一段飛ばして、君の元
調理実習で作ったパウンドケーキはとても美味しくできていて、忘れないうちにとレシピをメモしておいた。
今日は土曜日。父は仕事で、母はプチ旅行に出たらしい。車を出してもらえないので、電車でショッピングモールまで行く。材料買いがてら、新しい服も見たいから。
雪は降ってないけど、まだまだ肌寒い季節だ。白の長袖ワンピースに、ジャケットを羽織る。50デニールのタイツを履いて、姿見の前でくるりと一回転。うん、変じゃない。
空は曇っていて、でも少し光が射している。これから晴れる予報だし、傘はいらないだろう。肩掛け鞄に財布と携帯を放り込み、部屋を出た。
誰もいない１階はひどく静かで、何だか不安になる。
早足で玄関に向かって、ぺったんこのパンプスを履いた。薄いピンクの、お気に入りのパンプス。もしかしたら、電車で会えるかも、と期待している。時間も違うのに、それでも期待せずにはいられない。以前土曜日に会っているから、なおさら。
家を出て、鍵を閉める。
きちんと閉められたのを確認して、車庫から自転車を出した。寒いけれど、駅まで行くのならやっぱり自転車の方が楽だ。ワンピースの裾が広がらないようにサドルに座って漕ぎ出す。鼻先や頬にぶつかる風が冷たい。マフラーをしてくればよかったと後悔する。グリップをぎゅっと握って、駅まで急いだ。
いつもの駅の、自転車小屋に減速しないで停める。
余談だが、この小屋は歩道からの入口が狭いから減速しないで入るのは至難の業なのだ。小さくガッツポーズをして、恥ずかしくなってやめた。
財布から定期を取り出して駅員さんに見せる。昼前の電車はすぐ来るだろう。時間はきちんと把握してないけれど。
二番線ホームに、電車が来る旨を伝えるアナウンスが響く。同時に、たたん、たたんと聞きなれた電車の足音が聞こえた。じんわりと冷たくなってきていた膝を擦って、半自動のドアを開けた。
この間も思ったけれど、土曜日の電車って、いい。すごく。車内は平日の見る影もなく、人の気配がない。なんだか違う世界に連れていかれそう、と考えて身震いした。
ホラー小説の読みすぎ、だ。
今日は佐藤さんいないのかな、と見渡して少し残念な気分になる。…そりゃあ、佐藤さんだって毎週土曜まで出勤じゃないだろう、と自分に言い聞かせた。
二人がけの席に座って、深呼吸をした。暖かい空気が肺に入って、喉の粘膜が乾く。乾いた咳が出た。背もたれに背を預けて、体の力を抜く。だらしない格好だけれど、いいや。ふくらはぎに感じるヒーターの熱気が心地いい。やだ、眠くなってきた。閉じていた瞼を開いて、向こう側の窓から景色を見つめることに専念する。
短い区間で動く電車だから、終点にはすぐについた。ぐっと伸びをしてぴょんと飛び降りる。ワンピースの裾がふわりと浮いて、なんだかくすぐったい。
大きな駅だから、ホームがいくつもある。向かい側の線路を見て、あっと声が漏れた。
佐藤さん、いる。
向かい側のホームのまた向こう。三番線ホームに、彼がいる。いつものスーツ姿で、ぼんやりと電車を待っているみたいだ。佐藤さんは腕時計をちらりと見て、くるりと後ろを向いてしまった。こちらには気づいてないみたい。…どうしよう。走って間に合うかな。
階段を登ろうとして、三番線ホームに佐藤さんの姿がないことに気づく。あれ、電車まだ来てないのに…。言いようのない不安に胸を騒がせながら、階段を駆けあがった。学校で鍛えられた一段飛ばしはここでも健在だ。
ぱたぱたと足音が改札口に響く。この時間は電車が来なくなる時間だから人もまばらだ。見渡してもやっぱり佐藤さんはいなくて、あからさまに肩を落としてしまう。はあ、と大きく息を吐いて、財布から定期券を取り出した。佐藤さんがいないのならこの駅にもう用はないのだ。
「やあ、元気なお嬢さん」
「！！え、あ、佐藤、さん」
改札に入る寸前、定期券を入れる寸前に後ろから声が掛かって、間の抜けた声が出てしまった。というか、元気なお嬢さん、ってどういうことだろう。
「千鶴ちゃん、階段一段飛ばしとは、なんだかイメージが違うなあ」
「えっ！み、みてたんですか！」
「いやいや、音がさ」
ああ、やっぱりあんなことするんじゃなかった…。頭を抱えてしゃがみこみたくなるのをぐっとこらえた。佐藤さんは楽しそうに笑っている。眼鏡の奥の黒い目が優しげに細められて、目尻に皺を作る。こんな顔も、するんだ。胸が熱くなって、お腹のあたりがふわふわする。
「千鶴ちゃん可愛い格好してるね。今時の女の子はお洒落だなあ」
改札を通って、佐藤さんがしみじみと言うものだから今度こそしゃがみこんでしまう。
彼が焦っている。もっと焦ればいいんだ。いつもいつも私ばっかりドキドキするのはしゃくなのだ。
口元が緩むのが抑えられない。空はいつの間にか晴れていて、暖かな陽射しが心地良い。そんな昼下がり。
セリフを入れるのをつい忘れてしまいます。
あとタイトル募集してます。
