第16話「ハッピーエンドの予感」
再婚の承諾から数日後――
リディアは正式に、公爵邸に戻ってきた。
豪奢な披露宴や祝賀のパレードはなかった。
けれど屋敷の中庭で行われた、小さくてあたたかな式は、
まるで春の陽射しそのもののように優しくて、ふたりらしい始まりだった。
「リディア、おかえり」
式のあと、エリオットがふと口にしたその言葉に、
彼女はほんの少し頬を染めながら微笑んだ。
「ただいま、エリオット」
そのたった一言に、長い年月が凝縮されていた。
過去も、傷も、悔いも。
すべてを越えて、今ここにいる。
それは、“帰還”ではなく、“再出発”だった。
再び始まったふたりの生活は、劇的な変化こそなかったが、
心の距離は明らかに近づいていた。
エリオットは朝食の席で、必ず「おはよう」と言葉をかけた。
以前は無言だった食卓が、静かに優しい会話のある場所に変わっていた。
リディアは、彼の帰宅を不安ではなく“安堵”として待てるようになった。
夜になれば、ふたりで読書をしながら過ごす時間が増えた。
「この一文、好きなの。何気ないけれど、優しいの」
「君の雰囲気に似てる」
そう言われて、リディアは少し照れたように笑った。
以前は気づかなかった彼の言葉の選び方が、
今は優しさとして、確かに伝わってきた。
ある日、リディアが軽い熱で寝込んだときのこと。
彼は仕事の書類を脇に置き、ただ静かに隣に座っていた。
「無理しなくていいんだよ、リディア」
「ううん……。でも、こうしてあなたがそばにいてくれるなら……
きっとすぐに、元気になると思う」
その言葉に、エリオットは優しく彼女の手を握った。
それは薬よりもあたたかく、
彼女の呼吸が少しずつ落ち着いていく。
季節が巡り、春から初夏へ。
ふたりは小さな旅へ出かけることになった。
「昔のように、馬車であの湖まで行きましょう。覚えてる?」
「もちろん。あのとき、君の帽子が風に飛ばされて――」
「そしてあなたが、無言で湖に入ったのよね。びっくりしたわ」
笑い合いながら、馬車に揺られる時間。
それは、かつて失われていた“ふたりだけの時”の再来だった。
リディアがふと、うとうとと眠りかけたとき、
エリオットはそっと彼女の髪を撫でた。
「……君とまた、旅ができるなんて思わなかった」
「私も。……今は、幸せよ」
その言葉が、すべてだった。
もう何かを証明する必要も、取り戻す必要もなかった。
ただ、小さな日常を重ねていくだけで、
ふたりの“未来”は形になっていく。
少しずつ、ゆっくりと。
でも確かに、温かく、深く――
ふたりは、やっと本当の意味での“家族”になっていた。