第15話 証拠の提示
夜の公爵邸は、ひどく静かだった。
昼間は人の行き交う廊下も、今は足音ひとつしない。ただ壁に並ぶランプの淡い灯りだけが、長い影を落としている。
私は、書斎の前で立ち止まり、そっと胸に手を当てた。
(……落ち着いて)
今日、この部屋で行われるのは――裁きだ。
誰かを傷つけるためのものではない。
奪われたものを、取り戻すための。
私は小さく息を吸い、扉を叩いた。
「……どうぞ」
低い声が返る。
中に入ると、すでに全員が揃っていた。
机の正面に立つレオンハルト。
その隣に、側近のギルバート。
壁際には、緊張した面持ちの使用人が二人。
誰も笑っていない。
空気が、張り詰めていた。
◇
「……来たな」
レオンハルトが私を見る。
私は頷き、そっと彼の隣に立った。
すると彼は、無言で私との距離を詰めた。
半歩、内側へ。
(……守ってくれてる)
それだけで、少し心が軽くなる。
「では、始めよう」
ギルバートが淡々と言った。
「まず確認する。お前たちは、以前、クラリス嬢の専属使用人だったな」
「……はい」
二人は、同時に頷いた。
「彼女から、特別な指示を受けたことは?」
沈黙。
重たい沈黙が、部屋を満たす。
やがて、一人が震える声で答えた。
「……ありました」
私は、思わず息を詰める。
「内容は?」
「……奥様のことを、調べろ、と」
胸がざわつく。
「行動。交友関係。屋敷内の様子……すべてです」
「報告先は」
「……クラリス様です」
ギルバートは、静かに書類を取り出した。
「では、次だ」
机の上に並べられたのは、帳簿の束だった。
「これは、裏帳簿だ。説明しろ」
使用人の顔色が、みるみる青くなる。
「……宿屋、馬車屋、情報屋への支払い記録だな?」
「……はい」
「名義は別人だが、資金の出所はすべてクラリス嬢に繋がっている」
私は、思わず目を見開いた。
(……こんなに、長い間)
私の知らないところで。
静かに、確実に。
「特に、この期間だ」
ギルバートが指を指す。
「奥様が屋敷を出た前後」
確かに、そこだけ数字が跳ね上がっていた。
「……なぜ、この時期に?」
問いかけに、使用人は崩れ落ちる。
「……噂を、流せと……」
かすれた声。
「“公爵夫人は居場所がなくて逃げた”
“愛されていないから出ていった”
……そういう話を……」
胸が、締めつけられた。
あの時。
私が耳にした言葉。
私を追い詰めた視線。
すべて、仕組まれていた。
◇
レオンハルトが、低く尋ねた。
「……なぜだ」
使用人は、涙を浮かべる。
「……クラリス様が……」
言葉を探しながら、続けた。
「公爵様が、奥様を大切にされているのが……許せない、と……」
空気が、凍る。
「……ずっと、公爵様のことを……」
「やめろ」
鋭い声。
レオンハルトだった。
「俺の気持ちを、勝手に歪めるな」
そして、私を一瞬見る。
「俺は、最初から――」
迷いなく言った。
「エリシアしか選んでいない」
心臓が、跳ねた。
胸が熱くなる。
◇
「……次だ」
ギルバートが続ける。
「契約の件について」
私は、思わず身を強張らせた。
「あの件を、誰が奥様に伝えた」
使用人の一人が、俯いたまま答える。
「……私です」
「命令か?」
「……そうです」
小さく首を振る。
「クラリス様が、奥様に伝えるようにと……」
部屋が、静まり返る。
「それで私は、奥様が信用している侍女のマリアに、
契約のことを話しました」
私は、息を呑んだ。
あの日の記憶が、よみがえる。
マリアは、迷ったような顔をしていた。
使用人の声が震える。
「私は奥様と関わったことがなかったので……」
「マリアを利用して、奥様に伝えた」
ギルバートが静かに補足する。
私は、目を閉じた。
全部、繋がった。
マリアの善意を使った罠。
最悪のやり方。
「……それを知れば、奥様は耐えられない、と……」
使用人は、泣きながら言った。
その瞬間。
レオンハルトの拳が、机を叩いた。
鈍い音。
「……卑劣だ」
怒りを抑えた声。
「人の善意を利用するな」
◇
「証拠は、揃った」
ギルバートが書類をまとめる。
「金の流れ。証言。誘導の記録」
「すべて、王に提出できる」
それは――終わりの宣告。
「……明日、王命裁定が下る」
私は、静かに息を吐いた。
「……終わるんですね」
「いや」
レオンハルトは首を振る。
「終わらせる」
強い声。
誓いのように。
◇
使用人たちが連れて行かれ、部屋には私たちだけが残った。
私は、椅子に座り込みそうになる。
「……私、気づけませんでした」
「違う」
即答。
「お前は、信じた」
「それだけだ」
優しい声。
「……弱かった」
「違う」
また、否定。
「耐えすぎた」
胸が、熱くなる。
彼は、私の額に額を当てた。
「……これからは、俺を使え」
「……はい」
私は、微笑んだ。
◇
窓の外には、月が浮かんでいる。
あの頃、私はここで泣いていた。
でも今は。
隣に、彼がいる。
「……もう、大丈夫だ」
低い声。
私は、彼の肩に寄りかかった。
クラリスの嘘は、もう逃げ場を失った。
静かに、確実に。
運命は、裁きへと進んでいく。




