高速用のリストバンドで縛られ、拘束されていた。
そんなアレックスの顔に水がかけられる。
「気分はどうだ?」
「良くはない。頭がぼうっとして、目眩がする。耳鳴りもな」
「そうか。なら目を覚まさせてやろう!」
どこかでスイッチを押す音が聞こえた。次の瞬間、腹に細い針が刺さった。
「ぐうっ!!?」
腹に力を入れて痛みに耐える。針が刺さった場所からうっすらとだが服に赤いシミができているのが見えた。
「どうだ? 目が覚めるだろう? それには毒が塗ってある、針が刺さった場所からどんどん痛みが広がるんだ」
確かに体に刺さった針を中心にどんどん痛みが広がっていく。
「くっそぉ……!」
手足を動かし、どうにか拘束を解こうとするが伸縮性が高く、なかなか引きちぎることができない。
「怖いか? 大丈夫、毒は数時間で効果が切れる。体質によるがな」
バルジーノの興奮した声がどこからか聞こえてくる。痛みはどんどん広がり、胸の辺りと股間の辺りまで焼けるような痛みが伝わっていた。
「うう……」
それでももがき続けるが拘束は一向に解けそうにない。既に下半身の感覚は失われてきており、動いているのかどうかがわからない。
「ふむ……」
バルジーノがスイッチを押す。するとまた針がアレックスに刺さる。
「くっ!?」
「気が変わった、やはり貴様にはもっとあがいてもらおう。どうせやることがないしな」
アレックスは内心で舌打ちする。
バルジーノは完全に俺で遊んでやがる。
「次はどれにしようかな。うーん……これは何のボタンだったかな」
またスイッチを押す音が聞こえた。すると体に電流が流れだした。
「うあああああああああ!!!」
「おっと。これは高圧電流が流れるスイッチだったか、まあいい」
体全体に凄まじい電気が流れるのを感じる。筋肉が痙攣し、我慢できないほどの苦しみに襲われる。
今すぐにでもここから逃げ出したい気分だった。
「どうだ? 効くだろう?」
「あああああああああ!!!」
開いた口から唾液が垂れ、涙が止まらない。
こんな苦しみを味わうぐらいならいっそのこと死んでしまいたい。そう思わずにはいられないほどの痛みに襲われている。
「あのクールなアレックスはどこに行った? え? お前はその程度の人間なのか?」
もはやアレックスにはバルジーノに投げかけられた言葉など耳に入っていなかった。
早く開放してくれ、殺してくれ、そんな願望が胸の内にいくつも芽生え、いても立ってもいられない。
そんな願いが届いたのか、バルジーノが電流を止めた。
「それとも認めるか? 俺は弱い、一人では何もできない愚かで馬鹿な男だと。いいんだぞ、お前は高圧電流を耐え抜いたんだ。服従するなら……楽にしてやる」
「ハア……ハア……」
一瞬、バルジーノの提案に乗ろうかと考えてしまった。
しかしそれは許されない。やつの狙いは俺を仲間に引き入れ、人々を支配することだ。
なんとか逃げ出そうと手足を動かし続ける。
「まだ逃げようとするのか……頑固な男め、だが!」
バルジーノがスイッチを押す。するとまた、電流が椅子を通じて体全体を巡り始める。
その際に体が跳ね上がり、足首を拘束していたリストバンドが引きちぎれる。
「何っ!?」
バルジーノが驚いて電流を止めた。アレックスはその隙に椅子ごと立ち上がり前に走る。
椅子に電気を流していた配線が抜けた。これで少なくとも電気で拷問することはできなくなったはずだ。
「人質が脱走した、刑務所内の兵士は至急シャワー室に迎え! 繰り返す……」
バルジーノがスピーカーを使って兵士たちに指示を出している。
アレックスは扉を体当たりで破り、前に屈んだ体勢のまま廊下を走り出した。
