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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

演技派元舞台俳優、本物の王子様のお姫様を演じさせていただきます!

作者: きのこ

私はいつだって、お姫様だった。


平和な世では素敵な王子に恋して睫毛を震わす姫であり、戦火のなかでは国のため勇ましく剣振りかざす姫となる。


まれに革命により身を地に落としたこともあったけれど、その時だって高潔なる姫の魂を決して忘れない。

新たな国に生きる自分の民たちを支えるべく商会を興し奮闘した。

あるいは隣国に亡命し、亡くした者たちの安寧を神に祈りながら、身近な人を大切に思い真摯に生きた。


ティアラもドレスも必要ない。


酔った大衆に笑われながら、ぞんざいな仕草で食べ残しのスープをかけられたって構わない。


どれほど古びた板の上でも、痛み腐った板の上でも、地べたにただ立つだけだったとしても、私は胸をはり、瞳を輝かせ、優雅につま先立ちをして、いつだって完璧なお姫様を演じることができた。


父の脚本を、信じていたから。


違う。信じてる。

その父の書いた物語が、王家ひいては王妃を批判するものだとして舞台から引きずり落とされ、界隈を追われ、旅芸人として放浪してもいよいよ食うに困って、下級貴族の家の洗濯女に紛れた今でも、私は父ほど優れた劇作家を、他に知らない。


幸福な結末を生み出す名手。

彼の遺した役を演じる限り、私は彼の編み出す世界に息づき、創造主に心を守られる。


だから、赤く腫れた指先が幾度となく視界に写ろうとも、感じるべき水の冷たさや割れた傷の痛みを忘れてしまっても、微笑んでいられた。

胸をはり、瞳を輝かせ、頬を薔薇色に赤らめ、白鳥のように洗濯場内を渡る。


「今日もあんただけはご機嫌だね」


同じ洗濯場で働くのルディが、肩の力が抜けたように笑う。

広い敷地の片隅にある小屋に運ばれるあらゆる洗濯物を手際よく選別しながら、引っつめ髪からはぐれた一房を汗で濡らしてこめかみに張り付かせていた。


「名前は? 昨日みたいにフラジェって呼べばいいの?」


「そうねぇ。今日は、ライラって気分だわ。ちょっと夢見がちな子なの、歌うのが大好き。仕事中にうるさくしちゃっても、ライラの親切な友人ルディなら、見逃してくれるかしら」


