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「お次は猫神ルタアのルールタウ教会ね」
「確か、知恵と猫の神様で、カテゴリーでは来神だっけ?」
「そう、正解。本当に貴方の記憶容量ってどうなってるの?」
猫神ルタアはあまりしっかりとした伝承が残っていない。来神の中でも積極的に動くことはなく、猫の如く自由気ままにのんびり振る舞う気質がある。
そんな神が唯一絶対と定める戒律が、『猫の不殺』。いかなる理由があろうと猫に類する者は殺してはいけない。それ以外にこれといった戒律や貢物を要求しない神で、他の神々を信奉する者にも無関心。なので教会側も一般人に教会を開放している鷹揚すぎるところがある。
だが普通は他の宗派の教会に行く用事はない。一般開放したところでそもそも訪れる者はいない。だが神の分体が座すルールタウ教会は少し違う特色があった。
「わぁ ……………猫がいっぱいいる」
「凄いでしょ?ここの猫はみんな賢いから変なイタズラもしないし、完全に人馴れしてるから撫でたりしても大丈夫なの」
その教会はシアロ帝国では非常にエキゾチックな木造の建物。スイキョウから見たら教会というより仏教系の寺院で、サンクチュアリー・オブ・トゥルースという寺院を彷彿とさせる。壁には精緻な彫刻がビッシリ彫り込まれていて、その彫刻は全て能面をつけた猫の様だった。妙に生き生きとし過ぎていて、何処を歩いても彫刻達にジッと見られているような奇妙な感覚がアルムに付き纏う。
中はランプに照らされた独特の明るさで、紫色の煙の経つ香が焚かれている。
また外の様子とうってかわって、板を適当に差し込んだ棒が幾つも立って並んでいて、天井には無秩序に梁のような板が通されている。
その板や梁の上には猫がゴロンと寝転び、床にも猫が沢山いる。
アルム達が中に入ると、ヴェールのかけられたところからタイの民族衣装の様な服を身に纏った虎人族の少女が、スススっと音もなく寄ってきてイラストの書かれたボードを見せる。
「いりゃっしゃいましぇ。どちりゃをお召しぃ上がりになりましゅか?」
そのボードにはイラストの他にも値段や何種類かの文字での説明も書かれていて非常に分かりやすい“メニュー表”だった。
「アルム、貴方の分も頼んでいいかな?」
「勝手が分からないからお願いしようかな」
アルムがそういうと、リリーは慣れた様子でタクゼェという植物のジュース2つと燻製肉5種盛り合わせを注文し、提示された代金より少し上乗せして少女にお金を支払う。
「かしぃこまりましぃた。少々おまちください」
そしてそのまま少女はベールの奥に引っ込む。
「なんか、独特の雰囲気っていうか、商売もしているんだね。知識としては知っていたけど、なんだか不思議な気分だよ」
「メニューは凄く偏っているけど、美味しいものが多いの。少し人を選ぶ物もあるけどね」
猫神ルタアの教団は本拠地が西方の南国にあるとされていて、ルールタウ教会はそれを頼りに独自のルートで珍しい香木などを調達する。
其の香木の販売から始まり、教会に訪れた人には香木を使った燻製肉や薬膳酒などを提供する。この時の商的利益とチップを回収する事で参拝者が少ないルールタウ教会は効率の良く利益をあげることが可能となっている。
オープンで自由な気質を逆手に取る事でしか可能とすることができない珍しい教会の形態だった。
アルム達が1分程待っているとベールの奥から2人の少女が出てきた。
1人は透き通る様な黄緑色のジュースを2つと楊枝2本とやけに大盛りの燻製肉の乗った皿を、1人は何故か大きめの高級そうな木箱と座布団を2つ持ってきて、徐にそれらを地面に設置。裏返しで置かれた木箱の上にジュースなどが配膳される。
「「お待たせいたしました。どうぞごゆっくりお過ごし下さいませ」」
それだけ言うとベールの奥へ静かにいなくなる2人、アルムが戸惑っているとリリーが普通に座布団の上に座った。
「アルム、ここは床に座る珍しい形式を取るの。その敷布に座ればいいんだよ」
椅子以外の物に座る感覚が初めてのアルムはその文化に驚きつつも、やけにふかふかの座布団に座る。
「なんか色々と面白いね」
「実はこの床に座らせるシステムって、ちゃんと理由があるんだよ。とりあえずタクゼェのジュースを飲んでみて。少し大人の味だよ」
リリーに言われるがまま、コップを手に取るアルム。匂いを嗅いでみるとなんとも言えない独特の香りがした。しかし嫌な匂いではない。新しい木材を切った時の様な、お香の香りのような、どこか穏やかでスッキリする香りだった。
一口試しに飲んでみると、よりその香りが強く口の中に広がり、蜂蜜由来の甘みと微かな苦味を感じる。
そんなアルムをニコニコとニヤニヤの中間みたいな表情でリリーが見つめていた。
「(なんだろう、この味。スイキョウさんも飲んでみる?)」