廊下の両隣に取り付けられた扉を開け、兵士が大量に飛び出てくるがなんとか椅子で対応し、廊下の奥にあるエレベーターにたどり着いた。
たどり着くと同時にエレベーターの扉が開き、アレックスは中に転がり込む。
兵士がエレベーターに向かってくる。扉は既に閉まりかけていたが、隙間から一体だけ兵士が滑り込んできた。
「アアア!!」
兵士がアレックスの脛を蹴り、体勢を崩した彼のこめかみを狙う。
体を無理やり逸らしたアレックスは鼻先を蹴られる。鼻の皮が破れ、血が流れ出してきた。
「寝てろ!」
体を勢いよく回転させ、椅子で兵士を殴る。その衝撃で椅子が壊れ、手の拘束も外れる。
アレックスは殴りかかってきた兵士の拳を受け止め、頭を掴んで地面に叩きつける。
とどめにジャンプし、みぞおちを両膝で踏みつけると兵士は沈黙した。
エレベーターの扉が開く。
廊下は十字路となっており、奥から大量の兵士が走ってきているのが見えた。
アレックスも走り出し、角を右に曲がる。そこには兵士が一体だけ立っており、アレックスの繰り出したドロップキックによって地面に伸びる。
立ち上がるとすぐに手近にあった部屋に入り、ロッカーで扉を防ぐ。
兵士が扉を殴っているのが取り付けられたガラス越しに見える。しばらくは時間稼ぎができそうだ。
部屋の中を見渡す。
天井にあるダクトから出ることができそうだった。
「ふっ!」
ジャンプしてダクトを掴む。そのまま体を上げ、ダクトの中に入ることができた。
先程までいた部屋の扉が開く音が聞こえる。兵士に追いつかれないうちにダクトの中を進まねば。
「うあっ!? 離せ!」
ダクトの中を匍匐で進んでいると突然指をネズミに噛まれた。手を振ってネズミを振り落とすと、そのネズミはダクトの奥へと言ってしまった。
「そういえばメリーはどこに行ったんだ?」
トラックが襲撃された際、バルジーノたちはアレックスとメリー以外が全員死んだと言っていた。
となるとこの刑務所のどこかにメリーが捕まっている可能性が極めて高い。
「この部分、外れそうだな」
ダクトの一部分が外れかかっている。衝撃を与えれば簡単に破壊できるだろう。
アレックスは拳でダクトの床を叩きつける。すると大きな音を立ててダクトが外れ、落下していった。
下を確認するために顔をのぞかせる。
音を聞きつけたのか兵士がやってきた。アレックスは顔を引っ込め、息を殺して兵士が過ぎ去るのを待つ。
「……」
「アア……アア……」
兵士が発泡スチロールをこすった時に発するような声を出している。しばらくすると足音が去っていった。
念の為、ダクトの下の安全を確認する。
誰もいないことを確認するとようやくダクトから飛び降りる。
「ここはどこだ?」
どうやら罪人を収監しておくフロアのようだ。メリーがいないかどうか、部屋の中を一つ一つ確認していく。
「ん?」
アレックスは牢屋の一つに手錠が捨てられているのを見つけた。それを拾って顔に近づけるようにして見る。
「M・E・R・R・Y。メリーはここにいたのか」
メリーは自力でここから逃げ出したのだろう。今はそう信じるしかない。
彼女を見つけて、脱出しなければ。
「ここは何回なんだ?」
アレックスは曲がり角に見取り図か何かがないかと思い、確認してみる。
「なんだこれ……」
見取り図自体は存在している。曲がり角の壁に取り付けられているのだが、長い間放置されていたためか文字や図がかすれてよく見えない。
かろうじてここが3階、この刑務所は地下があり、地上では4階まであることが分かったが、4階の見取り図のスペースが見当たらない。
「どこだぁ、アレックス!」
「!?」
どうやらバルジーノが近づいてきているらしい。早く逃げないと。
―
