日下部睡蓮×草野春樹 19
7月に入り、いよいよ期末テストが近づいてくる。
あたしは隣のクラスで、浦田に数学を教えてもらっていた。
古典が苦手な浦田にあたしが古典を教え、数学が苦手なあたしに浦田が数学を教える、去年同じクラスでなんとなく続いた利害関係が、なぜか今年も継続されている。
教えると言っても、浦田があたしの古典のノートを写す間、あたしが数学の問題をやる、わからなかったら聞く。ただそれだけだ。
妙な関係だなとは思うけれど、古典のノートを見せるだけで数学を教えてもらえるのだから、ラッキーと言えばラッキーだ。
今週の課題の問4までは教えてもらって理解し、なんとか次の問題に進むも、五分と経たずに音を上げてしまう。
「浦田、無理。わからん」
「んー?諦めんの早すぎだろ、もうちょっと考えろよ」
「だって解ける気しないんだもん」
「そんなんでテストどーすんだよ……って、問5かー。悪ぃ、俺もわかんねー」
「ええー」
浦田で分からないんじゃ、あたしが考えても、なあ。
とりあえず問題をじーっと睨んでみるが、何も閃かない。
そうこうしているうち、浦田はノートを写し終わったのか、ぱたんと閉じてあたしのほうにほいと寄越す。
「はー、いっちょ上がり。ノート、サンキューな」
「あ、うん」
「さ、帰った帰った」
「はいはい」
しっしと追い払われ、大人しく教室を出る。
「問5、わかったら教えちゃる」と数学の教科書を開き始める浦田に、扉越しにおざなりに手を振り、自分の教室へ戻った。
「あ……草野君」
あたしの後ろの席で勉強していた草野君が顔を上げる。
「日下部さん。……隣のクラスで勉強してたの?」
「うん。数学教えてもらってた」
「……浦田君に?」
「あ、うん」
よく分かったね、とびっくりしていると、草野君は肩をすくめ、「声が大きいんだもん」と笑ってみせた。
「仲、いいんだね」
「え?」
微妙な間をとって言う草野君に、あたしはきょとんとして首を傾げた。
そりゃ、仲が悪いとは思わないけど。
持ちつ持たれつのドライな利害関係を、そんな風に言われるとすごく変な感じがした。
「雑に扱われてるだけだよ」
「ふうん」
なんだか面白くなさそうな顔で頷く草野君。
あたしは、とりあえず話題を変えようと彼の机の上に目を落とす。
「草野君も数学?……あ、ちょうどあたしと浦田がわかんなかった問題解いてる」
「……そうだったんだ」
変わらずローテンションな草野君は、問5とあたしを交互に見つめ、顔を上げて言った。
「一緒に考える?」
「あ、うん。……あんまり、役に立たないかもだけど」
「僕もわかんないから、お互い様だよ」
草野君が広げたノートを反対側から覗き込み、うーんと考え込む。
「まず、点Pが動くのはここからここまでだから……」
「う、うん」
草野君がノートにペンを走らせながら説明してくれる。
「でもこの先がわからない。式を整理したらXが消える」
「……」
こんな時に何を、と分かっちゃいるが、……こういう真剣な顔もいいな、なんて思ってしまう。
……良くない。草野君が頑張っているというのに。
余計なことを考えるのは顔が近すぎるせいだ、と少しばかり身を引く。
「ん?」
「あ、いや」
ノートじゃなく草野君の顔を見ていたことがばれないように、へらりと笑って首を振る。
「今の、分かった?」
「……よそ見してましたごめんなさい」
真面目な顔で尋ねる草野君に嘘は吐けず、素直に謝って脳内の雑念をしっしと追い払う。
しかし、草野君がもう一度説明してくれているところに、浦田がやって来た。
「日下部ー、さっきの問題わかったぞ、っと……お取り込み中?」
「いや、全然取り込んでないでしょ」
妙なことを口走る浦田に、あたしは素でツッコんでしまう。
「ちょうど、一緒に考えてたとこ」
「ああ……なるほどね。若干取り込んでるような気もするけど、まあいいや。じゃあ浦田様は、お前らが悩んでるのをしばらく高みの見物しとくとするか」
「……?高みの見物とか性格悪、ヒントくらいくれたっていいじゃない」
「……やだ」
ぼそりと呟く草野君に、あたしと浦田は目を丸くする。
「……ヒントもらったら、負けたみたいで、なんか、やだ」
むすっとした顔で呟く草野君。
……拗ねた顔も可愛い。
きゅんとしてしばらく頭が働いていなかったあたしは、後ろで浦田が「うわ、そういうこと」とにやにやしているのに当然気づかない。
意地になって問題とにらめっこする草野君と、意地の悪い笑顔を浮かべて「うわ、そういっちゃう?」などと茶々を入れる浦田。
話についていけないあたしは、もはや「草野君、頑張れ」と応援するだけになっていた。
「……ん?あ、分かった」
「お」
「え」
険しい顔でこめかみに手を当てていた草野君が、急にぱっと顔を上げ、さらさらと紙にペンを走らせていく。
浦田とあたしは、思わず顔を見合わせ、一緒になって草野君の手元を覗き込む。
浦田は「お、いいねえ」とうんうん頷いているが、……あたしには何がどうなっているのかさっぱりだ。
「……できた!」
「お、せいかーい!」
そう言って浦田は、満面の笑みで草野君の背中をバシンと叩いた。
痛った、と顔をしかめる草野君を華麗にスルーし、浦田はくるっとあたしのほうを振り返って尋ねる。
「日下部、分かった?」
「……」
無言を以って答えるあたしに、浦田はわざとらしい笑みを浮かべて大きく頷く。
そして、その恐ろしく腹の立つ笑顔をそのまま草野君に向け、
「じゃ、あとはよろしく!」
そう言ってウインクする。
「ちょ、ちょっと……」とおろつくあたしをよそに、奴は、額の前でピンと立てた二本指をチャッと突き出すと、すたすた帰っていった。
「……僕で、いい?」
浦田の背中を見送り、遠慮がちに尋ねる草野君。
「も、もちろん!ていうか浦田のやつ、絶対教えるの面倒で帰っちゃっただけだし……草野君も、その、無理しなくていいからね……?」
気を遣わせないようにと、そう言えば、草野君はちょっと寂しそうに目を伏せた。
「……浦田君には、軽口叩いて素直に甘えるのに」
「……え?」
「僕じゃ、頼りないかな」
「い、いやいやいや」
伏し目がちに見つめてくる草野君の殺傷力に慄きつつ、あたしは慌てて否定する。
胸がきゅんと鳴ったのを誤魔化すように息を吸い、へらりと笑う。
「あの、……頼りに、してます」
「ほんと?」
「……うん」
はにかんだのを隠すように、へへへ、とまた笑った。