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 森棲人の女性が降りてから、更に2つ進んだ停留所の所でようやくスイキョウは牛車から降りる。御者に切符を渡し、乗り口とは別の所から降りるとずっと座っていて固まった身体をストレッチ出少し解す。


 周囲は異様に閑散としている。牛車が去ってしまうと物音は殆どしない。エリアの雰囲気的に住宅地なのだが、スイキョウが辺りをぐるっと見渡すとやけに目立つ建物が少し遠くに見える。


「(え、まさかあれが薬屋?アルム、どう思う?)」


《薬屋とか屋敷とかって言うより、ククルーツイで見かけた教会とかに見ている気がするけど、でも赤い柱って言ってたよね?》


「(先入観に捉われるなって言ってたが、あれを初見で薬屋だと思える奴が1人としているのか?)」


 スイキョウがその建物の方へ歩いていくと、確かに案内などなくともあっさり辿りつけた。


「(何じゃこりゃ………)」


 その建物を見てスイキョウの脳裏を過ぎったのは、シンガポールのチャイナタウンのド派手な某寺院か、はたまた某有名アニメ映画の湯屋を一回り小さくしたような建物か。

 閑散としていて静かで薄暗い感じのエリアの中で、そこだけ何かを取り違えたように煌々と光が溢れている。


 濃い赤を基調に黒と金を用いたカラーリングで、それは唐様の建築物としか言いようができない。赤い柱、黒く反る様な屋根、正四面体の提灯が屋根からズラーと吊るされている。そして幾つかある筒状の煙突から煙が上がっている。

 どう考えてもド派手でもっと前々から気づいてもいいはずの建物だと思ったが、スイキョウは建物自体がなんらかの魔法で色々防御されていることに気付いた。


 おそらく人払いに近い魔法。あるいは視線逸らしのような効果か。あまり直視できないような奇妙な感覚があるのだ。

 その建物の周りを囲う庭もまた大きくて奇妙だった。

 水が建物の水門から出ていてそれが小さな堀を流れて庭をぐるっと一周し、再び建物の中へ流れ込んでいる。

 入り口の門から建物の入り口まではアーチを描く橋のようなものがかかっていて、庭へは入れないようにしている。しかしながらアルムから見ても興味深い、本の中でも見た事ないような珍妙な植物ばかりが庭に生えている。


 庭に入ってじっくり観察してみたいな〜と思うアルム。メンタルもだいぶ回復してきてスイキョウと入れ替わってもらうと、アルムはあることに気づく。


「(これ、もしかして純粋な植物じゃない?)」


 それは召喚属性の魔法に長けているアルムだからこそ気づけた違和感。純粋な生き物ではない、使い魔から感じる雰囲気をアルムは植物から感じ取った。それだけではない。庭から建物の中まで、とんでもない量の使い魔が蠢いているように思えるのだ。



 本当にここって薬屋なの?とアルムが首を傾げつつ橋を歩いていくと、橋の下から何かがよじ登ってきてアルムの前で通せんぼする。



『ピッピッ、ピー、ピピー、ピ、ピッピ、ピッピッ!』


 それは3才児未満と思しき小さな子供達。だが普通の人間でも異種族ですらない。

 身体から纏っているローブまで全て植物製なのだ。髪は細い蔓、肌は果実の表皮のようで、紫色の目の素材はよくわからないが、しっかりと人の顔を象っている。服もその子供から直接生えていて、葉っぱが何枚もおりかさったような感じだ。


