裏切り者と追跡者
「生きて帰ることができたか、運の良い奴だ」
「何言ってる?」
アレックスはゲラルドの部屋に入るなり銃口を向けられた。こちらに銃を向けているのは他ならぬゲラルド自身だった。
冒頭の会話はその直後のことだった。
「外の環境は過酷だ。わざわざ貴重な手下にコスプレさせてまでお前を監視していたのに……返り討ちとはな」
ゲラルドがため息混じりに言った。口調こそ呆れてはいるものの、髭を生やしたその顔にはふてぶてしい笑みを浮かべている。
「手下? 監視? なんのことだ? おい」
「あそこで死んでいてくれたらお前をこの手で始末せずに済んだんだがな」
「質問に答えろ!」
「黙れ! 貴様みたいな6年間も眠っていた寝坊助野郎に答えてやることなどない! ターニャに聞くんだな、あの世でな!」
そう言ってゲラルドは引き金を引こうとする。しかしアレックスの方が素早かった。
体を反らし、足を振り上げて銃を蹴り飛ばし、鼻に一発パンチを食らわせる。それにひるんだ彼の腕を引き、同時に足を払う。
地面に仰向けに倒れた彼の首に膝を押し付け、眉間に銃を突きつける。
「これでもさっきのようなふざけた態度でいられるか?」
アレックスは脅しのつもりでそう言ったがゲラルドの態度は全く変わらなかった。
むしろこの状況を楽しんでいるように見える。
「クックック……」
「何がおかしい」
「馬鹿め、ここにお前の味方はいないんだよ」
ゲラルドがそう言うと何者かがアレックスを背後から拘束する。背中になにか柔らかいものが当たっているのを感じた。
「まさか……」
「ごめん……」
アレックスを拘束したのはターニャだった。
「ハッハッハ! 馬鹿め。親子の絆がお前たちの絆に勝ったようだな」
ゲラルドは立ち上がってこちらに近づいてくる。そしてアレックスの顔を力の限り殴りつけてきた。
「そらっ! もう一撃くれてやろうか!? いや、もう二撃かな!?」
そう言って何度も執拗にアレックスの顔を殴るゲラルド。ターニャは固く目を閉じ、顔を逸らしていた。
「ふう……俺ももう年だな。もう息が上がっちまった」
確かにゲラルドは肩で息をしている。しかし息が整い次第、またこちらを殴ってきそうな勢いだった。
「手を離してくれないか?」
アレックスはターニャに拘束を解くよう求めるが
「ごめんなさい……」
ターニャは謝るだけで拘束を解こうとはしなかった。
コーラを飲んだゲラルドがこちらに歩いてくる。
「さあ、そろそろ死んでもらおうか」
ゲラルドがニヤリと笑った。その顔は完全な勝利を確信した者の顔だった。しかし、その確信からくる余裕が油断に繋がり、彼の敗北を決定した。アレックスは思い切り前にかがみ、その勢いでターニャをゲラルドに向かって投げ飛ばした。
「何を!?」
ゲラルドはそれに反応できず、ターニャの下敷きになって倒れた。しかしすぐにターニャを床に転がし、起き上がる。
咄嗟にアレックスに叩き落されたリボルバーを拾おうとするがそれは既にアレックスの手に渡っており、銃口は完璧にゲラルドへと向けられていた。
「自業自得だ」
リボルバーの引き金が引かれ、部屋には銃声がこだました。
「ふう……」
何やら外が騒がしい。どうやら銃声を聞きつけたレジスタンスが騒いでいるようだ。窓から外の様子を伺う。
「包囲されたか」
数名のレジスタンスが銃を出入り口に向けて立っている。
アレックスは振り返り、ターニャを無理やり立たせて聞く。
「なんでゲラルドは俺を裏切った? お前を利用してまで……」
ターニャは父が殺されたことがショックなのか何も言わない。
アレックスはターニャの目を見てもう一度言った。
「おい。なんでゲラルドは俺を裏切った?」
ターニャの目とアレックスの目が合う。途端にターニャが暴れだした。
「私のせいじゃない! 私のせいじゃない! 仕方なかったの!!」
