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「こんにちは、ヴィーナちゃん。今は大丈夫?」
「はい、大丈夫ですよ。一体どうしたんですか?」
アルムが旅立ってから10ヶ月経とうとしていた頃、私が自室にいると意外な人物が私の部屋を訪れた。
私の部屋に顔を覗かせるのは、アルムのお母さんであるアートさん。思えばアートさんはアルムが旅立ってから私の家に頻繁に訪れるようになった。
アートさんはすごく気丈に振る舞っていたけど、アルムが居なくなっってしまってからはずっと寂しそうな表情をしていた。
アートさんの友達になった私のママとお話ししている時は少し楽そうなんだけれど、家を出る時になるとやっぱり寂しそうな表情をしてアルムから貰ったブレスレットを頻りに摩っていたのをよく覚えている。
私もアルムが旅立ってしまって凄く寂しい思いを毎日している。けれど、夫であるカッター様を失い、最愛の息子まで早々旅立ってしまったアートさんの寂しさは私の感じている寂しさより遥かに辛いのだろうと思っていた。
私たちは互いにアルムの念話のブレスレットなどの秘密を共有している。だから2人でそう決めたわけでも無いけど、顔を合わせるとお互いに強くアルムを思い出してしまうので極力顔は合わせないようにしていた。
だからアートさんが家に遊びに来るときは、私は自室で辺境伯家から与えられる課題などに取り組んで顔を合わせないようにしていた。
なのでアートさんが私の部屋を訪ねた事は凄く意外だったけれど、アートさんの表情は長らく見ていなかった穏やかで少し幸せそうな顔だった。
一体どうしたのだろうと思っていると、アートさんは後ろ手で持って背中に隠していた物を見せる。
「その袋は何でしょうか?」
アートさんが手に持つのはなんの変哲もない2つの麻袋。けれど探査の魔法で探ってみると中には凄く分厚い紙の束が両方とも入っていることがわかる。本ぐらいの厚さがあるけれど、綴じてもないし装丁もしてない。それに本に用いられる紙でもない。私は思い当たるものがなくアートさんに尋ねるが、さあなんでしょう?とニコニコしながら聞き返された。
いよいよアートさんが変になってしまったと思って私はすぐギブアップすると、アートさんはワクワクしたような顔でその1つを私に渡す。
私はなんだろうと思いつつその紙束を取り出して、びっしりと書き込まれた文字に言葉を失った。
「アルムから手紙が届いたの。それ全部ヴィーナちゃん宛ての手紙よ。序盤から少ししたら日記帳っぽくなるけれど、それだけなにがあったか伝えたかったみたいなの。こっちは私の分ね。私も直ぐ読みたかったけど、きっとヴィーナちゃんも読みたいと思って、受け取ってすぐに商会を出てきちゃったの」
手紙を出す素振りは露ほども念話ではみせなかったのに、アルムの急なサプライズで激しく胸がドキドキする。
私は途中だった課題を投げ出して、アルムの事を思い出しながら一心不乱にアルムの手紙を読み始めた。
◆
私はアルムを初めて見たときのことを今でもよく覚えている。
最初は綺麗な顔立ちの、黒髪黒目が特長的な男の子だと思っていた。
みんなも、私だって試験で緊張していたのに、1人だけ穏やかでむしろリラックスした感じの子だったから深く印象に残っていた。
仕切りに囲われていても、他の受験生の子の様子も少しはわかる。その子はとっても座学が優秀みたいで、周りの試験官も少し興奮した感じだった。身なりも良かったし、だからてっきり私は商人の跡取りだと思っていた。
けれどその子は魔術師選択だった。
そして、私の今までを全てぶち壊すような凄い魔法の使い手だった。
私は家から見える校庭の様子で、自分の魔法が私塾の生徒にだって全く劣らないどころかほぼ全てに優っていると知っていた。特に同い年なんて相手になるレベルなんていないと思っていた。
もちろん国で1番なんて奢りは一切なかったけれど、少なくとも街では負けなしだと思っていた。実際、試験の少し前に家庭教師をしてくれた魔術師さんも私のことをそう評価してくれた。
でもその子には全く歯が立たない事を実際に戦わずして分からせられた。更には塾長とのゲームでは、塾長ですら完全に追い詰めていた。
私は激しく打ちのめされた。
私は、私の為に頑張ってくれるママを見て、蛇女って馬鹿にされて、いつか魔法だけですっごい貴族にお仕えしてママに恩返ししてバカにしてたやつを見返してやる気だった。
唯一絶対の自信を持つ魔法があれば、私は成り上がれると思ってた。
その道を私はその子にふさがれてしまった気がした。お前には無理だって言われてる気分になってしまった。
だから初対面なのに「私、あなたに絶対負けない!」っていきなり宣戦布告してしまった。
