悪役令嬢に転生したけど、私は皆の魔法が見える
私の死に様は、あまりにも虚しく、あまりにも唐突だった。
会社の奴隷として生きてきたが、たった一瞬で終わった。
二十八歳の誕生日を迎えたその日、会議室で企画書を読み上げている最中に突然の目眩と胸の痛み。そして、床に倒れ込む自分を上から見下ろしていた時に気づいた——ああ、私は死んだのだと。
「あなた、いつになったら目を覚ますの?」
甘ったるい少女の声に意識を引き戻される。私の視界に飛び込んできたのは、金糸の縁取りが施されたピンク色のキャノピーベッド。そして、真っ赤な髪を整えながら不機嫌そうにため息をつく少女。
「セレステ?」
思わず口から零れた名前に、少女は眉を吊り上げた。
「当然でしょう。あなたの妹が他に誰がいるというの?早く起きなさい。今日の魔法実践の授業に遅れたら、お父様に叱られるわよ」
妹?魔法?
一瞬の混乱の後、全ての記憶が洪水のように押し寄せた。
私の名前はエリーゼ・アーランディア。レガルシア王国最高の名門貴族の長女。王立学院に通う19歳の学生で——そして「レガルシアの心」という乙女ゲームの悪役令嬢だ。
「すぐに準備するわ」
言葉とは裏腹に、私は震える手で額を押さえた。この状況は理解できる。前世でプレイしていた乙女ゲームの世界に、悪役令嬢として転生したのだ。でも…なぜ?そして、ゲームの展開通りならば、私は…。
「大丈夫なの?顔色が悪いわよ」
セレステの声には心配よりも苛立ちが滲んでいた。ゲームの中の彼女はそういう性格だった。常に姉の私の影に隠れ、嫉妬と憎悪を抱えている妹。
「心配しないで。ただの悪夢よ」
ベッドから身を起こし、足元に据えられた姿見に映る自分を見て、再び息を呑んだ。プラチナブロンドの長い髪、深い紫色の瞳、完璧な白磁のような肌。絵に描いたような美少女だ。そしてこの美少女は、ゲームの中では傲慢で意地悪な「悪役令嬢」。
最終的に婚約者のグリフィス・レナードに公開処刑のように婚約を破棄され、学院を追放される運命にある。
いや、そんな未来は御免だ。
私は深呼吸して心を落ち着けた。生まれ変わったからには、この世界でより良い人生を送りたい。前世でのように、誰にも感謝されずに死にたくない。
「早く着替えなさいよ。お化粧だって、メイドに手伝ってもらわなきゃいけないでしょう?」
セレステの言葉に我に返り、急いで準備を始めた。女中たちが部屋に入ってきて、着替えを手伝ってくれる。ドレスは薄紫色の高級なシルク、スカートの裾には魔法で輝く銀の刺繍が施されている。
朝食を済ませた後、セレステと共に馬車に乗り込んだ。窓の外に広がる景色は、まるでヨーロッパの童話から飛び出してきたような美しい光景。石畳の道、尖塔のある建物、そして遠くには王城が見える。
レガルシア王国。魔法の力が支配する世界。貴族の地位は魔法の強さによって決まり、「気品の魔法」と呼ばれる能力の強さが血統の純潔さを示すとされている。
「今日はグリフィス様と昼食を共にするのよね?」
セレステの言葉に、私の背筋が凍った。グリフィス・レナード。私の婚約者であり、ゲームの中では主人公の女の子に一目惚れして、私との婚約を破棄する男。
「そうね」
できるだけ平静を装って答えた。未来を変えるためには、まず状況を把握しなければ。ゲームの主人公ミラ・ローレライはすでに学院に入学しているのだろうか?グリフィスとはすでに出会っているのか?
王立学院に到着すると、他の貴族の子女たちが私たちを見て、小声で囁き合うのが聞こえた。彼らの目は畏怖と嫉妬が入り混じったものだ。ゲームの私はここでも高慢ちきな態度を取っていたようだ。
「おはよう、エリーゼ」
柔らかい声に振り向くと、金髪の美青年が微笑んでいた。グリフィス・レナード。彼の笑顔に、周囲の女子生徒たちが恍惚とした表情を浮かべるのが見える。
「おはよう、グリフィス」
できるだけ穏やかな口調で返した。ゲームの私なら、もっと傲慢な態度を取っただろう。彼の瞳に一瞬の驚きが浮かんだ気がした。
「昼食の約束、忘れていないよね?」
「もちろん」
彼は優しく微笑んだが、どこか遠慮がちな様子が見て取れる。まだゲームのシナリオ通り、私に対して礼儀正しく接しているだけなのだろう。
午前中の授業は魔法理論。教師の話を聞きながら、私はノートを取っていた。魔法の構造、王国の歴史、貴族の責務について。
「では、実践してみましょう。簡単な光の魔法を」
教師の言葉に、教室中の生徒が杖を取り出した。私も模倣して、机の上に置かれた杖を手に取る。
するとその瞬間、奇妙な現象が起きた。
生徒たちが魔法を詠唱し始めると、彼らの周りにカラフルな光のようなものが見えたのだ。青や緑、赤や紫。それぞれ異なる色と強さで脈動している。
「なんてこと…」
思わず小さく呟いた。誰も同じものを見ていないようだ。これは…オーラ?魔法の本質?
私も恐る恐る杖を振り、光の玉を生み出してみる。すると自分の周りにも淡い紫色の光が広がっていくのが見えた。
授業が終わると、廊下では別の噂話で盛り上がっていた。
「聞いた?特別講師が来るんですって!」
「しかも『静寂の公爵』カイウス・ヴァルクール様ですって!」
「嘘!あの冷酷で有名な公爵が?」
その名前に、私の心臓が高鳴った。カイウス・ヴァルクール。ゲームの中では裏ボスのような存在だった。謎に包まれた公爵で、主人公のルートによっては協力者にも敵にもなり得る人物。
そして私の記憶が正しければ、彼は「レガルシアの心」の隠しキャラクターでもあった。攻略が最も難しいキャラクターで、私はクリアできなかった。
窓の外を見ると、黒馬に乗った一団が学院の正門をくぐるのが見えた。中央の人物は漆黒の髪と、暗い青色の瞳を持つ高身長の男性。
カイウス・ヴァルクール。
彼の姿を見た瞬間、私の左手首がかすかに熱を持ったような気がした。
翌朝、私は決意を固めていた。
予定された破滅から逃れるには、まず「悪役令嬢」の役割を拒否すること。そして、原作ゲームでいじめの対象だったミラ・ローレライに親切にすること。グリフィスとの関係も修復すべきだが、それは容易ではないだろう。彼はすでにミラと運命の出会いをしているかもしれないのだから。
「エリーゼ様、おはようございます」
廊下ですれ違った下級生の挨拶に、私は暖かく微笑み返した。
「おはよう。その髪飾り、とても可愛いわね」
一瞬の沈黙の後、少女の顔に驚きの色が広がった。そして周囲にいた学生たちも同様に目を丸くしている。
そうか。以前の私はこんな風に接していなかったのだ。
「あ、ありがとうございます!」彼女は顔を真っ赤にして小さく頭を下げた。
一日中、私は出会う全ての人に笑顔で挨拶し、親切な言葉をかけ続けた。その度に周囲の反応は同じだった。驚き、困惑、そして警戒。特に長年の友人たちは、私の突然の変化に戸惑いを隠せないようだった。
「エリーゼ、気分でも悪いの?」昼食時、いつもの仲間たちのテーブルに座ると、フローラという友人が小声で尋ねた。
「いいえ、むしろ絶好調よ」私は微笑んだ。
「でも、今朝から変よ。まるで別人みたい」
彼女の言葉に、私は軽く肩をすくめた。「何か問題かしら?」
「いえ…ただ…」フローラは言葉を詰まらせた。
その時、食堂が静かになった。入口に立っていたのは、プレーンな制服を着た茶色の髪の少女。ミラ・ローレライだ。
平民出身で魔法の才能がないとされる彼女は、学園で孤立していた。そして原作ゲームでは、私——悪役令嬢エリーゼによる陰湿ないじめの対象だった。
