4話 普通
心地よい風と陽の光を全身で浴びながら、二人はレンガの道の上を歩いていく。
ティアルは時々傍の花畑に目を落とし、今日という一日の始まりを感じていた。
「いやー、こうしてお嬢と一緒に学園へ通える日が来るなんて本当夢みたいですよ。受験勉強、頑張った甲斐がありました!」
「屋敷の仕事もしながら寝る時間まで削って勉強して、ホント頑張り屋さんなんだから」
「えへへ……お嬢がルミレイア学園へ通うって初めて言った時から、絶対一緒に入学するって決めてたんです」
照れくさそうに頭をかくリラン。その反応にティアルは軽く瞬きを交わした。
ルミレイア学園はルミナークの中でもトップクラスの名門校であり、常に最先端の授業カリキュラムや学園内施設が揃い、ルミナーク各地のエリート達が集う、誰もが一度は憧れる学びの場である。
もちろん入学も卒業も、並の努力では到底敵わない。学科と実技の両方で優れた実績を残し、最終的に学園長に認められた者だけがその門をくぐる事が許される。
そんな難関校に受かるべくリランは、ティアルから指導を受けながらも、一から勉強を続けていた。
時折その難しさを前にして挫折しかけるも、どうしてもティアルの傍にいたい――。その一心で見事ルミレイア学園の入学資格を勝ち得たのだった。
「あの時は本当に苦労しましたけど、お嬢がいてくれたお陰で最後まで頑張れました!」
「……そう言ってくれると、私も嬉しいわ」
思い出話に花を咲かせているうちに、いつの間にか外の街へと繋がる門の前へ辿り着いていた。
リランは手馴れた様子で閂を外すと、静かにその鉄の門を押し開ける。
その先には、気品を纏った街並みが広がっていた。
綺麗な白を基調とした家や建物が整然と並び、この景色を見ているだけで優雅な気持ちになるようだった。
アストリフィア邸のあるここはルミナークの中心部に位置する王都で、国を管理する魔法局から許可を得られなければ足を踏み入れる事すら許されない、気高い人々だけが暮らす場所であった。
「学園へのルートは事前に把握済みですが、途中ではぐれないよう気をつけてくださいね」
「ええ」
そしてティアルとリランは、わずかな緊張感と期待を胸に秘め、新たな日々に向かって静かに歩き始めた。
普段は馬車から眺めている街並みも、実際に自分の足で歩いてみるとどこか違って見える気がしていた。
まるで読んでいた物語の中に入り込んだかのようで、ティアルは夢見心地な気分でその風景を眺めていた。
「こうして見ると、本当に綺麗な街ね。今まで馬車に乗ってばかりだったのが、なんだか勿体ないわ」
「ふふ。お嬢が歩きたいと望むなら、リランはいつでもお供いたしますよ」
軽く微笑むリランに、ティアルは小さく頷いた。
リランがわずかにティアルの前を先導するように、王都の街中を進んでいく。
「ごきげんよう。ティアル様」
その途中、通りすがった気品ある婦人に声をかけられる。
「おはようございます」
相変わらずの凛とした佇まいで挨拶を返すティアル。それに続いてリランも丁寧にお辞儀を返し、爽やかな笑顔を見せる。
「さすがはアストリフィア家のお嬢様。ご挨拶の所作も、完璧でございますね」
その言葉にティアルは一瞬目を伏せ、小さく首を横に振って静かに返す。
「……いえ、私はそんな大したものでは……」
「うふふ。冗談まで達者だなんて、本当に素敵な方です。それでは、良い一日を」
婦人は深々とお辞儀をすると、派手なデザインの日傘を揺らしながら向こうへと去っていった。
「お嬢、気持ちは痛い程分かります。どうか気を落とさずに」
「ええ。仕方ないと割り切っているはずだけど、やっぱり慣れないわ……。私は、『普通』でいたいだけなのに」
ティアルはどこか寂しげな眼差しで婦人の背中を眺めた後、ゆっくりと目を閉じる。
そんな寂寥感のある横顔を見たリランは、肩に手を置いて優しく声をかけた。
「私も、お嬢には何度も救われてきました。ですので、今度はお嬢の夢を叶えるために、貴方を全力で支えます!」
ティアルはそっと瞼を開くと、真っ直ぐな瞳でリランを見つめた。
「ありがとう。あなたがそう言ってくれるだけで、向き合っていける気がするわ」
主の安心した顔を見て、リランは小さく微笑みを浮かべる。
「それでは、気を取り直して学園へ向かいましょうか!」
二人は再度歩みを進め、輝かしい街並みを通り過ぎていく。
子供たちのはしゃぐ噴水広場、高級食材ばかりを扱うレストラン街、馬車の行き交う大通りなど、賑やかな街の雰囲気を味わいつつ、時折世間話を交えながら歩く。
ただの登校時間も、リランがいるだけで大切な優雅な時間へと姿を変える。
「そろそろ王都を抜けて城下町に差し掛かりますね。城下町に行くのは、お嬢と初めて会った時以来です」
「懐かしいわ。もう、あれから六年も経つのね」
「あの日の事は忘れません。私にとっての、人生の分岐点ですから……」
そう言って儚げな表情で空を見つめるリラン。
その顔を見上げ、ティアルは気づかれない程度にリランとの距離を縮める。
「私も、あの頃の光景はよく覚えてるわ。初めてあなたを見た時の、震えながらも必死に生きようとする姿は、今でも目に焼き付いてるの」
リランは少しだけ目を見開いた後、照れくさそうに笑った。
「そんな、格好悪いところくらいは忘れてくださいよ~」
「いやよ」
「んな!?」
驚愕するリランをよそにティアルはぷいっと前を向き、少し遠くに見える城下町へと続く大門へ歩みを早めていった。
「待ってくださいお嬢~! 早すぎますー!!」
リランは複雑な気持ちの表情浮かべながら、淡々とした足取りで進んでいく主の後ろ姿を慌てて追っていった。
リランというかけがえのない存在と、名門貴族の令嬢という肩書き。地位も名誉も友も揃ったそんな完璧とも言えるティアルが一つだけ憧れるものがあるとすれば――。
それは、ただ『普通』でいたい、という願いだった。