9
『アルム…………』
「は、はぃ…………」
毛は逆立ち牙を剥き、明らかに怒っていますと全身で表現するイヨド。アルムのテンションは常夏から極寒まで真っ逆さまに落ちた。
『この得体の知れない肥溜めの様な匂いはなんじゃ?それにお前も臭いぞ』
頭から急に水を被せられ、アルムの体も物理的に冷え込む。
『久しぶりに気絶するかと思ったわ!なんだ?一体何を撒いたのじゃ!?』
「ち、血抜きのせいで獣が寄ってきてたので、自家製の、獣避けを……」
『愚か者!!』
イヨドが吼えるとその圧は凄まじく、アルムは思わず腰が抜けて座り込んでしまう。
『こんなっ……こんなにも身の毛もよだつ様な匂いは長き生涯でも初めてじゃ!!鼻ごと腐るかと思ったわ!!そもそも我の眷属が2匹もいればこの辺りの動物などなんの問題もないわっ!!この愚か者ッ!頓珍漢!大うつけ!!』
見ればイヨドの目に涙が滲んでいる。恐らく人間より嗅覚が発達してそうな彼女にとっては想像を絶する悪臭だったのだろう。
『よいか、よく聞け!!我がいる限り、二度とそんな物を使うでないっ!!わかったかっ!!?』
「ひゃい……」
そうして濃密な魔力が動くと、猛風が吹き荒れた。
『アレはこの世から一片残らず消し去り匂いも飛ばしてやった。もう一度だけ言っておく、二度と、あれは、使うな』
アルムは半泣きになりながら首が千切れんばかりに縦に振った。
そうしてクシュンっとクシャミをする。濡れた体に猛風のコンボで身体が著しく冷えたのだ。春といっても元々寒冷なこの地は5度前後しかない。アルムは寒くてプルプル震えるだす。
それを見ると冷静になったのか、イヨドの瞳に宿っていた烈火の炎が小さくなっていった。
『人間というのは、どうしてこう柔なのか』
イヨドは、火は苦手なんだがな、と呟くと、独特の唸り声を上げる。
それはただの唸り声ではなく、何かリズムのある歌のような唸り声。そして10本ほど毛を抜くと、魔力を籠める。
瞬く間にその毛は燃えがると、その火は大きくなり、羽根のついた少々人間っぽい要素のある巨大なクラゲのような形状になった。
『誰が呼んだのかと思ったら、随分と珍しい奴ネェ〜』
響き渡るのはイヨドよりも甲高いキンキンとした声。イヨドは自分で呼び出しておきながらそのヘンテコな生物を睨みつける。
『余計なことは喋るな』
『相変わらず喧嘩腰なのネェ。そういうとこ散々窘められてたでショ?』
その言葉は彼女の地雷だったのか、イヨドは激しく威嚇の唸り声をあげ、謎生物は逃げるように後退する。
『そんなに怒ることないでショ?それで、何の用?』
纏う衣装なのかそれとも体の一部なのかわからないヒラヒラする炎の触手めいたものを弄びながら謎生物が問いかけると、イヨドはアルムに目を向ける。
『此奴を温めて乾かせ』
『んん?』
その時初めて謎生物はアルムに気づいたかのようにアルムに顔らしく部位を向ける。
『……これは、人間?偏屈な貴方が何故ただの人間を…………ああ、成る程ネェ!!』
謎生物は勝手になにかを納得して、愉快そうにアルムとイヨドの周りを飛び回る。
『へぇ〜〜そ〜なのネェ〜〜、貴方も大した『それ以上余計な事を喋ると氷漬けにして切り刻むぞ』』
それは今までの怒りから来る威嚇ではなく、冷徹で明確な殺意が込められていた。故に謎生物も揶揄う様な雰囲気をすぐに引っ込める。
『まぁいいワ。貴方は貴方、私は私、好きにするといいワ』
そう言って指らしきものを謎生物がパチンと鳴らすと、火の粉の奔流がアルムを包む。アルムは咄嗟の時事で反応できず思わず目を瞑るが、気づくと服は乾き、冷え切った体は温まっていた。
『はい、おしまいィ〜。…………へんてこな魔法までかけちゃって何を考えてるか知らないけれどォ』
一体この二体は何の関係があるのか、アルムが現実逃避気味に考えていると謎生物は目の前までスーッと寄ってくる。
『ただの人間って言ったのは訂正するワ。貴方、とぉ〜っても“面白い”人間ネ!これも何かの縁だワ!貴方にはわからないと思うけど、貴方の“ウチ”に聞けばわかるかもしれないから〜これあげるワ。じゃあネェ!』
謎生物はイヨドが止める前に何かをアルムに握らせると、燃え上がって消え去った。
『チッ、相変わらず腹がたつ奴じゃ。それで、奴は何を押し付けられた?』
イヨドは吐き捨てるように言うと、アルムに視線を向ける。