ミラが恐る恐る座る場所を探していると、私は思い切って手を挙げた。
「ミラ!こちらに座る?」
食堂全体が静まり返った。フローラは飲みかけの紅茶を吹き出しそうになり、隣のヘレナは杖を落とした。
ミラは私を見て、まるで幽霊でも見たかのように青ざめた。
「大丈夫よ、噛みついたりしないわ」私は笑いながら言った。「ただ、一緒に食事をしたいだけ」
彼女は躊躇いながらも、ゆっくりと近づいてきた。
「ありがとうございます、アーランディア様」彼女は小さな声で言った。
「エリーゼと呼んで。私たち同級生でしょう?」
この会話の間、テーブルの周りは凍りついたままだった。フローラたちは意味ありげな視線を交わし、他のテーブルからも好奇の目が向けられている。
「あ、あのう…エリーゼ様」ミラは恐る恐る私を見た。「なぜ突然…?」
「理由が必要かしら?」私は穏やかに尋ね返した。「あなたは一人で食事をしていて、私はあなたと話してみたかっただけよ」
この会話を、食堂の入口から見つめる一対の目があった。グリフィスだ。彼の表情には困惑が浮かんでいる。原作のシナリオでは、ミラへの意地悪が原因で彼との関係が悪化するはずだった。それが今、私は彼女と友好的に話している。
彼は私たちのテーブルに近づいてきた。
「エリーゼ」彼は礼儀正しく挨拶した。「ローレライ嬢」
ミラは慌てて立ち上がり、深々とお辞儀をした。「レナード様!」
「そんなに緊張しなくていいのよ」私は彼女の肩に軽く触れた。「グリフィスは怖くないわ」
グリフィスの眉が微かに上がった。彼は私を不思議そうに見つめ、何か言おうとしたが、そのとき鐘の音が響いた。
「次の授業ね」私は立ち上がった。「ミラ、また一緒に食事しましょう」
彼女は驚きと喜びが入り混じった表情で頷いた。
「グリフィス、行きましょう」私は婚約者に微笑みかけた。「今日の特別授業、楽しみにしているの」
彼は黙って頷いたが、その目には明らかな疑念が浮かんでいた。
教室に向かう途中、彼は突然足を止めた。
「エリーゼ、何か起きたの?」
「どういう意味?」
「君は…変わった」彼は慎重に言葉を選んでいる。「ローレライ嬢に対する態度も、私への話し方も」
私は深呼吸した。「悪い変化かしら?」
「いや…」彼は困惑した表情で手を通した。「むしろ逆だが…理由が知りたい」
「人は変われるものよ、グリフィス」私は真摯に答えた。「私もそれに気づいただけ」
彼は何か言いかけたが、結局黙り込んだ。
特別授業は大講堂で行われた。生徒たちがざわめく中、カイウス・ヴァルクールが壇上に立った。漆黒の髪、鋭い青い瞳、そして広い肩幅の持ち主。彼の姿は圧倒的な存在感を放っていた。
「本日は特別講師として、ヴァルクール公爵をお迎えしました」校長が紹介すると、会場から小さな歓声と拍手が湧き起こった。
カイウスが一歩前に出た瞬間、私は息を呑んだ。彼の周りに見えるオーラがあまりにも強烈だったからだ。深い青と紫が混ざり合い、時折金色の閃光が走る。これまで見た中で最も複雑で強力なオーラだった。
しかも不思議なことに、そのオーラは彼の意志に従っているかのように見える。他の人々のオーラが自然に拡散するのに対し、彼のは完全にコントロールされているようだった。
「レガルシア王立学院の皆さん」彼の声は低く、どこか冷たさを含んでいた。「今日は高度な魔法制御の実演を行う」
彼が杖を取り出すと、オーラがさらに鮮やかに脈動した。私は思わず身を乗り出し、その現象に見入ってしまった。
彼は杖を振り、空中に複雑な図形を描き始めた。青い光の筋が宙に浮かび、幾何学的な模様を形作る。そして彼がもう一度杖を振ると、その図形が回転し始め、美しい水晶のような立体に変化した。
「見事…」私は思わず呟いた。
彼の魔法は精密で繊細、そして圧倒的に強力だった。講堂中の生徒たちが息を呑む音が聞こえる。
しかし私の目には、さらに驚くべきものが見えていた。彼のオーラが何層にも重なり、複数の魔法を同時に操っているのだ。表向きは水晶の模様を作り出しているが、その下層では別の魔法が静かに脈動している。まるで何かを探っているような…。
カイウスの視線が突然私に向けられた。私が何か異常なものを見ていることに気づいたのだろうか。彼の鋭い青い瞳が私を射抜くように見つめ、私は思わず身震いした。
講義の後、生徒たちは魔法の実践に移った。彼が示した技法を真似て、空中に模様を作る練習だ。私も杖を取り出し、集中した。
するとまた奇妙なことが起きた。私の杖から放たれた光が、他の生徒とは明らかに異なる軌道を描き始めたのだ。より複雑で、より鮮やかに。まるで私の意図を超えて、魔法が自分の意志を持っているかのようだった。
「興味深い」
低い声に振り向くと、カイウスが私の後ろに立っていた。彼の視線は私の作り出した模様に固定されている。
「あなたの魔法の動きは…独特だ」
「そ、そうですか?」私は動揺を隠せなかった。
「アーランディア嬢、授業後に少し時間をいただきたい」彼は平静に言った。
私の心臓が跳ね上がった。「はい、もちろん」
彼は無表情で頷くと、次の生徒の指導に移った。
授業終了後、他の生徒たちが退出する中、私はカイウスの前に立っていた。講堂には私たち二人だけが残されている。
「アーランディア嬢、魔法研究に興味はあるか?」彼は唐突に尋ねた。
「はい、あります」私は正直に答えた。この世界の魔法の仕組みを理解することは、私の運命を変えるために必要だと感じていた。
「実は私は学院での講義以外に、個人的な研究も行っている」彼は慎重に言葉を選んでいる。「君の魔法の反応に興味を持った。私の研究に協力してもらえないだろうか」
これは予想外の展開だった。原作ゲームでは、カイウスは主人公のルートによっては協力者になるものの、基本的には孤高のキャラクターだった。彼が自分から誰かに協力を求めるシーンはなかったはずだ。
「どのような研究ですか?」
「魔法の異常現象について調査している」彼は静かに答えた。「最近、王国内でいくつかの奇妙な魔法の乱れが報告されているんだ」
「それで…学院に?」
「若い魔法使いたちは魔法の変化に敏感だ」彼は窓の外を見た。「特に才能ある者たちは」
私はその言外の意味を理解した。彼は学院での講義を隠れ蓑に、魔法の異常を調査しているのだ。そして私の魔法の反応に何か関連するものを見出したらしい。
「お役に立てるかわかりませんが…」
「明日の放課後、東の塔の研究室に来てほしい」彼は言った。「誰にも話さないでくれ」
「わかりました」
彼が立ち去ろうとした時、私の左手首がまた熱を持ったような感覚があった。そして彼の右手首も、一瞬だけ青い光を放ったように見えた。
カイウスは足を止め、私の方を振り返った。彼の眼差しには驚きと…期待のような感情が浮かんでいた。
「明日会おう、エリーゼ・アーランディア」
初めて私の名を呼んだ彼の声は、不思議と柔らかかった。
その日の午後、図書館で過ごしていた私の前に突然、妹のセレステが立ちはだかった。
「姉さん、何が起きているの?」彼女の声には怒りと混乱が入り混じっていた。
「何の話?」
「知らないふりしないで!」彼女は低い声で言った。「突然態度を変えたこと、平民の女の子と親しくしていること、そして…」彼女は一瞬言葉を詰まらせた。「カイウス・ヴァルクール様と二人きりで話していたこと!」
噂はすでに広まっているらしい。
