月の手紙箱
春の夜。
桜がほころび始めた町に、月は静かに浮かんでいた。
丘の上の古びた郵便局に、月見が現れる。
銀色の制服に白い帽子。肩には、まだ届けられていない言葉が詰まった皮の鞄。
その夜、彼が向かったのは、町の一角にある小さな一軒家。
そこには、すれ違ったままの家族が暮らしていた。
その家を見ながら、月見は鞄から3通の半透明の手紙を取り出した。
「手紙になれない言葉たち…彼らに届けてあげよう」
その夜、月見は三通の手紙をそれぞれの枕元にそっと置いた。
それは、家族それぞれが心の中で書いた“届かなかった手紙”。
言葉にできなかった想いが、月の光に包まれて綴られていた。
それらはスウっと消えていき、彼らを夢へと誘った。
~ 父の夢 ~
中間管理職の父・浩一は夢の中、若い頃の娘・沙耶と公園を歩いていた。
沙耶が笑いながら言う。
「パパ、今日の仕事どうだった?」
浩一は言葉に詰まる。
いつも家では無口になってしまう自分。
でも夢の中では、ぽつりとこぼす。
「…誰かに、頑張ってるって言われたかったんだ」
沙耶は立ち止まり、父の手を握る。
「私、ずっとそう思ってたよ。パパは、すごく頑張ってるって」
その言葉に、浩一の肩の力がふっと抜けた。
~ 母の夢 ~
母・恵美は夢の中、キッチンで娘と並んで料理をしていた。
沙耶が言う。
「ママ、最近元気ないね」
恵美は、手を止めて言う。
「家事もパートも、誰にも褒められないの。私、ただの“便利な人”になってる気がして…」
沙耶は微笑みながら、エプロンの裾を握る。
「ママが作るご飯、世界で一番好きだよ。ママがいるから、家が“家”なんだよ」
恵美の目に、涙が浮かぶ。
~ 娘の夢 ~
娘・沙耶は夢の中、幼い頃の自分と向き合っていた。
幼い沙耶が言う。
「ねえ、なんで泣いてるの?」
沙耶は答える。
「誰にも頼れない気がして…でも、本当は誰かに甘えたかった」
幼い沙耶は笑って言う。
「パパもママも、きっと同じ気持ちだよ。みんな、言えないだけ」
その言葉に、沙耶は静かに頷いた。
翌朝。
食卓に集まった三人は、どこかぎこちなく、けれど少しだけ柔らかい空気に包まれていた。
沙耶がぽつりと言う。
「…今日、みんなでご飯食べようよ。ちゃんと話したい」
父も母も、驚いたように顔を見合わせ、そして頷いた。
その日、食卓には久しぶりに笑い声が戻った。
言葉は少なくても、心は少しずつ近づいていた。
その夜、月見は丘の上の郵便局に戻っていた。
彼の仕事はまた一つ、終わった。
だが、鞄にはまだ、誰かの心に届かなかった言葉が残っている。
今夜もまた、月の光に乗せて、
彼は静かに歩き出す。