今思ってみても、すごく馬鹿な事をしていたと思う。あれがなければ、折角向こうから声をかけてきたのにそれを自分で無碍にしなければ、私は彼と、アルムともっとずっと早く仲良くなれたはずなんだから。
その日から私はムキになって頑張った。
帰ってからママにキツく叱られて余計に負けてやるもんかって思った。こっちの宣戦布告にも気にした様子もない穏やかな感じが、むしろ憎たらしく思えてきた。
どうすれば追いつける、どうすれば追い越せるんだろうってずっと考えていた。悔しくて悔しくて仕方がなかった。泥の秘密をあっさり言い当てるし、魔法だけじゃなく運動神経だっていいし、こっちが凄くキツく当たってしまうのに優しくするし、私の周りに誰も寄ってこないのに気にもせずに前に座ってご飯食べるし、なにを考えてるか全然分からなくて、そのうち話しかけてくる素振りも無くなって、自分がずーっとアルムの事だけを考えてることに気づいた時、なんだか凄く虚しくなった。
どれほどなにをしようと、彼の目に自分は入らない。
それを認めるのに馬鹿な私は5ヶ月も時間をかけてしまった。5ヶ月も無駄にした。冬休みに入るまでになんとか話しかけたい。自分の非礼を謝りたい。いっぱい不思議なところについて聞いてみたい。
でも自分でまいた種のくせに、私はアルムに冷たくされるのが怖かった。またあの、大嫌いな奴らが私に向けてくる突き放すような目を他人に向けられるのが怖かった。声をかけても無視されても仕方がないことをずっとしていた自分が心底嫌いになった。
彼が道を塞いだんじゃない。自分自身で勝手に遠のいてただけと言うことにようやく気づいた。
今思えばアルムにとっては如何でもよかったのだと思うけれど、私にとってアルムに声をかけるのは凄く硬い決意が必要だった。たくさん練習だってしたのに、謝罪よりも先に頼みたいことを口走って、アルムにごめんなさい、と言われたときは私は自分の愚かさがもう滑稽に思えて笑いさえした。
けどアルムはこっち予想の斜めを行って、私に対しても全くの隔意を持っていないように近づいてきてくれた。
どうしてそんな優しいのかわからなかったけれど、アルムは私に凄く親切にしてくれて親身になってくれて、初めての友達になってくれた。
ミンゼル商会の会長のお孫さんなんて誇れることを鼻にもかけず、私のためにうるさい奴らを追い払ってくれて、魔法を教えてくれて、とんでもないプレゼントをこっちの気も知らないで渡してくる。
アルムのやることなすことが全部色々な意味で心臓に悪くって、私ばっかりドキドキしてるみたいで、でもちっとも気にしてないアルムに怒ったフリしても、ニコニコして近づいてこられるとそんな気持ちは何処かへ言ってしまった。
そんなアルムに対して自分の秘密を隠すことはずっと不義理な気がしていた。その一方でずっと不安だった。私の異能を見たらアルムも離れて行ってしまんじゃないかって。
話さない事の後ろめたさと話すことの恐ろしさがアルムと接している間にずっと私を苦しめた。
でも実際に異能を明かしてみれば、アルムは気持ち悪い物を見る目で離れるどころか、目を輝かせて詰め寄ってきた。
そこでハッキリとアルムが超天然育ちの奇人変人とハッキリ理解したけれど、同時にどうしようもなくアルムから自分が離れられなくなったことがわかってしまった。
私の心を完全に奪って全てをアルム一色にして………………それだけしておいて旅立っていった。でも切れない絆を残していくように、とんでもない魔宝具をサラッと私に与えて。
多分アルムには私にも言えない秘密がまだまだたくさんあるんだと思う。でも私のために平気で危ない橋を渡ってしまう。私の心をガッツリ捉えて絶対に離さないようにしておいて旅立つって、すごくズルい。
長い長い長ーーーい手紙をいろいろなことを思い出しつつ全て読み終えた私は、大きく溜息をついた。
それは部屋でそのまま自分の手紙を読んでいたアートさんにも聞こえみたいで、2人して顔を見合わせて苦笑する。
「アルムが1人の女の子としか接触しなかったのを奇跡と見るか…………………」
アートさんが小さく呟いた言葉を私は引き継ぐ。
「その1人を、色々とぼかしてはあるけれど貴族の子女で異能持ちな美少女を確実に堕とした事を流石と思うべきか、ですね」
私がそう言うと、アートさんが困ったような、少しすまなそうな顔をして微笑する。
「思ったより落ち着いてるのね?」
「アートさんの手前で言うのも失礼なんですが、予測よりはるかにマシと言いますか、ここまで馬鹿真面目に報告するアルムの文章を見ていると毒気も抜かれると言うのでしょうか、色々と忙しくはしつつも毎日欠かさずマメに念話はしてくれますし……………むしろ公塾に行ってからが本番ですね。私も私塾で行動を共にした時は女子のガードに手を焼きました。