「別に隠し事をしているわけじゃないわ」私は穏やかに答えた。「ただ、自分の生き方を少し変えただけよ」
「冗談でしょう?」セレステの目が怒りで燃えた。「あなたはアーランディア家の長女よ!勝手に態度を変えられないわ!」
彼女の声が次第に大きくなり、周囲の生徒たちが興味津々で見ている。このままでは良くない。
「セレステ」私は静かに、しかし毅然と言った。「私の行動があなたの評判を傷つけることはない。むしろ、もっと友好的になることでアーランディア家の印象は良くなるはず」
「そんなの…」彼女は言葉を詰まらせた。
「あなたも変わってもいいのよ」私は優しく言った。「いつも私の影で生きる必要はない」
その言葉に、彼女の顔色が一瞬で変わった。まるで私が彼女の心の秘密を暴いたかのような表情だった。
「黙って!」彼女は叫び、踵を返して走り去った。
私はため息をついた。妹との関係修復は簡単ではなさそうだ。
翌日、実践魔法の試験があった。生徒一人ひとりが、教師の前で特定の魔法を披露する形式だ。私の順番がきた時、教師は「水の制御」という課題を出した。
私は深呼吸し、杖を構えた。水を操る魔法の詠唱を始めると、魔法の流れが見えた。紫色の光の筋が私の杖から伸び、用意された水盤の水を包み込む。
しかしその時、突然オーラが増幅した。水が杖の指示に従わず、空中で複雑な形を描き始めたのだ。螺旋状に昇り、そして氷の結晶のように固まった。私が意図したものではない、まるで魔法が自分の意志を持ったかのように。
教室中がどよめいた。そして後方からカイウスが歩み寄ってきた。彼は試験の様子を観察していたようだ。
「非常に興味深い現象だ」彼は教師に言った。「彼女の魔力は通常の制御範囲を超えている」
教師が困惑した表情でカイウスを見つめる中、彼は私に向き直った。
「アーランディア嬢、今夕の研究会、必ず来てほしい」
私は黙って頷いた。グリフィスが教室の端から私とカイウスを見つめているのが感じられた。彼の視線には明らかな疑念と…嫉妬のようなものが浮かんでいた。
放課後、約束通り東の塔の研究室を訪れた。部屋には魔法の器具や古書が所狭しと並べられ、壁には複雑な魔法陣の図表が貼られていた。
カイウスは机に向かって何か書き込んでいたが、私の足音に振り返った。
「来てくれたか」彼の口調はいつもの冷たさとは違い、少し柔らかかった。
「お役に立てるかわかりませんが…」私はそう言いながら部屋に入った。
「君の魔法の反応は特殊だ」彼は本題に入った。「特に魔法を使う時、周囲の魔力の流れに対する感応が異常に高い」
「実は…」私は躊躇いながらも正直に言うことにした。「私には人が魔法を使う時、その周りに色のついたオーラが見えるんです」
カイウスの目が大きく見開かれた。「詳しく説明してほしい」
私は自分の見ているものについて、できる限り詳細に説明した。人によって異なる色や強さ、そして彼の複雑な多層オーラについても。
話し終えると、カイウスは長い間黙っていた。
「君は特別な才能を持っている」彼はようやく口を開いた。「王国では数百年も見られなかった能力だ」
「どういう意味ですか?」
「オーラ視」彼は静かに言った。「魔法の本質を視覚化できる稀有な能力だ」
私の心臓が高鳴った。この能力には名前があるのか。
「では、あなたがこの学院に来たのは…?」
「異常な魔法の流れを調査するためだ」彼は窓の外を見た。「最近、王国各地で魔法の異常が報告されている。魔力が突然弱まったり、制御不能になったりする現象が」
「それがミラのような平民の魔法使いにも影響しているのでしょうか?」私は思い出していた。ゲームではミラは本来魔法が弱いはずだったが、後に大きな力を発揮するようになる。
「鋭い洞察力だ」カイウスは少し驚いた様子で私を見た。「その可能性も調査している」
話をしながら、私たちはより近づいていた。そして再び、私の左手首に熱い感覚が走った。今度はより強く、明らかだった。
カイウスも同時に右手首を見た。彼の袖の下から、かすかな青い光が漏れている。
「これは…」私は思わず彼の手首に手を伸ばした。
彼は躊躇わずに袖をまくり上げた。そこには美しい青い紋様が浮かび上がっていた。私も左手首を見ると、薄紫色の似た紋様が形成されつつあるのが見えた。
「魂の印」カイウスは驚きと何か深い感情をたたえた目で言った。「運命の相手と出会うと現れるとされる印だ」
私の頬が熱くなった。魂の印。それは王国の伝説の一つだ。真実の相手と出会うと表れる印。しかし、それが私とカイウスの間に?
「信じがたいことだが…」彼は静かに言った。「私は君が来るのを待っていた」
「どういう意味ですか?」
彼は答える代わりに、書棚から一冊の古い本を取り出した。
「これを読んでみてほしい」彼はそう言って、埃をかぶった古書を私に渡した。「明日また会おう」
研究室を出た後、私は自室に戻り、彼が渡した本を開いた。表紙には「オーラ視察者の記録」と書かれていた。
「まさか…」
本を開くと、そこには私が見ているのとまったく同じ現象が描写されていた。魔法のオーラ、その色や強さの意味、そして最も驚くべきことに、オーラ視察者は王国にとって欠かせない存在だったという記述。彼らは魔法の腐敗や異常を検出し、王室の顧問として重要な役割を果たしていたのだ。
しかし、数百年前を最後に、その能力を持つ者は姿を消したという。
翌朝、私は一睡もできなかった顔で鏡を見つめていた。
オーラ視察者。魔法の腐敗を検知できる特殊能力の持ち主。本によれば、その能力は王国の安定を守るために欠かせないものだったという。何故そんな重要な役割を持つ者たちが消えたのか?そして何より、なぜ私にその能力が?
「エリーゼ様、カイウス様がお待ちです」
部屋の扉をノックする侍女の声に、私は我に返った。待ち合わせの時間だ。
「すぐに行くわ」
カイウスは図書館の奥、普段使われない小部屋で待っていた。机の上には古い文献が積み上げられ、彼は何かの図表を熱心に調べていた。
「ヴァルクール公爵」私が声をかけると、彼は顔を上げた。
「エリーゼ」彼は私の名を呼んだ。「本を読んだか?」
「はい」私は深く息を吸った。「オーラ視察者について。信じ難いことですが…私がそうだというのですね?」
彼はゆっくりと立ち上がり、私の方へ歩み寄った。「間違いない。君が見ているオーラの説明は、古記録と完全に一致している」
窓から差し込む朝日が彼の鋭い輪郭を照らし出す。近くで見ると、彼の瞳は単なる青ではなく、深い海のような色合いを持っていた。
「でも、どうして私が?前例がないとか…」
「数百年前を最後に、オーラ視察者は歴史から姿を消した」彼は静かに言った。「迫害を受けたという記録もある」
「迫害?なぜ?」
「彼らは魔法の濫用や腐敗を見抜くことができた」カイウスの表情が硬くなる。「強大な力を持つ者にとって、それは都合が悪かったのだろう」
私は無意識に左手首を擦った。薄紫色の印は一晩で鮮明になっていた。
彼の視線がその動きを追い、右手首を見せてきた。そこには青い同じ模様がはっきりと浮かび上がっている。
「これは…いつから?」私は小声で尋ねた。
「君が学院に入学した日から」彼は答えた。「だから私はこの学院での講師を引き受けた」
私の心臓が激しく鼓動した。「私を探していたの?」
「正確には、オーラ視察者を」彼は言葉を選んでいる。「でも印が現れたとき、それが君だと確信した」
彼の瞳には何かが浮かんでいた。責任感?使命感?それとも…もっと個人的な感情?
