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「坊ちゃん、誠にお世話になりました」
「アルム様に頂いた御恩、一生忘れることはありません」
「いえいえ、此方こそありがとうございました」
アルム復活から5日後の早朝、アルムはドンボの家を訪れていた。
ドンボがまだ商会に出向く前の時間帯が1番良いとのことで、早朝の訪問という運びになったのだ。
アルムはその時に前々から考えていたように、アルヴィナとアート、それと祖父母に宛てた手紙をドンボに託した。ただ、アルヴィナと母親に宛てた手紙が合わせて20万文字を超えており手紙と言うより冊子に近い代物だった。
アルヴィナに対しては特にレイラに関する事での謝罪文書が添付されているので、読み終えるのにも相当の時間がかかりそうな量。ドンボも預けられた紙の束が全て手紙であると知ると流石に唖然としていた。
やはり念話のブレスレットで毎日やりとりしていても言いたいことや聞きたいことを十全にやりとりはできない。帝都衛星都市を立つ時に手紙を出すと決めてから日記のように毎日書いていたのでそんな馬鹿げた文字数になったのだ。
一方でドンボは、アルムに対して2000万セオンを払いアルムを唖然とさせた。
アルムは当然多すぎると遠慮したのだが、ドンボはぜひ受け取って欲しいと譲らなかった。
今現在、ポップコーンはククルーツイから既に帝都、またその周辺までに広がりを見せており爆発的なヒットを起こしていた。紙や天属性魔法を使える者の新たな運用方法もセットで高く評価され、まさしく破竹の勢いで業績を伸ばしているのだ。
既にポップコーンの利権は帝都などを基盤にする大商会にも売られ、ジャムをつけたりといったフレーバー開発戦争が巻き起こされている。そしてその立役者であるドンボにも色々と金品が舞い込んできている。
そこでドンボとオルパナは自らの感謝を示さねばならないと、500万セオンを追加で工面したのだ。これを現金で用意するのは簡単ではない。だがポップコーン事業で猫の手も借りたい忙しさの中でなんとか用意してみせたのだ。
その純粋な好意をアルムは跳ね除けられなかった。
2000万セオンを受け取ると、ドンボとオルパナに見送られつつアルムはドンボ家を後にした。
まだ日も昇らないような時間帯。朝方の冷たい空気を吸い込んで、アルムは色々な感情と共に吐き出す。
「(またお別れだね)」
《そうだな。約7ヶ月くらいの滞在だったが、随分と濃いスケジュールだった》
アルムは故郷に離れた時と似た憂いた表情になるが、ククルーツイを離れる事に大きな感慨は実際には無い。ドンボ達とも帝都衛星都市からなら比較的楽に手紙はやりとりできるからだ。
アルムが心残りなのはただ1つの事だった。
「(レイラ、どこいっちゃったのかな?)」
アルム回復後から一度も顔を見せないレイラ。その足取りはアルムにもわからない。レイラは近いうちに影の護衛として士官するようになる為、非常に近くにいても直接会う事も手紙のやり取りなどもできない。
このままレイラと会えないまま旅立つ事はできない。アルムはそう思うも、レイラがなぜ顔を一切見せないのかもどこに居るかも不明。しかし子爵家に問い合わせる事など出来るわけもない。
無駄だと思いつつもアルムの足はいつの間にか子爵家まで赴いていた。
レイラとはじめて出会った思い出深い場所。だが子爵家にレイラの魔力の反応はない。まるで街から消え去ってしまったように、レイラの足取りは一切掴めない。
だが、家の中に居ないことで、アルムはふと脳裏にとある場所が思い浮かんだ。
足は自然と早くなり、やがて立ち振る舞いへの配慮もかなぐり捨てた全力のダッシュでそこへ向かう。
そしてアルムは辿り着いた場所のドアを勢いよく開ける。