「末端の雑用係にまでご丁寧に構ってくださる執事様が来ない時ならね。それと、今はいてる靴、今夜あたしに貸してくれる?」


私は水をためた桶にシーツを沈め、叱られた犬のように顔を曇らせた。


「だめよ。ルディったら、寝る間を惜しんでこれを直す気でしょう? また良い布きれを手に入れたら貼っとくから、平気よ」


つま先にあいた穴から、親指をひょこひょこと動かして見せる。

けれど彼女はそれを見ずに、優しげな眼差しで私の目をまっすぐに見た。


「いいのよ、ライラ。あたしがしたいの。あんたには親切でいたいのよ」


また手元の作業に視線を戻しても、ルディはかすかに笑っていた。


「まったく。半年前までは、変な子と一緒にさせられたと思って腹を立ててたのに、なんでだろうね」


「ルディが底抜けに良い人なのね。……思いついた。底抜けに良い人を称える歌」


手も動かしつつ、私は歌う。

高原に放たれた羊たちにふりそそぐ日差しを想像しながら、即興で言葉とメロディを繋げる。

じゃぶじゃぶ揺らす洗濯物や水のたてる音も取り入れて、アクセントにかかとを鳴らした。


ルディはなにも言わなかったし、もう私を見なかった。

私たちは背中合わせになって、粛々と互いの仕事を続けてる。

それでも彼女の意識がこちらに向けられているのはわかる。

観客から放たれる温度を探りつつ、それを少しずつ、あたためていく。


最後に、ルディ、ルディ、ルディと、彼女の名を連ねると背中側から笑い声が弾けた。

その余韻がひくのを待ってから、すこしだけ腰を屈めて礼をする。


「変な歌」

「どうもありがとう」


桶の上でシーツをかたく絞り上げる。

滴り落ちる雫たちが次々に水面を叩く音は、なりやまない拍手に似ている。


心地よく耳を澄まし、ふと、足音に気づいた。

「ルディ」

かしこまった報せに彼女もまた口を閉じる。

二人で黙々と作業に集中しだしてすぐ、戸口に人が立った。


「励んでいるか」


低い声がくぐもっているのは、彼が口許にハンカチを押し当てているからだ。

私はルディより先に彼を振り返り、偶然にも美しき花を見つけたかのように微笑んだ。


「ご覧の通りに」


彼は鋭い眼光でくまなく洗濯場を見回し、小さく頷く。

そしてじっと私を見た。


「失礼だが、本来見えるはずもないものが見えているようだ」


「あら、怖いお話をなさるおつもりかしら。ご心配なさらないで、きちんと足はありましてよ。ほら、この通りつま先まで、はっきりと」


靴に穴があいている方の足を持ち上げてふってみせる。

ルディがかすかに肩を揺らした。

けれど彼にはさして響かなかったらしく、むしろ眉間にシワを寄せられる。

私は大人しく足を下ろした。


「給金はどうした。新しい靴の一つくらい買えるだろう」


「淑女には色々と物入りがございましてよ、閣下。……ですが、御目汚しには違いありませわね」


私は支給品でもあるエプロンドレスをつまみ広げて、恭しく貴婦人を真似た礼をする。


「失礼致しました」


「…………」


男は黙り、肌に刺さるような視線を寄越してくる。その果てに、冷えた声を出した。


「ついてこい」


「ちょっと、それは!」


反応したのはルディだった。

男は突然の大声に驚いたように瞬き、すぐに常の顔に戻る。


「こちらには新たに人をつかわせる。しばし一人にさせるが、そのために仕事に支障を来していることは私から報告しておく」


「違う。そうじゃない。なんだってこの子を連れてこうっていうの」


その震える肩を後ろから優しく叩く。


「ルディ、大丈夫よ。すこしだけ閣下に顔をお貸しして、またすぐ帰ってくるからね」


「でも、リュカ、あんた」


本名を呼ばれ、私はいよいよ落ち着いた。

じっとルディの顔を覗き込む。不安げに揺れる瞳を、じっと、ただ見つめる。

すると、私の心の凪が伝わったかのように、彼女からもすうっと慌てた気配が抜けていった。

ここだ。

針さすように言葉を放つ。


「大丈夫よ、ルディ。信じて」


泣き出しそうな顔の彼女が、頷いた。

親切な友人、ルディの肩を軽く抱き締めて、私は男に駆け寄る。


「どちらに参りましょうか」

「ひとまずは、屋敷に」


踵を返す彼について、私は柔らかに床を蹴りあげる。まるで芝生の上を歩くかのように、跳ねるように。

私の退場を見送る大事な観客に、元気な後ろ姿を見せながら、私は次の場面を想像した。


恐怖はない。

来るべきときが来たのかと、ただそう思う。


たまに私たちの仕事を監視にやってきているらしきこの男を、ルディは執事だと言った。

確かに彼は執事の上着を羽織っている。