 少しぎこちないコミカルな動きで子供達は手を繋いでアルムを通せんぼ。口と思われる部分に加えている笛のような物から音を出して何かを主張している。


「えーっと、通っちゃダメかな?」


 アルムはスイキョウがマニルにしていたようにしゃがんで目線を合わせるが、植物の幼児達はダメだと首を振る。そして後から来たもう1人の子がボードを見せる。


 そこには【とっくのとうに営業時間外だ。一昨日きやがれあほんだら】と殴り書きされていた。


「僕、お客さんじゃないんだよ。御手紙を預かってきたんだ」


 グイグイとアルムを押して帰らせようとする幼児達にアルムは困ってしまうも、とりあえずこっそり虚空からザリヤズヘンズの手紙を取り出して幼児達に見せる。


 すると、幼児達は硬直してお互いに顔を見合わせてオロオロし始める。


「とりあえず、これを君達の御主人様に渡してくれないかな?」


 改めて考えてみればもう時刻もだいぶ遅く、人を訪ねるにも少々常識的とは言えない時間帯だった。なので今日はどこか手頃な宿で泊まって明日尋ねることを決めたアルムは、手紙だけは先に預けておこうとする。


 だが幼児達は手を胸の前で振っているばかりで受け取ってくれない。


「手紙もダメ?」


『ピッピッ、ピピ、ピピ、ピ、ピ、ピッ!』


 手をわちゃわちゃ動かして笛を鳴らして何かを主張する幼児達に、アルムは困ったように頬を掻く。


「僕にはなに言ってるかわからないかなぁ。明日来てって事なの?」


『ピッピッ、ピピ、ピピ、ピ、ピ、ピッ!』


 ちがーう、と言いたいのか首を横に振る幼児達。動きがシンクロしていてスイキョウはなんとなく和んでいた。


「やっぱり紹介状が必要なのかな?」


『ピッピッ、ピピ、ピピ、ピ、ピ、ピッ!』


 なかなか理解しないアルムに地団駄を踏んで不満を表明する幼児達。埒があかないと思ったのか各々が顔を見合わせて頷くと、それいけー!と言わんばかりにアルムに突撃してくる。


「うわっ、ちょっと、え!?」


 幼児達はアルムの身体によじ登り頭や肩を占拠し、腕にもぶら下がり、脚にもしがみ付いていた。アルムは反射的に幼児達が落っこちないように身体のバランスを取るが、心配無用と言う様にアルムの体に蔦が巻きつき幼児達がアルムの体に自らを固定する。


 そして1人だけアルムに突撃せず、唯一腕に赤いスカーフを巻いていたリーダー格っぽい女の子が、アルムに向けて何処からか蔦を伸ばして、アルムの腰に巻き付かせる。


『ピ、ピピ、ピピ、ピッ!』


 それからしゅっぱーつ!と言っていそうな感じで手をあげると、アルムにしがみ付いている事達も『ピーピー、ピ、ピ、ピピ!』と笛を返す。

 するとリーダーの子が歩き出してアルムも引っ張られる。


「え?どこへ連れてかれるの?」


『ピ、ピッ、ピ、ピッピッ!』


 アルムが思わず問いかけると、幼児達は建物の上の方を指差す。


「中へ連れてってくれるの?」


『ピピッ、ピ、ピッピ、ピッ!』


 幼児達はアルムの問いに肯定する様に頷き、アルムの髪や耳を弄ったりして遊び始める。


 アルムは幼児達にされるがままついて行くと、堅く閉ざされた金属製の黒い門の前までやってくる。どうやって開ける気なんだろうとアルムが見ていると、リーダーの子がペチペチと門を叩き笛を鳴らす。


