72
『久方ぶりじゃな』
秘密基地には先客がいた。
それは以前の家にいた時の様に寝具に寝そべるイヨド。それはまだいい。元々神出鬼没で、人が多いところが嫌いなのでククルーツイには現れない。だから暫く顔も見ていないから逢いに来た。それならわかるが、何故かずぶ濡れの件の少女が見えない紐で縛られているような不自然な格好で倒れていた。
肌は明かに青白く目覚めておかしくない状態だが、おそらくイヨドに強制的に意識を失わされているのか動く様子もない。
「はい、お久しぶりです。ところで彼女は?」
『アルムをちょこまかとつけて追ったからな、捕らえたのだ。此奴、面妖な異能を持っている。だが我を欺くには到底及ばぬ小娘じゃ』
「色々と問題になりそうなのですが……………」
むしろ早く処置してあげないと身体の状態が完全に危険域に突入している。不自然に足跡が消えたのはイヨドが捕らえたからなのだろうが、なぜ冷水を被っているのかはアルムにはわからなかった。
『何を知ろうとしていたのか、口を割らせるにはこれが1番だ。人間、痛みには徐々に適応を見せるのだが、叙々に確実に死に向かう状態は生物的な恐怖を確実に呼び起こす。面倒ならばこのまま一切の痕跡無く消滅させてやっても良いが、どうするのだ?』
イヨドの口調にはこれといった厳しさや怒りも何も無い。まるで今日は何を食べる予定か尋ねるような自然さでイヨドは問いかける。
忘れがちだが、アルムに対して態度が軟化しているだけで彼女の本質は変わっていない。周囲に興味がなく、人間1人を消す事に何か葛藤めいた物もない。邪魔なら消す。圧倒的上位者故に見せるイヨド本来の態度だった。
それに対してアルムが義憤を覚えることはない。自分とイヨドの感覚や価値観の相違はもう知っている。故に冷静に答えた。
「彼女を殺さないでください。彼女は、まだ僕に対して何も害を成してやろうとは思ってないはず。そもそも僕が不審者っぽい状態なのが彼女を警戒させてしまったと思うんです。イヨドさん、ありがとうございます。あとは僕がやります」
『甘いの。厄介ごとに火種になる可能性のほうが高い。ここで消した方が早いじゃろ?』
「そうならないように頑張ります」
アルムがそう返すと、イヨドは少女に関心を失ったのか、少女を拘束している魔法を解除して、消す時は呼べとだけ言うとそのまま氷の霧になって消えた。
《助けるんだな?》
「(もちろん)」
イヨドの魔法が解けたからか、薄らと目を開けて起き上がり、咄嗟に動こうとするも、彼女は衰弱していてまともに動けない。アルムは崩れ落ちそうな彼女をサッと抱きとめると、量熱子鉱から一気に少女に熱を与え続け、掃除の魔法で水気を消しとばした。
「大丈夫?手足は問題無く動きそう?」
「あれ?私……………どうして貴方が?此処はどこ?」
少し混乱した様子の彼女を寝台に座らせると、アルムは机の上のランプを灯しつつ答える。
「ちょっとした秘密基地かな?」
アルムは煉瓦素材の戸棚を弄りるフリをしてこっそり虚空からカップを取り出す。そして魔法で水を生成して量熱子鉱から熱を加えてお湯にする。
「飲める?ただのお湯だけど」
彼女はただジッとアルムの差し出すカップを見つめていた。
「毒とか入ってないよ?」
アルムが苦笑すると、彼女はおそるおそる受け取ってほんの少し啜った。
「それでさ、お互いに色々と聞きたい事があると思うんだよね。僕もちょっと今色々と面倒な立場にいるだけで、行動のザックリとした指針は隠す事でも無いんだ。だから、腹を割って話してみない?」
アルムは椅子に腰掛けつつ、周囲の防御用の魔法を強化しておく。
「まず聞かせて欲しいのが、どうして僕を追いかけたの?」
アルムが問うと、彼女は能面の様な表情で切り返す。
「逆にどうして逃げたの?疾しい事が無いなら逃げる理由が無いよね?」
彼女の返しは至極真っ当で、アルムは正直に答える。
「君が追いかけてくる気がしてたから。だって探査の魔法に引っかからないんだもん。凄くビックリしたんだよ。そうしたら身体つきも装備も只者じゃないから、なんとなく警戒しちゃって」
彼女はまたお湯を少し啜り、溜息をつく。