「はあ……アレックス、どこなの?」
メリーは3階の牢屋から脱出し、兵士が少ない4階へと逃げ込んでいた。
「どこだぁ、アレックス!」
「!?」
バルジーノの声が聞こえてきた。私が4階に来るために使った階段を昇っているらしい。
もしかしたらこっちに来るかも、早く逃げなきゃ。
「確か食堂があったはず……」
メリーは食堂に向かった。扉を開けるとけたたましいボイラーの音が耳につく。
これなら少しぐらい音を立ててもバレはしないだろう。しかしそれは的にとっても同じだ。
この部屋にバルジーノが入ってきたのが分かる所にメリーは隠れることにした。
「ここで……大丈夫かな?」
メリーは山積みになり、潰されていた下の方にあるダンボールの奥に隠れる。バルジーノは山積みになったダンボールの中身を確認するだろう。
後は年の割には低い自身の体を活かして、隠れ切ることができれば助かるかも知れない。
「……」
1分、1秒が長く感じる。
メリーは改めて一人でいることに恐怖と心細さを感じていた。
早くアレックスに会いたい。彼と一緒にここから逃げ出し、母親を見つけて三人で仲良く暮らしていたい。
そう考えていると突然、食堂の扉が開く気配がした。
アレックスが入ってきたのだろうか。彼のことだ、バルジーノや兵士に気づかれないように静かに入ってこようとするだろう。
一方、バルジーノはどうだろうか。
あの短気な男に静かにする、ということができそうには思えない。
どっちにしろ今誰が入ってきたのかを確認することは危険だ。息を殺してじっとしていないと。
「……」
地面に耳を付ける。恐らく男の人の足音が聞こえてきた。ボイラーのせいで上手く聞き取れなかったが。
「……!?」
足音がこちらに近づいてくる。まさかと思い、後ろを振り返る。
やはりだ。足首から先が隠れきれていなかった。足音の主はそれに気がついたのだ。
体をピクリとも動かすことができない。死んだふりでやり過ごすことはできないだろうか。
足音がどんどん近づいてきている。相手からはもうダンボールの陰に隠れているメリーの体が見える頃かも知れない。
もうダメだ。そう思った次の瞬間、部屋に誰かが入ってきた。
足音の主は扉を乱暴に開き、部屋の奥に移動しているようだ。
「アア!?」
メリーに近づいてきていたのは兵士だった。食堂に入ってきた者に注意が向き、そちらに走っていったようだ。
間もなく銃声が聞こえる。兵士は入ってきた誰かに射殺されたようだ。
「そこにいるのは誰だ」
何者かが声をかけてくる。しかしメリーにはその声に聞き覚えがあった。立ち上がり、声の主のもとへ駆けていく。
「メリー!?」
「アレックス!」
その男はアレックスだった。突然飛び出てきたメリーに驚き、銃を構えていたが、メリーが抱きついてきたことで銃を下ろした。
しかし彼はすぐにメリーを食堂の机の陰に押しやる。
「どうしたの?」
「隠れてろ!」
アレックスが声を上げたと同時に、また食堂の扉が開かれた。
「ハハハハハ! やっと見つけたぞ、アレックス!」
入ってきたのはバルジーノだった。どうやらさっきの銃声を聞きつけてやってきたらしい。
彼は右手にショットガン、左手にリボルバー、背中にはチェーンソーを背負っていた。
「俺は料理も得意でな、今日の晩飯はお前をグツグツに煮込んだシチューで決まりだな! ハハハハハ!」
バルジーノはどうやら正気を失っているらしかった。目の焦点が定まらず、ずっと首や指を鳴らしている。
「あの小娘もここにいるんだろう!? 二人まとめて干し肉にしてやる、さあ行くぞ!」
バルジーノはリボルバーをこちらに向けた。アレックスは咄嗟に机の陰に飛び込み、銃撃を回避する。
