月影の封印
夏の夜。
月は静かに空に浮かび、町の灯りを淡く照らしていた。
その光の裏側――誰も見ない月の影に、墨色の制服をまとった朧が現れる。
彼の肩には、言葉にならなかった感情を封じるための黒い封筒が詰まった鞄。
その夜、彼が向かったのは、健太の部屋だった。
健太は、ベッドで横になりながら、スマホの画面を見つめていた。
悠人からの電話の記憶が、頭の中で何度も再生される。
『……お前だよ』
その言葉が、胸の奥に重く沈んでいた。
いじめた覚えなどない。
けれど、それは自分の感覚でしかない。
もしかしたら、何気ない言葉や態度が、悠人を傷つけていたのかもしれない。
「今さら言われても…」
そう思う自分がいる。
けれど、それは“加害者の論理”だと、どこかでわかっている。
悔しさ、悲しさ、怒り、戸惑い――
それらが混ざり合い、黒い感情となって胸を締めつけていた。
「……なんで俺が責められるんだよ」
そう呟き瞼を閉じる。
健太の目からは涙が流れていた。
窓の外から静かに風が吹き込んだ。その風の中に、朧が立っていた。
彼の目は、健太の心の奥に沈んだ“黒い感情”を見通していた。
朧は鞄から黒い封筒を取り出す。
「これは、届いてはならない言葉だ」
それは、健太の中に生まれた怒りと悲しみの塊。
彼は封筒にそっと手をかざす。
黒い感情が、静かに吸い込まれていく。
怒りは、言葉にならないまま、封印された。
健太の胸の奥にあった棘が、少しだけ和らいだ。
その代わりに、静かな余白が生まれていた。
朧は窓辺に立ち、月の光を見上げる。
「これで、言葉が届く余地ができたかな?」
そう言って、彼は静かにその場を離れた。
月の光が、彼の背を優しく照らしていた。
その頃、月見は悠人の手紙を鞄に収め、健太の部屋へと向かっていた。
銀色の制服に白い帽子。
彼の足音は、風だけが知っていた。
手紙には、誤解と謝罪、そして赦しへの願いが綴られていた。
月見は窓辺にそっと封筒を置く。
月の光が、それを静かに包み込む。
夜明け前。。。
健太は机の上の封筒に気づき、差出人の名前に目を留める。
手紙を読み終えたとき、彼の表情からは陰りが消えていた。
「なんだよ……間違いかよ」
そう言いながら、口元には笑みが浮かんでいた。
その日、健太は悠人に電話をかけた。
いつしか話題は、次の同窓会のことになっていた。
「今度はお前も幹事をやれよ」
『お前も今度は土壇場で欠席すんなよ?』
「うるせーよ!」
二人は笑い合っていた。
その夜、朧は郵便局に戻っていた。
封じた言葉の詰まった黒い封筒を焼却炉へと投げ込んだ。
炎が封筒を包み、静かに燃え尽きる。
彼の仕事が一つ終わった。
しかし見渡す限り、言葉にならなかった想いは溢れている。
その中にはきっと封印すべき言葉もあるに違いない。
今夜もまた、光と影の狭間で――
ふたりの郵便屋は、それぞれの道を歩き出す