日常/朝
1・日常/朝
(なにかうるさいものが鳴っている・・・・)
それが最初の思考だった。
頭の真上にある目覚まし時計のことである。
どうやらうるさい原因はこいつのようだ。
とりあえずこいつを黙らせないと一日の開始とはいかない。
私はいつもどおり目覚まし時計を掴みとり、そのまま壁に投げつけた。
おかげで音は止んでくれた、ベットから半身を起こし伸びをする。
体のあちこちが作動し始め、頭もいい感じに冴えてきた。
カーテンを開け、薄暗かった部屋に暖かい日光が満ち渡る。
壁紙が白で統一された部屋は日光を受けると色鮮やかに部屋を照らしてくれて
さわやかな気分にさせてくれるのがありがたかった。
完全に目が覚めたのでベットから起き上がり、寝巻きである赤ジャージを脱ぎ捨てて
学校の制服に着替え始める。
この制服を着てもう一年以上経っているのだが、私は未だにこの制服が慣れないというか、
気に入らないと毎朝感じている。
もちろん理由なんかない、ただ漠然とそう思っているだけで、制服にはなんの責任もない。
どのみちこの制服とはあと二年近く付き合うのだからそんな身勝手な思考は制服を作ってくれた人に失礼であるし、そんな理由で不登校する気などもちろんなかった。
今日の時間割を確認し、必要な教科書や、今日は3時間目が体育なので木造の洋服入れの引き出しから体操服とジャージを取り出し学校指定のカバンに入れる。
身支度を整えて部屋のドアに手をかけようとした時に足でなにかを踏んづけた。
足をどけて見る。
思わずため息が漏れる。
長針と短針が曲がり、中からいろんな機械部品をそこら中に撒き散らしてる目覚まし時計が転がっていたからである。
「で、また壊したの?」
新聞を読みながら母はそう返答してきた。
どうでも良さげな返事に聞こえるが、これが津波が来る前の海の静けさだと私は知っていた。
私の家は花屋を経営しており、営業時間は朝8時から夕方5時までである。
今は朝の七時半すぎ、母はいつもの仕事着である赤エプロンを着けたまま朝食をとっていた。
いつもなら平和に朝の食事を楽しんでいたのだが、今日はそうはいかないようだ。
「まさかねぇ・・・・・」
私は焼きあがった食パンにバターを塗りこみながら答える。
イチゴジャムが置かれているが私は塗らずにそのままパンをかじる。
口の中にパンの旨味とバターの癖のない味が見事にかみ合って幸福感を感じさせる。
やはりパンにはバターのみに限る。
「なにか言いたいことがあるの?」
新聞を畳んでテーブルの片隅に置き、母はこちらを見つめてくる。
見た目はいつもどおりだが、場の空気が母の内心を語っていた。
「チタン合金製の超頑丈目覚まし時計が女子高生のオーバースローで、まさかああも無残に
砕け散るとは思いもしなかったから・・・・・」
目玉焼きに箸で穴を5、6個開けて醤油をバランスよくかける。
それを一口食べて熱々の味噌汁を一口、体全体が暖かくなる。
私はご飯よりもパンを好む、味噌汁も大好きであるから好きなものが二つとも食せる朝の食事の時間がとても心地よいが、今は逆転してしまっている。
「いくらしたと思う? あれ?」
笑顔全開でこちらに詰め寄る母。
その笑顔がたまらなく怖かったのは言うまでもない。
「七代目は五千円だったから・・・・・・その倍?」
そう答えると母は右手でじゃんけんのパーを作り、私の顔のまん前に突き出した。
「おしいわねぇ、五倍もしたのよ」
母はそのまま突き出した右手を握りこぶしに変えてテーブルに叩き付けた。
あまりにも強く叩き付けたため味噌汁の半分がテーブルに撒き散らされた。
「わざわざ業者さんに特注で頼んだからねぇ・・・・・そんだけかかるのよぉ」
笑顔のままそう答えてくる母。
日頃から母は笑顔を崩さない。
近所でも有名なきれいな奥様と言われるほどで、
40過ぎではあるが見た目は20代で通るほどの若々しさを持っていた。
性格もどちらかというとおとなしい方なのだが、普段怒らない人なので怒ると半端ない。
「でもまあ、あの時計は長持ちしたほうよねぇ」
母はキッチンペーパーでこぼれた味噌汁をふき取っていき、それをゴミ箱に捨てた。
「二ヶ月もあなたの暴挙に耐えたんだから、前の時計は三日で粗大ゴミだったし」
嫌味にしか聞こえないことを言ってくれる。
しかし、この人自身は嫌味で言ったのではないだろう、ただ単に事実を述べているだけだということを私は分かっている、この人はそういう人だ。
私は食事を食べ終え、食器を流し台まで運ぶ。
「そう考えるとずっと安上がりだし、また同じ時計注文しとくね」
「だから時計は要らないってば・・・・」
食器を洗い終え、そのままカバンを掴んで玄関に向かう。
もう時刻は8時になるところだった。
ここから学校までは自転車で20分はかかるので8時前には出たいのだ。
「弁当忘れてるってー!」
靴を履いていると、母が大慌てで弁当を持ってきてくれた。
「あ、ごめん」
「今日もおいしくできたからね、残しちゃだめよ」
「残すわけないよ、そっちのが難しい」
そう言うと母はとてもうれしそうな顔をした。
先ほどの怒りはすでに消えうせていたようだった。
怒りまじりの笑いより、こっちの笑顔のほうが私は好きだった。
弁当をカバンの中に入れて、玄関のドアを開け、
「時計は買わなくていいよ、必要ないから」
「そうかしら?」
「そうだよ」
母はいまいち納得がいってないようだったが、時間がない。
「その話は家に帰ってきてからにしよ、母さんも早く支度しないと開店に間に合わないよ」
「分かってるわよ、いってらっしゃい」
「いってきまぁす」
玄関を出て外に出る。
外は晴れ晴れしていたが、10月というのもあってか少し肌寒い。
玄関のドアを閉めようとしたときに気がつく。
まだ母に言うべきことがあったのだ。
今じゃなくてもいいが、なんだかすっきりしないので言っておくことにした。
「えっと・・・・・」
ドアを少し開け戻し、ドアの間から顔を入れて玄関を覗き込む。
母がきょとんとした目でこちらを見ていた。
「時計壊したのは・・・悪かったっていうか・・・その・・・」
いつまでたってもこれだけは慣れない、なんか言いにくい。
「ごめんなさい」
それだけを母に告げ、返答を聞かずにそのまま家を飛び出した。