「ターニャ! 落ち着け!」
ターニャは完全に正気を失っていた。それもその筈、父に裏切られ挙句の果てにはその父が殺されたのだ。しかも信用していた人物に。
「いやあ! 触らないでっ!」
「ターニャ!」
アレックスはターニャを押し倒し、馬乗りになって首を絞める。ターニャも必死に抵抗するがアレックスの腕力と重力には敵わず、やがて気を失う。
「あの女の子……」
医師に預けたあの少女は今どうしているだろうか。理由は不明だがあの医師がゲラルドの仲間だとしたらとんでもない目に遭っているに違いない。
「行くだけ行って、もしそこにあの女の子がいたら一緒に逃げよう」
そう自分に言い聞かせ、扉を開ける。目の前に一人警備に当たっていたレジスタンスが立っており、アレックスはその男の頭を的確に撃ち抜く。
男は崩れ落ち、廊下の奥にある階段からは大勢のレジスタンスが姿を見せる。
そしてこちらの姿を確認するやいなや、フルオートで弾丸をこちらに飛ばしてくる。
なんとか後ろに飛び退き、扉を閉める。しかし扉に弾丸がめり込み、横に転がって回避すると同時に扉に穴が空き、そこから弾丸が飛び込んできた。
「クソ!」
アレックスは立ち上がる。
脱出できるとすれば、もうあの窓しかない。
そう判断し、助走をつけて窓に飛び込む。窓ガラスを破り、隣の住居の屋根に着地する。
「いたぞ! 殺せ!」
路地を挟んで建てられている住居の屋根にもレジスタンスが待ち構えていた。
すぐに立ち上がり、隣の建物の屋根に飛び移る。しかし屋根が崩れ、下にあったゴミ箱の上に背中から落ちてしまう。
「ぐあっ! ……クソ」
一時的に呼吸ができなくなるが無理やり体を動かし、ゴミ箱の裏に身を隠す。
足音が近づくのを確認して威嚇のためにゴミ箱の上から手だけを出して発砲する。
「身を隠せ!」
レジスタンスが住居の壁に身を隠す。そのうちの一人が部下にグレネードを投げるよう指示する。
「グレネード!」
レジスタンスがグレネードを投げた。アレックスはそれを拾って投げ返す。
そしてアレックスは路地の奥に向かって走り出した。後ろから爆発音と悲鳴が聞こえる。
「このやろう!」
後ろから怒号とともに弾丸が飛んでくる。角を曲がり、さらに続く路地を駆け抜ける。
奥まで走れば路地から出られそうだ。アレックスは全力疾走する。
「アレックスさん!」
路地を抜けたと同時に目の前にシートが取り付けられた軍用のトラックが止まった。サイドガラスが開き、中から白衣を着た若い男が顔を覗かせる。
「アレックスさん! 乗って!」
それはあの医師の助手だった。アレックスはトラックの荷台に乗り込み、頭を下げる。
「出しますよ!」
助手がアクセルを力いっぱい踏み、トラックは急発進した。
レジスタンスはトラックを撃つが防弾加工が施されていたため大したダメージにはならなかった。
トラックはレジスタンスの門を破壊し、そのまま外に飛び出る。
―
「ここまでくれば大丈夫でしょう」
助手がこちらに声をかける。それに荷台に乗っていたあの医師が答える。
「止まるな。追っ手が来るかも」
荷台にはほかに看護婦数名と目が点滅を繰り返している頭に銃弾がめり込んだ人型のロボットが一体。その隣には例の少女がいた。
「お前は……」
少女はこちらに気づき、急いで近づいて来る。そして腕にしがみついてきた。
「何を……」
「もう、どこにもいかないで」
少女は目に涙を浮かべていた。
アレックスはどう対応すればいいのか分からず頭を撫でてやることしかできなかった。
「無事で良かった。この子はずっとあなたに会いたいと」
医師がロボットの点検をしながら言う。
「あんたたちは俺を裏切らないのか?」
アレックスの皮肉を混じえた問いに医師が申し訳なさそうに振り返った。
「私は……ここにいる私たちは利用されていたのです。彼らの招待に気づかずに、ずっと」
