第5話「謝罪ラッシュ」
朝。
使用人が玄関先に一通の封筒を持ってきた。
「また、公爵様からのお手紙です」
リディアはうっすらと眉をひそめた。
だがそれ以上、何も言わずに手紙を受け取った。
封を切ると、そこには淡く、けれど震えるような文字が並んでいた。
『君の手を離すべきではなかった。
君が泣いていたことに、どうして気づけなかったのか、いまも自分を責めている』
整った筆跡。それは、間違いなく彼の手によるものだった。
(もう、いちいち見るのはよそう……)
彼女は無言で便箋を畳み、机の引き出しにしまった。
だが翌朝も、また翌朝も、手紙は届いた。
五通。
十通。
二十通――
そのたびに、彼女は受け取っては引き出しにしまい込んだ。
けれど、ある日、ふと便箋を開くと、そこにこんな一文があった。
『君が最初に微笑んだ日のことを覚えている。あの時、私は世界が色づいた気がした』
『君が病に倒れた夜、手を握ったあのぬくもりを、今でも思い出す。
それでも、あのとき私は仕事を優先した。愚かだった』
手紙の内容は、ただの謝罪から、ふたりの記憶の追憶へと変わっていった。
初めて出会った日のこと。
共に馬車で出かけた日のこと。
婚約を伝えるパーティで、緊張して彼女がワイングラスを落としたこと。
彼の記憶の中に、彼女との日々が丁寧に刻まれていた。
「……どうして、今さら、そんなことを……」
呟きにも似た声が漏れたが、誰に向けたものかはわからなかった。
彼女は、便箋の縁を指先でそっとなぞる。
いつの間にか――
彼の手紙をすべて読んでいる自分に気づいた。
そして、三十通目の手紙。
『君がもう、私を許さなくてもいい。
だが、君に伝えたいことがある』
『私は、君と出会って変わった。
君は、私の人生を、変えてくれたんだ』
その文面を読み終えたとき、リディアの胸に、なにかが降りた。
それは赦しではない。
愛でもない。
けれど、ひとつの“確信”だった。
(この人は……本当に、不器用だったのね)
「お手紙は、お返しになりますか?」
侍女がそっと尋ねる。
リディアは少しだけ考えて、首を横に振った。
「……しまっておいて。引き出しに」
「すべてですか?」
「ええ、すべて」
夜。
月明かりが机の上を照らしている。
リディアは引き出しを開け、便箋の束をそっと撫でた。
「あなたが変わったなら、それはきっと……私が変わったのと、同じなのかもしれないわね」
でも、そう思ったとしても、彼の元に戻ることができるかは、まだわからない。
彼の言葉は確かに届き始めている。
でも、それでもまだ、心は癒えていない。
だから、返事は書かない。
今はまだ、沈黙のままでいたい。
エリオットは、また新しい便箋を手に取った。
百通書こう。
千通でも、足りなければ書こう。
彼の心には、ただひとつの思いがあった。
(君がもう一度、笑ってくれる日まで。何度でも)
ペンが走る音だけが、静かな書斎に響いていた。