《ん?確かにちょっと気になるな》
スイキョウはアルムに変わってらいジュースを一口飲むとまた直ぐに交代してもらう。
「(どう?)」
《薬膳酒に甘みを足したみたいだが ……………どっかで飲まされたような味がするんだよな?またたび酒かハブ酒かどっちだったかな?》
スイキョウも仲の良い知り合いが何かの旅行でノリで買ってきたものを少し飲まされただけなので味を正確に思い出せないが、何か珍しいお酒だった気がしていた。
アルムも何度も口を傾げつつも口に運び、また飲んで、と繰り返すと既にコップの半分を飲み切っていた。
「アルムはかなりいける口みたいね?私もわりと飲めるから好みがあって嬉しいかも」
「うん、何て言えばいいのかな?好きっていうかその ……………」
上手な言葉が見つからないアルムに、リリーはクスッと笑う。
「その感覚はわかるよ。凄く美味しいって訳でもないし、しっくりくるってより違和感みたいなものがあって、なのに何故か飲んでしまうって感じでしょ?本当はお酒なんだけど、酒精を抜いて蜂蜜といくつかの果実をおおめに入れるのがこのジュースなんだって。燻製肉と食べるとまた変わった味になるよ?」
「へぇ〜」
試しに燻製肉を楊枝で刺して食べてみると、かなり柔らかく塩味はかなり薄めで、肉の旨味と香の香りを生かした独特の味が広がり、ジュースを飲むと苦味が緩和されて口がスッキリする。
「確かに合うかも」
5種類あるので1つ1つ試すが、どれも変わった味わいがある。もう一周食べてみようかと燻製肉に楊枝を刺して口に運んだところで、そこである事に気付いてアルムは止まる。
「なんか、猫が集まってきてるね?」
アルムやリリーの周りにはいつの間にか猫が近づいてきていて、ジーッと燻製肉を物欲しげに見ている。
「床に座らせる形式なのはこういう事。燻製肉が多めなのもわかるでしょう?」
リリーが燻製肉を数ピース手に取って差し出すと、猫達がわらわらと集まって燻製肉を食べる。リリーが猫たちの頭を撫でても気にした様子もない。
「この薬膳ジュースって猫にとっては凄くいい香りみたいなの。それを飲んで燻製肉を持っていればこうして撫でさせてくれるのよ。楊枝をつけてくれるのもこうして触れ合えるようにって教会側の気配りなの」
アルムも試しにやってみると、アルムは新顔だからか猫たちもわらわらとよってはこない。すると店の奥の方で寝転がっていたゴールデンレトリバーより一回り小さいくらいの巨大な猫がのそのそと寄ってくる。
その猫は品種的にはペルシャ猫に近い外見で、毛は金色。特徴的なのは尾が2本ある事と目が白と青のオッドアイである事だった。
だがアルムはもう1つ、この猫から感じていることがあった。
それは普通の生物ではない、魔獣に似た反応。イヨドの分身を見ているときのような感覚。その猫が歩いていくとアルムの周りをうろうろしていた猫たちは脇へ退いて、道を開けているように見えた。
そしてゆったりとアルムまで近づいてくると、スンスンとアルムの手を嗅ぎ、その後に入念にローブの匂いを嗅ぎ始めた。やがて満足したのかアルムの持っていた燻製肉を一口で平らげると、猫はアルムの足を枕にゴローンと横になった。
その上なでろと言わんばかりに少しふてぶてしい顔で腹を見せる。
アルムが丁寧に撫でてやると、低い声で猫はゴロゴロと鳴いた。
「ねえリリーさん、この猫は …………」
一体なんだろうと思い問いかけてみると、リリーは目を丸くしてアルムを見ていた。それは壁際で控えていた教団員達や教会の常連(重度猫愛好家)も同様だった。
「その猫、動いたの初めて見たよ。いつ行っても奥でずーーーーーーっとただ寝転んでるだけだから。ここの1番の古株でボスみたいな存在らしいよ」
「そうなの?」
アルムの手から燻製肉を貰い、首の裏を撫でてもらって御機嫌そうな姿はただの大きな猫だが、確かにその内包する力はとても大きかった。それはアルムですら太刀打ちできないと断言できるほどのパワーだった。
《イヨド謹製のローブに何か反応したっぽいな》
「(そんな感じだね)」
アルムは燻製肉をあげつつふわふわの毛をワサワサと撫で回し、楽しくなってきたので掃除の魔法でゴミを取ってあげたり毛並みを整えてあげたりしてみた。そうするとその金色の毛はより一層綺麗になり、大変満足と言わんばかりに猫はゴロゴロと鳴く。
そんなところに籠を持った少女が寄ってくる。
「お客しゃま、こちりゃをどうじょ」
そこには布製のボールに糸をつけたものだったり、藁を編み込みその先に糸を巻いた棒と鞭の中間、スイキョウに言わせれば猫じゃらしっぽい物などを持ってきた。
「ほんりゃいなりゃレンタリュ料金をいただくのでしゅが、特別でしゅよ」
それだけ言うとアルムに有無を言わさず押し付けていなくなってしまう。