「それはこっちのセリフかな。不意を突かれてあの動きを咄嗟にとれるのって相当訓練していなきゃ無理だよね。その上あり得ないほど俊敏だった。魔法の待機数もおかしな数だったし、知らない高等な魔宝具は装備しているし、それでいて北方に引きこもっている筈のヴェル辺境伯の縁者がここにいるのは不自然、怪しすぎる。更に言えば北方で黒髪黒目は珍し過ぎる。ヴェル辺境伯の家族、親類、縁者にそんな子供がいた記憶はないよ」
そこで彼女の言葉にアルムは引っかかりを覚える。
「あれ?ヴェル辺境伯なんて言ったっけ?」
「私は全ての貴族の家名と支配領域、紋章まで頭に入ってる。特に数が比較的そう多くない辺境伯・宮廷伯の中で、不敬を承知で言うなら耳と目玉をモチーフにした不気味な紋章なんて1つしか心当たりがないよ」
アルムが改めてメダルも見てみると、その紋章は人の耳、それとその耳の穴に大きな目玉が嵌っている様な奇妙な紋章が確かに刻まれていた。
「………………その反応からして、やっぱり貴族ではないの?自分の家の家紋を覚えていないって事はどんな馬鹿な貴族の御坊ちゃまでもあり得ないと思うけど」
「そうだよ。僕はただメダルを下賜されただけの平民。立ち振る舞いは私塾で徹底的に仕込んで貰ったんだよ。貴族居住区を出歩くから、不自然じゃないようにしたつもりだったんだけれどね」
それを聞くと、少女は目を細める。
「メダルを下賜?あの馬乗りの引きこもり蝙蝠辺境伯様が?………………普通なら信じないけれど、実際に実力の片鱗を見せられると完全にないって言えないなぁ。でもそんな貴方が、どうしてこんなに南下しているの?」
「信じてもらえないかも知れないけれど、僕は帝都の貴族様に雇って欲しくて旅をしているんだ。それも宮廷伯爵様にね。ヴェル辺境伯様に抱え込まれると、僕は帝都から離れた場所に縛り付けられてしまう。だからヴェル辺境伯の手が届かない場所に逃げてきたんだ。疑わしいと思ったら調べて貰って構わないよ。嘘は一切言ってないからね」
しばらく考え込んだ後、少女は何かに気づいたような表情になる。
「……………もしかして、宮廷魔導師を目指してるの?」
その問いにアルムは、はいともいいえとも言わず微笑むに留まった。
「そこを答えてもらえないかな?そうしたら私は全てを白状する。家に恩もなく義務感で黙っているだけで、別に内情を喋っても私は気にしない。けれどククルーツイで暮らす1人の人間として危険人物に情報は渡せない。貴方の正確な答えが聞きたいの」
彼女はお湯を啜ると、表情の抜け落ちた顔でそう言った。その少女の問いに、アルムは少女の目を真っ直ぐ見て静かに答えた。
「僕はまずヴェル辺境伯様から逃れる為にも選り抜きの宮廷伯様に仕えなきゃいけない。そして仕えた後は、僕は陣借りに立候補する。そこで武功を上げて、皇帝陛下に請願したい事があるんだ。僕の人生をかけてでもね」
「……………一体何を?」
「それは、君が全てを教えてくれたら伝えるか考えるよ」
彼女はジッとアルムと見つめ合う。そして3分ほど見つめ続けたところでスッと目を逸らし覚悟を決めたように一気にお湯を飲み干し、急に話し出した。
「私の名はレイラ・ナール・ツァリ・スネドルジ・ククルーツイ。略称はリリー。私は本来ナール子爵の妾の子供だったけれど、生まれ持った能力を買われて今は正妻との養子。だからツァリを名乗れるの。…………本当の母親は知らないけどね。ナール子爵家は武門の名家の1つだけど、中でも隠密からの奇襲や警備を専門にしている。
私は将来、派閥の長のお嬢様にお仕えするために鍛えられた。感情を削ぎ落とされ、痛みになどに耐性を持つように訓練され、私の存在意義は主君の手足となり盾となるのだと深く暗示をかけ続けられた。
でも暗示がかかり難い性格だったからか、家に恨みは無いけど忠誠心もない状態になった。正直家はどうでも良いよ。だからベラベラ喋ってる。
あと面倒だから全て教えるけど」
すると、彼女が忽然と消えた。アルムが咄嗟に魔法で探ってみても、その存在を感知することはできなかった。
しかし、ふと気づけば彼女は寝台から身を乗り出してアルムの腕に触れている。