 すると、ガチャンガチャンガチャン!っと重い金属音が何度も聴こえ、1人でに門が開く。


「(うわ〜、凄いねここっ!)」


《ああ、此処だけなんか別世界の様だな》


 差し込む光りがまぶしくて一瞬アルムは目を逸らすが、中に足を踏み入れてみると、そこには2階層まで半分吹き抜けの広いロビーがあった。

 中は魔残油のランプではなく強烈に発光する謎の植物が中を照らしており、橋から続く石畳の床から1段高い位置の板張りの床は良く磨かれて鏡のようになっていた。


 アルムが導かれるまま中へ入ろうとすると、『ピッピッ、ピ、ピピッ、ピッピッ!』と笛を鳴らされて脚にしがみ付いていた子達に足をペチペチと叩かれる。


《アルム、その木の床を歩くときは靴を脱げってよ》


「(え、スイキョウさんなに言ってるかわかるの?)」


《いや、今のは状況的にな。だってあんな綺麗な床の上を靴で歩いたら砂で汚れるだろ?》


「(なるほど)」 


 アルムはスイキョウの言葉に従い靴を脱いで木の床に立つと、幼児達も『ピピッ、ピ、ピッピ、ピッ!』と笛を吹いてニコニコと笑う。


「(正解だったみたい)」


《そうか。なんか俺、笛の音にちゃんと規則性がある気がしてきたぞ》


「(僕は全然わかんないや)」


 ロビーには机とソファーが6組程配置されていて、奥には受付窓口のような物がある。そしてその左側には階段、右側には長方形を形作るように木の板が組まれた謎の柱の様な物があり二階部分を貫いていた。


 幼児達に上に行くと指をさされたので、アルムはてっきり階段に行くかと思っていた。だが幼児達は何故か右側の方へアルムを導く。


 それも木が複雑に組まれた柱の様な物の前まで連れて行かれる。

一体これはなんだろうとアルムが思っていると、リーダーの女の子が柱の一面をペチペチ叩く。すると、柱が囲っていた床の部分の板がひとりでに折り畳まれて、真っ暗な穴が出現。女の子の叩いた部分とその周りも折りたたまれ、アルムが通れるくらいのスペースが生まれる。


 リーダーの女の子が笛を吹くと、カラカラと音がして何かが高速で落下。床の穴に嵌るようにピタリとそれは止まる。


『ピー、ピー、 ピッピ、ピッ!』


 上から落ちてきたのは四隅を紐で繋がれた唯の厚い木の板。

 アルムが戸惑っていると、その木の板の上にリーダーの女の子はピョンと飛び降り、アルムも強引に引きずり込む。予想外に強い力にアルムは柱の中に引き込まれるが、板はびくともしない。


 リーダーの女の子がもう一度笛を鳴らすと、板が上昇し始めてアルムもそのまま上へ連れて行かれる。


 アルムはなんだか井戸の桶になった気分になりつつ、そのまま上まで直行する。その途中で見える(探査で3Dマッピングした)階層は、2階は1階のような待合室っぽい感じだが、3階〜5階はビッシリと箪笥が並べられていて、6階〜7階は作業場、8階〜9階は小部屋が沢山あるようで(スイキョウにはマンションのように見えた)、10階〜12階は探査の魔法も跳ね返されるほど重厚な扉の部屋が多く、13階でようやく止まった。


 そこは下の階のように開けてもいなければ明るくもない。リーダーの女の子が柱を叩くと、再びスイキョウが通れるスペースが生まれ、リフトから降りると1人でに柱は修復されてリフトはさらに上の穴の中へ消えていった。


「(ここ変だね。なんかグヨソホトート様の教会と少し雰囲気が似てるよ)」


 アルムは引き続き探査の魔法で探るが、空間がねじ曲がっている様に正確な図が読み取れない。リーダーの女の子はそんなアルムに構う事なく歩き出し、同じような光景が続く通路を右、左、左、右とジグザグに歩いて行く。


 女の子の足取りがハッキリしていなければ迷走を疑うレベルのルートだったが、やがて目の前に大きな赤い門が現れる。


 そこでようやくアルムにひっついていた幼児達がアルムから離れ、開けて〜、とアピールしているのか皆で門をペチペチと叩く。


 その間アルムは放置状態なのだが、叩くよりノックの方がいいんじゃないかと手を門に近づけたところで門が勝手に開く。同時に幼児達は一斉に駆け出して部屋の中へ突撃するが、思い出したようなUターンしてアルムの腕をみんなで引っ張る。


