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「すみません、遅れましたっ!」
「いや、時間ぴったりだよ。風呂は気持ち良かったかい?」
「はい、すごく良かったです!入浴関係の高級品なども贈与していただきありがとうございます!」
夕飯をかき込むように食らったアルムは、最低限身なりを整えてサークリエの執務室に直行。急いでる時に限ってアルムの部屋とサークリエの部屋が遠く、アルムは謝罪しつつ執務室に入るが、サークリエの表情は柔らかかった。
「体の休養も大切だからね。うちに滞在している間はいつでもくれてやるよ。元は私が発明したものだからね。これから教えていく魔法の中にも、あれを作る魔法もあるから途中からは自分で賄えるだろうよ。さあ、こっちへおいで。早速講義を始めようじゃないか」
サークリエは席を立つと、執務室の机の横にある銀の扉に触れる。アルムがサークリエについて行きその部屋に入ると、アルムはハッと息を飲んだ。
部屋の両サイドの壁にズラーーーーーーーーーと並ぶ引き出し。そのどれもが強力な力を秘めていて、アルムは一瞬その力の奔流に呑まれかけたのだ。
「やはりわかるかい。ま、説明はおいおいするよ」
サークリエがパンパンっと手を鳴らすと、薄暗い天井から蔦が伸びてきて座布団2枚と座卓を配置してすぐに引っ込んで消えていった。
「そこにお座りよ」
サークリエは座布団に座ると、アルムは机を挟んだ位置に座布団に正座して座る。それを見て唐突にサークリエは話し始めた。
「さて、アルムには色々と教えてみたいことがあるが、まずは色々と実際にアルムの実力を調べてみなきゃ話にならん。大方あたりはついてるが、やはり実際に見るのとじゃ全然違うからね。ところでアルム、講義を開始する前にあんたにひとつ質問だ。薬と毒の違いをあんたは説明できるかい?」
サークリエが投げかけた質問にアルムは暫く考え込み、答えを考え出す。
「人を癒すのが薬、蝕むのが毒でしょうか?」
アルムが慎重に答えると、サークリエは嬉しそうに笑う。
「なかなか分かってるじゃないか。だがもう一つ付け加えれば完璧だ。私の教える魔法の本質にはそれだけではちと言葉が足りない」
合格だが満点では無い。そう言われてアルムは考え直すが、うまい言葉は見つからなかった。
「あきらめず考えようとする気概はいいね。正解は、『本質的に違いは無い』という要素だ」
「本質的に違いが無い、ですか? ………“薬も過ぎれば毒となる”という事でしょうか?」
アルムがサークリエの言わんとすることを推測すると、サークリエはわしわしと頭を撫でる。
「実に賢い子だ。例えるなら、祝福の魔法と呪いの魔法がいいね。このどちらの魔法も物体に新たな効果を付け足す魔法である事はアルムも知っている通りだ。祝福の魔法をかければ人に利を齎し、呪いの魔法をかければ人を害するだろう。薬と毒の対比に少し似ているが、しかしこれらは属性が違う。天属性と獄属性と根本的な部分がイコールではない」
そこでサークリエは言葉を切ると、手を差し出して右手には強壮薬、左手には麻痺毒を魔法で生成する。
「だが、薬毒はどうだい?例えばアルムは獄属性で薬毒を創り出すとき、頭の中ではっきりと区別をつけているかい?強壮薬だって大瓶一杯飲めば体を壊すし、物を融かす毒も希釈すれば消毒液になる。それを活かすか殺すかは人に委ねられているんだよ。だから私はあまり“薬毒生成”とは言いたくないんだ。全て一括して薬の生成として考えている。薬を売るのも毒を売るのも、薬師なんだ」
アルムはそれを聞き一応の納得をするが、知的好奇心のままに直ぐに切り返す。
「1つ質問です。少し論点からそれますが、“麻薬”はどんな風に捉えればいいのでしょうか?」
アルムにとって未だ記憶に強く焼き付いた印象的な出来事。麻薬で壊れた少年をアルムは見ただけに、そこが強く引っかかる。
捉えようによっては混ぜっ返す様なアルムの問いにサークリエは笑みを深める。
「では逆に問おう。アルムにとっての“麻薬”の定義はなんだい?」
「麻薬は、体も精神も破壊する上に強い依存性を持つ危険な物質と考えています」
サークリエはアルムの問いかけに成る程、と答えると懐からタバコを取り出す。
「アルム、煙草はどう考える?酒もどうだい?体によくないってのは誰でもなんとなく分かってる。酒で身を持ち崩す奴だって多い。特に酒は強い酩酊や錯乱を起こす事もあるし、依存性だってあるんだ」
アルムはサークリエの返しを聞いて深く考え込み頭が少し混乱し始める。
「では、国が規制しているかいないか ……………でもそれだとその規制の基準が ……………」
うーん、唸るアルムに対して、サークリエは含みを持たせずあっさり答えを述べる。
「ま、シンプルにここをどれくらいイカれさせるかってところに境界線があるんだよ」
サークリエは指でトントンと米神を叩いてニヤッと笑った。
「摂取しすぎると神と交信しちまったやつみたいになるんだ。煙草や酒はバカスカ摂取しようがそうなっちまう事は本当に稀だ。まぁ、麻薬の歴史も元を辿れば神の交信に用いられた事からなんだがね。神との交信で起きる精神破壊と似通った部分が大いにあったから最初は交信の誘発剤として勘違いされたんだ。だが実際そんな効果は無いし、頭をイカれさせるだけって事は直ぐ分かった。
だが、廃れる事なくずっと麻薬は時代の中で生きていた。何故か、それは軍で使用されたからだ。度重なる戦争で壊れた奴を麻薬の酩酊や多幸感で癒そうとするんだよ。
先にはっきり言っておこう。魔法でも“薬物”は作れるんだよ。むしろ古代ではとても深く研究された分野だ。獄属性魔術師が一定数国で抱え込まれるにはその様な事情があるからだ」
アルムはその事実を聞き言葉を失ってしまった。何処かで麻薬は自分とは全く違う世界の物だとずっと思っていたからだ。
「だがね、作り方を知った奴の半数以上が辿る末路はみんな一緒だ。人も馬鹿じゃないから濫用するようなちゃらんぽらんには教えない。責任感ある者に教えるさ。だがね、その知識を知っていることの重圧が責任感ある者の心を病ませる。そして………………安易に手が伸ばせる位置にあるモノに意識が向いちまうんだね、これが。私の兄弟子や弟弟子も何人もダメになっちまったよ。私も若い頃過信して教えて直弟子達を喪っちまった。今でも悔やんでも悔やみきれない失敗だよ」
サークリエは一瞬だけだが、目をきつく瞑り苦味の走った表情になる。
「あらゆる薬に人を殺める可能性があり、あらゆる毒に人を生かす可能性がある事を忘れちゃいけないよ。私らは自分たちの持つ知識と技能の伝達に強い責任を負わなきゃならん。たった1つの薬が100万の命を救う一方で100万の尸の山を築く事がある事を心に深く刻んでおきな。私が教える技能はそういった尖った技能だ。それだけの事を学ぶという覚悟をしな。さあ講義を始めよう」
自分の持つ知識に責任を持つ。
それは知識欲の塊だったアルムの心に大きく響いた言葉だった。