「私が正妻の養子になった理由でもある異能【幻存】。これは相手の知覚から消える程度の異能ではないの。『私が起こすあらゆる行動に一切の違和感を覚えない認識障害を引き起こす』異能だよ。これは私が触れている物にも適応される。触れた後のものにも暫くその効果は働くの。私がぼーっと立っていようと走ろうと叫ぼうと何をしても周囲はそれが自然な物だと認識してしまう。探査で探ってもそれを無効化してるわけじゃないの。多分感知はしているけれど、それをごく自然にそこに在る物として認識してしまうんだと思うよ。
でもこれは明確な弱点があるの。それは私が触れた物は、その触れている物に更に触れている物もその異能の効果を受けない点にあるの。だから攻撃する一瞬、ナイフが肌に触れた瞬間に反応できる化け物相手だったりすると無理だよ。
でもこの性質は護るべき主人も隠すことができる。だから私は選ばれた」
今まで溜め込んでいた物を全て吐き出すように、リリーは内情を語り終え寝台に深く座り脱力した。
《信じるか?》
「(信じれる、かも。彼女は気力とかが何も感じられない。魔力も揺らいでない。ずーっと平坦で、まるで人ごとみたいな感じ。だから逆に信じれるかも)」
《なかなか的を射てるな。だが警戒は怠るな。これが彼女の作戦かもしれない》
「(そうだね)」
アルムは長い沈黙の後、静かに決心した。
「僕の名は、アルム・グヨソホトート・ウィルターウィル。そして僕の父さんは、カッター。カッター・グヨソホトート・カウイルだよ。知ってる?」
アルムが真実を打ち明けると、初めてリリーは少女らしい素直な驚きの声を上げた。
「え?フドンラルの英雄?あの方に息子さんがいたの?」
「だからこそヴェル辺境伯様に目を付けられたんだよ。父さんは雲隠れしてから僕をずっと内密に育てた。けれど、父さんは戦死した。それから僕は私塾に通うようになり、どうもそれがきっかけでヴェル辺境伯様に見つかってしまったみたいなんだ」
「カッター様が戦死?そんな大ニュース知らないよ?一切噂にもなっていないよ?」
「だからだよ。父さんの戦死は色々と変なんだ。僕は父さんの戦死なんて信じていない。だから、僕は皇帝陛下にその消息を捜索して頂けるように何としても請願したい。荒唐無稽と笑ってくれて構わないよ。でも僕は、絶対に諦めない。真実は絶対に暴いてみせる。父さんをなんとしてでも連れ戻すよ」
アルムは静かに、だが強く言い切った。
「凄く大きな夢ね。無謀で傲慢で幼稚で、でもとても綺麗な夢。私から消え去った物。空っぽの私には無い輝き。どうしてそんなに前も向いてられるの?」
独白のような方向性を持たない言葉に、アルムは答える。
「次に進む為だよ。父さんの件が終わったら、全部投げ出して僕は旅に出るつもりなんだ。世界には空から轟く様に落ちる巨大な滝とか、一面が砂で全て覆われた灼熱の大地とか、そんな場所があるんだって。僕はそういった場所を旅してみたいんだ。それに調べなきゃいけない事もいっぱいあるし」
そんなアルムにリリーは首を横に振る。
「武功をあげたらきっと国から逃げられない。私と同じ籠の鳥よ」
リリーの生気の無い言葉には重苦しさがあったが、アルムは堪えた様子も無い。
「だったら一緒に行く?リリーちゃんの異能と僕の力、あともう1人の子がいたら何処へでも逃げ切れるよ、きっと」
もしそうなったら絶対にアルヴィナは迎えに行かなきゃ、と呑気な事をアルムが考えていると、今まで死んだようだったリリーが微かに反応した。
「本気で言ってるの?」
「うーん、異能について教えてもらったから、僕も教えちゃおうかな?」
《本気か?大丈夫かそれ?》
スイキョウは少し心配するが、ワープホールの虚空の方は伏せておけば良いとアルムは答えた。
《まあ、確かにこの子を引き込めたら万が一の時はかなり助かるよな。どうやら人質に取られる物も無い無敵の人っぽいし》
大きな賭け、博打すぎる先行投資。だがアルムの賭けにスイキョウも乗った。
「僕も異能を持ってるんだ。しかも旅に凄く役立つ奴をね」
アルムは徐に虚空を開くと、中に入っていたオレンジを取り出してリリーに放る。その光景を呆然としつつも反射でキャッチした辺りリリーの能力値の高さが窺えた。
「物をしまっておけるんだ。時間経過も無いし、それみたいに食べ物も腐らない。そのオレンジ、確か数年前に入れたものだよ。でも腐ってないでしょう?リリーちゃんの異能で隠れて、僕の異能で物資の問題はクリアして、後は僕の彼女に、僕以上に環境探査にたけてる彼女がいれば何処へでも行けると思うんだよね」