 アルムがそのまま部屋に引き込まれると、そこはとても広い執務室だった。


 部屋の中は机の上に置かれたランプの明かりだけが照らしているので薄暗く、壁には多数の箪笥と本棚がぎっしりと並べられていた。

 そして執務室にただ一つある椅子に腰掛け机で何やら書いていた部屋の主が顔を上げる。


《あ、凄い湯バ◯バっぽい》


 その人物はスイキョウが想起した人物ほど顔は大きくない。むしろ小顔の部類だが、背は平均より小さく、白髪混じりの金髪を夜会巻きに。色白の肌と翠色の眼、細長く薄い特徴的な耳は女性が森棲人であることを示している。深緑と青のエプロンドレスを纏い、深い皺が刻まれた指にはゴテゴテした指輪や腕輪をしている。

 目つきも鋭く、見るからに気難しそうな感じがわかる顔つきの女性が眼鏡を外してアルムを見つめていた。


「馬鹿供を追い返すはずのちびっこどもが何故か中に引き入れてきたから何かと思ったが、面白い童が来たようだ。その手紙は何処で手に入れたんだい?」


 そこまで大きな声ではないが、彼女の声はアルムにもはっきりと聞こえ、アルムは手に持ったままだったザリヤズヘンズの手紙を老人に差し出すように見せる。


「ザリヤズヘンズさんに餞別として頂きました。リタンヴァヌアという薬屋の店主サークリエさんを訪ねてこの手紙を渡すように言われたんです」


「あのちゃらんぽらんジジイが?」


 部屋の主はサラッと毒を吐きながら顔を顰めると、アルムの持つ手紙をジーッと見つめる。

 そしてパンパンっと手を叩くと、目視出来ない暗い天井から蔦が伸びてアルムの手紙をヒョイっと掻っ攫うと、部屋の主に渡して天井へ引っ込んでいく。


 アルムは忽然と現れ忽然と消えた蔦にポカーンとしていた。


 一方で部屋の主は手紙を受け取ると、「あのクソジジイ妙な真似をっ」とブツブツ文句を言いながら封筒にかけられた魔法を解除していく。手間をかけて全てを解除したところで、ナイフで切る心の余裕も無いのかビリっとひっちゃぶいて中の手紙を読む。

 部屋の主は、序盤は意味がわからん、みたいな顔をするが、暫くすると何かに気付いたのか紙を1枚取り出して何かをさらさらと書いていく。



「あ、あの〜……………」



 一体なにをしているのかとアルムは思うが、部屋の主は反応しない。

 ただただ放置されて困惑するアルムは立ち尽くしていると、まだ部屋にいた幼児達がアルムをグイグイ引っ張り、アルムは強制的に座らされる。そして脚の上に座られたり肩の上に乗られたり、ピアスをツンツン突っつかれたりと完全におもちゃにされていると、10分ほどして部屋の主はペンを置く。

 自分で何かを記した紙と手紙を交互に見ながら再び読み始めると、顔付きが叙々に機嫌の良さそうなものに変わっていく。そして最後まで読み終えると、アルムを見つめてニコッとニヤっの中間の様な表情で笑う。


「成る程、ようやく分かったよ。あの根性曲がったジジイが滅びた暗号まで使ってなんの嫌がらせかと思ったが、あのジジイも初めてまともな者を送りつけてきたようだ。済まないね、今まで放っておいて。ほれちびっこ供、さっさと持ち場に戻れっ!」


 老婆が手から放った赤いビー玉の様な物は床をコロコロ転がる。するとアルムで遊んでいた幼児達は脱兎の如く駆けてビー玉のような物に飛びつき、そのまま口に放り込んで呑んでしまう。

 幼児達は嬉しそうに笑い『『ピ、ピ、ピッピ、ピピ、ピピ、ピ、ピッ、ピ〜、ピ、ピッ!』と笛を鳴らす。

 そしてアルムの元に戻ってくると、何処から取り出したのか1人1つ、色は灰色と黒の中間の墨色のようで、大きさはさくらんぼ程度の小ささのリンゴの実の様な物をアルムに押し付けるように渡した。