そこには誰かが居る様子はない。アルムがここを離れた2週間前の状態のまま全てが残されている。アルムはハズレかと思いがっくり肩を落としたが、アルムの肩に急に温かみを帯びた重みを感じる。
「良かった、見つけてくれて」
アルムの首に震える腕が回され、涙声の弱々しい声がアルムの耳もとで聞こえた。
「レイラ……………やっぱりここに居たんだね」
アルムが肩だけで振りかえると首に回された腕の力は弱められて、アルムの目に眼を真っ赤に泣き腫らしたレイラがうつる。
「ごめんなさい、本当は笑顔で送り出したかったの。でも、涙が全然言うこと聞いてくれなくて」
未だ溢れる涙を拭いつつ、弱々しい声で吐露するレイラ。アルムも苦しげな表情になると、レイラをいきなり抱き上げて自分諸共寝台に倒れ込む。
「どうしたの、急に?」
「出発、1日遅らせようかなって思って。なんか今日は動きたくない。このままレイラと居たいよ」
レイラはアルムのなすまま、そのまま添い寝をしてアルムと見つめ合っていた。そして初めてハッキリと欲求を口に出したアルムをギュッと抱き締める。
「私も、このままアルムと居たいの。1日と言わず、ずっと…………。でもそれはできないんだよね。私、こんなに弱かったかな?」
熱い声で囁くレイラをアルムは強く抱きしめ返す。
「必ず迎えにくよ。だから待っててくれる?」
「待ってるよ。それこそ永遠に。連れ出してなんて贅沢はもう言わない。アルムが居るだけでいい。だから必ず、テュール宮廷伯家に仕えてね?」
「うん、必ず士官できるように頑張るよ」
レイラ自身、相当の無理難題を要求している自覚はある。1つの家に狙いを定めてピンポイントで仕官を可能にするのは極めてどころでは無く難しい。やろうと思って簡単にできたら、皇帝周囲の防備などあったものではないからだ。
幾らアルム自身に能力がありレイラがそれを把握していても、宮廷伯爵家に進言することはできない。そもそもレイラは裏方に徹しなければならない身分で、居ない者として側に控え続けるべき存在。加えてその様な存在になると内定されているレイラが、平民であるアルムと私的な交流していることは本来かなりの大問題。アルムを推薦すれば当然いつどうやって交流したのかという話になるし、子爵家にも問い合わせがいく。
最悪レイラが厳しく罰せられるだけでなくアルムにも疑いがもたれ、むしろ仕官が遠のいてしまうのだ。なのでレイラが出来ることは殆どない。アルム自身が独力で這い上がってこなくてはならないのだ。
「私、ヴィーナさんに刺されたりしないよね?」
「そんな事しないよ。僕が泥の巨腕で1発どつかれるぐらいはあるかもしれないけど」
一応念和のブレスレットでもレイラの存在は出来るだけ伝えているが、実際のアルヴィナのしっかりとした反応が見れるのは手紙を受け取った後。どんな手紙が返ってくるかはアルムもわからない。
ただ、アルムのやる事を全部肯定するような嫋やか少女でない事はハッキリと分かっている。必ずお叱りはあると思っていた。
アルムがアルヴィナを想起し色々と考えていると、レイラはアルムの耳を甘噛みして唸る。
「アルムは一体、何人の女の子を引っ掛けてから私の元に来てくれるのかな?」
「え、そんな事はしないけど」
2人ってだけでも色々と問題が…………と考えるアルムだが、レイラは溜息をついてかぶりを振る。
「アルム、公塾ってね、多分貴方の考えてる場所と違うんだよ。特にアルムが通おうとしている公塾ぐらいになると学校と遜色ない物になるからね」
「それがどう関係があるの?」
わかっていない様子のアルムにレイラは少し不思議そうな顔をするが、直ぐに納得したような表情になる。
