表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】白い結婚が終わるはずでしたが、無関心だった公爵様が今さら溺愛してきます  作者: 風谷 華


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/20

第9話 追跡開始

 公爵邸の空気が、一変した。


 夜明けの冷たい光が廊下に差し込み始めた頃。

 レオンハルト・ヴァルツ公爵は、使用人たちを一斉に動かしていた。


「屋敷中を当たれ」


 低い声。


 いつもの冷静さを保っている――ように見えて、声の奥に鋼の焦りが滲んでいた。


「奥様の侍女はどこだ」


「は、はい……マリアが、今こちらへ!」


 駆け込んできた執事が報告すると、レオンハルトは即座に踵を返した。


 寝室。


 机の上の手紙。

 隣に置かれた指輪。


 その光景は、今も目に焼きついて離れない。


(……俺が、追い詰めた)


 守るために距離を置いた。

 守るために冷たくした。


 だが、その結果がこれだ。


 彼女は、消えた。


 ◇


 マリアが廊下を駆けてきた。


 顔色が悪い。

 目元が赤い。


 彼女が泣いた形跡を、レオンハルトは見逃さなかった。


「……マリア」


 名を呼ぶ声は短い。


「奥様は、いつから出ていく準備をしていた」


 マリアはびくりと肩を震わせ、深く頭を下げた。


「……わ、私は……昨夜、気づきました」


「昨夜?」


「はい。奥様が……お手紙を……」


 マリアの声が詰まる。


 その瞬間、レオンハルトの胸の奥が沈むように重くなった。


(昨夜、だと?)


 つまり、彼女は――昨夜、一人で別れを決めた。


 誰にも見せず、誰にも頼らず。


 ただ、静かに。


 胸の奥で、怒りにも似た感情が立ち上がる。


 怒りの矛先は、他でもない自分だ。


「……契約を知ったのはいつだ」


 マリアが、唇を噛む。


「……第、五書庫の帳簿です。奥様にお伝えするべきか迷いました。でも……期限が近くて……」


 レオンハルトの瞳が、鋭く細まった。


 帳簿が置かれているのは、通常、使用人も妻も立ち入らない場所だ。


 つまり――誰かが、マリアに教え、妻を誘導させた可能性が高い。


 誰が?


 誰が彼女に「終わり」を突きつけた?


(……クラリス)


 社交界で噂を流していた女。


 あの女が“期限”を嗅ぎつけていたとしたら。


 さらに――彼女が脅威側と繋がっていたとしたら。


 最悪の筋が、繋がる。


 レオンハルトは息を吸い、命令を落とした。


「ギルバートを呼べ」


「はっ」


 ◇


 執務室に戻ると、ギルバートが既に地図を広げていた。


 王都から伸びる街道。

 宿場町の位置。

 港までの距離。


 そして、赤い印がいくつも打たれている。


「閣下。奥様が徒歩で出るには限界があります。馬車を使った可能性が高い」


「……門番は」


「交代の直前に、使用人用の出入口から“旅人用の小型馬車”が出たとの証言があります」


 レオンハルトの拳が、ぎゅっと握られた。


「行き先は」


「不明。ただ、御者は口を割りません。金で雇われた可能性があります」


 彼女は、そこまで考えて出ていった。


 誰にも追わせないように。

 誰にも見つからないように。


 その事実が、さらに胸を抉る。


(……俺は、どれほど彼女を孤独にした)


 ギルバートが慎重に言った。


「閣下。奥様は、今も標的である可能性があります」


「分かっている」


 短い返答。


 分かっているからこそ、焦る。


 守るために距離を取ってきたのに。

 彼女が外へ出たことで、むしろ危険が増した。


 レオンハルトは地図を指でなぞった。


「……宿を当たれ。街道沿いの宿、すべてだ」


「はい」


「港も。出国の可能性は」


「低いですが、ゼロではありません」


 レオンハルトは言い切った。


「ゼロにする」


 ◇


 捜索は、容赦なく始まった。


 公爵家の騎士が、複数の小隊に分かれて動く。

 情報屋が街に散る。

 宿の帳場に金が積まれ、目撃情報が集められる。


 ――そのすべてが、“エリシアを見つけるため”だった。


 普段のレオンハルトなら、こんな露骨な動きはしない。


 敵に嗅ぎつけられるからだ。


 だが今は。


 そんな計算よりも、彼女の方が大事だった。


(……間に合え)


 胸の中で、何度もそれだけを繰り返す。


 彼女がどこにいるのか。

 無事なのか。

 泣いていないか。


 想像するだけで、喉の奥が痛む。


 ◇


 昼前。


 ギルバートが執務室に駆け込んできた。


「閣下!」


「……何だ」


「街道沿いの市場で、“貴族風の女性が外套姿で一人歩いていた”との証言がありました」


 レオンハルトの呼吸が、一瞬止まる。


「場所は」


「東門から二里ほどの宿場町付近。市場が立つ日です」


 レオンハルトは即座に外套を掴んだ。


 迷いはない。


「馬を出せ」


「閣下、直行されますか」


「当然だ」


 低い声に、鋼の意志が宿る。


「――俺が行く」


 守ると決めた。


 迎えに行くと決めた。


 それを、今ここで果たす。


 ◇


 廊下へ出る直前。


 レオンハルトはふと、手紙を握りしめたままの自分に気づいた。


 皺だらけになった紙。


 彼女が、震える手で書いた別れの言葉。


 それを見つめ、彼は小さく息を吐いた。


「……エリシア」


 名を呼ぶ声が、かすれる。


 この三年、呼びたくても呼べなかった名。


 今度は、必ず。


 彼女の前で呼ぶ。


 嫌われてもいい。

 泣かれてもいい。


 ――もう二度と、手放さない。


 レオンハルトは階段を駆け下りた。


 屋敷の外で、黒馬が嘶く。


 鞍に飛び乗り、彼は駆け出した。


 東門へ。


 市場へ。


 彼女がいる場所へ。


 ただ一つの願いを胸に。


(……間に合ってくれ)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