「逃がさないぞ、ハハッ!」
そう言ってバルジーノは扉の取っ手を恐るべき握力で捻じ曲げ、部屋から出られないようにする。
逃げ道は塞がれたのだ、バルジーノを倒すしか生き残る術はない。
「こっちよ!」
メリーが落ちていた包丁を投げる。それはバルジーノの左肩に刺さった。それを受けたバルジーノは膝をつく。
「うぐっ……なんちゃってな! 痛くも痒くもないなぁ」
バルジーノは肩に刺さったナイフを引き抜き、メリーに向けて投げてきた。メリーはしゃがみこんでそれを回避する。
「小娘の方はたっぷり味わってから料理してやる! 楽しみだなぁ」
「やっぱりイカレてやがる……」
アレックスは小声で呟き、陰からバルジーノの姿を捉える。
こちらには向いていない、移動するなら今だ。
アレックスは中腰の体勢のまま移動を開始した。
一方メリーはなるべく体を晒さないように陰から陰へと移動していた。
バルジーノはこちらが隠れていると思われる場所に向かって手当たり次第にショットガンを乱射している。
時々流れ弾がこちらに飛んできて、非常に危険だ。
アレックスの方を見てみると、物陰からアレックスがこちらを見ていることに気づいた。彼はこちらにハンドガンを投げてきた。メリーはそれをキャッチし、バルジーノに向かって撃つ。
銃弾は彼の背中に埋め込まれるが、それをものともせずにバルジーノはこちらに振り向く。
振り向きざまに放ったショットガンの弾がメリーの腕を掠める。
「おっと、狙いが定まってきたな。まだまだ行くぞ!」
バルジーノがショットガンとリボルバーを同時に撃ってきた。
メリーはたまらず陰から飛び出る。
「そこか!」
銃口が彼女に向けられ、今にもトリガーをひこうとした瞬間、バルジーノは地面に仰向けに倒れた。
アレックスが彼の首に手を回し、地面に投げ飛ばしたのだ。
アレックスはすぐさまショットガンとリボルバーを奪い取り、物陰に隠れる。
「やるじゃないか、だが俺にはまだこれがある」
そう言ってバルジーノは背中にくくりつけていたチェーンソーを手にし、エンジンをかける。
身の毛がよだつ駆動音が鳴り響き、刃が回り始めた。
「アレックスは生きたままだるまにしてやる! 小娘の方はアキレス腱を切って動けなくする。後でじっくり、楽しむためにな」
そう言って舌なめずりをしたバルジーノを見て、メリーは寒気を感じた。
そして絶対ここから逃げ出そうと改めて決意した。
「今だ!」
アレックスがバルジーノの頭にリボルバーの弾を撃ち込む。シリンダーに込められた弾を全弾頭に撃ち込んだのだが、バルジーノは自身の頭から銃弾を抜き取り、それを噛み砕いてみせた。
「俺にとってはそんなもんマシュマロのようなもんだ」
「あいつ……本当に人間か?」
アレックスは恐怖した。それは死ぬことへの恐怖などではなく、異形の存在と出会った時に誰しもが感じるような言いようのない恐怖だった。
「こないのか!? こないならこっちから行くぞ!」
バルジーノが叫び、アレックスの隠れていた机にチェーンソーを突き刺した。
チェーンソーの刃がアレックスの顔のすぐ隣に突き出てきた。
「くっ……」
アレックスは目の前にあった扉を蹴り開け、そこに転がり込む。
「馬鹿め! そっちは調理室だ!」
どうやら追い詰められたようだ。狭い調理室でアレックスとバルジーノが向き合う。
アレックスはショットガンを撃ち込み続けるが、バルジーノが怯むはずがなく、どんどん距離を詰めてくる。
「諦めろよ、それとも可愛がってもらえるあの小娘に嫉妬してるのか? ん?」
頭からは血がとめどなく流れ出しており、体も傷だらけなのにバルジーノはニタニタと笑っている。
「さあ、解体ショーの始まりだぁ!!」