何故か無料で貸し出された猫のおもちゃと思しきもの。試しにアルムが猫じゃらしを揺らしてみると、猫は長い尻尾でパシっと叩いた。しかし邪険にする感じではなく、次は?と言わんばかりにアルムを膝の上で見上げている。
今度はもう少し高い位置で揺らしてみると、寝転んでいては尻尾が届かないのか叩けない。すると徐に猫は火の玉を飛ばしてアルムは慌ててそれを水弾で相殺した。
「やっぱり魔獣だ。危ないじゃん!おもちゃ燃えちゃうよ!?」
アルムはわさわさと撫でつつ軽く怒るが、猫は知らんと言わんばかりにプイッと顔を背けた。
《めんどくさがりなのも誰かさんによーく似てるな》
「(ちょっと言えてるかも)」
動きはないのでその折衷案が魔法というぐうたら猫に溜息をつくアルム。そうすると猫は文句あるのかこのやろ〜とばかりに低い声でゴロゴロ鳴く。
「わかったよ。これではお気に召さないのね」
そう言ってアルムは天属性の魔法で光の球を作りそれを水の弾で包んで、いくつも空中でフワフワ飛ばしてみる。
あっさりと高等な魔法のコンロールを披露しているが、それが理解できたのはほぼいない。
他の猫もソワソワと光と水の融合弾に飛びかかりたそうにするが、アルムの膝の上を占拠する猫がフンスっと鼻を鳴らすと全て火の玉で相殺される。
融合弾を増やしても速度を少し上げても造作もなく猫は相殺してしまう。
教団員達は魔法の使用を止めるべきか(アルムはどうにも店にいる感覚がありうっかりしているが、教会内での勝手な魔法の使用はあまりよろしくない)、ボス猫が喜んでいるので見守るべきか迷っていると、ボス猫が寝転んでいたスペースの厚い幕の裏からヒョコヒョコとあゆみ出てくる者がいて、教団員達は一、二もなく跪く。
そして歩み出た者はアルムの元までやってきた。
「シャリュパ様、ねこです、珍しく、よろしくお願い、御機嫌、します、よろしいですね?ねこですねこはいます。申し遅れ、ねこは、ました。わーしゃは、ねこです、ルールタウ教会の長を任されている、ねこはいます、司祭です」
その人物は猫人族の初老の男性だった。背は少し曲がっているが足の動きはしっかりとしていて、特に目が大きくギョロっとして見開いているのだが、何処か虚だった。
「(今度は何が起きてるの?)」
《この人は司祭様なんだとよ》
スイキョウが超ざっくり纏めてアルムに適当に返答していると、その間に老人は気ままに猫、シャリュパと呼んだ猫を撫でている。しかし邪魔っと言わんばかりに尻尾でビンタをされていた。
「普通ならば、ねこですよろしくお願いします、このように冷たい、ねこです、お方なのですよ。ねこはいます。わーしゃも、ねこです、シャリュパ様が、ねこはいます、このようになさるのは、ねこですよろしくお願いします、初めて見たと言っても差し支えないほど、ねこはいますねこです、珍しいですよ」
《多分このふてぶてしい猫の名前はシャリュパで、こうして懐くのは超のつくレベルで凄い珍しいってよ》
スイキョウがざっくり訳してくれる事で、アルムも言いたいことを理解する。
「そうなんですか?確かに凄い気難しそうって言いますか、言い方はおかしいですけど純粋な猫ではありませんよね?」
悪い意味で司教クラスに慣れてきたアルムがサラッと返すと、周りも驚いたような顔をする。
「シャリュパ様は、ねこはいます、わーしゃがここに、ねこですねこはいます、仕える遥か昔から、ねこですよろしくお願いします、ここに座すようですよ。眷属では、ねこはいます、あらせられないようですが、ねこは、御方のお気に入りでして、います、ここの猫達、ねこですよろしくお願いします、のみならず、ねこはいます、わーしゃどもより地位は上のお方なので、ねこはいます、ございます」
《ずーーーーーーっと昔からいて神様のお気に入りだから司祭様より偉いんだとよ》
それを聞いてアルムは1つの可能性に思い至る。人間が神の干渉で魔法が使えるように、この猫もまた神の干渉を受けた生き物なのではないかと。魔獣とも眷属とも違う、特殊な存在 ……………『幻獣』と呼ばれるカテゴリーの生物ではないかと。
アルムはシャリュパと呼ばれた猫を優しげに撫でる。しばらくすると、シャリュパはのっそりと立ち上がる。そこでアルムとリリーは予想より長居した事に気づく。
軽く挨拶をしてアルム達が店を出ようとすると、シャリュパがニャーと鳴いて、アルムを振り向かせる。
そしてアルムの足元にペッと大きな毛玉を吐き出した。
にゃーお、と何かを訴えるように鳴くシャリュパ。アルムは掃除の魔法をかけて綺麗にするとその毛玉を拾い上げる。
「くれるって事なの?」
その毛玉には魔力が籠もっており、強力な魔獣素材と同等レベルのパワーが内包されていた。
アルムの問いかけに対してシャリュパは一声鳴くと、そのまま奥へ引っ込んでしまう。その様子をリリーは半ば呆れたように見て、しかし楽しそうに笑っていた。