それにアルムはちゃんとその人に私の存在をちゃんと伝えてあるみたいですし、その人もなんとなく私と似た境遇と経験を経ている気がして、私と同じようにアルムの抜けたところに手を焼いてたんじゃないかな、なんて思ったりしてしまうんです」
もちろん、全く思うことが無いわけではないけれど、どうも私にも配慮した上でアルムと共に有ろうとする気概が件の女性から感じられるからこそ、私も思ったよりは焦りは無かった。
「あの子は真っ直ぐに育ってるけど、その方向性が少し不可思議な方向に向けて真っすぐ育ったのよね。私の夫も、女性関係では色々とあったみたいよ」
懐かしむ様な目をするアートさんに、ふと私は疑問が湧く。
「アートさん、アルムはアートさんがカッター様については殆ど語らなかったとお聞きしていますが、本当にカッター様の出生や正式な生い立ちなどはご存知ないのですか?」
アルムは純真にアートさんの言葉を信じたみたいだけれど、アートさんだって頭はキレるし息子の為ならあらゆる願いを放棄できるとても強い心がある。それに女の勘みたいな物がなんとなくアートさんが真実の全てを語っていない気がすると言って憚らない。
私は異能を軽く発動して探査の魔法を最大限まで使ってアートさんの反応を探るが、窓から外を見るアートさんは凄く落ち着いていた。
「夫はね、私に貴族などの手が伸びないようにすごく苦心していた。だからね、出兵の時も帰ってくるタイミングしか教えなかった。あの人はたくさん秘密を抱えていたけどね、それが全部私の為に黙秘していると知っていたから私は無理に聞き出すことは一度もしてこなかった。だって、秘密があってもカッターさんは生活能力が低くて、魔法バカの鍛錬バカで、私には調子のいいことばっかり言ってその実私とアルムを守るためにすごく一生懸命で、アルムの前ではやけにカッコつけたがって、私が見ていないとふわふわ飛んでいってしまいそうなちょっぴり抜けててだらしない部分のある、私の最愛の夫に変わりは無いから」
そう思っても実際に割り切れる人物がどれほどいるだろうか。しかしアートさんの言葉に淀みはなく、なぜカッター様がアートさんに深く惚れ込んだのかもアルムが真っ直ぐな性格に育ったかもアートさんの佇まいを見ていると分かる気がした。
「でも、彼だって全部私に秘密にしてたわけじゃないの。たまにポロッと言葉が出てしまうのでしょうね。少なくとも彼の出生地も生い立ちも全く知らないと言えば大嘘になる。アルムは私にも黙ってるみたいだけれど、アルムの抱えてる秘密の一端とかもちょっと知ってるの。あと当然だけど、私が産んだのだからアルムの出生地に絡んだ話もね?」
凄く聴きたくなることをいきなり明かすアートさんに私は激しく戸惑う。
それにいったい何故、そんな重要な話をアルムに黙秘したのか、アートさんほどの女性がなんの意味も無く秘密にしたとは思えない。
カッター様の存在に霞みがちで、アルムの判断にもただ従うだけだった様な女性に見えがちだが、アートさんがカッター様を心酔させアルムを育て上げた母である強き女性である事を私は思い知らされた気がした。
「ヴィーナちゃん、今、色々と不思議に思ったでしょ?」
アートさんは悪戯っ子のような笑みを浮かべて私を見つめる。
「夫やアルムが秘密を抱えているように、私にも……………いえ、夫の一族の傍にあった女性達にも彼等の知らない秘密があるのよ」
アートさんは私の頭が真っ白になりそうなほど衝撃的な事を言うと、呆然とする私をよそに唐突に口笛を吹いた。
すると、アートさんの胸元からどうやって出てきたのか全然わからなかったけど、1匹の梟が現れた。体長50cmほどの目の鋭く細身なミミズクの様な梟だけど、緑と金の羽に長い髭が特徴的な梟だった。
「使い魔、ですか?でもアートさんは魔法は使えないはずじゃ………………」
そこから伝わる強力なパワーは、ラフェルテペルでさえ恐らく瞬殺されかねない………………それほど迄に未知数で凄まじいパワーを使い魔から感じて思わず息を飲む。
けれど何故か、どう見てもフクロウなのに同時に優しげな女性の面影がチラついて見えるような気がした。
「私の使い魔ではないの。アルムの一族が代々継承する特殊な使い魔よ」
その使い魔が私に近づいてくると勝手にラフェルテペルが現れて威嚇するが、フクロウがジッと見つめるとラフェルテペルはすごすごと退散してしまった。
使い魔は邪魔がなくなった私のたもとまで飛んでくると膝にふわっと着地して、私の手ををくちばしでトンっとついた。途端、私の身体にのたうつ様な強い力が勝手に入り込んできた。
「良かったわね、ちゃんと貴方は選ばれた。少し早い継承になったし、アルムに寄り添って行くのは相当大変だと思うけど、アルムをよろしくね?」
私は力と共に頭の中に一気に送り込まれてきた情報に仰天しつつ、アートさんが何を言っているのか理解してコクリと頷く。
するとフクロウは一声鳴いて私の胸元にピョンと飛び込んで消えてしまうのだった。