「正体?」
「はい。彼らは実は……軍の、実働部隊」
医師が間を空けながら言う。アレックスも看護婦も驚いて彼の顔を見る。
「なんだって!? あいつらはレジスタンスなんじゃ……」
「私もそう思っていました。どこから話すべきか……私は数ヶ月前、彼らに命を救われた。そして私は彼らへの感謝の証としてあそこで医師として働くことを決意しました。とてもいい人たちだと思っていましたが……あの時から騙されていたとは」
医師は頭を抱え、続ける。
「あそこで働いて2ヶ月ほどでしょうか。あなたが運ばれてきた」
「俺か」
「はい。彼らは軍に捕獲されたあなたを救い出した、などと言ってはいましたが……本当の目的は別にあったのでしょう」
「それは何なんだ?」
「そこまでは私にも……しかし軍が何らかの目的のためにあなたをあえて逃がさせ、生かしておく必要があったんでしょう」
「騙してたのを知ったのはいつからだ?」
「あなたが私の医務室を出て行ってから……突然男たちが押し入ってきて、死んでもらうと。このロボットに命を救われました」
そう言って医師はロボットを見つめる。
「ああ、彼の名は『ジョン・ドゥ』私の父がどこからか拾ってきましてね。それからというものどこに行くのも一緒。私と一緒にゲラルドたちに回収されていたようです」
「そのロボット……壊れかけてるよな」
「ええ、私たちを庇って撃たれました。幸い機能停止はしていないのですが自力で歩くことはできません。部品さえあれば直せるのだが」
その時突然ロボットが喋った。
「Mr。私はまだ動ける……る…るる」
ロボットは立ち上がろうとするが力なく崩れ落ちる。部品同士が擦れ合い、悲鳴を上げていた。
「ごらんの有様です。以前は走ることもできたのですがね」
医師は思い出を懐かしむようにロボットの頭に手を置いた。そして思い出したように言う。
「そうそう! あなたが出て行ったあと彼女を治療しておきました。それと本人のことを聞いてみました。ほとんど覚えてないらしいですが」
「名前は?」
アレックスが少女に問いかける。
「メリー・ウィリアムズ」
「ウィリアムズだって?」
アレックスは驚いた。おそらく偶然だろうが、この少女が自分と同じ姓を持っていたとは思ってもいなかった。
アレックスはなぜか、自身がどこかで彼女とつながっているような、何とも言えない奇妙な感覚を感じた。
「歳は」
「えっと、17歳」
「その歳の割には随分幼いんだな。その……顔とか色々」
言葉の意味を深読みしたメリーはアレックスから離れる。
それを見たアレックスは小さく笑い、謝った。
「悪い。変な意味はなかったんだが……」
「先生!」
突然医師の助手が声を上げる。かなり緊迫した様子だ。
「どうした!」
「後方からバイクとトラックが接近しています!」
医師が荷台の後ろまで行きシートを少し開き後方を確認する。
アレックスも医師の隣に行き、外の様子を伺った。
「軍め……このトラックを追跡してきたのか!」
医師が軍のトラックを睨みつける。そして運転席の後部に取り付けられた窓を開き、助手に「もっとスピードを上げろ!」と怒鳴る。
しかし助手も
「これ以上出せません!」
そうこうしているうちに機銃が回る音が聞こえる。次の瞬間、大量の弾丸がトラックに放たれ、跳ね返る音が聞こえてきた。
「キャアア!」
看護婦たちが悲鳴を上げて運転席に近寄る。
「みんな落ち着け!」
医師が看護婦たちを必死になだめているが彼女たちは収まらない。
中には失禁しているものまでおり、それによって出来た水たまりがトラックの動きに合わせて動く。
「掴まってください!」
助手が叫び、ハンドルを切る。トラックは華麗なドリフトを決め、森の中の獣道へと突っ込んでいった。
「!?」
突然のことに対応しきれなかった数名の看護婦とアレックスが荷台の中で転がる。