 それから部屋の真ん中に行きアルムに向けて手を振りながら『ピーピー、ピ、ピ、ピピ、ピーピー、ピ、ピ、ピピ!』と笛を鳴らし、もう一度笛を鳴らすと、再び蔦が天井から伸びてきて、そのまま幼児達を絡め取り天井へ。幼児達ごと反応が消失する。


「(スイキョウさん、上に居るのってザリヤズヘンズさんの店にいたのと似てない?)」


《ザリヤズヘンズさんとこの人も同類って事なんじゃねえの?》


 アルムはもらった果実を抱えながら呆然と天井を見上げていると、老婆の笑い声が聞こえて意識が引き戻される。


「短い時間で随分と懐かれたね。あのジジイが書いてよこしたことは本当のようだ。その実、取り上げはしないが迂闊に扱わないように忠告しておくよ。さて、随分おくれて申し訳ないね。私の名はサークリエ。ここの薬屋リタンヴァヌアの店主だ。通り名みたいなもんだからそのままサークリエと呼んでくれればいいよ。一応、あんたの名前を聞かせておくれ」


「あ、アルム・グヨソホトート・ウィルターウィルです!」


 部屋に入ってきた時よりだいぶ雰囲気は軟化しているが、サークリエからはザリヤズヘンズからも稀に滲み出ていた独特の覇気が溢れている。アルムは本能的に身構えそうになるのを堪えつつ、できるだけ空気に飲まれないようにハキハキと答える。


「随分と遠い場所から一人で来たようだね。ようこそアルム、歓迎するよ」


 そんなアルムに対して嬉しそうな表情で頷くサークリエ。だいぶ態度が柔らかくなってきたので、アルムは色々と質問してみることにした。


「ありがとうございます。ところで、ザリヤズヘンズさんはなんとお書きになったのでしょうか?実は内容については一切知らないんです」


「色々と適当だねあのジジイも。内容については簡潔に纏めるなら、まず初めにあんたがいかに見所のある子供かって事。次に私への伝言だね。あんたに関して、頼まれてないのに積極的にあれこれする必要はないが、面倒を見てやってくれと書いてある」


 それを聞いてアルムは首を傾げる。


「なぜそれだけで僕を受け入れて頂けるのでしょうか?」


 サークリエの言葉の随所からザリヤズヘンズを殺してやりほど憎いという感じではないが、親友とは絶対に言えない関係性が窺える。手紙1つで素性もよくわからない子供1人の面倒を見ることを急に頼まれて快諾するのは、親友の間柄でも難しい事である。少なくとももう少し迷ったりする素振りが有れば分かるが、サークリエがあっさりアルムの受け入れを決めたことには不自然さがあった。


「その疑問は最もだ。だがこっちも色々な事情が噛んでててね。彼奴は腐れ縁なだけで頼み事を聞いてやる義理も一切無いが、あのジジイの人を観る目は信頼している。そのジジイが、あんたは私に利益を確実にもたらすと明確に記した。根性ねじ曲がってる奴だが、嘘をつくような奴ではない。だから受け入れてみるのも面白いって思ったのさ」


 アルムは自分が一体どんな利益をサークリエに齎せるのか全然分からなかったが、少なくともザリヤズヘンズは相当に自分を評価してくれたことは理解した。



「で、どうする?飯も寝床も1人分賄うには痛くも痒くも無い。どっかの宿に滞在したいってのでもいいさ。私が口利きすれば何処だって一室丸々手配するだろうよ。いろんなところに貸しは吐いて捨てるほどあるんだ」


 剛気な事を言い放つサークリエに対して、それは不味いんじゃ、と思い口を噤むアルム。

 自分の為に他人が理不尽な不利益を被るのは気が引ける。だがサークリエの御好意を即座に跳ね除けるのも失礼。結果的に口を閉じるしかない。困ったような顔をするアルムを見て、サークリエはニヤっと笑う。