「なぜ教えてくれなかったの?」
「君自身が気づくべきことだと思った」彼は本の山を指さした。「私たちには解明すべき多くのことがある。魔法の異常現象、オーラ視察者の消失、そして…」
彼の言葉が途切れた時、私たちの印が同時に光を放った。
「魂の印」私は静かに言った。
「そう」彼もまた静かに頷いた。「私たちは運命で結ばれているようだ」
その言葉は事務的だったが、彼の声には微かな揺らぎがあった。
「研究を始めましょう」私は話題を変えた。この感情の複雑さに今は向き合えない。
その日から、私たちは放課後に秘密の研究会を持つようになった。時にはカイウスの研究室で、時には図書館の奥の小部屋で。私は見るオーラについて詳細に報告し、彼はそれを古い記録と照らし合わせる。
私たちの会合は秘密のはずだったが、学院内では噂が広がっていった。
「アーランディア家の令嬢が『静寂の公爵』と親密な関係にあるらしい」
「婚約者がいるのに、よくもまあ」
「貴族女性として恥知らずね」
ある日の授業後、廊下でそんな会話が聞こえてきた。振り向くと、数人の女子生徒が私を見て口を押さえて笑っている。
私は深呼吸して平静を装い、彼女たちの前を颯爽と通り過ぎた。噂なら仕方ない。それよりも気になるのは…。
「グリフィス!」
食堂の入口で婚約者を見つけた。彼は私を一瞬見たが、すぐに視線を逸らした。そして彼の隣にはミラがいた。彼女は申し訳なさそうに私を見た。
「お二人で食事ですか?」私はできるだけ自然に尋ねた。
「ああ」グリフィスは不自然に言った。「偶然一緒になっただけだが」
嘘だ。彼の周りのオーラが不安定に揺れている。これは恋愛感情のサインだと、これまでの観察で理解していた。
「そう」私は柔らかく微笑んだ。「楽しんでね」
去り際、ミラが小さな声で言った。「エリーゼ、あとで話せますか?」
私は軽く頷いた。
その夜、ミラは約束通り私の部屋を訪ねてきた。彼女は緊張した面持ちで、両手を胸の前で握りしめていた。
「エリーゼ、あの…グリフィス様のことで誤解しないでください」彼女は慌てて言った。「私は何も…」
「ミラ」私は彼女の言葉を優しく遮った。「誤解なんてしていないわ。あなたは悪くない」
彼女の目に涙が浮かんだ。「でも、あなたの婚約者なのに…」
「グリフィスの心が誰かに向かっているなら、それは自然なことよ」私は正直に言った。「むしろ私は…あなたたちを応援したい」
ミラの目が大きく見開かれた。「本当に?でも、どうして?」
その問いに、どう答えればいいのだろう。前世の記憶で彼らがカップルになるべきだと知っているから?そんな説明はできない。
「私自身、別の…感情を抱いているの」私は静かに言った。
「カイウス様のこと?」ミラの質問は驚くほど率直だった。
私の頬が熱くなるのを感じた。「噂を聞いたのね」
「学院中が話しています」彼女は小さく微笑んだ。「でも、私は嬉しいです。エリーゼが変わったことで、皆も変わり始めている」
その言葉に、私は彼女をじっと見つめた。彼女の周りのオーラは淡いピンク色で、純粋な優しさを表している。彼女は本当に善良な人なのだ。
「ありがとう、ミラ」私は心から言った。
数日後、魔法実践の授業中に事件が起きた。
私がオーラを観察していると、セレステが教室の後ろで妙な動きをしているのに気づいた。彼女の周りのオーラが不自然に揺れ、時折黒い霧のようなものが混じっている。何か良くないことが起きているようだ。
「セレステ?」私が近づくと、彼女は驚いたように振り向いた。
「姉さん…」彼女の声は弱々しかった。「私…」
その言葉を最後まで言うことなく、彼女はその場に崩れ落ちた。
「セレステ!」私は叫び、彼女を支えようとした。
教師が駆けつけ、彼女を保健室に運ぶ指示を出した。私も付き添おうとしたが、カイウスが私の腕を掴んだ。
「後で様子を見るといい」彼は静かに言った。「今は他に確認すべきことがある」
「でも、妹が…」
「彼女の周りのオーラに気づいたか?」彼の鋭い眼差しに、私は息を呑んだ。
「黒い霧のようなもの…」
「何者かが彼女の魔力を吸い取っている」カイウスは低い声で言った。「学院内で同様の症例が増えている」
その日の放課後、私たちは通常よりも緊張感のある調査会議を持った。カイウスは魔力を吸収する古い儀式について説明し、私はセレステのオーラの異常を詳細に報告した。
「王国中で魔法の異常が起きているのは、誰かが組織的に魔力を集めているからかもしれない」カイウスは推測した。
「でも、誰が?そして何のために?」
「それを探るには…」
その時、部屋の扉が突然開いた。グリフィスだった。
「やはりここにいたか、エリーゼ」彼の表情は険しかった。「説明してもらおうか」
カイウスが一歩前に出て、私を守るような姿勢を取った。「レナード、無作法だぞ」
「無作法なのはどちらだ?」グリフィスは言い返した。「婚約者がいる女性と密会を重ねるあなたでは?」
緊張が部屋を満たした。私は二人の間に立った。
「グリフィス、これは誤解よ」私は冷静に言った。「私たちは魔法研究をしているだけ」
「研究?」彼は疑わしげに言った。「学院中があなたたちの関係について噂しているのに?」
「噂に惑わされるとは」カイウスが冷ややかに言った。「名門レナード家の後継者らしくないな」
グリフィスの顔が赤くなった。「エリーゼ、もう十分だ。この関係を終わらせるか、さもなければ…」
「婚約を破棄するというの?」私は静かに尋ねた。
彼は一瞬言葉に詰まった。「そうではない。だが…」
「あなたの心がミラに向いていることは知っているわ」私は優しく言った。「私は怒っていない」
彼の目が驚きで見開かれた。「エリーゼ…」
「むしろ、あなたの気持ちを尊重したい」私は続けた。「私たちの婚約は両家の都合で決まったもの。お互いの幸せを選ぶべきではないかしら?」
部屋に沈黙が降りた。グリフィスは困惑と安堵が入り混じった表情で私を見つめていた。
「君は…変わった」彼はようやく言った。「だが、それは良い方向へだ」
「ありがとう」私は微笑んだ。
彼は深く頷き、カイウスに向き直った。「公爵、失礼した」
扉が閉まると、カイウスが私に向き直った。「見事な対応だった」
「本当に思っていることを言っただけよ」私は肩をすくめた。
彼の唇が微かに上向きになった。これまでで最も近い笑顔だった。
「君は強い」彼は静かに言った。「だからこそ、オーラ視察者としての力を持つのかもしれない」
その瞬間、私たちの印が同時に輝き、心地よい温かさが体中に広がった。
「これは…」私は左手首を見つめた。
「魂の印の共鳴だ」カイウスは右手首を見せた。「私たちの絆が深まっている証拠」
彼の瞳に映る感情は、もはや隠せないほど明らかだった。それは保護欲や使命感を超えた、もっと個人的なもの。
「カイウス」私は勇気を出して言った。「あなたは私をオーラ視察者としてだけ見ているの?」
彼の表情が柔らかくなった。「最初はそうだった」彼は正直に言った。「だが今は…違う」
彼がゆっくりと手を伸ばし、私の頬に触れた。その指先からは静かな力が伝わってきた。
「魂の印は運命を示すが」彼は静かに言った。「私が君を大切に思うのは、印のためではない。君自身のためだ」
その言葉に、私の心は砕けそうになった。前世でも、今世でも、こんな風に心から大切にされたことはなかった。
「私も…」言葉を紡ぐのは難しかった。「あなたが好き」
彼の目に驚きが浮かび、そして深い感情が満ちた。言葉は交わさなかったが、私たちの印が互いに呼応するように輝いた。
学院の年中行事である舞踏会の日がやってきた。生徒たちは華やかな衣装に身を包み、大広間に集まっていた。
私は薄紫色のドレスに身を包み、グリフィスと共に入場した。婚約者として、形式上はまだ一緒に参加する必要があった。
彼が私の手を取り、ダンスフロアに導いた。
「素敵な夜だ」彼は言った。「だが、最後の夜になりそうだ」
私には彼の意図がわかった。今夜、公に婚約破棄の意向を示すつもりなのだ。
「心配しないで」私は小声で言った。「私は理解しているわ」
彼は感謝の眼差しを向けた。「君のような理解者を失うのは残念だ」
曲が終わり、グリフィスは壇上に上がった。会場が静かになる。
「皆さん、今夜は重要な発表がある」彼の声は会場中に響いた。「長らくエリーゼ・アーランディアと婚約関係にあったが、本日をもって解消する意向を表明する」
会場がどよめいた。これは大事件だ。貴族社会では婚約破棄は一大スキャンダル。特に女性側からすれば、大きな恥辱とされる。
しかし私は優雅に微笑み、一歩前に出た。
「グリフィス・レナードの決断を私は尊重し、受け入れます」私の声は落ち着いていた。「私たちは今後も友人として関係を続けていくことを望みます」
会場の驚きはさらに大きくなった。悪役令嬢が穏やかに婚約破棄を受け入れるなど、誰も予想していなかったのだろう。
その時、会場の後方から一人の男性が歩み寄ってきた。カイウスだ。彼は静かに私の前に立ち、手を差し伸べた。
「ダンスをいただけないか?」
彼の申し出に会場は息を呑んだ。王国で最も地位の高い公爵の一人が、公に婚約を破棄された女性にダンスを申し出るとは。これは明確な支持表明だった。
「喜んで」私は彼の手を取った。
カイウスが私をダンスフロアに導き、音楽が再び流れ始めた。彼の腕の中で、私は安心感に包まれた。
「勇敢だな」彼は小声で言った。「多くの女性なら泣き崩れただろう」
「昔の私なら、そうしたかもしれない」私は微笑んだ。「でも今は違う」
彼の腕が私の腰をより確かに支えた。「誰もが君を見ている」
「気にしないわ」私は彼の青い瞳を見つめた。「あなたが見ていてくれるなら」
踊る私たちの周りで、魔法の光が美しく降り注いでいた。しかし私の目には、それ以上に美しいものが見えていた。カイウスを包む青と紫のオーラが、私のオーラと調和するように輝いていたのだ。
舞踏会の終盤、私は少し息抜きのために庭に出た。星空の下、花々の香りに包まれながら深呼吸する。
そこで、奇妙な光景を目にした。大きな木の陰で、何者かが小さな魔法陣を描いている。私のオーラ視では、その周囲に不穏な黒い霧が漂っているのが見えた。
私はその場に身を潜め、観察を続けた。黒い影は何かを唱え、小瓶に光る物質を集めている。それは…魔力?