メリーと医師は荷物に掴まっていたため足を打ち付けただけで済んだ。
後方からダートバイク特有のエンジン音が近づいて来る。アレックスは揺れる荷台の中でなんとか移動し、メリーのしがみついていた荷物を開き中身を確認する。
「なにかないのか!?」
荷物の中には食料類が入っていた。それらを掻き分けると底の方に黒い何かが見える。
それは大量の円形の弾倉だった。さらに底にはトミーガン、トンプソン・サブマシンガンが眠っていた。
アレックスはそれを手に取り、マガジンを交換する。
「この状況には打って付けだ」
そう言って荷台の後方に行き、シートの隙間から銃口を少し出す。
反動をなるべく抑えれる体勢をとり、追跡者に向けてまずは威嚇のために弾をばら撒く。
トリガーを引いた瞬間に心臓が激しく脈打つ。
アドレナリンが一気に放出され、全神経が研ぎ澄まされる。
敵が散り散りになったところを確実に仕留めていく。
しかし敵も一筋縄では行かない。驚異的な反射神経で銃弾の軌道から外れ、スピードを上げてトラックに近づいてくる。
「気をつけろ! 敵は兵士だ!」
医師が声を上げた。確かにヘルメットを被ってはいるもののその下にはあの目のない怪物、誰もが生理的嫌悪感を覚えるような兵士特有の生気がない顔が見える。
しかし、それがなんだ。
今のアレックスにとっては兵士だろうが人だろうが関係なかった。恐怖心も嫌悪感も頭にない。あるのは敵を打ち倒すことのみ。
―
既に6台ほどのバイクを破壊したもののその数は一向に減る気配はなく、替えのマガジンも底を尽きかけていた。どうやら敵のトラックの内部に大量のバイクと兵士が搭載されているらしい。
どうにかしてトラックを破壊するしかこの状況を逃れる術はない。そう考えたアレックスは振り返り、医師に助けを求めた。
「あれを破壊するための爆薬かなにかはないか!?」
「どうだったか……」
医師が荷物の中を探り始める。そして四角い箱型の物体を取り出した。
「あった。手製の爆弾だが……威力は充分にある」
アレックスはそれを受け取り、再び後方に向かう。
「まさか……! 無茶だ! あなたが死ぬ事になる!!」
医師がアレックスの意図を察したのか必死に止めようとしてくる。
アレックスはトラックから飛び出し、敵のトラックに爆弾を仕掛けて戻ってこようと考えていた。
失敗すれば死ぬ事になるのは重々承知している。
「死にそうになったことなら何度もある」
そう言ってアレックスはトラックから飛び出した。医者が手を伸ばすがそれは虚しく空を切る。
アレックスは、というとなんとかトラックのボンネットの上に着地することに成功していた。
トラックのドライバーを務めていた兵士はアレックスの予想外の行動に面食らっている。
フロントガラスを蹴り破り、助手席に座っていた兵士を撃つ。
続いてドライバーの兵士に狙いを合わせるがそれを察知した兵士は車を左右に振り、アレックスを振り落とそうとする。
「!?」
アレックスはボンネットの上を滑り落ちそうになったが、間一髪ドアミラーを掴み、足を可能な限り縮めてタイヤに足が巻き込まれるのを防ぐ。
そしてドアミラーを掴んだまま腹筋を使って下半身を動かし、なんとかドアを開く。
開いたドアに飛び移ってドライバーを撃つ。ドライバーが機能しなくなったトラックは不安定に揺らめき、木々や岩肌にぶつかりながらも走るのをやめなかった。
「こっちに寄せてくれ!」
アレックスが叫ぶと医師たちが乗っているトラックが減速し、こちらに近づいてくる。
それを察知したのか軍のトラックのコンテナが開き、バイクに二人乗りした兵士が飛び出てきた。
アレックスは爆弾を運転席に投げ込み、割れたフロントガラスから外に這い出し、仲間のトラックへと飛び移った。
「伏せろ!」
アレックスが叫び、荷台の中にいた全員が耳を塞いで伏せた。
