氷の女王
通路を進み、階段を降りて、ハウスの奥へと進む。途中、アレックスは開けた空間に出た。その部屋には一定の間隔をあけてコンピューターが縦に並べられている。どのコンピューターも電源は点いているようで、室内はとてつもなく冷やされていた。床に充満する気化した液体窒素と冷房に体温を奪われる前にここを抜けようと、アレックスは先を急ぐ。周囲を警戒しながらも部屋の中央まで来たところで、アレックスの目の前に液体窒素が集まりだした。咄嗟にそこに向かって銃を向ける。液体窒素は徐々に人の形を作り出し、やがてそれは全身をぴっちりと包み込むスーツを着た女の姿に変わった。
「お前は?」
アレックスは銃を向けたまま女に訊く。女は不敵な笑みを浮かべ、こちらに近づいてくる。それに合わせてアレックスも後ずさる。
「さっきのは貴方の仲間? 皆、私を見て怯えていたわ」
女がようやく口を開く。その声は冷徹でどこか人を小馬鹿にするような印象を持たせる声だった。
「どこに行ったか知ってるのか?」
アレックスが訊くと、女は天井を指差す。つられてそちらを見ると、氷がいくつかぶら下がっているのが見えた。その正体を確認したアレックスは改めて女に銃を向ける。
女はアレックスの反応に満足そうな笑みを見せた。
「あれは貴方のお仲間の成れの果て。みんなもう死んでるでしょうね。氷点下50℃で生きていられる人間は存在しない。ましてや絶対零度を超えるマイナス280℃で凍らされたら死は免れないわ」
女は官能的なポーズをとりながら解説するように言う。彼女が背中を向けた際に、彼女の背中に2本、両手首にそれぞれ一本の管が生えていることに気が付いた。その管は呼吸するかのように、絶え間なく白い気体を放出している。
「気づいた? この管から漏れ出している液体窒素が、この部屋を満たしているの」
女は液体窒素の中に消え、アレックスの目の前に現れた。
「こうやって貴方に触れて……」
女がアレックスに密着してくる。その体は信じられないほど冷たく、彼女の吐息もまた冷たかった。
「こうしているだけで、貴方はじきに動かなくなるわ」
女が嗤う。アレックスは身をよじって女の腕の中から逃れ、距離を取る。
「あら、そんなに嫌そうにしないで。貴方はもう氷の呪縛から逃れることはできないんだから」
女は液体窒素と化して消えていく。そのままいなくなってくれると助かったが、まだこの部屋のどこかに彼女の気配を感じる。
アレックスは姿勢を低くし、見つからないようにしながらコンピューターの陰を移動する。液体窒素が姿を隠してくれているはずだ。そう信じて冷たい床を匍匐で進む。あの女の気配を探りながら、アレックスは冷房の見える位置にまでやってきた。サプレッサーを取り付けたソーコムを取り出し、冷房を撃つ。何度か撃ったところで冷房は壊れ、冷気を吐き出さなくなった。
「その程度で私は止まらないわ」
いきなり耳元で声が聞こえた。驚き振り返ると、あの女が気化した状態でアレックスの身体に乗っていた。
アレックスは床を転がってその場を退き、女に銃を向ける。一瞬で実体化した女は素早い足技でアレックスの銃を蹴り飛ばし、それを凍らせた。
アレックスは咄嗟にスカーを取り出し女を撃つが、女が気化する方が素早く、銃弾は女の背後にあったコンピューターを突き抜けて飛んでいく。女は再び実体化し、アレックスの腹を蹴り、前かがみになった彼の背中を踏み台にして高く跳躍する。飛んだ先にあるのは氷柱だ。
アレックスは身の危険を察知し、前に飛んだ。アレックスがさっきまで経っていた所に氷柱が突き刺さった。
「なかなかやるじゃない」
天井にぶら下がっていた女は消え、床から現れる。女はアレックスの足を掴み、管から液体窒素を放出し始めた。アレックスはその管に向かって引き金を引く。銃弾は女の管の穴に吸い込まれていった。
「っ!!?」
突如、女が苦悶の声を揚げる。足を掴む力が緩み、女は悲鳴を上げながら実体化した。
