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1 居心地の悪い場所

 本田(ほんだ)紗奈子(さなこ)はうんざりしていた。


「まだいい人いないの?」


 なんの悪気も無さそうに、母が尋ねてくる。まるで尋問のようだ。さっきから会話の雲行きが怪しくなってきていたが、案の定だ。


「別に、いなくはないけど」


 本当はいなくても、そう答えておくに限る。でないと、お見合いしろだとか、あそこの息子がまだ独身だとか、延々と訳の分らない男性を勧められることになる。


「だったら、そろそろ結婚するとかいう話にならないの?」

「まだ、そんなの考えてないって」

「全然早くないわよ。お母さんが紗奈子を産んだのなんか二十四のときなんだから。ぼんやりしてるともう三十なんてすぐに来るわよ。紗奈子だって、もう二十八でしょ? そんなことになったらどうするの?」


 だから、年末年始なんか嫌いだ。自分の家のリビングでくつろいでいるというのに、他人の家のようだ。

 どうにか理由を付けて帰ってこなければよかった。こうなることは予想していたはずだ。お盆はなんとか回避した。母の顔が見たくないという訳ではないけれど、電話口でも耳にタコが出来るくらい聞かされていることだ。

 たまには実家に帰ったらのんびり出来るとか、学生時代の友だちに会えるとか、いいことだってある。だが、それが楽しいと思えるのを上回ってしまっている。

 紗奈子は心の中でため息を吐く。


「姉ちゃん、まだ結婚しないの? 俺なんてもうすぐ父親になるってのに」


 なんとなく自慢がかった声が掛かる。弟の伸吾(しんご)だ。


「お義姉さん、お茶ここに置いておきますね」

「ありがとう」


 キッチンの方から現れたのは、お腹の膨らみかけた伸吾の奥さん、(かえで)だ。一応、紗奈子の義妹ということになっている。そして、この家に住んでいる。その事実に、紗奈子は未だ慣れることが出来ない。


「全く、身体大変なんだから無理しなくていいのに。言ってくれればやるよ?」

「これくらい大丈夫だよ」


 伸吾に言われて、楓は笑う。


「伸吾はいいお嫁さんをもらってくれてよかったわよ。それなのに、あんたは。弟の方が先に結婚してるなんて恥ずかしくないの? こんなときにしか家に帰ってこないし。もう、仕事なんて辞めてこっちに帰ってきて結婚したら?」


 さっきよりも心の中で盛大にため息を吐きたくなる。

 楓は母に合わせて困ったように笑っているけれど、内心どう思っているんだろう。何を考えているにしても、紗奈子にはわからない。

 そして、思う。

 ここはもう、紗奈子の家ではないのだと。

 ここは、弟夫婦と両親の家だ。

 大学を卒業するときに家を出るまでは、ずっと紗奈子の家だったのに。変わってしまった。


「紗奈子が片付けばお父さんも安心なんだがな」


 ソファでテレビを見ていた父が言う。笑顔がひきつる。ここでケンカなんかするべきではないとわかっているから言い返すことはしない。

 呪いのようだ。

 どうして、結婚すれば幸せになると決めつけるのだろう。結婚したら何が安心だというのだろう。

 経済的理由。それはある。このまま仕事を続けても、老後まで安心していられるかといえばそれはわからない。むしろ紗奈子自信も不安ではある。一応正社員として働いてはいるが、特に専門職でもないし、この不景気で会社に何かあったら転職も上手くいくかどうかわからない。このまま無事に一生同じ会社で働いたとしても、老後の資金は正直心許ない。だからといって、結婚すれば安心なのだろうか。男に養ってもらえば安心なのだろうか。それは昭和の価値観だと頭を抱えたくなる。

 それとも、紗奈子が一人でいることが不安なのだろうか。誰かが付いていてくれないと安心できないという意味だろうか。それに関しては、これまでだって一人でやってきたのだから問題は無いはずだ。このまま死ぬまで一人というのは、想像すると少しさみしいような気がしないことはないが。


「今付き合ってる人はどんな人なの? まさか紹介できないような人じゃないでしょうね。あっ、不倫とかそういうのはダメよ。そんなんだったらすぐに別れなさい」

「そういうのじゃないから安心してって、もう」


 いつになったらこの会話は終わるのだろうか。心の中はため息のオンパレードだ。


「いつまでもぼんやりしてると、嫁のもらい手が無くなるぞ。女なんて三十過ぎたら商品価値なんか無いんだからな」


 父がなんの悪気も無さそうに言う。どうして、結婚のこととなるとどうして当たり前のように実の娘を物扱いのように話すのだろう。片付くとか、もらい手が無くなるとか。もらうとか、もらわれるとか、ペットか何かと間違えていないだろうか。別に、紗奈子は商品でもなんでもない。

 そんなイメージも手伝って、結婚にいい印象も抱けなくなっていることに父は全く気付いていないようだ。昔からそういう人だ。一方的に自分の考えを押しつけて人の考えを聞かない。


「お父さんの言うとおりよ」


 父の言葉に同意している母の気も知れない。


「私は大丈夫だから放っておいてよ」

「そうは言ってもねえ」


 きっとこの会話はいつまでも続く。今日、今だけのことじゃない。紗奈子が結婚するまでいつまでも続く。想像するだけで気が重い。


「ちゃんと紹介してちょうだいよ。そうしたら少しは安心できるんだから」


 安心なんかしないくせに、と思う。顔を見せたらすぐに結婚を勧められて、その次は子どもの催促。それが幸せなのだと。呪いのように繰り返す。

 紗奈子だってわかっている。言い方はどうかと思うが、本当に両親が紗奈子のことを心配してくれているのだということは。

 だから余計にたちが悪い。彼らはそれが紗奈子にとって幸せだと信じている。

 だからこそ、罪悪感を抱いてしまう。伸吾みたいに、楓みたいに、普通に結婚して、普通に子どもを作れば両親だって喜んでくれる。

 弟夫婦とは逆に、紗奈子は両親を不機嫌な顔にしてしまう。


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