けれど、中身はただの白シャツだし、執事なら備えているはずの装飾品もない。

なにより彼の仕草は、使用人のそれではなかった。

それよりも、もっとずっと、訓練された動きをしている。たとえば、兵士のような。


彼がどうしてここにいて、どうして定期的に私たちのような洗濯女の働きぶりを確認するのか。


おそらく、私の父のことを知っているからだろう。作品により王家を批判したとして投獄され、そのまま二度と日差しを浴びることなく亡くなった、偉大なる劇作家。

その娘がわざわざこの家に雇われに来たのなら、警戒しても当然。

現に、ルディも以前は監視なんてなかったと言っていた。私が来てから始まったのだ。

ルディには悪いことしたな。


使用人の作業場を隠す雑木林を抜け、庭を通りすぎる。屋敷の青い屋根が曇天を背景に冴えていた。

まじまじと見るのは、これが初めてだ。

そして、最後になるだろう。


給金の使いどころを口にしなかったのが不味かったのかもしれない。なにかの準備資金に当てているとでも思われたか。


実際に、洗濯女にしてはなかなかに気前の良い額である給金はすべて、私の野望を叶えるために備えられていた。


もう一度、舞台に立つ。

どんなに小さな劇場でもいい。

もう一度、父のお姫様を演じる。


ある意味では、王家への復讐ともいえるその権利を買うため、私は下級とはいえ王より爵位を賜って暮らす貴族に雇われることを決めたのに。


「リュカ・プラエダ」


男が庭の半ばで立ち止まり、振り返る。

さすがにもうハンカチは口に当てていなかった。

はじめて全貌を見たが、なかなか整った顔立ちだと思う。生真面目そうな感じが、騎士の役に良さそう。


そういう作品もあった。

破天荒な王子様の冒険物語。生真面目で忠誠心に溢れるせいで、すっかり王子の小間使いにされてしまう騎士。

王子に恋するお姫様もついつい彼を頼ってしまうのだ。無理やり密会する場を作らせたりとか。


「私の顔に、見覚えがあるか」


低い声に、はっとする。

少々、不躾なほどに見惚れてしまった。


「恐れながら、覚えはありませんわ。あなたのような良きお方にどこかで出会っているのに忘れたのだとしたら、惜しゅうございますね」

「……いや、それならばいい」


彼はどこかほっとしたように息をつき、手に握りしめたままだったハンカチをポケットにしまった。


「連れ出してきておいて悪いが、私はこの屋敷の人間ではない。ややこしいのだが、この屋敷の主に許可を得て潜り込ませてもらっていた」


「私の監視のために?」


「監視ではない。だが、あなたを目的としていた」


彼は動揺しなかった。さすがにそうした訓練も受けているのだろう。

淡々と話を続けてくる。


「あなたに頼みたいことがあって近づいた。ただあなたは……事情をおもちだ、いろいろと。見極める時間を必要だった」


「お眼鏡に叶いまして? それとも、不合格だったかしら」


「合格だ。……あなたにとってそれが、幸か不幸かは、わからないが」


彼は一瞬だけうつむいた。

また私の破れた靴を見たのかもしれない。苦々しげに表情を濁らせ、目をつむり、また顔をあげる一連の動作には、彼なりの苦悩を感じ取れた。


「リュカ・プラエダ。あなたに、とある舞台で演じてほしい役がある」


今度は私が息をつまらせる番だった。

演じる。私が? 役がある。私に?


「その役というのが「やります」…………は?」


私は高らかに手を掲げた。


「その役、やります」


「待て。話を全部聞いてからにしろ。それでも遅くない。一回、受けたら後戻りはできないし、後悔しては務められない役目なんだ」


「もうずいぶんと待ちました。父が……いえ、私が舞台から離れて、もう五年です。もちろん、この五年をブランクだとは思っていません。私は演じることをおろそかになんてしなかった」


毎日、誰かを演じてた。

昨日はドジな娘フラジェ。今日は歌謡のライラ。

ベースは父の遺したお姫様たちだったけれど、設定を自分なりに足して、市井に生きる彼女たち一人一人を演じ分けてきたつもりだ。


そうやって、日々をやり過ごし、お金を貯めて、狙ってた。

もう一度、舞台に立つ日を。


その機会が向こうからめぐってくるなんて。


「舞台はどこですか。演じる人の名前は誰が名付けた、どんな意味の言葉ですか? 女性ですよね。男性でもやってみせるけれど。年齢はどれくらい? 私は今、十九ですが、舞台の上なら何歳にだってなれます。どこで生まれたか、どんな親に育てられたかの設定はありますか? なければ私なりに考えてみるので、物語のなかでの立ち位置を教えてください」