バルジーノがチェーンソーを振り上げた。アレックスはバルジーノの手首を掴んでなんとか押しとどめる。
チェーンソーの刃がどんどんアレックスの頭に近づいていく。
しかし、バルジーノは興奮のあまり背後から襲いかかろうとしていたメリーに気づくことができなかった。
メリーがバルジーノに飛びかかり、体勢を崩したバルジーノはベルトコンベアへと倒れこんだ。
「今だ!」
アレックスが壁に取り付けられたレバーを引き、ベルトコンベアを起動させる。
急いで起き上がろうとするバルジーノに、メリーがチェーンソーを突き立てた。
「ガアアアアア!!」
バルジーノが初めて悲痛に満ちた悲鳴を上げた。流石の彼も、体の内側から攻撃されるとひとたまりもないのだろう。
ベルトコンベアが動き出す。『調理』に使われたミキサーにチェーンソーを体に刺したバルジーノが吸い込まれていった。
凄まじい速度で体が切り刻まれ、血しぶきが辺り一面に飛び散る。
やがてその屈強な体はただのミンチと化し、ミキサーが回る音だけが調理室に響いた。
「ああ、私がやったんだね……」
「殺らなければこっちが殺られていた」
人を殺めたこともない彼女にとって、ここでの体験は相当過酷なものとなっただろう。
アレックスは動揺している彼女の手を握り、震えが収まるのを待った。
少しずつ落ち着きを取り戻してきたのか、メリーの体の震えが収まる。もう大丈夫だろう。
「よし。じゃあ行こう」
「でも、どうやって逃げるの? 扉からは出られないわ」
メリーが調理室の窓から見える食堂の出入り口を指さす。ドアノブはぐにゃぐにゃになって絡まっており、動かすことはできなそうだ。
アレックスは室内を見回し、ダストシュートを見つける。
「ここからなら脱出できるな」
「え……」
メリーはダストシュートを覗くが、すぐに顔を背けた。
「どこに繋がってるの?」
「ゴミ溜め」
メリーが怪訝な顔をする。確かに自分からダストシュートに飛び込む輩はそういないだろう。
「ここからしか出れそうにない。食堂には窓がないし」
「うーん……」
メリーが迷っている間にアレックス入ってしまった。
慌ててメリーもそれに続く。
―
数秒間ゴミの匂いがする狭い道を滑っていき、やがて大量に放置されていたゴミ袋に着地した。
少し遅れてメリーもやって来る。
「ほら、ここから出られそうだ」
アレックスが「EXIT」と書かれた扉を見つける。
そこを開くとかなり広い部屋に出た。中央にゴミを焼却する設備が設置されており、その両脇に一つずつゴミを溜めることができる設備が設置されていた。
その奥にはシャッターが三つほど確認できる。
アレックスはシャッターの隣に設置されていたスイッチを押す。
しかし反応がなく、それは何度押しても同じことだった。
「クソ、別の出口を探すしかないな」
「あの梯子はどう?」
そう言ってメリーが3階に設置されていた梯子を指差す。吹き抜けになっているのでここからでも確認できた。
「行ってみよう」
二人は階段を駆け上がり、梯子の下まで走る。しかし梯子は手の届かない位置に設置されていた。
「どうするの?」
「俺を踏み台にして登れ。俺は何か台になれそうなものを探してから登る」
そう言ってアレックスは壁に手をつき、しゃがみ込む。
メリーが恐る恐るアレックスの方に足を乗せると、アレックスはメリーを落とさないように立ち上がり、メリーは梯子を掴むことができた。
「よし、それじゃあ……」
後ろを振り向いて絶句する。マチェットを持った兵士が数名、部屋に入ってくるのが見えた。
幸いこちらには気づいていない。
アレックスはメリーにジェスチャーで先にここを出るよう指示する。
