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「軽身の魔法?」
「そう、私の家に伝わる特殊な魔法。簡単に言えば金属性魔法と獄属性魔法の融合魔法に魔力塊のコントロールを合わせた物だね。その昔、御先祖様が空を飛べないか研究した末に最終的に辿り着いた領域なの。最も、貴方は実際に空を駆ける芸当をして見せているから、ちょっぴり複雑なんだけどね?」
リリーとアルムの相互教育を進める事3ヶ月。
アルムは恐ろしいまでの学習スピードでリリーの与える知識や技術を会得していき、遂にはナール子爵家の奥義クラスの魔法にまで到達していた。
『軽身の魔法』とは、その名の通り身体を軽くする魔法なのだが、これは実際に起きる現象以上に複雑な魔法である。
まず大前提として、金属性魔法は外界に影響を及ぼせる魔法ではない。あくまで体の内側に力を働きかける魔法である。それは感覚の強化だったり筋力の強化、回復力の強化だったりする。
では獄属性魔法と金属性魔法の何を組み合わせるのか、アルムにもスイキョウにも少し想像がつかなかった。
「これは考え方も大切だから一から説明するけれど、どうして人間が飛べず、鳥達が飛べるのか、御先祖様はまずそこから考えたみたいなの。翼があるから、そう考えてみたけれど、なら翼があるとどうして飛べるのかわからない。では体が軽いから?実際鳥って捕まえてみると、全長で比較すると他の動物よりは軽い傾向にある。でもそれだと何故巨体の龍が空を飛べるのかわからない。幾ら翼がしっかりしていても、本当にそれだけで飛んでいるのか御先祖様はとても不思議に思ったらしいの」
《確かにそうだな》
余談だが、スイキョウは重力魔法で空を飛べないか試した事はあったりする。だが精密な操作が殆どできないので方向転換などが難しく、しかも血流までイカれてしまうので危うく死にかけて以来、もう2度絶対にやらないとスイキョウとアルムは決めていた。
「そして様々な人の助力を得て、色々な研究を積み重ね、御先祖様は龍が飛ぶ時に常に何かの魔法を纏っている事を結論付けた」
至極簡単な結論にアルムは首を傾げる。
「それは、自らに特殊な『祝福の魔法』でもかけてるってだけじゃないの?龍って人間で言う所の天属性がとても得意な魔獣だよね?」
「それだと少し説明がつかないことがあったの。
1つ目は矢などが接近してもその軌道や威力の変化が見られないこと。
2つ目は魔法などで撃ち落とそうとしても龍の近くにいくと魔法が減衰する事。確かに龍の鱗など自体が物理攻撃のみならず魔法攻撃にも高い耐性があるけど、空を飛んでいる時の方が明らかな減衰を起こすの。
3つ目は矢の劣化。例えば魔獣の素材を使った強力な矢って使い捨てにせず回収するでしょ?途轍もなく高等な魔獣素材の矢で、射る者の力量があれば龍に矢で射ることもできるけれど、回収する時にいつも矢が凄く劣化していたみたいなの。それは空を飛んでいる時のみに当たった矢だけに見られる共通の特徴だったの」
「空を飛んでいる時は腹部などが露出するかもしれないから、防御用の魔法を展開しているのかな?魔力障壁のラインもあるけど、矢にも影響があるなら………………消滅の魔法の応用?あ、そっか。だから獄属性なの?」
アルムがすぐに自分の中で考えて結論を弾き出すと、流石のリリーも少々引き攣った笑いをする。
「御先祖様が大分悩んで色々考察して出した結論までこのわずかな間に到達するって、やっぱり頭の性能が人間じゃないよね」
リリーにとってはもう笑う事しか出来なかったのだが、自分が何度も苦しみながら頭に叩き込んだ、出来なければ罰を与えられるので必死になって覚えた貴族辞典の内容を、1日1巻のペース、僅か10日で全てアルムが覚えてしまった事は記憶に新しい。そんなまさかとクイズ形式でリリーが貴族にまつわる問題を出してもアルムはすらすらと全て答えた。
「でも、半分不正解。御先祖様はそれが防御用の魔法で空を飛んでいる間ずっと発動していられるなら、地上に降りて戦闘になっても発動するに値する魔法だと思ったの。けれど地上戦に移ると龍がその魔法を使う様子はなかったの。だから逆転の発想で、その防御用の謎の魔法は何かの副次的な物と結論付けた。では何が主目的なのかは当然すぐにわかるよね」
「空を飛ぶ時にしか発動していないなら、当然空を飛ぶ為なんだろうけれど、どうして消滅の魔法の系統なんだろう?」
「それはね、世界の法則そのものを打ち消す為なの」
リリーが語ったのは以下の様な物だった。
