第17話 過保護な氷の公爵
王城を出た瞬間、夕暮れの風が、頬をなでた。
裁定は終わった。
クラリスは失脚し、私の名誉は完全に回復された。
――はずなのに。
胸の奥は、まだ少しだけざわついている。
そんな私の隣を、レオンハルトは無言で歩いていた。
……いや。
正確には。
私に合わせて、歩いている。
いつもなら、大股で迷いなく進む人なのに。
今日は違う。
歩幅が、妙に小さい。
速度も、ゆっくり。
まるで――私を置いていかないように、確かめるみたいに。
(……気のせい?)
私は試しに、少しだけ歩く速度を落としてみた。
すると。
レオンハルトも、同じように遅くなる。
(……合わせてる)
確信した瞬間、胸がきゅっと鳴った。
「……レオンハルト」
「何だ」
「……歩くの、遅くないですか?」
「遅くない」
即答。
でも、明らかに遅い。
「いつもより、ゆっくりです」
「そうか」
そうか、で終わる。
訂正しない。
つまり、意図的にやってくれているのだろう。
私はこっそり笑いそうになるのをこらえた。
◇
しばらく歩くと、今度は別の違和感に気づいた。
……近い。
やけに近い。
肩と肩が、触れそう。
腕と腕も、かすめている。
人混みでもないのに。
(……狭い)
私はそっと、横へずれてみた。
すると。
レオンハルトも、同時に寄ってくる。
……なぜ。
「……レオンハルト、近いです」
「問題ない」
「問題あります!」
「ない」
また、決めつけ。
しかも、少しだけ私の方へ体を傾けてくる。
完全に、逃がさない構え。
(……囲われてる……)
守っているというより、囲っている。
私は半ば呆れながらも、嫌ではなくて――何も言えなくなった。
◇
王城から公爵家の馬車まで、もう少し。
その頃には、私は少し疲れていた。
裁定の緊張。
長時間の移動。
感情の起伏。
全部が、一気に押し寄せてきた。
足が、少し重い。
それでも、気づかれたくなくて、何も言わずに歩く。
……のに。
「……疲れたてるな」
低い声。
ばれてる。
「つ、疲れてません」
「疲れている」
「……決めつけないでください」
「足取りが重い」
観察されすぎ。
私は苦笑した。
「少しだけです」
「少しでも、無理はするな」
そう言った直後。
私の視界が、ふわりと揺れた。
「え――?」
次の瞬間。
身体が浮く。
世界が傾く。
気づいたときには――
私は、レオンハルトの腕の中にいた。
「……ええええっ!?」
完全に。
お姫様抱っこ。
しかも、ものすごく自然。
まるで、最初からそうするつもりだったみたいに。
「ちょ、ちょっと……!?」
「歩けていない」
「歩けてました!」
「転びかけていた」
「かけてません!」
「かけていた」
譲らない。
私は顔が熱くなって、必死に訴える。
「お、降ろしてください! みんな見てます!」
「問題ない」
「大問題です!」
周囲では、衛兵や使用人たちが、露骨に視線を逸らしている。
……優しさが痛い。
私は小さく抗議した。
「……恥ずかしいです」
すると、レオンハルトは少しだけ視線を落とした。
「……俺は、恥ずかしくない」
真顔で、迷いゼロ。
そんなレオンハルト様に胸が、ずきゅん、と鳴った。
◇
馬車に乗り込むと、ようやく降ろしてもらえた。
私はぐったりして、背もたれにもたれる。
「……過保護すぎです」
ぼそっと言うと。
レオンハルトは、少し考えてから答えた。
「そうか?」
「そうです!」
「……だが」
彼は、静かに続けた。
「君を失うよりはいい」
その一言で。
胸の奥が、きゅっと締まった。
私は視線を落とす。
「……もう、逃げません」
「分かっている」
「……信じてくれてますか?」
「当然だ」
迷いのない声。
私は、そっと彼の手に指を絡めた。
彼は一瞬だけ驚き――すぐに、握り返してくる。
彼の力強さが心地よかった。
◇
公爵邸に戻ると、使用人たちが整列して迎えてくれた。
「お帰りなさいませ」
その声は、以前よりずっと温かい。
マリアが駆け寄ってきて、小声で言った。
「……エリシア様」
「はい?」
「さっきのお姫様抱っこ、屋敷中で話題です」
「……やっぱり」
「皆、『あれは完全に溺愛です』って」
「……!」
私は思わず顔を覆った。
レオンハルトは、まったく気にしていない。
「何か問題か」
「問題しかありません!」
マリアは肩を震わせて笑った。
「でも……よかったです。本当に」
その言葉に、私は静かに頷いた。
◇
その夜。
私は自室のソファで、本を読んでいた。
……はずなのに。
内容が、まったく頭に入らない。
なぜなら。
レオンハルトが、すぐ近くにいるから。
椅子を私の横に運び、書類を読んでいる。
距離、近すぎ。
「……仕事部屋でやればいいのに」
「ここがいい」
「……理由は?」
「君がいる」
即答。
反則。
私は本を閉じた。
「……本当に、過保護になりましたね」
彼は視線を上げて、静かに言った。
「前からだ」
「え?」
「……前から、そうだった」
私は言葉を失う。
この三年間、冷たくて、遠くて。
なのに――前から?
レオンハルトは続けた。
「……やり方を、間違えていただけだ」
その声は、少しだけ悔しそうだった。
私は、そっと微笑んだ。
「……今は、間違えてません」
彼は私を見つめる。
「……そうか」
そして、そっと額に口づけた。
優しくて。
控えめで。
でも、確かな愛情。
「……これからは、もっと大事にする」
私は、彼の胸に額を預けた。
「……私もです」
過保護で。
不器用で。
でも、誰よりも優しい人。
――私の、夫。
こうして。
“氷の公爵”は、正式に。
”溺愛公爵”へと進化したのだった。