「ふーん、性格も悪くないみたいだ。頭も悪くなさそうだ。さてアルム、今のは少しお前を試しただけだからあまり深く考えなくていい。無論、考えた末に宿屋がいいと言うなら構わないよ。1人の子供に部屋を1室与えるだけで私への借りを1つ返せるなら何処だって諸手をあげてアルムを歓迎するだろうよ。ただ、それじゃあ面白くもなんともない。だからアルムには2つ選択肢を増やしてやる。

1つはここに滞在する事だね。もちろん1番いい部屋を貸してやろう。飯を食いたい時に言えば食わせてやるし、この中を好きに出入りして見て回ってもいいさ。何か面倒な奴とトラブルになっても仲裁してやろう。何かも不自由なくできるように取り計らってやる」


 サークリエが出した破格の条件。それは誰だって後先考えずに飛びつきたくなるのを通り越して詐欺なんじゃないかと思う好条件だ。しかしアルムはサークリエの顔付きから2つ目が本命だと思い黙って待っていた。


「顔色1つ変えないかい。なかなか器も大きいね。それじゃ2つ目の選択肢だ。あんた、私に弟子入りしてみる気はないかい?」


「弟子入り、ですか?」


 提示された予想外の選択肢にアルムは思考が一瞬乱れるが、ザリヤズヘンズがサークリエを獄属性魔法の薬毒生成の大家と評した事を思い出す。これだけの店を構えられるだけの人物から教えを受けることができる機会は、今後無いと言ってもいい。だがアルムに残された時間もそうある訳ではない。アルムの中で欲望と理性が凄惨な闘いを繰り広げ、アルムは思わず唸ってしまう。



「勿論色々と縛りは生まれる。だが私の弟子になるならば、私は露払いをしてやる大義名分を得る事ができる。1つ目の選択肢の条件に加えて、この建物のあらゆる場所に立ち入りも許可する。それとここにある凡ゆる書籍の閲覧も許可しよう。当然、あんたがこの地にただやってきたわけではないのはわかっているさ。1日3時間でいい。あんたの望む時間帯に教えてやろう。さあ、どうする?」



 薬毒のスペシャリストの直接講義だけでも揺らぐのに、加えて壁をびっしり埋める書籍の閲覧や色々と興味の尽きない館内の立ち居入り許可、加えて1日3時間という配慮がアルムの理性を瀕死まで追いやる。


「つ、つかの事お伺いしますが、サークリエさんにとって不利益しか生まれないのではありませんか?」


 時間と金の問題もそうだが、此処までの好条件になんのメリットがサークリエに生まれるかさっぱり理解できない。


 タダほど高いものは無い。

 うますぎる話が逆にギリギリでアルムの理性を繋ぎ止めていた。


「そうだねぇ、卑怯な言い方をすると私の考えてるメリットのうち1つはまだ様子を見ない限りはなんとも言えない。しかしもう1つは言ってやれる。あんたには新しい道を切り開いて欲しいのさ」


 サークリエはそこで言葉を切ると、太い煙草を咥え魔法で火をつける。そして深く息を吸い込むと、緑色の煙を溜息と共に吐き出した。 


「………うちには沢山の従業員がいる。私も直接指導する事もあるが、基本的は先達が後輩に自分の受けた学びを与えて、次へ次へと知識と技術を広げている。だが奴等のいる世界は狭い。驕っている、までは酷評しないが私の元でずっと働いてるもんだから自分達のレベルを早々抜かされないと思ってる節がある。確かに帝国トップの薬屋としての地位はずっと守り続けているし、そこで働く従業員のレベルも自ずと高くなる。だが彼奴らには、もっと上を目指してやろうって気が薄い。貪欲さが足りない。今の微温湯で満足しちまう。

けどあんたは、私の求める叡智への貪欲さが足りている。知能が足りている。技術が足りている。だからこそ、うちの新たな風となって欲しい。微温湯を煮立たせる大きな熱になって欲しい。