起爆装置のスイッチを押すと背後で爆音が聞こえ、爆風で砂が舞い上がる。そのいくらかはアレックスたちが乗った荷台にも進入し、一時的に視界が悪くなる。
「やったか?」
医師が荷台のシートを開き、トラックを見る。
軍のトラックは爆散し、コンテナが横向きに倒れて道を塞いでいた。あの様子ではもうこちらを追跡することはできないだろう。
医師が深く息を吐き、こちらに戻ってくる。
「もう大丈夫でしょう。カッター、例の場所へ向かってくれ」
医師が助手に指示する。助手はわかりました、と答えハンドルを切った。
―
「今どこに向かってるんだ?」
「私の隠れ家だ。こんな時が来た時のために用意していた」
医師がアレックスの問いに答える。
「見えてきました」
助手が付け加えるように言った。そこには鉄骨や壊れた車などが山積みになっており、さながらスクラップヤードといった風体の場所だった。
トラックが停められる。ロボットを抱えた医師や看護婦たちが次々と降りて行きそれに続いてアレックスも荷台から飛び降りる。
最後にメリーも飛び降りてきたがバランスを崩し、地面に手をついてしまう。
「大丈夫か?」
アレックスが呆れがちに言った。そして手を差し伸べてやる。
「うん……ちょっと足を滑らしただけ」
メリーが無理やり笑顔を作り、アレックスの手を握った。
なんとか歩くことはできそうだが、その顔には疲労の色が見える。
「さあ」
アレックスの手を借りて、なんとか医師たちのもとへとたどり着いた。
医師は鉄骨に取り付けられ迷彩が施されたタッチパッドを入力しているところだった。
「これで……いいはずだ」
医者がエンターキーをタップする。
すると自分たちが立っていた広場だと思っていた部分が動き出し、地下へと動き始めた。
最初は無骨なデザインの鉄骨が周囲を取り囲んでいたがやがて広々としたホールに風景が移り変わり、隠されていたエレベーターが停止した。
「ここが私の隠れ家だ。奥にみなさんの分の部屋がある」
そう言って医師は着いてくるよう促す。アレックスはしゃがみこんでいたメリーを立たせ、支えながら医師たちに着いていった。
「アンナとステファニーはこっちの部屋へ他はあっち。私とカッターはここの部屋だ」
看護婦たちは医師の指導のもと、それぞれの部屋に入っていった。
「アレックスさんはそこの部屋を使ってください。メリーさんは……アレックスさんと一緒のほうがいいでしょう。一番信頼できますしね」
そう言って医師とその助手は部屋に入っていってしまった。後にはアレックスとメリーだけが取り残された。
「とりあえず部屋で休もう」
「わかった」
メリーが頷き、部屋に入る。室内はかなり清潔に保たれており、VIP専用のホテルの一室のような雰囲気を醸し出していた。
「すごい……」
メリーが目を輝かせて部屋を眺めている。その顔はまるで無邪気な子供のように無垢で幼かった。
「先に風呂に入るか?」
「いいの?」
「ああ」
メリーは一瞬ためらったもののすぐにバスルームに向かっていった。
アレックスはその間にクローゼットの中身を確認する。中には女物の下着や洋服が大半を占めており、男物はないように見えた。
「ん?」
服を掻き分けていくと奥の方に一着だけ男物の服があった。黒いファスナーが付いたジャケットとダークブルーのジーパンだった。
サイズも合いそうだ。アレックスはそれらを取り出し机の上に放り投げる。
「さて。メリーが出るまで何をするか……」
とりあえず冷蔵庫を開けてみた。中には大量の冷凍食品が入っている。しばらくはこれで足りるだろう。
ほかに何かないか探してみる。奥の方にコーラを見つけた。
よく冷えており、封も切られてないようだ。これは美味いに違いない。
早速キャップを開けて飲んでみる。炭酸が神経を刺激し、目に少しだけ涙が浮かんできた。
「美味いな」
