10話 学園
「それは……」
「まさか、それだけの知識を持っておいて『セレスティア』が扱えない、なんて事はないよね? アストリフィアの人間がどれほど優秀なのか少し期待していたけれど、興が削がれたよ」
【セレスティア】――それは、心の奥に宿るエネルギーを、自らの手で『形』にする力。
セレスティアは人によって多種多様で、一人一人違った能力を操る。
セレスティアの扱いは、知識があればあるほど柔軟になり、それは実際に扱う者にしか分からない感覚だった。
そして、ルミレイア学園の学科試験は、ルミナークの歴史とセレスティアの専門知識を問われるものだが、ティアルはそのどちらもミスを犯す事なく満点でやり遂げている。
そんな普通ではありえない極端すぎる成績に疑念を抱いた少女は、直接ティアルに問いかけてきたのであった。
そしてそれは、平穏な学園生活を送りたいティアルにとって、触れられたくない事実でもあった。
「……まさか、わざとなんて事はないだろうね? だとしても、そうする意味も分からないけど」
つくづく勘のいい探りに、ティアルは相変わらず俯いたまま口を開けない。
この時点でティアルは、目の前にいる謎の少女が只者ではない事を重く感じ取っていた。
ここで事実だと認めてしまうのは、それこそティアルにとっての『普通』はこの時点で幕を閉じる事になる。
だが、ここまで勘づかれているのなら、彼女を信じてここで打ち明けるのも一つの手ではあった。
――本当に、ここで打ち明けてしまってもいいのだろうか。
ティアルの頭の中に、迷いという名の霧が立ち込める。
もし彼女を通じて学園全体にこの噂が広まったとすれば、ティアル自身はおろか、アストリフィア家の顔に泥を塗るという事にもなりうる。
悩みに悩んだ末にティアルは、俯きっぱなしだった重い首を上げ、少女の方へと視線を向ける。
その澄んだ真っ直ぐな瞳からは、ティアルの決意が感じられた。
「……そうだと言ったら?」
ティアルは、打ち明ける選択肢を取った。
これまでの半生でほとんど干渉してこなかった、『他人を信じる』という試み。
普通なら、少女のような愛想のない初対面の人物を信用するなど考えられない話だが、ティアルはそれでも直感的に信じてみたいと思った。
「さっきも言った通り、そうだったとしても意味は分からないよ。でも、何かしらの意図があってそうしてるんでしょ」
「……ええ」
この返しにティアルは、胸の奥が少し軽くなったような気がした。
やはりこの少女には、どこか自分と通ずるものがある。ティアルがそう直感したのは、間違いではなかった。
「実力を隠すって事は、この難関入学試験の点数を調整するくらいの余裕があるって事だ。そうしてまでこの学園に来たかった理由が、あなたにはある」
「そうね。全部合ってるわ」
驚くほど鋭い少女の洞察力。もし今後敵対するような事があるならば、かなりの強豪になるのは間違いない。
ティアルはそういった意味でも、初めのうちで少女を信用し、関係を深めたいと思っていた。
「でも、これでただ自分の優秀さを見せつけたいとかなら、流石に怒るけどね」
「それだけはないわ。むしろ、私は逆を求めてるから」
「ふーん。変なの」
少女は相変わらず淡々とした表情で頬杖をつく。そしてティアルの瞳をじっと見つめた後、静かに口を開いた。
「ボクはシオン・アルグレア。ティアル、あなたには絶対負けないから」
ティアルがその言葉に応じようとした刹那、教室内に低くて鈍い鐘の音が響き渡った。
それとほぼ同時に、教室の扉がゆっくりと開いた。
教室へ足を踏み入れたのは、教授だと思われる人物だった。
シワひとつないシャツに、ビシッと決められたネクタイ。その上から純白の白衣を羽織った男性は、そこはかとなく貫禄を感じられた。
その人物が現れるや否や、賑やかだった教室内は一気に静寂に包まれた。
白衣の男性はそのまま教壇へ上がり、眼鏡を軽く触って位置を調整してから、静かに室内を見渡した。
そして、ティアルを視界に捉えると、誰にも気づかれないくらいの数秒間、その姿を見つめた。
それに対しティアルも、僅かに眉間にシワを寄せる。
「ルミレイア学園へようこそ。私はこのクラスの担任を務める、オスカー・ウェルノだ。以後お見知りおきを」
落ち着いていて、気品のある低い声でそう語り始める。
そんなただの挨拶ですら凛とした雰囲気が感じられ、クラスメイト達は自然と背筋を伸ばしていた。
「今日から卒業までの三年間、このメンバーで活動していく事になるが、まあ気楽にやっていってくれ」
本来ならばクラスの方針など、詳細を話す工程もあるはずだが、オスカーは面倒くさいと言わんばかりに、軽く頭をかきながらそう言った。
「担任を受け入れるのは初めてで何から話していいのか分からないが、まずはこの学園の授業について、簡単に説明していこう」
オスカーは背後の黒板と向き合うと、チョークを手に取り、美しい書体で要点を書き綴っていく。
「この学園では『普通教科』と『魔法教科』、そして『セレスティア実技』の三つについて学んでいく。これは他の学園とは違い、無駄な要素を省いたカリキュラムになっている。これらの詳細については黒板に書いておくから、机の中にある白紙の本にメモするなりしてくれ」
そう言ってオスカーは黒板に黙々と文字を書き始めた。
ほとんどの生徒は机から本とペンを取り出し、後を追うようにメモを取っていくが、何もせずまそのまま黒板を眺めている者もいた。
「ちなみにその本は学園の特注でな、色々書いておくと後々役に立つかもしれんぞ」
まるでメモを取っていない生徒がいる事を分かっていたかのように、字を書き進めながらオスカーは言葉を付け足した。
その忠告に、何もしていなかった生徒達は軒並み本を開き始める。
「別に書かなくても覚えられるけど……わざわざそんな言い方するなら一応書いとくかな」
ティアルに聞こえるか聞こえないかくらいの声量でシオンはそう囁き、渋々本を取り出して筆を進めた。
ティアルの方は言わずもがな、既にペンを握っていた。
「普通教科と魔法教科については、基本的に担任である私が授業を行うが、私自身も物理武器セレスティアの専門授業を担っている都合上、定刻通りに授業を開けない場合もあるから注意してくれ」
オスカーは要約の全文を書き終えると、手をはたいてチョークの粉を振り払った。
「それと知っての通り、この学園は自由を象徴に掲げている。勉強、遊戯、睡眠。基本学園内ではいつ何をしていてもいい。取りたい授業があるなら、予め決められた時間にその授業場所へ出向けばいいだけだ」
ルミレイア学園最大の醍醐味である『自由』。これを目当てに受験する生徒がいるほど、理想的な学び舎なのである。
「ただし、自由の裏には自律がある。遊びに呆けて勉学を怠っていては、この学園ではやっていけない。それを念頭に置いておくように」
オスカーはそう言い残すと、教壇に置いていた書類を手に取り、そのまま教室の扉の方へと向かう。
廊下に踏み出したその瞬間、先程と同じ低く鈍い鐘の音が教室内に響いた。