「ま、まて、落ち着け。私では処理しきれん量を話されても困る。私の今の役目はあなたに頼みたいことを話して、了承を得たら、主のもとに連れ帰るというだけなのだ」


「了承はしました。連れていってください」


「だから、その前に頼みたいことを話させてくれ」


困惑しきった彼に、しぶしぶ口を閉じる。他の演者の役目を果たさせてあげるのも、物語には必要なことだ。

彼は深呼吸し、また真面目な顔に戻った。


「あなたに頼みたいのは姫の役だ。この国の王子の、仮の婚約者になってほしい」


そう言いきった後で、彼は瞳を揺らす。


「……あなたには、酷なことだ。演技といえど、親の仇の婚約者になるなど。断るのも仕方がないと、私は思う」


その彼に向かって、天から舞い降りたかのような一歩を踏み出す。

一瞬にして、彼の目が自分を意識したのがわかる。すかさず、ふわりと満面の笑みを浮かべた。両手を胸の前でかたく結ぶ。

神に、心からの感謝を。


「嬉しいですわ、お姫様だなんて」


地声より、すこしだけ高く声を出す。

小鳥のように愛らしく、せせらぎのように美しく。


「一番、得意ですのよ」


腕を伸ばして、固まる彼の頬を水仕事でただれた指先で掠めた。びくりと肩を跳ねさせ、彼は自分の左の腰辺りに手をやる。もちろんそこに、剣などぶら下がってないけれど。

間合いまで詰められたことに気づいた彼の喉仏がおおきく上下する。


「ほんとうに、いいのか?」


「構いませんわ」


私は、この世で一番の劇作家に愛された、この世で一番の名俳優。


「私の役目を教えてくださる? 私は王子を愛せばよろしいのかしら? それとも少し憎んでいる? 無関心でいたほうが良いこともあるのでしょうね。なんでも仰って。私はどんな役でも演じきってみせますの」


演じなくてはならない。

それ以外に、自我などない。



馬車に乗り案内されたのは城ではなく、別の貴族の屋敷だった。

それでもおそらくは宮廷に勤める貴族なのだろう。私の雇い主だった貴族よりも暮らしぶりが良さそうだ。

使用人も良くしつけられている。明らかに屋敷に入ってはいけない身分の格好をした私を見ても、嫌な顔ひとつせず、賓客としての対応を崩さなかった。


「ピオジェ・レッタリア。ここの主の名だ。聞き覚えは?」


「宰相のお屋敷でしたの。通りで厳格な雰囲気があると思いましたわ」


私を迎えに来た兵士は、確かに厳格な方だな、と独り言をこぼす。

彼の名はまだ知らない。知らない方がいい人なのかもしれないから、私も聞かない。


ただ彼は誠実ではある。

その部屋に入る前に私を振り向き、神妙な顔をした。


「中には貴女の相手役、つまりアルバート王子がいらっしゃる。噂くらいは耳しているだろうが、その半分以上が本当だ。覚悟はいいだろうか」


「即興劇も得意ですのよ」


私は自ら戸を叩いた。


「御所望品をお届けにあがりました」


この場合も謁見というのかしら、なんて、考えていたら、目の前が開ける。

緑の眼光。

腕を引っ張られた。


「おい! アルバート!」


怒号が耳を掠める。

私だけ部屋に引きずり込まれ、兵士の、あまりに馴れ馴れしいあの感じは乳母兄弟の近衛兵かもしれないな。彼は閉め出された。


私は床に放たれる。

柔らかな絨毯の上に転がった。


どんどんと激しいノック。

扉を見ると、男が背もたれにして塞いでいる。深緑の目、黒い髪。顔立ちは、記憶にある実年齢より幼い。年若い青年に見える。そのためか、貫禄ではなく、小生意気さが感じられる。

表情は無。凛々しい眉が怒りを放つようでいて、筋肉の硬直した感じはない。


そろそろ劇が始まるから黙っていよう、そうしてまだ暗い舞台上を見上げているような、そんな顔。


まずは様子見ね。いいでしょう。


私はゆっくりと体を起こす。


なにが起こったかしら?