もう一度ボトルに口を付け、一気に飲み干し、空になったボトルを机の上に置く。
どうやらメリーはまだシャワーを浴びているようだ。水が滴る音が聞こえる。
次はテレビをつけたがどのチャンネルも砂嵐で見ることができなかった。
「なんで……ああ、そうか」
アレックスはリモコンをベッドに投げ捨てる。この世界は一度崩壊しているのだった。しかも軍が電波の送受信を監視している状況でまともな番組を見れるわけがない。
アレックスはまだこの崩壊した世界に馴染みがなかったのだ。
「クソ……」
アレックスは舌打ちをする。そして扉を開け、廊下に顔を出す。
廊下は静まり返っており、人はおろか虫一匹の気配すら感じなかった。
「何をしてるの?」
声がしたので振り返るといつの間にやら風呂から上がったメリーが立っていた。
その身に纏っているのは血に染まったワンピースではなく二の腕が絞られた白い長袖の服を着ており、下はどちらも黒いスカートにロングブーツを履いていた。どれもクローゼットの中に入っていたもののようだった。
「どう……かな?」
メリーがうつむき加減に聞いてくる。
「結構似合ってると思うぞ、俺は」
そう言うとメリーは嬉しそうに微笑んだ。
アレックスはバスルームへと向かう。中は真っ白、というより純白だった。
シャンプーをプッシュし、よく泡立てて頭を洗う。
入念に頭を洗い、次はタオルに石鹸をつけて体を洗った。自分でも気づかないうちに足や腕に大量の切り傷を負っており、体をこするたびに傷が痛む。
なんとか体を洗い終え、泡を流す。湯船に肩まで浸かるとこれまでの疲労が一気に抜けていくのを感じた。
しばらく風呂に浸かり、体の芯まで暖まるとアレックスは腰を上げ、脱衣所に出る。
湯気がもくもくと立ち込め、まるで霧に覆われているかのような錯覚に陥る。
体を拭いてさっき選んでおいた服を着る。部屋に戻るとメリーがベッドの上で雑誌を読んでいるのが見えた。
「腹減ってないか?」
「ちょっと……減ったかな」
アレックスは時計を見る。時刻は18時32分を指していた。
「食堂を探してみよう。みんなもそこにいるかも」
「オッケー」
アレックスが扉を開け、外に出る。メリーもそれに続いて廊下に出て扉を閉めた。
部屋から出て左に行くと白いテーブルクロスが敷かれたテーブルと木組みの椅子が大量に並べられていた。
「わぁ、すごい。大富豪の食卓みたい」
メリーが椅子に座り、得意げな顔で足組みをしてみせる。
しかしアレックスがこちらを見ていなかったことに気がつくと姿勢を戻し、調理場の方へと向かった。
「なにかないかな」
メリーは冷蔵庫の上にインスタントコーヒーの瓶を見つける。
「寒いしちょうどいいかも」
蓋を開け、マグカップに入れる。
お湯を沸かしてそれもマグカップに注いだ。
「ああ……ミルクか砂糖はないのかな。ひとつでいいんだけど」
独り言をつぶやきながら棚を探る。しかし中にはスプーンや皿が入っているだけで砂糖やミルクは見当たらなかった。
「ああ、残念。あんまり苦いのは初めてだけど……」
メリーはコーヒーが入ったマグカップを持ってテーブルへと持っていく。
「メリー! 何してた?」
アレックスが駆け寄ってくる。
「コーヒーを入れてたの。アレックスもいる?」
「それじゃあみんなの分も淹れてもらおうかな」
アレックスの後ろには医師やその助手、看護婦が全員揃っていた。
医師が苦笑いをしてこっちに歩いてくる。
「とりあえず今日はここで食事を取ろう。明日になったらまた移動するのでなるべく早く休んでいてください。君と君とカッターは私と一緒に来い」
医師と助手と看護婦が調理場に向かって歩いていく。ほかの看護婦たちは皆席に着いており、メリーも椅子に座ってコーヒーを飲むことにした。
「自分で淹れたものだけど結構いけるね、ブラックも」
「そんなもの飲んでたら寝れなくなるぞ」