儀式が終わると、その人物は学院の建物へと戻っていった。その背中を見て私は息を呑んだ。学院長だった。
急いでカイウスを探し、見たものを伝えた。
「やはり」彼の表情が険しくなった。「学院長が関わっているとは思っていた」
「何をしていたのでしょう?」
「おそらく魔力を盗み取る儀式だ」彼は考え込むように言った。「でも、なぜ?そして彼一人でこれほどの規模の異常を引き起こせるのか?」
次の日、私たちは急いで調査を始めた。しかし、より衝撃的な知らせが飛び込んできた。
「セレステが…また」侍女が泣きながら報告した。「今度は意識を取り戻しません」
病室に駆けつけると、セレステは青白い顔で横たわっていた。その周りには医師や魔法治療師が集まり、必死に治療を施していたが、効果がないようだった。
彼女の魔法オーラはほとんど消え、わずかに残った部分も弱々しく揺れていた。
「彼女の魔力が…ほとんど失われている」私は震える声で言った。
カイウスが黙って頷いた。「犠牲者が増えている」
そこにミラが駆け込んできた。「エリーゼ!あなたの妹さんも?」
彼女の表情に焦りが見えた。カイウスと私は視線を交わした。
「ミラ、あなたも何か知っているの?」私は尋ねた。
彼女は躊躇いながら頷いた。「私のクラスメートも何人か同じ症状に…」
「話し合うべきことがある」カイウスは二人を見た。「安全な場所で」
私たちは東の塔の研究室に集まった。カイウスが扉に封印魔法をかけ、盗み聞きを防いだ。
「学院内で魔力を盗む儀式が行われている」カイウスは端的に説明した。「犯人は学院長と思われる」
ミラの顔から血の気が引いた。「学院長が?でも、どうして?」
「それを調査する必要がある」私は言った。「そして妹を救う方法も」
「私も協力します」ミラは決意に満ちた表情で言った。「私の友人たちのためにも」
私たちは調査計画を立て始めた。ミラは下級生たちから情報を集め、カイウスは学院長の動向を監視し、私はオーラ視で異常を探る。三人の予想外の同盟が形成された瞬間だった。
「気づいたことがある」調査の途中、私は言った。「被害者には共通点がある。皆、魔法の才能が高いか、何らかの特殊能力を持っている」
「セレステも?」カイウスが尋ねた。
「彼女は隠していたみたいだけど、実は感情魔法に秀でていたの」私は答えた。「だから私の感情を常に読み取れたのかもしれない」
「そして私の友人たちは皆、魔法の成績が上位…」ミラが言葉を継いだ。
「彼は選別しているんだ」カイウスが結論づけた。「最も価値ある魔力を持つ者から」
私たちが話している間も、学院内では生徒たちの体調不良の報告が増え続けていた。この状況は思った以上に深刻だった。
「学院長の目的が何であれ」私は決意を固めた。「もう見過ごせない。彼を止めなければ」
カイウスとミラが頷いた。私たちの前には未知の危険が広がっているが、もう後戻りはできない。
「ゲームの筋書きなんて、もうどこにもない」私は心の中で呟いた。
前世で知っていた「レガルシアの心」のシナリオはもはや通用しない。これは全く新しい物語だ。そして私たちは、誰も知らない結末に向かって進んでいく。
セレステのベッドの傍らに座り、妹の手を握りながら、私は誓った。
「必ず救ってみせる。そして、この世界の真実を明らかにする」
「姉さん…」
かすかな声に目を開けると、セレステがベッドの上で私を見つめていた。彼女は一週間ぶりに意識を取り戻したのだ。
「セレステ!」私は思わず彼女の手を握りしめた。
彼女の顔は青白く、いつもの活気は影を潜めていたが、確かに意識はあった。しかし、その瞳には見たことのない感情が浮かんでいた。恐怖だ。
「大丈夫よ、あなたは安全なの」私は優しく言った。
「違う…誰も安全じゃない」彼女の声は震えていた。「あの人が…みんなを…」
「あの人?誰のこと?」
セレステは周囲を恐る恐る見回した後、私に近づくよう身振りで示した。
「学院長」彼女は耳元で囁いた。「学院長が私を…操っていたの」
私の背筋に冷たいものが走った。「どういうこと?」
「最初は夢だと思った」彼女は泣きそうな顔で言った。「でも、私の魔力を少しずつ取っていって…そして命令するの。姉さんの悪口を言え、噂を広めろって」
彼女の告白に、私は言葉を失った。セレステの敵意は彼女自身から出たものではなかったのか?
「いつから?」
「数ヶ月前から」彼女は苦しそうに言った。「私だけじゃない。多くの生徒が…特に魔法の才能がある子たちが」
私は深く息を吸った。「ごめんなさい、あなたのことを疑って」
「ううん、私こそ」彼女の目に涙が浮かんだ。「姉さんを傷つけるようなことを…」
私は彼女を静かに抱きしめた。妹の体は驚くほど細くなっていた。
その日の午後、学院では重大な発表があった。
「親愛なる生徒諸君」校長のラインハルト・ヴァイスが壇上から笑顔で語りかけた。「一週間後に年次魔法大会を開催する」
会場がざわめいた。年次魔法大会は通常、学期末に行われるもの。それがなぜ今なのか?