「成る程ね。ヴィーナさんって女の子、相当ガッチリとアルムをガードしてたんだ。アルムって、もしかして私塾に通ってた時に女の子に言い寄られた経験ないでしょ?」
まるで見てきたように言い当てるレイラにアルムはキョトンとする。
「無いよ。だってそもそも接点がなかったし」
「違うよ、無くても接点を作ればいいの。アルムって超優秀な優良物件だから、私塾に通ってた女子はみんなアルムをマークしてたはず。あわよくばアルムの婚約者になれたら最高だろうね。でもそれが無いって事は、ヴィーナさんが余程上手に追い払ってたんだよ」
「そうだったの?全然気づかなかった………………」
今のアルムならもう少し周りの視線の種類を区別できる。だが私塾に通っているとき、アリヴィナと密接な関わりを持つまではアルムの対人スキルはかなり低いままだった。周りに特段の興味もなく、好意の視線と好奇の視線の区別ができていなかったのだ。
その上アルヴィナと仲良くなって対人スキルが育ち始めてからは、アルムはアルヴィナしか眼中にない。よって肉食獣の様な目つきでアルムを見つめていた女子の視線にアルムは一切気が付いていなかった。
「公塾に入ったらノーガードになるアルムを想像するだけで色々と不安でしょうがないんだけど」
容姿良し、性格良し、甲斐性良し、実力最高。
おまけに背後に妙な利権も絡まず、辺境伯のメダルを所有する少年。最高クラスの公塾に通う者の親は大概帝国公権財商。家に取り込んでしまえば、商会にも大きなメリットが生まれる。
鴨がネギを背負ってどころでは無い。
既に出来上がった超高級フルコースがさあお食べと既に配膳されているレベルである。
「…………流石に僕も言い寄られたって婚約者も彼女もいるって断るつもりだけど」
なんでこんな信用ないんだろうと思うが実際アルヴィナだけでなくレイラにも惚れてるので、アルムは当たり障りの無い言葉で弱弱しく否定する。
だがレイラは考えが甘いっ!と言って再びアルムの耳を噛む。
「アルム、よく聞いて。これは率直な私の考えなんだけど、ハッキリ言うとね、アルムの対女性防衛スキルって“賢い飼い犬”ぐらいのレベルだから。アルムって悪意や邪な感情を持って近づかれるとあっさり逃げちゃうけど、純粋にアルムと仲良くなる事を願っている人物にとりあえず歩み寄っちゃうの。犬だって強引に追っかけ回したり攻撃したら反撃したり逃走したりする。でも何かアルムにとって関心の引く物を持っていて、自分の身を削ってまで餌を用意して仲良くなりたいって真摯に一生懸命歩み寄られると、途端にガードが薄くなるの」
熱の籠もった口調で捲し立てるレイラだが、ここで少しトーンダウンする。
「勿論ただ好意を抱かれて近づかれても、アルムがなんら興味を抱いたり自分から近づこうとする感じじゃないのはわかるよ。アルムから与えられるばかりの人はアルムの眼中にも入らないと思う。
でもアルムに与えるものがある女子なら、きっとアルムの目にも留まるし交流も生まれる。なまじアルムもアルムで家の事情とかを考えずに交流できるから困るの。カッター様もだいぶ浮名を流したお人だし、アルムもそんな雰囲気があるんだよね」
「ねえ、それって僕の父さんに母さん以外にもお嫁さんがいたってこと?」
知られざる父親の在りし日の姿。取り敢えず自分への評価は置いておき、アルムはそれが気になりレイラに問うと、レイラは苦笑する。
「結婚したって事は無いけれど、噂だけは多かったかな?英雄様って大体そんな感じが多いけど、女ったらしっぽい気質はあるというのはよく言われてたからアルムを見ているとあながち間違ってない気がしてくるよ」
「あんまり僕には想像できないけどな〜」
アルムの知るカッターといえば、アートにゾッコンな姿。まさか知らないだけで異母兄、異母姉なんていないよね………?、とアルムは父に思いを馳せるのだった。




