第4話「贈り物攻撃」
その日から、リディアのもとには毎朝、公爵邸から贈り物が届くようになった。
最初は、花束だった。
彼女の好きだった青いカンパニュラを中心にした、控えめながらも美しいアレンジメント。
だが、それは始まりに過ぎなかった。
翌日は、希少な紅茶の詰め合わせ。
その翌日には、詩人ローゼンの初版本――彼女がかつて一番愛読していた詩集。
「……覚えていたのね、あの本」
無言で箱を開けながら、リディアは微かに眉をひそめた。
想い出を掘り返されるような、妙な気持ち。
そして、寒さ除けのカシミヤのショール、手刺繍のハンカチ、香水、手紙。
さらには、彼女の寝室に合わせて作られた枕と毛布、銀製のナイフフォークセット、果ては使用人付きの馬車まで。
「まるで……これでは」
一体何のつもりか、と言いたくなるが、彼女の内心にはもうひとつの声があった。
(どうして、今さら……)
五日目の朝、ついに庭の前に小さな弦楽四重奏団が現れた。
朝日とともに、バイオリンの音色が庭に響く。
「リディア様、どうなさいますか?」
侍女が困惑しながら尋ねる。
「……演奏は中止してもらって。近所迷惑でしょう」
彼女は冷静に、けれど唇を固く結んで応じた。
兄もさすがに表情を曇らせる。
「リディア、これは……悪い冗談では済まされないな」
「ええ、これは“贖罪”なんかじゃない。ただの執着よ」
そう言った声は淡々としていたが、心の奥では小さな棘が暴れ回っていた。
(どうして。こんなにも、私の“今”をかき乱すの……)
その夜、雨が降り出した。
外の空気は冷たく、屋敷の灯りが静かに濡れるなか――
扉を叩く音が響いた。
「まさか……」
侍女が戸口に向かい、顔色を変えて戻ってきた。
「元ご主人様が……」
リディアの胸がどくんと跳ねた。
「お帰りいただいて」
「……でも、濡れていらっしゃいます。傘も差さずに」
まるで、自分への懺悔を体現するかのように、彼は雨に濡れて立っていた。
その姿を想像してしまっただけで、胸が苦しくなる。
扉を開けたのは、兄だった。
「エリオット公爵。妹に、何のご用ですか?」
「……話を、少しだけでもさせてください」
「あなたが渡してきたものは、すべてお返しする準備をしています」
「受け取られなくていい。ただ……届けたかったんです。彼女の好きなもの、彼女が笑ってくれるもの――」
「兄さま、いいわ。話すだけなら」
リディアは静かに、扉の奥から現れた。
薄手の上着を羽織り、細い肩にショールをかけて。
彼女の姿に、エリオットの喉がひくりと動いた。
「リディア……」
「もう贈り物には目を通しませんよ」
彼は少し顔を伏せた。
「すまない、それでも……渡したかった。君が、好きだったものを、私は覚えていたい。覚えていてほしかった」
「どうしてそんなに……?」
「愛していると、伝えたい。でも、どうやって伝えればいいか分からない」
リディアの手が、わずかに震えた。
けれどその目は、しっかりと彼を見据えていた。
「エリオット様。あなたの気持ちは……重すぎます」
言葉を失う彼に、リディアは微笑んだ。
「少なくとも、私にとっては、もう……愛ではないのです」
エリオットは、なにかを言おうとしたが、そのまま言葉を飲み込んだ。
雨が、静かに彼の肩を濡らしていく。
「……ごめん」
それだけを残し、彼は背を向けた。
リディアは、その背に声をかけなかった。
けれど、胸の奥に、なにかが残っていた。
(どうして、こんなにも……)
その夜、ベッドの中でリディアは眠れずにいた。
目を閉じても、浮かぶのは、雨に濡れながら謝る彼の姿。
「私が欲しかったのは、あんな贈り物じゃない。
ただ、あのとき、隣にいてくれるだけで――よかったのに」
そっと唇を噛み、彼女は毛布を引き寄せた。
その布の香りが、彼の贈ったショールと同じだと気づいたのは、眠りに落ちる直前だった。