「魔法の異常現象が報告されている今こそ」校長は続けた。「若い才能たちが団結し、王国の未来を照らす光となるべきだ」
彼の言葉には表向き何の問題もなく、魔法に対する深い愛情さえ感じられた。しかし私の目には、彼の周りを取り巻く不穏な黒いオーラがはっきりと見えていた。
会議室に三人で集まったとき、カイウスの表情は硬かった。
「タイミングが悪すぎる」彼は窓の外を見ながら言った。「魔力吸収の被害者が増える中での魔法大会」
「生徒全員が魔法を使うことになるわね」私は指摘した。
「まさに魔力の収穫にぴったりのイベント」ミラが恐る恐る言った。
私たちは大会に向けた準備を進めながら、同時に校長の動きを監視することにした。カイウスは学院の古い設計図を入手し、地下に隠された部屋の存在を発見した。
「かつての魔法研究施設だ」彼は図面を指さした。「現在は使われていないことになっている」
「そこで儀式を行っているのかも」ミラが言った。
数日後、大会の予選が始まった。参加者はクラスごとに予備審査を受け、本選に進む者が選ばれる。私もオーラ視察者としての能力を隠しつつ、通常の魔法試験を受けた。
審査の間、私は参加者たちのオーラを注意深く観察した。そして恐るべき発見をした。
いくつかのオーラに、微かな黒い糸が絡みついていたのだ。特に魔法の才能が高い生徒たちに。その糸は皆、同じ方向—学院の地下へと伸びていた。
「操られている」私はカイウスに報告した。「参加者の一部が、無意識のうちに魔力を奪われている」
「さらに悪いニュースがある」彼は暗い表情で言った。「校長は特別な参加者として、ミラを指名した」
「ミラ?でも彼女は魔法が—」
「弱いはずだった」カイウスが言葉を継いだ。「しかし彼女の魔力の質が特別なんだ。彼女自身も気づいていないが」
私たちがミラを探しに行った時には、すでに遅かった。彼女の部屋は荒らされ、残されたのは散乱した教科書と床に落ちた一輪の白い花だけだった。
「校長が彼女を連れ去ったに違いない」私は震える手で花を拾い上げた。
「魔法大会の前夜に」カイウスの声は冷たく沈んでいた。「彼の計画は最終段階に入った」
その時、予期せぬ訪問者が現れた。グリフィスだった。
「エリーゼ、聞いたか?ミラが—」彼は部屋に駆け込んできたが、カイウスを見て足を止めた。「ヴァルクール公爵?」
「彼女は連れ去られた」私は言った。「学院長によって」
グリフィスの表情が一変した。「やはり」
彼は私たちに近づき、声を落とした。「私はしばらく学院長を調査していた。彼の過去と、不審な夜間の活動について」
「なぜ教えてくれなかったの?」
「証拠がなかった」彼は苦悩の表情を浮かべた。「それに、君を危険に巻き込みたくなかった」
私たちは情報を共有し、救出計画を立て始めた。グリフィスの調査、カイウスの知識、そして私のオーラ視の能力を組み合わせれば、ミラを救い出せるかもしれない。
「学院長の地下施設への入り口は見つかった」グリフィスは図面を指した。「だが、強力な魔法で封印されている」
「私なら突破できる」カイウスが言った。
「その前に」私は両手で二人の腕を掴んだ。「あなたたちに知ってほしいことがある」
私は自分のオーラ視の能力と、カイウスとの魂の印について説明した。グリフィスは驚いたが、すぐに受け入れた。
「だから君は変わったのか」彼は小さく微笑んだ。「本当の自分を見つけたんだな」
三人での潜入作戦が決まったその夜、私の部屋にセレステが訪ねてきた。彼女はまだ弱々しかったが、決意に満ちた表情を浮かべていた。
「姉さん、私も行く」
「ダメよ」私は即座に拒否した。「あなたはまだ回復していない」
「でも、私には学院長の魔法に対する耐性がある」彼女は真剣な表情で言った。「それに…償いたいの」
彼女の瞳に込められた感情に、私は言葉を失った。これまで複雑な関係だった妹が、今は私を助けようとしている。
「わかったわ」私は彼女の手を取った。「でも無理はしないで」
翌日、魔法大会の開幕式が豪華に執り行われる中、私たちは密かに行動を開始した。学生や教師たちが大広間に集まる一方、私たち四人は東の塔の地下への階段を探していた。
「ここだ」グリフィスは古い本棚の隠し機構を作動させた。
壁が音もなく動き、暗い通路が現れた。冷たい空気が顔を撫で、不吉な予感が背筋を走らせる。
「彼女はどこ?」グリフィスが小声で尋ねた。
私は目を閉じ、集中した。オーラ視を極限まで研ぎ澄ませる。すると、かすかな光の筋が見えた。ピンク色のオーラ—ミラだ。
「地下の最深部」私は目を開けた。「大きな部屋がある」
一行は暗い階段を慎重に降りていった。途中、魔法の罠がいくつもあったが、カイウスの指示のもと、グリフィスと私が解除していく。セレステは私の後ろで、かつての敵意とは正反対の不安そうな表情を浮かべていた。
階段の終わりには大きな扉があった。扉に刻まれた魔法陣は複雑で、強力な封印だった。
「通常の魔法では開けられない」カイウスが扉に手をかざした。「だが…」
彼は私に向き直り、右手を差し出した。「今こそ、私の本当の能力を使う時だ」
「本当の能力?」
「他者の魔法を増幅する力」彼は静かに言った。「触れることで、魔法使いの潜在能力を引き出せる」
私は震える手を彼の手に重ねた。すると、私の魂の印が鮮やかに輝き、カイウスの印も呼応するように光を放った。
「集中して、扉の封印を見て」彼の声が耳元で囁いた。「弱点を探すんだ」
私は封印を見つめた。通常なら複雑すぎて理解できないはずの魔法陣が、今は鮮明に見える。そして—そこに弱点を発見した。
「ここ」私は指差した。「魔法の流れが不安定な箇所がある」
カイウスが頷き、私の手を握ったまま杖を構えた。「今だ」
私たちが同時に魔法を放つと、信じられないほどの力が私の体を貫いた。杖から放たれた光は通常の何倍も強力で、封印は一瞬で砕け散った。
扉の向こうに広がっていたのは、巨大な円形の間だった。床には複雑な魔法陣が描かれ、無数の蝋燭が不気味な光を放っている。そして部屋の中央、魔法陣の真ん中に—ミラがいた。
彼女は宙に浮かび、薄紫色の光に包まれていた。目は閉じられ、意識がないようだった。
「ミラ!」グリフィスが前に出ようとした瞬間、影から声が響いた。
「よく来たな、若き魔法使いたち」
学院長ラインハルト・ヴァイスが現れた。彼のオーラは今や完全に黒く染まり、禍々しい炎のように揺らめいていた。
「特にあなた、アーランディア嬢」彼は私に向かって微笑んだ。「オーラ視察者の末裔とは、予想外だった」
私は一歩も引かなかった。「ミラを解放して」
「それはできない」彼は首を横に振った。「彼女の純粋な魔力は儀式に不可欠だ。数百年に一度現れる特別な魔法の持ち主、魔力増幅の才能を持つ子だ」
「だから私たちの魔力を盗んでいたの?」
「『盗む』とは酷な言い方だ」彼は薄ら笑いを浮かべた。「私は『借りている』だけだ。衰えゆく私の力を取り戻すために」
「生徒たちを犠牲にして?」グリフィスが怒りを込めて言った。
「犠牲は必要だ」学院長の顔が歪んだ。「かつてオーラ視察者たちが私たちの魔力を制限したように。彼らは魔法の『腐敗』と呼んだが、それは単なる進化だった!」
彼はより強大な魔法を追求した結果、魔力を失い始めたのだと語った。そして古い儀式を発見し、学院の生徒たちから魔力を集め、ミラの特殊能力でそれを増幅して自らの力を回復しようとしていたのだ。
「オーラ視察者は王国の秩序を守るために存在した」カイウスが冷静に言った。「魔法の暴走を防ぐために」