そんな風にきょとんとしながら、けれど、自分に危機があるなんて露とも思ってない顔であたりを見回しながら、ふと、自分を見ている男に気づくのだ。


「あら、ごきげんよう」


親しげに笑みを見せ、羞恥は後から。

彼が誰かに気づいたから。


「やだ、申し訳ございません」


それでも仕草は慌てず、優雅に。

服を叩いたりしない。髪も直さない。

ただきちんと立ち上がり、姿勢を正す。

そして淑女の礼をする。


「本日はお招きいただき、ありがとうございます。ピオジェ様」


優雅に顔をあげ、緊張した様子の彼に微笑む。すこし、頬を膨らませながら。


「不躾を重ねますが、アルバート殿下はどちらにいらっしゃるの? 私、殿下にお会いしたくて参りましたのよ」


青年は、緑の目の焦点を一切ずらさずに、扉の前から立ち退いた。

すぐさま、近衛兵が飛び込んでくる。


「アルバート! なんのつも……ピオジェ様?」

「ラグナ。君はまたスゴいものを連れてきたな。これがマルセル・プラエダの忘れ形見か」

「自分は連れてきただけです。見つけて保護していたのはクリュド家。巻き込むと決めたのはアルバート様ですよ」


クリュド家とは洗濯女の雇用主だ。

なので保護は違う気もするが、ピオジェが額に手を当てた。


「またアーザル・クリュドか……」


「強運だけで貴族をやっているだけある。この国が滅亡してもアーザルだけは生き残るぞ」


可笑しげな声が背後からした。

近衛兵ラグナも、宰相ピオジェも背を正す。

私は顔を伏せたまま、体を反転させた。


ソファに腰かけているのかもしれない。

声の出所はやや低い。


「許可する。顔を上げよ、咎人の娘」


なかなかに際どいな。

私がリュカ・プラエダとしてここにいるのなら、顔を上げればそれを認めたことになるし、上げなければ父を庇ったようにも受け取られるだろう。

けれども、私がここにいるのはお姫様になるためだ。リュカ・プラエダを思わせる設定はできるだけ排しておきたい。


私は待つことにした。

即興劇では相手への信頼も必要だ。


また同じ声がする。


「どうした。顔をあげてよいと言っている。動きを忘れたか、娘」


そこで私は顔をあげた。

恥ずかしさに頬を染める。


「嫌だわ、殿下ったら。私のことでしたの? どなたのことだろうって、ずっと考えておりましたのよ」


応接間の二人がけソファの真ん中を陣取る彼は、灰色の目を細める。小首を傾げると、赤褐色の髪が揺れ、耳につけた金の滴型の飾りがキラリと光った。にたにた笑い、白く透けるような歯がちらちらと見えた。


「愚かそうな娘だ。宝石が好きか?」


「眺めるのは好きですわ。でも付けると重たいから嫌。甘いお菓子なら邪魔になれば食べれば済むから、よろしいですわね」


「我が伯母なぞは菓子に仕込まれた毒で死んだぞ。それでも菓子がいいか」


「あら。チェタ様は病死ではなかったの? お可哀想。それはチョコレートだったのかしら。それともクリーム? ビスケット?」


「仕込まれた菓子がなんだったかを知ってどうする」


「死者の安寧を祈るために知りたいのです。毒を仕込んだ菓子などは味を誤魔化すためにうんと甘いと聞いたことがありますの」


うっとりと視線を遠くに馳せる。

夢見るように。


「殿下。私のはぜひともチョコレートに忍ばせてくださいませね。甘い甘いチョコレートで天国に逝くのなら、すべて許してさしあげますわ。チェタ様だって、お会いしたことはないけれど、きっとそう。だから、私は、お召し上がりになったのは、チョコレートだと思うことにいたしますわ」


「はっ!」

嘲笑い、彼は勢い良く立ち上がった。

つかつかと歩み寄り、私の顎を掴みあげる。


「イカれたふりをするのに、つまらん長回しを俺の前でするその度胸を評価してやる。ピオジェ、世話をしてやれ」


「御意に。お嬢様、こちらへ」


「どうもありがとう」


「アルバート殿下。もう少しないのですか、こう、もっと色々と心情慮るような機微のやり取りとかは?」


「やりたければおまえがやれ、ラグナ。泣きながら縋る娘を蹴り飛ばしマルセル・プラエダに縄をかけたのは、おまえの父だ。その瓜二つの顔を泥に擦り付けて謝れば、気が済むのではないか」