「いいもん」
メリーはそっぽを向いてコーヒーを飲む。アレックスはため息をつき、辺りを見渡した。
いくつか窓が取り付けられているのが見えるが外が土で埋め尽くされ真っ暗なこの地下で一体何を見ろというのだろう。
しばらく待っていると医者たちが料理を持ってやってきた。
「レトルトカレーですが……味は決して悪くないでしょう」
テーブルにカレーが並べられていく。湯気が立ち上っており、食欲をそそられる。
「なかなか美味しいですね」
看護婦が感想を述べる。それを聞いた料理を作った看護婦が嬉しそうな笑みを浮かべる。
医師たちも食卓につき、カレーを食べていた。
レジスタンスにいた頃食べた料理よりこっちのほうが美味いしまともな食事だな、アレックスはそう思いながらカレーを口に運ぶ。
―
看護婦は全員が食堂を立ち去っていた。医師や助手も食器を片付け、食堂に残っているのはアレックスとメリーだけとなった。
といってもアレックスはとっくに食べ終わっているのだが。
「いつになったら食べ終わるんだ?」
「だってこれ美味しいもん。もったいないよ」
何故かメリーはカレーを食べることをやたらともったいぶるのだ。部屋に戻ろうにも彼女に止められ、戻るに戻れないでいる。
「とっとと食べろって」
「私カレー食べたことないの。これが最初で最後かも知れないし……」
「そんなのスーパーとかコンビニでいくらでも拾えるって。早く食べて寝よう」
「でも……わかった」
ようやくメリーは最後の一口をスプーンですくい、それを口に入れた。
コーヒーを飲んで食器と一緒に調理場に持っていく。
「戻ろう」
アレックスは立ち上がり、メリーとともに部屋に戻った。
部屋に戻ると真っ先にベッドに飛び込み、目を閉じて眠ろうとする。
「もう寝るの?」
メリーの問い掛けにアレックスは
「ああ」
とだけ答える。メリーもベッドの上で横になり眠ろうとする。しかしカフェインのせいかなかなか寝付けず、じっと天井を見つめていた。
「アレックス」
返事はない。どうやらもう眠ってしまったらしい。
メリーはまた天井を見つめる。模様も全く描かれておらず完全に白一色の天井にも汚れどころかシミ一つなかった。
私が生まれたところはどこだろう。
そんなことを考えながら目を瞑る。ようやく眠れそうだ。
―
「アレックス。アレックスってば、起きてよ」
「ん?」
目を開けるとそこにはメリーの顔があった。
「もう移動するって」
「マジかよ。顔ぐらい洗わせてくれよな」
そうぼやきながら洗面所に向かい、顔を洗う。
どうやらメリーが支度してくれていたようでリュックを手渡してきた。
「ありがとう」
「みんなホールで待ってるよ、急ご」
部屋を出て廊下を右に曲がる。小走りでホールに向かうと医師たちの姿が見えた。
「全員揃いましたね。それじゃあエレベーターに乗って」
医師に従い、全員がホールの中央にあるエレベーターに乗る。するとエレベーターは振動し、上昇を始める。
地上にたどり着く前に医師が目的地の説明を始めた。
「私たちは今アンザのスクラップヤードにいます。ここからトラックでオレゴンのポートランドまで17時間はかかるが……それでも行く」
「なんでそんなところに?」
「オレゴン州は軍の支配が比較的手薄で特にポートランドでは文明が復興している。我々の身柄を保護してもらえるかも」
エレベーターは地上へと到着した。
助手がトラックに乗り込み、エンジンを掛ける。
「さあ乗って。ここもいつ軍が来るかわからない」
医師に急かされ、トラックの荷台に乗り込む。トラックは木々に隠れていた獣道を走り出した。
「ポートランドに行ったら、どうするんだ?」
「私はそこで暮らそうと思う。一番近いところで安全なのはそこしかないからな」
「私たちはどうするの?」
メリーがアレックスに問いかけてくる。その目は何かを伝えたそうだった。