「だから彼らは消された」学院長は憎悪を込めて言った。「そして今、最後の一人を倒せば、誰も私を止められなくなる」
彼の杖から黒い光が放たれ、私たちに向かって飛んできた。カイウスが素早く前に出て防御魔法を展開したが、衝撃で私たちは床に叩きつけられた。
「姉さん!」セレステが私を抱き起こした。
「皆、散って!」カイウスの命令に従い、私たちは別々の方向に逃げた。
学院長の攻撃が続く中、カイウスが私に近づいてきた。
「彼の魔法ネットワークに弱点はあるか?」彼は息を切らしながら尋ねた。
私は集中し、学院長のオーラを詳細に観察した。黒い炎のような外観の下に、不安定な結合点がいくつか見えた。
「ある」私は頷いた。「魔力の流れが乱れている箇所が三カ所」
「グリフィス!」カイウスが叫んだ。「南側から攻撃を!」
グリフィスは即座に理解し、学院長の注意を引きつける魔法を放った。その隙に、カイウスは私の手を取った。
「彼の魔法を打ち破るには、君のオーラ視と私の増幅が必要だ」彼は真剣な眼差しで言った。「だが危険も伴う」
「やるわ」躊躇いなく答えた。
彼は私の手を強く握り、もう一方の手で私の顔に触れた。「君を信じている」
その瞬間、途方もない力が私の中に流れ込んだ。視界が一変し、学院長を取り巻く魔法の糸が鮮明に見えた。複雑に絡み合う魔力の網、そして魔法陣とミラを繋ぐ黒い糸。
「あそこ!」私は最も弱い結合点を指差した。
カイウスと私は同時に魔法を放った。紫と青の光が混ざり合い、学院長の防御網に命中する。彼は悲鳴を上げ、一瞬よろめいた。
「馬鹿な!」彼は怒りに震えながら、より強力な攻撃を仕掛けてきた。
三人がかりでも、学院長の魔法は強大だった。彼が蓄積してきた無数の生徒たちの魔力が、禍々しい力となって私たちを圧倒する。
「効かない」グリフィスが叫んだ。「彼の魔力は尽きない!」
その時、予想外の動きがあった。セレステが魔法陣に向かって走り出したのだ。
「セレステ、危ない!」私は叫んだ。
しかし彼女は止まらなかった。ミラが浮かぶ魔法陣に飛び込み、宙に浮かぶ彼女の手を掴んだ。
「感情の魔法!」セレステが叫んだ。「これが私の贖罪!」
セレステの体が眩い光に包まれた。彼女の能力—感情を魔力に変える特殊な才能が発動したのだ。魔法陣が不安定になり、ミラの周りの光が揺らめき始めた。
「止めろ!」学院長が激怒し、セレステに攻撃を向けた。
「いまだ!」カイウスが私の手を強く握る。「全ての力を」
私は残りの魔力を振り絞り、学院長の魔法ネットワークの弱点を狙った。カイウスの増幅により、私の魔法は通常の何倍もの威力を持って放たれた。
学院長の防御が崩れる瞬間、グリフィスも最後の魔力を込めた一撃を放った。
「不可能だ!」学院長が叫んだ。「私が…このラインハルトが…」
彼の最後の言葉は、轟音と共に消え去った。魔法陣が崩壊し、部屋全体が揺れ始めた。学院長は床に倒れ、意識を失ったようだった。
「ミラ!」グリフィスが彼女の元へ駆け寄った。
セレステも横たわっていたが、弱々しく目を開けた。「姉さん…できたわ」
「ありがとう」私は彼女の手を握った。「勇敢だったわ」
しかし安堵も束の間、天井から岩が落ち始めた。儀式の間が崩壊し始めたのだ。
「早く出るぞ!」カイウスが叫んだ。
グリフィスがミラを、私がセレステを抱えて出口へ向かう。カイウスが最後尾で私たちを守りながら進んだ。
突然、大きな音と共に天井の一部が崩れ落ちた。
「エリーゼ!」
背後から強い力で押され、私とセレステは前方に転がった。振り向くと、恐ろしい光景が目に飛び込んできた。
カイウスが大きな石柱の下敷きになっていたのだ。
「カイウス!」
私は走り寄り、必死に石柱を動かそうとしたが、びくともしなかった。彼の顔は青白く、血が床に広がっていた。
「先に…行け」彼は弱々しく言った。
「嫌よ!置いていけるわけない!」
グリフィスが戻ってきて、共に石柱を持ち上げようとした。セレステとミラも弱りながらも加わる。しかし、巨大な石柱は動かなかった。
「時間がない」カイウスの声がさらに弱まった。「君は…生きなければ」
「あなたなしでは生きられない!」私は叫んだ。涙が頬を伝い落ちる。「私たちは魂の印で結ばれているのよ!」
彼の瞳が閉じかけ、呼吸が浅くなっていく。私は彼の手を強く握りしめた。
「あなたを愛してる、カイウス」私は泣きながら告げた。「だから、お願い、死なないで」
その瞬間、私たちの印が眩い光を放った。紫と青の光が溢れ、石柱の周りを包み込む。不思議な力が私の体を貫き、そしてカイウスの体へと流れ込んでいくのを感じた。
そして、奇跡が起きた。
石柱が少しずつ持ち上がり始めたのだ。私は最後の力を振り絞り、魔力を込めて押し上げた。グリフィスも全力で押す。
「もう少し!」グリフィスが叫んだ。
ついに石柱が横に転がり、カイウスが解放された。彼は動かなかった。呼吸も、鼓動も感じられない。
「カイウス…」私は彼の体を抱きしめた。「お願い、戻ってきて」
私の涙が彼の顔に落ちた時、魂の印が再び光を放った。そして、信じられないことに、彼の右手首の印も応えるように輝き始めた。
「魂の絆…」セレステが小さな声で言った。「死をも超える絆」
カイウスの胸が微かに動き、そして彼の瞳がゆっくりと開いた。
「エリーゼ…」彼の声はかすかだったが、確かに生きていた。
「カイウス!」私は喜びのあまり彼を強く抱きしめた。
「君の…声が聞こえた」彼は弱々しく微笑んだ。「闇の中で、君の声だけが」
グリフィスがカイウスを担ぎ、私たちは急いで崩れゆく地下施設から脱出した。最後の一人が外に出た瞬間、入口が完全に崩れ落ちた。
夜空の下、私たちは互いを見つめ、奇跡的な生還を噛みしめた。ミラとセレステは弱っていたが、意識はあった。カイウスの傷も、不思議なことに思ったほど深刻ではないようだった。
「終わったのね」ミラが小さな声で言った。
「いいえ」私は彼女の手を取った。「始まったのよ」
私たちの冒険は終わりではなく、新たな物語の始まりだった。そして私は、もはや「悪役令嬢」ではない。自分の道を切り開く、一人の魔法使いになったのだ。
朝日が学院の尖塔に差し込み、崩れた東の塔を金色に染め上げていた。
あれから一週間。私たちの傷は少しずつ癒え、学院は静かな日常を取り戻しつつあった。学院長の捕縛、地下施設の発見、そして魔力吸収儀式の真実—全てが王国全体に衝撃を与えた。
「アーランディア嬢」
振り向くと、王宮から派遣された調査官が丁寧に頭を下げた。「陛下がお呼びです」
予想はしていたが、それでも心臓が跳ね上がった。カイウスの提出した報告書には、オーラ視察者の復活について詳細に記されていたのだ。
王宮に向かう馬車の窓から、レガルシアの美しい街並みが見える。尖った屋根の家々、石畳の道路、空に浮かぶ魔法の灯り。前世では見ることのできなかった幻想的な風景だ。
「緊張しているか?」
向かいに座るカイウスが静かに尋ねた。彼の傷はほぼ完治し、いつもの凛とした佇まいを取り戻していた。
「少し」正直に答えた。「でも、あなたがいてくれるから大丈夫」
彼の唇が微かに上を向き、右手が左手首の印に触れた。私たちの魂の印は、あの日以来さらに鮮やかになっていた。
王宮は圧倒的な存在感で私たちを迎えた。巨大な魔法の結晶で装飾された回廊、天井には王国の歴史を描いた壁画。そして玉座の間には、レガルシア第三世が威厳ある姿で座していた。
「ヴァルクール公爵、アーランディア令嬢」国王が私たちを見つめた。「そして、レナード卿、ローレライ嬢、アーランディア嬢」
