灯りの手紙
秋の夜。
風は少し冷たく、街の灯りが静かに瞬いていた。
月は高く、雲の隙間から柔らかな光を地上に落としている。
丘の上の古びた郵便局に、月見が現れる。
銀色の制服に白い帽子。肩には、まだ届けられていない言葉が詰まった皮の鞄。
その夜、彼が手にしていたのは、一通の封筒だった。
少し黄ばんだ紙に、丁寧な筆跡。
封筒の端はわずかに擦れていて、何度も手に取られたことを物語っていた。
差出人:灯
宛先:誠一
灯は、静かな町の片隅にある古い家で暮らしていた。
夫の誠一が亡くなってから、もう五年が過ぎていた。
彼女はその日々の中で、少しずつ言葉を失っていった。
誠一がいた頃は、何気ないことも話していた。
天気のこと、庭の草花のこと、テレビで見たニュースのこと。
けれど、彼がいなくなってからは、言葉を口にする機会が減っていった。
その代わりに、灯は毎晩、便箋に向かって言葉を綴った。
「今日の夕焼け、きれいだったよ」
「庭の金木犀が咲いたよ」
「あなたが好きだった煮物、作ってみた」
それらの手紙は、誰にも見せることなく、机の引き出しにそっとしまわれていた。
灯は、言葉にすることで、誠一との時間を少しだけ延ばしていたのかもしれない。
その夜、月見はその手紙の束から、一通を選び、鞄に収めた。
それは、灯が初めて涙をこぼしながら書いた手紙だった。
灯は夢を見た。
夢の中で、彼女は昔の家の縁側に座っていた。
風鈴が揺れ、虫の声が遠くから聞こえてくる。
隣には、誠一が静かに微笑んでいた。
「読んだよ、全部」
誠一はそう言って、手紙を一枚ずつ手に取る。
「ありがとうって、言いたかったの」
灯は、少しだけ涙ぐみながら言う。
「言わなくても、わかってた。でも、聞けてうれしいよ」
誠一は、優しく頷いた。
「あなたがいなくなって、寂しかった。でも、手紙を書いてると、少しだけ近くにいる気がして」
「僕も、読んでると、灯の声が聞こえる気がしてた」
ふたりは、言葉少なに並んで座り、夜の庭を眺めた。
風が金木犀の香りを運び、月の光がふたりを包んでいた。
灯は、そっと誠一の手を握った。
その手は、あたたかくて、懐かしかった。
翌朝、灯は目を覚ました。
夢の記憶は曖昧だったが、心は不思議と穏やかだった。
庭に出ると、誠一が好きだった白い花が一輪、静かに咲いていた。
灯は微笑みながら、新たな手紙を一通書いた。
『ありがとう、またね』
その夜、月見は丘の上の郵便局に戻っていた。
彼の仕事はまた一つ、終わった。
だが、鞄にはまだ、誰かの心に届かなかった言葉が残っている。
今夜もまた、月の光に乗せて、
彼は静かに歩き出す。