メリーは頷き、梯子を上へと登っていった。
「さて……」
転落防止用の柵が取り付けられた手すりに身を隠し、使えそうなものがないか周囲を探る。
1階に手頃な木箱が見えるが、あれを持って3階に戻るには時間がかかるだろう。その間に兵士に見つかると面倒なことになる。
「それ以外はでかすぎて動かせないな……そうだ」
アレックスはあえて一体の兵士に向かってリボルバーを放った。
銃弾を受けた兵士が地面に倒れ込み、残りの兵士が全員こちらに向かってくる。
一人目の兵士が上がってきた。
無謀にもマチェットを構え、こちらに突撃してきた兵士の腕を掴み、逆にマチェットを兵士の喉に突き刺す。
兵士は膝をつき、床に倒れ込んだ。
兵士は集団で来られると厄介だが、ひとりひとりは大したことがない。アレックスは兵士を上手く誘導し、最後の一人を踏み台にして梯子を掴もうと考えたのだ。
上手くいくかどうかなどわからない。しかし兵士を全員倒して1階の箱を取ってまた戻ってくるつもりもない。
モタモタしてたらメリーが上で襲われる可能性もある。
「次で最後か」
最後の兵士が警戒しながらやってきた。ゆっくりと間合いを詰めてくる。
アレックスも兵士から奪い取ったマチェットを握り締め、待ち構える。
お互いがお互いの様子を伺い、動けない。
しかし兵士は床に足を擦ってこちらとの距離を詰めてきていた。
「アアアア!」
突然兵士がマチェットを振り上げ、飛びかかってくる。
アレックスはそれに素早く反応し、後ろに飛び退いた。
兵士はしゃがんだ体勢のままマチェットを振り上げる。それをギリギリで回避し、兵士の顎に蹴りを入れる。
「アア!?」
兵士は後ろに倒れるが、トドメを刺そうとジャンプしたアレックスの腹を蹴り、追撃を阻止した。
「ぐっ……やるな」
兵士もアレックスも同時に立ち上がり、マチェットを振る。一度振るたびにお互いの刃と刃がぶつかり合い、火花を散らした。
突然、兵士がアレックスの足を蹴り、体勢を崩したところを斬りかかってきた。
マチェットとマチェットが鍔迫り合う。アレックスは隙を突いて兵士の顎に掌底を喰らわし、怯んだ瞬間に背後に回り込む。
兵士の拘束に成功した。兵士は暴れるが、喉元にマチェットを突きつけるとおとなしくなった。拘束したまま、梯子の下まで歩く。
十分に近づくとアレックスは兵士の背中を蹴り、すぐさま兵士の足を切りつける。
悲鳴を上げて膝を突いた兵士の肩を踏み台にし、梯子を掴むことに成功した。
「アア! アア……」
兵士が下でマチェットを振り回しているがそれは虚しく空を切るだけだった。
マチェットを投げられないうちに梯子を登り、マンホールの蓋を開く。
「アレックス!」
外は雪が積もっており、メリーが体を震わせていた。
「メリー、大丈夫だったか?」
「ええ。寒いけど、まだ動けるわ」
そう言ってメリーは歯を鳴らしながらも無理やり笑顔を作る。
「ゴミ処理場が暖かかったせいか余計に寒く感じるな……」
アレックスは手袋を外し、メリーに渡す。メリーは受け取るやいなや、すぐさま手袋をはめた。
「ありがとう」
「いいんだ。バルジーノが言ってたが、ここはどうやらロッキー山脈のどこからしい」
「結構寒いし、北のほうなんじゃないの?」
「わからん。とにかく山を下ろう。ほら、向こうに街が見える」
アレックスが見ていたのはソルトレイクシティだった。
パンデミック前は2002年に冬季オリンピックが開催された都市であったが、今となってはゴーストタウンへと化しており、度々トレーダーや旅商人が使えそうなものを探しに来る程度の街となっている。
そんなことも知らずアレックスとメリーはソルトレイクシティへと赴くために、山を下っていった。