ラグナはとっさに私を見た。そしてすぐに罰悪そうにうつむき、ポケットから取り出したハンカチで汗まみれの顔を覆う。

私は彼を気の毒に思った。

すれ違いざまに囁く。


「ラグナ様。お気になさらないで。あなたが誰に似ていたって、私が誰に似ていたって、しょせんそれは他人の話ですわ」


ラグナはなにも言わなかった。荒波に揉まれるのを耐えるような彼を置き去りして、私は廊下に出る。

ハウスメイドにでも渡されるかと思ったが、ピオジェは自ら先頭に立って私を案内しだした。


「先程のラグナの父ですが」


ぽつりと呟かれ聞くともなしに耳を傾ける。


「マルセル・プラエダを連行した数日後に、熱心なファンにナイフで腹を貫かれ、首を掻ききられました」


「なんてこと。ラグナ様もお辛かったのね。私になにかできることがあれば良いのに」


「リュカ・プラエダのご意見ですか」


「いいえ。私の意見です」


「彼女ならなんと言うでしょうか」


「そうねぇ。なにも言わないのではないでしょうか」


「どうして?」


「主題に関わらないのに変に血なまぐさい設定は、舞台上のノイズになりかねないでしょう?」


「そうですか」


ピオジェは立ち止まり、振り返る。

その表情はやはり無だ。


「貴女という人の一端を知れました。不躾な質問をしてしまったことお詫びします」


「ご満足いただけましたかしら?」


「十分に。貴女は、いかがですか。あれがアルバート殿下です」


「良い方ですわね。私が困っていたらきちんと声をかけてくださいました」


即興劇において意図せぬ間はなにより恐ろしい。効果的な演出になるよりも、不安をあおる確率が高いから。

その点、アルバートは咎人の娘と呼ばれて顔を上げなかった私に、ほどよく間をあけてから問いかけた。

突拍子もない菓子の質問にも答えやすいように疑問で返してくれた。

人が見えているし、協力的だ。


「殿下の第一印象をそう語る方も珍しいです。……最後にもうひとつ。どうして私がピオジェだとわかったのですか? 屋敷内の肖像画の類いもすべて外させたはずですが」


簡単な話だ。


「観客の視線には敏感ですの。あなたより、背後からの視線の方が刺さるようだった。だから、賭けですわ。それにあなた、優しそうだったから、間違っていてもひどいことはされないのではないかと思いましたの」


「……私が? 童顔とはよく言われます」


「私が腕を掴まれ一瞬だけ硬直しました時、あなたはすぐに腕の力を緩めてくださったから」


「そうでした。その謝罪がまだだった。婦女に乱暴な真似をして申し訳ございません」


ピオジェはきっちりと鋭角で頭を下げる。

そして顔を上げたら、すぐに踵を返し、また廊下を歩きだした。


「殿下はもうじき王になられます。陛下はご病気で長くない。しかし問題は王妃です。貴女はあの女狐のことをよくよくご存知でしょう」


「お噂はいろいろと」


「アルバート殿下は王妃を嫌ってます。それを知っている王妃は、自分を寵愛する陛下の死後が今から気が気ではないのでしょう。すこし前から、自身の姪や懇意にしている貴族の娘を集めてサロンを開くようになりました」


「妃殿下を味方につけようと思ってらっしゃるのね。ですが、表向きは自然なことではないでしょうか」


「そうなります。来るべきときに向けた地固めですから。結婚相手についても、陛下の一言があれば、殿下も臣下も易々とは逆らえない。その前に、殿下には良い人を据えてもらわなくてはなりません。ただ」


「王妃様からみればお邪魔でしょうね、私。すっごく」


「王妃の手段を選ばない性格を知る貴族たちは誰も、ぜひ娘をとは言ってくれない。悩んでいた時に、クリュドがちょうど良き人材を屋敷に雇ったところだと殿下に提案した」


そして私はその役を得た。

王妃の毒牙をやり過ごし、殿下の寵愛を一身に受ける役目。上演時間は陛下が息を引き取り、殿下が即位するまで。

そして、その後は、私は理由をつけて身を引く。


つまりは囮。撹乱。

役が見えてきた。


「性格は殿下のおっしゃる通り、愚かで鈍感なほうが良い。いっそ私が王妃の犬にでもなれば、無用な妨害もなくいくのでしょう。劇としては、つまらないだろうけれど」


「できますか?」


「王妃の性格については、想像ですが警戒心が強い人のように感じています。不安の芽がすこしでものぞけば、根ごと抜かずにはいられない。確かな出自を確認しなければ近くには置いておかないはずです。ですが即興劇で設定を詰めすぎると破綻しやすい。彼女をうまくやり過ごせる人物像を考えます」