「熱いっ! 熱いいぃ!」
女の手首にある管が燃え出した。女は背中にある管から液体窒素を噴出し、そのせいで部屋が真っ白になる。何も見えない。
「あの管が弱点なのか?」
アレックスは事前に持ち込んだサーマルゴーグルを装備し、女の居場所を探る。姿は見当たらないので既に気化して逃げたのかもしれない。
アレックスは物陰に隠れ、周囲をゴーグル越しに見回す。熱源は見当たらないが、どこからか女の呻き声が聞こえる。まだ諦めたわけではないようだ。
アレックスは音を立てないよう動き、もう一つの冷房が見える位置までやってきた。それを狙って撃つ。しかし銃弾は冷房のすぐ手前で止められた。
「これを壊されては困るわ」
女が現れた。その手にはアレックスが放った銃弾が握られていた。女の手から凍った銃弾が落ちる。それが割れて粉々になるのと同時に、女がアレックス目掛けて氷の破片を飛ばしてきた。
アレックスは身を引いて物陰に隠れる。アレックスの足のすぐ傍の床に氷の破片が突き刺さった。その破片は砕け散り、一部がアレックスの足に突き刺さる。アレックスはすぐさま破片を引き抜き、女に向かって銃を何発か撃つ。すると何かが破壊される音が聞こえた。顔を覗かせ、冷房を見る。さっき放った銃弾で、冷房を破壊できたようだ。
アレックスは立ち上がり、あえて物陰から出た。目に入ったのは、今まさに気化しようとする女の姿だった。床に這いつくばるような体勢のため、背中の管が丸見えだった。その管に向かって、アレックスは指切りで引き金を引いた。放たれた銃弾は管を一本破壊した。女は悲鳴を上げて床に倒れこむ。それっきり動かなくなってしまった。
「……」
アレックスはとどめを刺すために女に近づく。女に銃口を向け、警戒しながら近づく。それでも女は動かないので、てっきり死んだのかと油断した。
「っ!?」
その油断のせいで、女に対する警戒心が少し和らいでしまった。女は突然起き上がってアレックスを押し倒し、馬乗りになる。
女は息はあがっているものの、余裕を持った笑みを浮かべていった。女は息がかかるくらいアレックスに顔を近づけ
「凍りなさい」
女がアレックスを強く抱き締める。身体が急激に冷え始め、震えが止まらなくなる。身体の感覚がなくなりだした。
次第に何も考えられなくなってくる。女の肩越しに氷柱が見える。
アレックスは力を振り絞り、女の体の下敷きになっていた右腕を引き抜き、腰のホルスターからソーコムを取り出した。力が入らない手を気力だけで持ち上げ、氷柱を撃つ。銃弾は氷柱の根元を削り取り、落下させた。先が尖った氷柱はアレックスが逃げられないよう抱き着いている女の背中に深く突き刺さった。
女は苦痛に顔を歪め、声にならない悲鳴を上げる。女の腕の力が緩み、アレックスは拘束から逃れた。
徐々に意識がはっきりしてくる。自身の身体の上で倒れこんだ女をどかし、アレックスは立ち上がる。
「氷の女王と呼ばれた私が……氷柱なんかで死ぬなんて、皮肉ね……」
女が自嘲の笑みを浮かべる。背中に刺さった氷柱と傷の隙間から血が漏れ出しているのに、死への恐怖など微塵も感じていないとでも言いたいかのように、女は一人で話しを続ける。
「ボス。私はあの男に負けた……貴方のためを思って戦ったのに……負けてしまいました。どうか……お許しを」
女は目を閉じ、『ボス』と呼んだ人物に向かって謝る。アレックスはこの女に、そのボスとは何者なのかを訊ねる事にした。
「ボスとは誰だ?」
アレックスは女に訊いた。だが、帰ってきたのは予想通りの返答だった。
「言うわけないでしょう……それに……」
女が何かを言いかけ、目を閉じ、動かなくなる。まさかと思い、アレックスは女の脈に指を当てた。感じられるはずの鼓動が感じられない。彼女は既に死んでいた。
「……」
アレックスは息を吐いて立ち上がる。口から出た吐息は、自分を襲ってあえなく死んでいったこの女が吐く息のように白かった。