あんたに追いつかれても抜かされても、そこで折れるような生温い鍛え方はしたつもりは無い。あんたには時間が短い分、一切の手加減無しで私の技能を叩き込んでやる。代わりに必要な配慮はしてやろう。さあ、蹴るかい?のるかい?」


 アルムはもう人前である事も構わず頭を掻き毟る。人生で未だかつてない葛藤がアルムを襲い、床をゴロゴロ転げ回りたい気分だった。


《アルム、いいぜ。俺に構うな》


 そんなアルムの葛藤で荒れ狂う心に静寂が生まれ、体の挙動が全て止まる。


《もし寄り道してタイムアップになってしまったら、ここからのプランが全て崩壊して俺に関する調査も出来なくなってしまう。アルムはそう考えてるんだろ?》


 スイキョウの苦笑混じりの声に、アルムはうまく言葉を返せない。何故なら誤魔化しようもなくスイキョウの指摘した事は図星だったからだ。


 勿論他にもアルムの決定を阻害する要素は沢山あるが、人間の3大欲求レベルでアルムの知識欲は強い。そんなアルムを押しとどめたのがスイキョウへの配慮だった。自分ばかり好き勝手やって失敗したら、取り返しもつかないし責任も取れない。


 そんなアルムの背中をスイキョウは優しく押してやった。



《今のアルムにはこのような人との関わりが非常に大事だと思う。それによ、リリーも言ってたが人脈って凄い武器になるんだぜ。帝国最高の薬師の弟子、素晴らしい肩書きじゃないか。下手すりゃ辺境伯のメダル持ち以上の鬼札になるぞ。あと凄く下衆な事を言わせて貰えば、多分アルムが全力でサークリエの教えに応えれば、事情を話せばお金だって融資してくれんじゃねえの?

ザリヤズヘンズさんの関係者だ。借金したって暴利な利子もつけてこねえよ。

ま、それは最終手段だが最高の保険になる。そこまで含めて、俺は弟子入りしてもいいと思うぞ》


 父は行方知れず、母の元をこの齢で旅立ち、愛する者と2度も別れることになってしまった。今のアルムのメンタルを自分だけ支えてやれるのか、スイキョウは4日間心の奥でずっと考えていた。

背追い込んだ重すぎる責任が、いつかアルムを殺してしまうのではないか。魔重地での殺伐とした殺し合いの日々の中でアルムが壊われてしまうのではないか。

 もっと子供らしく、自由にやりたい事をさせてあげたい。責任を共に背負える保護者をアルムに与えてあげたい。自分は運命共同体故にアルムの責任だけはどうしても軽くしてやることができない。むしろ許そうとすればするほど逆にアルムを追い詰めてしまう。

 だからこそ、スイキョウはサークリエの弟子入りには強く賛成だった。


 

 アルムはもがき苦しむほどにボロボロの理性で耐えていた。だがスイキョウの一押しはアルムの理性など木っ端微塵に吹き飛ばす。スイキョウの許しは、傷ついていたアルムの心を癒し大きく揺さぶる。


《アルム、もっと楽しくやろうぜ?》



 人生の岐路に差し掛かってるとは思えないほど、軽く穏やかなスイキョウの言葉。だがそれはアルムの心を縛る鎖を易く解いてくれる。


 アルムは髪の毛を整えると、少し深呼吸して姿勢を正す。そしてサークリエに深々と頭を下げる。



「どうか僕を弟子入りさせてください!」



 アルムの熱の篭った嘆願。

 静寂の満ちる部屋には耳が痛くなるほどの大声だったが、サークリエは心地良さそうに目を細める。


「嗚呼、素晴らしい熱狂と貪欲さだ。これを永らく待ち侘びていたんだ。良かろうとも。アルム・グヨソホトート・ウィルターウィルよ、あんたは今日から私の直弟子だ」


 そしてまた、アルムの運命は大きく動き出す。




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