アルムの手の中には、10cm大の半透明の黒い石があった。しかしただの黒い石ではなく、その中でも赤っぽい何かが光を放ちながら揺らめいていた。
『…………量熱子鉱だと?奴は何を考えている?最後の謎かけはなんだ?』
「えっと、これは、一体…………」
アルムは困惑しつつ手の中で石を転がしていると、イヨドは渋々と言った感じで答える。
『熱の源のみを超高濃度の魔力と融合させて封じ込めた特殊な鉱石だ。永遠に尽きぬ炎、開闢の熱、そんな名前でも呼ばれることもある。それを砕けば、おそらく神でも連れてこない限り破壊はできぬが、この地の1割が更地になるだろうな』
「…………街も全部?」
『勘違いしているようだが、この地というのはそんな小さなものではない。言い直せば、この世界の1割がまるまる吹き飛んで更地になると言っておる』
アルムはあまりにビックリして思わず落としそうになり、慌てて石を掴みなおす。
『脅かしてしまったようじゃが、さっきも言った通り神でも連れて来なければかち割ることはできんぞ。我もこの形態では不可能じゃ』
少し気に入らないのかイヨドはフンっと鼻を鳴らす。
「でも、こんな物を持ってたあの……あの人は一体なんなのですか?」
『焔神アーグクトゥの眷属、又は火の精霊と呼ばれる物である』
「精霊っ!?」
『急に大きな声を出すな愚か者。あんなものに有り難みなど無いわ』
精霊とは召喚に於ける被召喚物の中で最高峰の存在であるとされている。なんせ存在自体が魔法みたいなものなのだ。
過去に国1つを人と見立てることで召喚に成功した精霊がいるが、たった一体、その一体が気まぐれに放った一撃で敵国の8割を壊滅させるほどのパワーがあった。当然召喚した方もとんでもない対価を持っていかれたが、それはその強さの証明に他ならない。
彼らは気難しく、気紛れで、それでいて人類よりも遥かに優れた知能を持つ。しかし唐突に人々の前に現れ、祝福と災厄をばら撒く。まるで自然そのものだ。
と言っても遭遇自体が極めて稀で、遭遇できれば5代以上先までも自慢出来るほど稀な事なのだ。
『しかし、奴は何を考えている?』
イヨドの呟きに応えるように、量熱子鉱は怪しく輝くのだった。
◆
「なんかもう、いっぱいいっぱいだよ」
なんだか色んな疲れがたまって、僕はもらった石を持ったままベッドに寝転んだ。
「(ねぇ、スイキョウさん…………どうしてさっきから黙ってるの?)」
思えば、スイキョウさんは精霊が現れたぐらいからずっと黙っていた。
《いや、厄介だな、って》
「(厄介?)」
《多分あの精霊は、魔法をかけた時に俺の存在を感じ取ったんだ。あの言葉も謎かけどころか、事情がわかってればそのままの意味なんだよ。だからわかりやすく言えば、アルムにはわからないが、“俺”なら使い方がわかるって言いたかったんだろ?》
アルム、ちょっと変わっていいか?
僕はスイキョウさんにそう言われて体を交換した。
◆
「ああ、うん、成る程ね」
スイキョウは入れ替わると、魔力残量を気にしつつ量熱子鉱に探りを入れて本質を推測する。
スイキョウが初めて魔法を使ってから1ヶ月。何度か実験した結果、スイキョウの魔法の対価は魔力と危機本能とほんのわずかな血液だった。ただし危機本能は肉体とかなり強く結びついているらしく、肉体から離れれば即座に正常化する。そして本人がギリギリ自分で危険度を認識出来る最低値の魔力が最大量の5割。5割を切るとスイキョウは暴走しアルムが止めるしか無くなることも確認できている。
まだコントロール自体はとても荒いが、アルムから見てもスイキョウは要領が良かった。そして使える魔法も絞り込めてきていた。
「(あー…………これはスゲェや。熱エネルギーの塊、小さな太陽みたいなものだな)」
スイキョウはそのエネルギーの極微小な欠片をギュッと自分の魔力の中に押し込めつつ引き出すと、屋根と床の中間あたりで魔力の中から解放する。
するとブワっと何かが膨れるような感覚あり、頑丈な家が軋む。
「(これは危険すぎるな。コイツをコントロールできれば圧力を操れるが、一歩間違うと制御できずに俺も吹っ飛びかねない。でもうまくやれば半永久機関が作れそうだな)」
熱エネルギー、それを解放した時に生ずる圧力。強力な分扱いが難しくほんの一欠片をコントロールするだけでも魔力が3割消えた。スイキョウは湧き上がる妙な全能感や興奮を抑えつつ冷静に運用方法を考える。