「……一応、言っておきますが。王妃を殺めることは考えないでいただきたい。復讐劇としては人気が出そうですが、ややこしくなりますから」


「あの殿下ならそれもありだとお思いのような気はいたしますわ。その後の私の処分も簡単になりますものね」


「やはりお気づきでしたか。……ですが我々、家臣としては穏便にすませたい。殿下との健全なラブロマンスでお願いしますよ」


「ラブロマンス。わかりましたわ。殿下が好きで好きで、不穏な王宮にだって押し掛けてきちゃった世間知らずな姫なんていかがでしょう」


「まあ、そこはやりやすいようにどうぞ。さて、ずいぶん歩かせましたが到着です。まずは風呂。髪も整えさせてもらいます。着替えはその後に」


「ええ、ありがとう。ピオジェ様。いったん失礼いたしますね」


ようやく侍女にバトンタッチだ。

私は身を任せつつ、役を深く練り上げていくことにした。



日が落ちかけている。

夕暮れに染まった殿下は、どこか滲んだ印象だった。

荒れた手を手袋で隠し、ヒールのある靴をもらって、バルコニーにおりた私をちらりと見る。アルバート殿下は口の片端を吊り上げて笑う。


「ましになったな、オペラ」


オペラ。私はそう名付けられたのか。

微笑みながら小首を傾げると、やはり彼には伝わるようで、嗜虐的な笑みを濃くする。


「オペラ・ガナッシュ。これほど甘ったるい餌もあるまい」


積極的に狙われていけ、ということなのだろう。

私は彼の隣にするりと寄って、彼と同じ色に染まる。


「風が心地よいですね。夕日がお好きなのかしら?」


「好き嫌いが出来上がるほど眺めてこなかったがため、珍しいと思う」


「夕日が、珍しい」


アルバートは皮肉げな顔で鼻をならす。


「バルコニーに立てば後ろから背を押されるやも知れぬ。さもなければ、死角から矢で穿たれるやも。どちらでもなければ眼前に広がるは民衆だ。空なぞ見る暇もない。おまえもいずれはそうなろうな」


「では今存分に目に焼き付けておきますわ。私は夕日が好きですから。殿下のお好きなものはなにかしら」


「知ってどうする」


「知りたいだけですわ。好きな方が好むものを知りたいだけ」


彼とはすこし黙り、再び口を開いたとき、そこにいたのはアルバート殿下ではなかった。


「空が燃え尽き残る一粒の星。骨のように白き星。あれが私のなるべく姿だ。あれが私の成り行く姿だ。」


心臓がどくりと脈打つ。

放たれる血が血管を破らんばかりに駆け抜けていく。

動揺とは裏腹に、私の口は滑らかに動いた。


「けれど王子様。あなたがあの星になったのなら私はどうなりましょう。あなたから恵まれる光を真夜中に探し、手の届かぬそれに狼狽えるばかりの私はなにになりましょう。」


「贈った指輪を空に掲げてくれ。その銀の縁に私の星が座すれば、その時ばかりはおまえは私だけの妻となろう。唯一無二の宝石を持つおまえは、私だけの姫となろう。」


彼は、ゆっくりと私を振り向いた。


「あなたの星は必ず天にある。どうかうつむかずにいてほしい。」


熱い眼差しにうたれた。

堪えきれずに目尻から溢れた涙が頬を伝い、輪郭を撫でて滴る。その滴がどこに落ちたか見えなくなってから、私は顔を上げるように微笑んだ。


「初演ですね」


「この俺が初々しかったか」


「いいえ。次から台詞を変えましたの。私は自ら指輪を空に掲げるのですわ。王子を与えられるのではなく、自ら求めていくのです」


「ああ、そうか」


彼はまた夕日に向かって、頷く。


「そのほうがマルセル・プラエダらしいな」


そしてまた私に振り向いた時、白い歯をにたりと見せるのだ。


「しかしどうしたのだ、オペラ。やけに物知りだ。五年も前に投獄された大衆演劇作家など、おまえには関係のない話ではないのか?」


はめられたと思っても、もう遅い。

私は笑顔でかわすことにした。


「少女の頃から彼の作品を愛しておりますの。あなたの婚約者となるのには不要でしょうか」


「構わん。うまく使え。反王妃体制には、彼を好むものが多い。逆に罠にかかるような醜悪はさらすなよ」


「あなたはどちらなの? ただ好んだだけ? それとも私に揺さぶりをかけたおつもりかしら」


「好きに考えろ。俺のことなど知ろうとするな。オペラが役目さえ果たせば、それでいい。すべては王が死ぬまでの茶番劇よ」


酷薄に笑う殿下の、金の耳飾りが揺れる。

薄闇を裂くようにきらきらしたその光を眩しく思う。


「アルバート殿下、オペラ様。馬車の準備が整いました」


部屋からラグナが声をかけてくれる。

殿下はなにもいわずに踵を返した。

私もその後をついていく。


胸を張り、瞳を輝かせ、微笑みながら。


オペラ・ガナッシュ。

アルバート殿下が好きだけど、政治はちっともわからない。

愚かでのろま、夢見がち。

宝石よりもお菓子が好き。死ぬ時には甘い甘いチョコレートで死にたい。

そしてマルセル・プラエダが好き。


だんだんと私が作り上げられていく。

頭の先から爪の先まで、甘く彩られる。


復讐劇、ラブロマンス、茶番劇。

なんでもいいわ。演じてみせる。


私はオペラ・ガナッシュ。

王が死ぬまで、お姫様。

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