アルムはそう言うと、もうとっくにお昼も過ぎていた事を思い出して昼食を取り出して、まだ湯気の立つスープを飲む。
「ほら、時間がほぼ経過しないからあったかいままなの。リリーちゃんも飲む?」
アルムがそう無邪気に薦めると、リリーはもう完全に脱力しきってコテンっと寝台に倒れ込んでしまった。
リリーは色々と呆然としていたが、空腹には勝てないのかアルムの好意に甘えて昼食を分けて貰うと、少し落ち着いた様子だった。
そして今まで生気のない作り物の笑顔ではなく、多分に呆れの混じったような笑いを浮かべた。
「なんだか、貴方のせいで全てがバカらしくなってきたかも。温和そうな顔なのに言う事やる事派手なことばっかり」
「派手かなぁ?」
自分としては落ち着いてるつもりなアルムは不思議そうな顔をする。
「それで、何処の宮廷伯に仕える気なの?」
「え?」
僕って派手かな?、とアルムが真面目に考えていると、軽い調子で投げかけられた質問にアルムは答えそびれる。
「どうしてそんな事を?」
「本当に逃げるなら真面目に連れて行って貰おうと思って。相互に利益があるでしょ?私、このままだととある宮廷伯のお嬢様に仕える予定なの。ナール子爵が武門の名家だけあって、所属する派閥のトップも武門の超名家なのよ。『テュール宮廷伯爵』って聞いたことある?宮廷伯爵でも5つの迷宮を任されてる家なの。貴方の異能は、迷宮探査にも凄く有用だし、戦時には物資の運び手として必ず重用されると思うの。普通なら無謀だよ。でも貴方なら目標を達成する可能性が十分にあり得るから、私もそれに賭けてみようと思うの。貴方の様に次に進むために」
「…………………もしかしたら、危険な目に合うかもよ?」
「失う物なんてないから、自分に鳥籠を壊す力はないから、だから私以上に規格外な、鳥籠を壊せそうな物に賭けてみるだけ。どの道もともと死んでいたようなものだから、死人が少し抗ってもいいと思うの。ただの気まぐれ。何もしないよりマシってだけ」
リリーがそう答えると、アルムはヘェ〜と頷く。
「リリーちゃん、小さいのに凄く大人っぽいね」
アルムが何気無しそう言うと、リリーはフワッと浮き上がったかと思うとそのすぐ後にはアルムの目の前にいて詰め寄っていた。
「ねえアルム、貴方、年はいくつ?」
「え、12才だよ?今年で13歳だけど……………」
アルムの答えにフッとリリーは笑った。
「私、今年で16になるの。3才年下のアルムくん、誰が、何ですって?」
アルムは13才にしては長身の部類に入る。しかしそれを踏まえてもリリーの身長はアルムより僅かに低い。だが今はアルムは椅子に座っているので立っているリリーの方が目線が高く、詰め寄られてドギマギしているアルムに対してリリーは蠱惑的な笑みを浮かべると、アルムの胸を小さな指で突く。
「赤くなっちゃって可愛いね、アルムくん?」
そしてアルムのおでこに軽く頭突きする。
これは最近妙な知識がついてるアルムにとって会心の一撃だった。
「ご、ごめんなさい…………」
アルムは赤くなって椅子ごと身体を引くが、その反応が楽しかったのかリリーはアルムの頭を抱き寄せていい子いい子と撫で始める。
「(スイキョウさん、助けて!)」
《ほーら言わんこっちゃない。ヴィーナの予想は的中だぞ》
「(違うってば〜!)」
完全に手玉に取られてるアルムに、俺しらーねっとスイキョウは放置を決め込むのだった。
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【補足】
『貴族に関するあれこれ』
シアロ帝国のみならず、世界の主要国家の殆どは貴族国家制か宗教国家制です。
シアロ帝国では貴族・貴族の血縁と認定を受けた者は名乗り方が変化します。
例として
レイラ・ナール・ツァリ・スネドルジ・ククルーツイをあげます。
平民は(名前)・(信奉する神の名)・(出身地)の三要素で構成される名を名乗りますが、貴族は名前と信奉する神の名の間に家名とツァリという貴族共通の名前が入ります。
レイラの場合は「ナール」が家名に当たりますね。
また以前にちょこっとだけ登場した『特級伯爵』『騎士爵』『魔術師爵』は、例外的に家名は与えられません。