「(コイツからもっと大きめにエネルギーを取って一度解き放つか?…………待て待て、それだと俺が死ぬ確率の方が高い。やはりこの危機感の薄れは怖いな)」
スイキョウは色々な疑念を思い浮かべつつ、その危険な鉱石を手の中で弄ぶ。
「(そもそもこれ以上に謎なのが、イヨドだ。国一つを用いて召喚するような相手を容易に召喚していた。しかも攻撃の姿勢を見せた時に明らかに精霊側がたじろいでいた。つまり純粋な能力ではイヨドは精霊を上回るか、あるいは反撃可能ななんらかの手段がある訳だ)」
スイキョウは指を組むと、人差し指のみをクルクルと回す。長考に入る時のスイキョウの癖だ。元は懐いていた親戚がよくやっていたのだが、真似してるうちにスイキョウにもその癖が移っていた。
「(そんな存在がアルムに興味を持っている。一体なぜ?キーは『匂い』か?それにあの精霊は何を言おうとしていた?なぜ精霊はイヨドがアルムに興味を持つ理由にすぐ気がついた?いや、そもそも何故イヨドはアルムに関心を持つ理由を頑なにハッキリと明かさない?…………どうも穏やかな理由じゃないように思える)」
イヨドが精霊に見せた殺気。殺気とは無縁だったが故に鈍感なはずのスイキョウすら本能的に寒気を感じる怒気。絶対強者としての横暴さかも知れない。しかしただの我儘や癇癪では説明できない憤怒だった。
「(そんな奴にとって、俺はどんな扱いになる?敵か?精神体だから無事…………そんな事、鼻で笑いそうな魔法をイヨドは使えそうな気がしちゃうんだよなぁ。まあ、今は慎重に行動しよう。多分いずれバレるかも知れないけれど、そん時はそん時だ)」
多少危機感の薄れはあったことは加味しても、腹を括るまでの速さはスイキョウの大きな強みだった。
《ごめんなさい、スイキョウさん。なんかさらに余計な事に巻き込んだみたいで…………》
「(いや、今回の流れは誰にも責任は無いだろ。まぁなんだ、前向きに捉えるなら、俺の存在に気づく存在も居るってことが早期にわかってよかった感じだな。それにイヨドの心を開くことができれば、俺に関する事も分かるかもしれない。見た感じ、イヨドは序盤に出てくるストーリー後半になって超重要なキーマン系のキャラ感あるしな、うん)」
むしろプラスかもしれない、そんなスイキョウの割り切ったプラス思考にはアルムも呆気にとられる。
「(まぁ、多分今の俺たちの状態はこの世界にとっても常識の範疇から外れた奇妙な状態だ。ならそれを解決できる可能性があるのも、常識外の存在ってわけだ。それこそ精霊やイヨドみたいな、そんな存在だ。俺らが多少小細工してもどうしようもない連中なんだ。早めに腹括った方が楽だぜ)」
そう言ってスイキョウはサッパリとした笑みを浮かべた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本編では魔法の対価についてすでに解説はしましたがもう少し詳しく説明します。
RPGで例えるとわかりやすいかもしれませんね。
例えばゲームの中で火の球を放つ『ファイヤーボール』という魔法があったとします。かなりメジャーな魔法ですね。ゲームの中ではMPという物を消費し、魔法を発動することがほとんどでしょう。このMPは体内魔力を同じです。そして発動時に消費するMPも固定値であることがほとんどでしょう。この場合の消費MPは5としましょうか。
ですが、アルムたちの使用している魔法は仕組みが異なります。消費MPが定められていないのです。そのうえ、場合によっては消費するのはMPだけでない場合もある。
といっても派手に異なることはほとんどなく、平均値も出すことは可能なレベルです。ですが、たまに平均消費MP5のところを0.01の消費で済む人もいれば、100も消費する人もいます。
しかも魔法のタイプ、火や水、光などで更に個々で消費MPは変わるわけです。
例えば火の魔法は平均消費MPを大きく下回ることができても水の魔法の対価は平均の数十倍を必要としてしまう、といった感じです。そして要求された対価に対して自分の差し出せる対価が大幅に下回る場合、そもそも魔法は使用不可能です。
さらには対価にはMPだけでなく、血液、記憶などだったりする場合もあるわけです。これはちゃんと理由がありまして、のちのち本編でも説明がありますが記憶と血液などは魔法と比較的結びつきが強い物です。特に血液に関しては魔力量が生まれつき桁外れている人物のは対価になりやすい傾向がありますね。