投げた小石が地に必ず落ちるように、動物たちが巣に戻ろうとするように、万物には本来あるべき位置が定められている。それは重く明確な“実”を持つ物ほど、その位置は大地に近くなる。この遍く法則そのものを消滅させる事で、『重さ』という縛りから外れる事ができるのだと。
風も何かも世界の理から切り離すように高位の消滅の魔法で身体の周りを包み込む。これにより龍は空を飛ぶ間は鳥程度の重さになり、その消滅の魔法によって副次的に外界からの防御も可能なのだと。
「(スイキョウさんの説明してくれた重力の概念とは少し違うね)」
《今のリリーの考え方は遥か古代の天才、アリストテレスって哲学者が提唱した物と似ているな。考えてる過程が違うだけで、実際に龍とかは重力などの作用している力を消滅の魔法で半減させてるんじゃないか?》
「(でもスイキョウさんが言うには途轍もなく大きなパワーが必要なんでしょう?)」
《だろうな。魔法だけじゃ無理だから、凄くご立派な翼をつけて飛んでるんだろ?》
「(なるほど!)」
実際にはある程度の高さまで行ってしまえば後は滑空するだけなので、常に全力で消滅の魔法を使っている訳でもない。魔獣とて魔力残量の概念は存在しているのだ。翼の周りだけは動きが多いだけに魔法の効果は薄く胴や頭部に効果が集中していて、滑空時には圧力を用いた揚力を利用している。
また、龍は生まれついて肉体を常に魔法で強化しているため、骨はスカスカで肉は柔らかく、魔力を体内に流すことに身体が特化している。なので見た目に反して実は割と軽いのだ。
加えてスイキョウは大きな勘違いをしているが、重力を一時的に振り切るのに莫大なエネルギーは必要ない。もしそんな物が必要なら人間はそもそもジャンプすらできない。
スイキョウが『重力魔法と思っている魔法』は厳密には『ベクトル操作の魔法』であり、ベクトルの大きさを維持したまま『ベクトルの方向だけを変える』という物理的にかなり奇異な現象を引き起こしているから、スイキョウが実際に体感する必要エネルギーが莫大な物となるのだ。
凄くシンプルにエネルギーだけで考えれば、物質を作り出すよりは遥かに小さいエネルギーで重力に対抗するエネルギー量は確保できる。ただ、消滅の魔法の範囲の指定と質が問題なのだ。
「(でも、どうすれば消せるのかな?)」
《俺の理解では『消滅の魔法』って高魔力で物質を分解する魔法だと思ってたんだがな。それに天属性の浄化や日光などの魔法を練り込んでるのがアルムの『掃除の魔法』だろ?》
「(うん、探査で読み取った物質に本来付いていなかった物体…………ゴミとか水分とか虫とかを魔法で一気に分解・殺虫・消毒・除菌・乾燥させてる訳だし)」
なまじ知識が有るだけに中々具体的なイメージが取れないアルム。スイキョウが高度な知識を教える事を危惧していた理由、魔法の行使が不可能になる事態が起きていた。
《発想を変えよう。逆に、リリーの言う『高位の消滅の魔法』とやらが本当に消滅の魔法を発展して発動する魔法か、確かめてみればいい。俺の推測では、恐らく俺の“物を分解する”イメージとリリーの言う“世界の理からの束縛を破壊する”イメージの2つが綯交ぜになってるのが、一般的な『消滅の魔法』なんだ》
実際、スイキョウが『掃除の魔法』の原案を思いついてそれをアルムに伝えても、なかなかそれが上手くいくことがなかった。どうしても魔法で綺麗にする対象まで劣化や破壊をしてしまう失敗が起きていた。
そこでスイキョウは、探索の魔法を超微細なレベルで使わせ、認識した余剰物質をバラバラに分解してみることを提案した。それを分解して分解して更に分解を重ねて魔法の対象を絞り易くしたのだ。
それを積み重ねた結果、アルムの中で『消滅の魔法』とは対象物を分解し続けて認識不可能なレベルで塵にしてそれを消し去る物だと認識した。
それからは飛躍的にアルムの『掃除の魔法』は進歩を見せ、発動から5秒ほどでその高等な魔法を行使できるようになったのだ。
しかし、そのスイキョウの発想の根本的な部分は“あらゆる物質が分子で構成されている”、即ち粒である事を前提としている。物が分解可能である事を理解している。アルムには原子や分子の理論は教えていないが、やはり掃除の魔法を教えるときに薄らとそれを示唆する考え方を提示している。
故に消滅の魔法は本来もう1つの側面があるとスイキョウは考えた。
スイキョウの理論だと、消滅の魔法が可能とする炎や風などの消滅の理由が説明できない。特に風を消す事ができる点で、エネルギー自体を消し去る、あるいは持っているエネルギーを相殺できる要素を内包しているのではないか、そう考えたのだ。