グリフィス、ミラ、そしてセレステもこの重要な謁見に招かれていた。彼らは私の後ろで静かに頭を下げた。
「あなた方の勇気ある行動により、我が国は大きな危機から救われた」国王の声が大広間に響く。「ラインハルト・ヴァイスの裏切りは、王国史上最大の汚点となるだろう」
陛下の言葉に続き、王国の首席魔法師が前に進み出た。白髪の老人は私をじっと見つめた。
「若きオーラ視察者よ」彼の声は小さいながらも力強かった。「古の預言が実現したようだ」
「預言?」私は聞き返した。
「『最後のオーラ視察者が、闇に落ちた魔法を浄化する』」老人は杖を床に突く。「数百年前、オーラ視察者が姿を消した時に残された言葉だ」
王宮に集った貴族たちがざわめいた。オーラ視察者の能力は、ほとんどの人にとって伝説でしかなかったのだろう。
「エリーゼ・アーランディア」国王が再び話し始めた。「王国は、あなたの特別な能力を必要としている。王室魔法顧問として、我々を助けてはくれないか?」
息を呑む。これは想像を超える名誉だった。それは単なる地位ではなく、この世界での新たな使命を意味していた。
「陛下」私は深々と膝をつき、声を震わせながらも毅然と答えた。「その役目を果たせるよう、全力を尽くします」
国王は満足そうに頷いた。続いて、カイウスとグリフィス、そしてミラにも功績に見合った称号と地位が授けられた。特にミラは、彼女の特殊な魔力増幅能力について調査と修練の機会を与えられた。
「最後に」国王は微笑んだ。「明日より、学院は改革期間に入る。新たな学院長には、優れた見識を持つヴァルクール公爵が就任する」
カイウスの顔に驚きが浮かんだが、すぐに冷静さを取り戻し、丁重に頭を下げた。「陛下のお言葉、謹んでお受けします」
謁見が終わり、宮殿の中庭で休息をとっていると、セレステが恐る恐る私に近づいてきた。
「姉さん…いえ、エリーゼ」彼女はぎこちなく言った。「おめでとう」
「ありがとう」私は彼女の手を取った。「でも、あなたのおかげよ。あの時、勇敢に立ち向かってくれなければ、私たちは勝てなかった」
セレステの目に涙が浮かんだ。「あんなに酷いことを言ったのに…あなたを傷つけるようなことを…」
「もう過去のことよ」私は優しく言った。「これからが大切。お互いのことを、もっと理解していきましょう」
彼女は泣きながら頷き、初めて心から私に抱きついてきた。腕の中で震える妹の体を感じながら、私もまた涙を堪えられなかった。
その日の夕方、王宮の庭園でカイウスが私を待っていた。夕陽に照らされた彼の姿は、いつにも増して凛々しく見えた。
「エリーゼ」彼が私の名を呼ぶと、心臓が高鳴った。
「学院長就任、おめでとう」私は微笑んだ。「誰よりも相応しい人選だわ」
「君がいなければ、実現しなかった」彼は真摯に言った。
私たちは石のベンチに腰掛け、しばらく沈黙を共有した。やがて彼が懐から小さな箱を取り出した。
「これを」
箱を開けると、美しい銀の指輪が光っていた。中央の宝石は深い青と紫が混ざり合う神秘的な色合いで、まるで私たちのオーラを映し出したようだった。
「カイウス…」言葉が詰まった。
「魂の印は運命の証」彼は真剣な眼差しで言った。「だが、私は運命だけに頼りたくない。君自身に選んでもらいたい」
彼が片膝をついた。
「エリーゼ・アーランディア、私の妻になってくれないか?」
「はい」躊躇なく答えた。「心からイエスです」
彼が指輪を私の指に滑らせると、それは完璧にフィットした。まるで最初からそこにあるべきものだったかのように。
指輪を見つめていると、そこに魔法の光が浮かび上がった。私たちの魂の印と呼応するかのように、青と紫の光が渦を巻く。
「これは?」
「古い家に伝わる宝石」カイウスは説明した。「魂の印を持つ者同士のために作られたものだ」
彼が私を引き寄せ、静かに口づけた。その瞬間、周囲の世界が消え去り、私たちの魂の印だけが輝いているように感じられた。
翌日、学院では特別な式典が開かれた。改革の始まりと、事件解決に貢献した者たちを称える式典だ。
壇上で学院長として初めての挨拶を述べるカイウスは、堂々として見えた。彼が語る新しい学院の理念に、生徒たちは熱心に耳を傾けていた。
式典の後、グリフィスとミラが私たちに近づいてきた。二人の表情には喜びが満ちていた。
「エリーゼ、カイウス」グリフィスが満面の笑みで言った。「私たちからも報告がある」
「私たちも婚約しました!」ミラが嬉しそうに宣言した。彼女の指には控えめながら美しい金の指輪が光っていた。
「おめでとう!」私は心から祝福を述べた。
「君がいなければ、こうはならなかっただろう」グリフィスは感謝の眼差しを向けた。「君は本当の意味で、私たちを結びつけてくれた」
彼と抱き合いながら、不思議な感慨に浸った。かつて乙女ゲームでは、彼は私を公衆の面前で捨て、ミラと幸せになる相手だった。今、彼は友人として私を祝福し、婚約者として私を愛してくれる人を認めている。
運命は変わったのだ。
数カ月後、王立学院は完全に生まれ変わった。カイウスの改革により、生徒の出身や地位ではなく、才能と努力が評価される場所になりつつあった。偏見は一夜では消えないが、確実に変化は始まっていた。
私は王室魔法顧問としての職務を始め、カイウスと共に正しい魔法教育の普及に取り組んだ。私たちの結婚式は季節の変わり目に、静かに執り行われた。
式の日、セレステは涙ながらに花束を贈ってくれた。彼女はすっかり変わり、穏やかで思いやりのある女性になっていた。彼女の感情魔法の才能は、今では治癒の道で発揮されていた。
「姉さん、お幸せに」彼女は心から言った。
ミラとグリフィスも祝福に駆けつけ、私たち四人で未来を語り合った。傷つけ合った過去から、強い絆で結ばれた仲間へ。誰もが自分の道を見つけ、歩み始めていた。
「思い出すわ」私は静かに言った。「最初の頃、どれほど怖かったか。悪役令嬢の運命から逃れられるのか、不安で仕方なかった」
「そして今は?」カイウスが尋ねた。
「自分の物語を生きていると感じる」私は微笑んだ。「誰かが書いたシナリオではなく、自分自身の選択で作られた道を」
その夜、書斎で日記を書いていると、カイウスが静かに部屋に入ってきた。
「何を書いているんだ?」彼は私の肩越しに覗き込んだ。
「私たちの物語よ」私は答えた。「いつか誰かの手に渡ったとき、勇気づけられる人がいるかもしれないから」
彼は優しく微笑み、私の髪に口づけた。「君は素晴らしい才能を持っている。オーラ視の力だけでなく、人の心を動かす力もだ」
日記の最後のページに、私は前世への思いを綴った。
『もし前世の私がこの物語を読んだら、きっと羨ましがっただろう。でも、今の私は伝えたい。どんな世界でも、自分の運命は自分で切り開けると。悪役令嬢に転生したからこそ、私は本当の自分と出会えた。そして、魔法が見えるようになったからこそ、本物の愛を見つけることができた。』
ペンを置き、窓の外を見ると、学院の方角から不思議なオーラが見えた。鮮やかな赤と金。今まで見たことのない色彩だ。
「また新しい冒険が始まりそうね」私は小さく呟いた。
前世の記憶を持つ者が、他にもいるのかもしれない。そして彼らもまた、自分だけの物語を紡ぎ始めているのだろう。
カイウスが私の隣に立ち、一緒に遠くを見つめた。私たちの魂の印が静かに輝き、これからの長い旅路を照らしていた。
「行こう」彼は私の手を取った。「私たちの物語はまだ始まったばかりだ」
幾重にも重なる魔法のオーラを見つめながら、私は静かに微笑んだ。
悪役令嬢の運命から解放された私の新たな物語は、これからも続いていく。




