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白い便せん

 冬の夜。


 風は冷たく、街の灯りが遠くに滲んでいた。

 月は静かに浮かび、丘の上の郵便局に淡い光を落としている。


 その光の裏側――誰も見ない月の影に、墨色の制服をまとったおぼろが現れる。

 彼の肩には、言葉にならなかった感情を封じるための黒い封筒が詰まった鞄。

 その鞄は、静かに重く、夜の気配を吸い込んでいるようだった。


 その夜、彼が手にしていたのは、一通の手紙。


 差出人:亡き母・澄江すみえ

 宛先:娘・はるか


 澄江は、病の床で亡くなった。

 その直前、彼女は娘に宛てて手紙を書こうとしていた。

 けれど、言葉はうまくまとまらず、便箋は白紙のまま机に残された。

 その白い便せんは、何も書かれていないのに、確かに何かを語っていた。

 その夜、澄江の魂は、言葉にならなかった想いを形にしようとしていた。


「ごめんね」

「もっと話したかった」

「あなたを誇りに思ってる」

 その言葉たちは、夜の風に乗って、形を持とうとしていた。


 月の光がそれらを照らし、淡く揺れる。

 朧は、その気配を察知し、静かに歩き出す。


 彼の足音は、雪のように静かで、誰にも気づかれない。

 彼の役目は、その言葉が届かないようにすること。


 それは、拒絶ではなく、優しさのかたち。

 届いてしまえば、誰かの心を乱すかもしれない。

 だからこそ、そっと封じる。


 遥はその夜、夢を見た。


 夢の中で、彼女は母の部屋にいた。

 机の上には、白い便箋とペン。

 窓の外には、月が浮かび、風が静かに吹いていた。

 部屋の空気は、どこか懐かしく、少しだけ切なかった。

 そこに、朧が現れる。


 彼は、便箋の前に立ち、そっと手をかざす。

 言葉になりかけた想いが、光の粒となって舞い上がる。

 それは、澄江の心の奥からこぼれたものだった。

 そして、静かに封じられていく。

 光は黒い封筒に吸い込まれ、音もなく消えていった。


 遥は、何かを言いかける。

 けれど、朧は優しく微笑み、首を振る。


「その言葉は、届かなくてもいい。なぜなら君の中に、もうあるから」


 遥は、ふと気づく。


 母の声、母の笑顔、母の手の温もり


 それらは、すでに自分の中に残っている。

 言葉にしなくても、伝わっていた。


 夢の中で、彼女は便箋をそっと撫でた。

 その感触は、現実よりも確かだった。


 翌朝、遥は目を覚ました。

 夢の記憶は曖昧だったが、胸の奥に静かな温もりが残っていた。


 彼女は、母の机に向かい、白い便箋をそっと撫でた。

 そして、窓の外に向かって微笑んだ。


「ありがとう。ちゃんと、届いてるよ」

 その言葉は、誰に向けたものでもなく、空に溶けていった。



 その夜、朧は郵便局に戻っていた。


 封じた言葉の詰まった黒い封筒を焼却炉へと投げ込んだ。

 炎が封筒を包み、静かに燃え尽きる。


 彼の仕事はまた一つ、終わった。


 しかし見渡す限り、言葉にならなかった想いは溢れている。


 誰にも言えなかった気持ち。

 伝えたかったけれど、伝えられなかった言葉。


 その中にはきっと封印すべき言葉もあるに違いない。


 それらの言葉を探す為、彼は今夜も町をゆく。


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