《アルムには以前、この世の凡ゆる物が何かしらのエネルギーを内包し、そして力が作用し合ってると教えたよな。そこでだ、高位の消滅の魔法とやらは『マイナスのエネルギーや力を生成する魔法』と定義してみる》
「(マイナス?)」
アルムはスイキョウに算数などを教わったときにマイナスの部分も教えてもらっている。故にマイナスの概念も一応理解している。しかし示唆されても未だ実感はできなかった。
《そうだ。もっと言えば、消滅の魔法は本来マイナスのエネルギーの生成をする魔法で、そのエネルギーが物質同士をくっつけておくエネルギーとかも消してしまうから、物が結果的に分解しているように見えた。それがいつの間にかイメージとして『分解とマイナスエネルギーの生成』がごちゃ混ぜになって定着した。アルムはその中で物の構造を正確に理解してバラバラにする『分解』の面だけに今は特化している》
「(今度は物質的に精細に捉えるんじゃなくて、ただのエネルギーの塊として捉えればいいって事?)」
《自分の周囲の自分の動きを制限する力を相殺するイメージで、体全身を魔力障壁で覆うように感じでやったらどうだ?》
アルムが顰めっ面して考え込んでいるのを見ると、リリーはそんなアルムの為に実演してみせる。
リリーは魔法を発動すると、トンっと飛び上がる。しかしその蹴り足の軽さに対して羽根が舞うようにフワッと華奢な体が宙に浮かぶ。そして高さ4mの天井にギリギリ触れて、少し長い対空時間を経て着地する。
それからはアルムの周りをスキップしてみたりするが、1つ1つの動きが異常に軽やかで、月面での映像を見ている気分にスイキョウはなった。
「そしてこれを高練度でマスターすれば、こんな事ができるよ」
リリーはトンッと浮き上がると、非常に小規模で自らの魔力障壁に魔力塊を衝突させる。本来のエネルギー量を考慮すれば、人を動かす程度の力はないはずだが、リリーは空中で一気に加速。威力が弱まった所に更に別方向から魔力塊を当てて、高速で3次元的な移動をする。
それはまるでスーパーボールが跳ねる様な軌道の読めなさと素早さで、小柄なリリーだからこそ余計に動きを捉えるのは難しい。
そして最後に一気にアルムの方向に飛んで飛びつくが、いつもの軽さはなく完全にへばっていた。
「でもこれ…………魔力塊の移動を合わせた途端燃費がガタ落ちなの」
そう囁くとそのままズルズルとアルムから滑り落ちていき、アルムは慌てて抱きとめる。抱き抱えられたリリーは弱々しい声で呟く。
「私、魔法の対価が魔力と肉体の感覚なんだよねぇ。どっちも回復できるけど、ぶっちゃけ手足の感覚が今はないの。アルム、ベッドまでよろしくぅ。アルムに抱かれて役得かな?」
アルムはその言葉に何も言わず、リリーの抱え方をお姫様抱っこに変える。そしてコツンっとリリーに軽く頭突きした。
「そんな危ない事しないでよ。もし万が一の事があったら大怪我しちゃうよ?それくらいだったら幾らでも抱っこするから、絶対に限界まで魔力を使わないで」
今は羞恥心よりも心配する心が強いアルムは、リリーを見つめて真摯に訴える。リリーは顔を僅かに赤く染めて、少し決まりの悪そうな顔をすると、力なく笑う。
「できない事を叱られた事しかないから、そんな風に誰かに心配されたの初めてだなぁ。少しドキっとしたかも。そんな心配してくれると思わなかった。ごめんね、アルム。そんな悲しそうな顔をしないで?それと…………今度から此処への移動はお姫様抱っこにしてもらおうかな?」
魔力の激しい消費による虚脱感から、心の言葉がポロポロと零れ落ちるリリー。それはアルムに対してはお姉さんぶりたい彼女にしては珍しい、一切の飾りのない本音だった。
「え、お姫様抱っこ?」
できなければ叱られる。誰かに心配された事がない。
立派な影の護衛を育て上げる為とはいえ、そんなリリーの境遇を聞き心を痛めるアルム。そんなアルムの悲しげな表情を見て、リリーは気力を全て振り絞るつもりでなんとか腕を上げて、アルムの頬に優しく触れる。
「言ったでしょ?いつでも抱っこしてくれるって。言質は、取ったから……………」
リリーは意識を維持する気力も使い果たし、腕はだらんっと落ちて穏やかな表情のまま気絶する。
それはリリーがアルムに対して初めて完全な無防備の姿を晒しているという事であり、言葉で言い表せないアルムに対するリリーの信用の証だった。14才でありながらそれ以上である事を強いられ続けて、演じることが骨の髄まで染みついているリリーにとって、それはアルムのみならず周りにも見せたことのない穏やかで安心しきった表情だった。
アルムはリリーにドキドキする心をなんとか抑えながら、リリーをベッドまで静かに運ぶのだった。