「ああ。どうしようかな」
「私、お母さんを探す」
「お母さん?」
メリーが真剣な面持ちでこちらの目を見る。
「私……あなたとあのお姉さんと会うまでのことをほとんど覚えてないの。覚えてるのは私を逃がしたお母さんのことだけ。絶対に迎えに来るって、約束してくれた」
「……」
アレックスは彼女の母親はもういないように感じた。
こんな世界で生き延びることができるのはよほどの強運の持ち主か、生きるための知恵や力がある者だけだ。
それを告げようとするが、思いとどまる。
「お母さんを見つけたら……できればアレックスと三人で暮らしたいな」
彼女は純粋に自分の夢を語っている。そんな彼女の夢を潰すことなど、今の自分にはできなかった。
「ああ……できたら、な」
そう言ってアレックスはシートの隙間から外を覗く。崩壊したビル群が立ち並んでいるのが見える。
顔を出してトラックの進行方向を見る。
「まずい!」
アレックスが顔を引っ込め、トラックの後方へ向かう。
助手が何かを叫んでいるが、爆音でその声はかき消された。
トラックが宙を舞い、何度も横転しながら木々をなぎ倒し、停止する。
中にいたものは全員投げ出され、何人かは死亡した。
「くっ……ぐっ!?」
立ち上がろうとしたアレックスの背中に何かが降ってくる。うつ伏せになりながらも背中を見る。
どうやらロボットの腕が後頭部と背中に降ってきたらしい。
あまりの痛みに意識が遠のきそうになるが、なんとか踏みとどまる。
その時、何者かがこちらに近づいてくるのを感じた。
足音から察するに大男と子供が一人、こちらに近づいてきている。やがて足音は止まり、話し声が聞こえてきた。
「こんなに派手にやる必要はないといったはずです。使えない男ですね」
「すまんな。だが中に乗ってたやつは全員死んだみたいだぞ。この男と小娘を除いてな」
「死んでもらっては困ります。私と妹の大切な、最愛の人なのですから」
「あんた……相変わらず兄妹には甘いな。その優しさを部下に分けてやれないのか?」
「兵士などただの駒です。代用品は幾らでも……あら、イシュタル。お留守番をしていなさいといったはずです」
もう一人、奴らの仲間がきたようだ。しかし足音は聞こえず、声だけがすぐそばで聞こえる。
「今日は兄さんが戻ってくる日なんでしょ? 私だって会いたかったの! ……これが兄さん?」
「ああ、私の可愛いイシュタル。今日からは家族みんなでご飯を食べたり、お出かけしたり……」
どうやら三人のうち二人は姉妹らしい。姉はかなり妹を溺愛しているようだ。兄さんというのはいったい誰のことなのだろうか。
そんなことを考えていると突然銃声が聞こえた。撃たれた男が短い呻き声を上げる。
「邪魔するようで悪いが早く運ぼう。あの医者の助手、死んではなかったみたいだ」
男が不気味な笑い声を上げる。
「おいガキども! あいつを始末しろ!」
男が命令するとアレックスの目の前を数人の兵士が大慌てで通り過ぎていくのが見えた。
少しして悲鳴が聞こえ、鉄パイプで何かを殴る鈍い音が何度も聞こえてきた。
「兄さん、はじめまして! ずっと会いたかったよ。私の名前は……兄さん?」
「どうしたの?」
姉妹の、おそらく妹がアレックスに挨拶する。しかし気絶していないことを察知したのか、首をかしげているのが視界の端に見える。
「兄さん、起きてる!」
「何!?」
男が声を荒げる。足音が近づいてきた。
「悪いが感動の再会はお預けだ!」
「やめなさい!」
言い争う声が聞こえるが、アレックスは頭を殴られ意識を失った。
、男と姉妹の姉の方が言い争う中、妹の方はアレックスの頭をさすり、兵士達は気絶したアレックスの体を担いでバンの中に運び込んだ。
兵士たちがバンに乗り込むと男や姉妹もバンに乗り込み、ポートランドとは違う方角に向かってバンは走り出した。