3話 出発
ティアルの前に並べられた朝食は、どれも優雅な朝を優しく包んでくれる、そんな真心を感じるような料理ばかりだった。
ふんわりと焼きあげられたバターロールに、黄金色に輝く香ばしいコーンスープ。彩り豊かなサラダは朝露のようにみずみずしく煌めている。
「デザートには、お嬢の好きなガトーショコラとハーブティーも用意してありますよ」
ニコッと微笑むリラン。
ティアルは待ちきれなかったのかそっとバターロールを一つ掴むと、表情はそのままに目だけを輝かせながら、その小さな口で目一杯ふかふかの生地にかじりついた。
その瞬間口いっぱいに豊かな小麦の味が広がり、後からほんのりとバターの香りが鼻腔を通り抜けた。
咀嚼の度にその旨みが増していき、ティアルは無意識のうちに地につかない足を小さくバタつかせていた。
ティアルは隣に置かれていたスプーンをおもむろに掴むと、流れるようにコーンスープを掬い、そのまま口へと運ぶ。
「お嬢、お味はいかがでしょうか?」
その問いに答える間もなく、ティアルは次々と目の前の料理へと手を伸ばす。
直接的な返事は無くとも、その無邪気な様子から十分すぎるほど感想が伝わったようで、リランはクスッと満足そうに微笑んだ。
ものの数分もしないうちに全てを平らげたティアルは、手持ちのハンカチで口元を軽く拭うと、ふぅ、と満足気に小さく息を吐いた。
「今日もお気に召して頂けたようで嬉しいです。では、こちらデザートになります」
どこからともなくガトーショコラを取り出すリラン。そして、傍にあったティーカップにポットから紅茶を注ぐと、それをティアルの前へ差し出した。
「これ、最近王都の魔導具屋で購入したんです。火属性の魔法で常に温度を保ってくれるので、これからはいつでも淹れたてのような紅茶を楽しめますよ!」
「いいわね、それ」
「ですよね! 今日から学園生活が始まるので、お嬢の好きな紅茶をどこでも飲めるようにと思いまして!」
「考えはとても素敵だけれど、そんなに大きなポットを常に持ち歩くつもり?」
「あ、たしかに……」
リランは露骨にガクッと肩を落とした。
そんなリランを横目に見ながら、ティアルは紅茶の入ったティーカップへと手を伸ばす。
「そのポットはぜひ屋敷で活用してほしいわ。これからは私の部屋でも熱い紅茶が飲めるわね」
「お嬢……!」
空回りな努力をしたと思っていた矢先に現れた救いの言葉。それを聞いたリランの表情は一転して明るくなった。
「せっかく買ってきてくれたんだもの。ちゃんと有効活用しないと、勿体ないわ」
ティアルはそう言うと、手にしたティーカップをゆっくりと鼻先へ近づけた。
ふわりと漂う上品な香りが、ティアルの鼻孔をくすぐる。そしてその香りを嗜みながら、一呼吸おいて静かに口元へと運んだ。
「……今日は、いつもと違うハーブを使っているのね」
普段から紅茶に親しんでいるティアルは、その微細な変化を味と香りからすぐに感じ取っていた。
「さすがお嬢です……! 実は、少し前から育てていたハーブが先日やっと採集できたので、いつもの紅茶に少し織り交ぜてみたんです。お嬢の好みに合うように調整したつもりでしたが、いかがでしたか?」
リランは少し自信がなさそうに眉を下げながらティアルを見つめた。
「……いつもより飲みやすくなってるわ。レモン風味のハーブを使ったのね。柑橘系の風味も少し欲しいと思っていたから、ちょうど良かったわ」
それを聞いたリランは、当然です、と言いたげな誇らしい表情を浮かべるが、テーブルの陰で小さくガッツポーズをしていたのをティアルは見逃さなかった。
ガトーショコラをつまみながら最後の一口を飲み干し、ティアルがティーカップを置いたその時、食堂の奥にある古時計から定刻を知らせる鐘の音が響き渡った。
「もうそんな時間なのね。そろそろ行きましょうか、リラン」
「はいっ、お嬢!」
返事と同時にリランは立ち上がり、それに続くようにティアルも軽やかに立ち上がる。
そして、手際よく食器を片付けるリランの姿を見守った後、二人揃って食堂を後にした。
廊下に出ると、来た道を引き返すように二人は並び歩いた。
横に並んだ二人の身長差は歴然で、比較的丈の低いティアルと比べ、リランはそれより十数センチほど背が高かった。
そんなリランは自然と彼女の歩調に合わせて歩いており、語らずとも決して傍から離れない、一人にしない、というような強い意思が感じられた。
奥の扉を開け、再びエントランスホールに差し掛かると、先程ティアルが通った際の静けさはなく、屋敷の入り口へ導くようにアストリフィア邸のメイド達がずらりと並んでいた。そして……。
『いってらっしゃいませ。ティアル様、リラン様』
メイド達は一斉に頭を下げ、整った所作で笑顔を浮かべながら声を揃えた。
ティアルは慣れているが、一方のリランは自分までこんな待遇を受けられると思っていなかったのか、軽く頭をかきながら苦笑い。
「あはは……こんな豪勢にされるとなんだか私までお嬢様気分ですね」
二人はそのままメイドの列に沿って歩みを進め、いよいよ外へと繋がる大扉の前に立つ。
リランは扉へ手をかけると、そっとティアルの方を振り返って微笑みを送った。
「では、行きましょうか。お嬢」
「ええ」
扉が開かれると、自然の香りと共に優しい風が吹き込み、まるで外の世界へと歓迎するかのような、眩しい陽の光が二人を明るく照らした。
足元には二人の不揃いな影が映し出され、屋敷の中へ悠々と伸びる。
外へと一歩踏み出した先に広がっていたのは、草原のような緑に色とりどりの小さな花が咲き乱れた、アストリフィア邸を象徴する美しい庭園だった。
その真ん中を割くように、道なりに曲がったレンガの一本道が正門へと続いている。
「そういえば、今日は本当に徒歩で良かったんですか? 時間はあるとはいえ、学園までは少し距離がありますよ」
「最近はずっと馬車ばっかり使ってたからたまにはね。道も覚えておきたいし、久しぶりに街の雰囲気も味わいたいわ」
「素敵すぎます!! そんな素晴らしいお嬢の登校劇に付き合えるなんて、執事リラン冥利に尽きます……」
目を輝かせながらリランはティアルの右手を両手で鷲掴みにする。
「オーバーリアクションすぎよ」
ため息をつくティアルに、リランは「あっ」と声を出し、顔を赤らめて申し訳なさそうにその手をパッと離した。
「……でもそういうところ、リランらしくて良いと思うわよ。それじゃ、行きましょ」
リランの前に白く小さい手が伸びる。
今にも感情が爆発してしまいそうなリランだったが、その期待に応えるようにそっと手を重ねた。
「はいっ!」