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うーん、これで大丈夫かな?というか本当にいいのかな?
《保護者同伴って約束なら俺が付いてるじゃねえか》
「(でもスイキョウさんたまに凄く子供みたいなこと言い出すし)」
《ア、アルム、なかなか言うようになったじゃねえか……》
スイキョウさんが住み着いてから早5ヶ月。スイキョウさんの重力魔法事件から1ヶ月経った今日この頃。雪もまばらになって地面のぬかるみも無くなり、昆虫や動物をちらほらと家の近くでも見かけるようになった。
雪食い植物は根っこごと丸々回収しているうえに保存状態も良かったからか、母さんもびっくりするほど高値で売れた。もちろんお祖父さんが孫用価格として多少は色をつけてくれたのだろうけども、お陰でうちの懐は結構暖かい。
家によっては雪でダメージを受けたところをせっせと直している頃だろうか。うちは父さんが魔法をフルで使って丁寧に建てたからかびくともしていない。お陰でそちらの方面での出費もない。
そんな僕に、どういう訳か母さんが中古ながらも大人用の上質な弓と矢を買ってくれた。手持ちのナイフも上等な物に買い変えてくれた。
母さんは大きくなったら使いなさいって言ったけれど、金属性魔法を使えば実は普通に扱える。そんな訳でスイキョウさんが狩りをしてみようと煽り続けたのだ。父さんには動物の解体方法を教わっていた。だから処理はある程度できると思う。けれど父さんは大人と一緒でなければ1人で林を彷徨いてはいけないと言っていた。
《だから、俺がいるだろう?》
僕以上に狩りに行こうと散々騒いだのはどこの誰だろうか?むしろ魔法の対価を考えると不安材料ですらあると思うんだけど。
「(どうせだったら、もっと頼りになる人を呼ぶよ)」
俺に信用はないのか〜!?と演技がかった様子でスイキョウさんが叫んでいるが、父さんが言いたいのは『一人で行くな』って事だと思うから、いくらスイキョウさんがいても意味がないと思う。視界的にも実質一人みたいなもんだし。
《いや、そうなんだけどさ》
…………わかってるなら尚更たちが悪い。
《でも呼ぶって誰を?街まで馬でも1時間かかるんだろ?》
「(うーん、僕の使い魔……じゃないけど、友達って言うのは違うし……)」
《召喚魔法か?…………ああ気にするな、それは前に成功してるんだろ?》
「(うん、そうだよ)」
スイキョウも特に気にしてなさそうなので、僕は外に出ると魔法で水を操作して陣を描き、水を地属性魔法で凍らせた。
「(これは父さんが教えてくれた古い魔法なんだ。それに召喚魔法の素養がなければそもそも取り扱い不能な難しい魔法なんだよ)」
やがて満足のいく陣が完成すると、【極門】の虚空の最重要品を入れた所から、透き通るような水晶状の牙を取り出した。
《それは?》
「(触媒だよ。呼びやすくする為に貰ったんだ)」
その牙を陣に押し当て、指を牙に走らせて薄く切ると血が滲む。そして魔力を込めながら血を陣に押し当てた。
「我が名はアルム。我が呼びかけに応えたまえ」
本当はもっと長い長い長ーーーーーーい詠唱がいるけども、使っている触媒が触媒なだけに、大幅にそこをカットできる。
やがて陣が光り出し、線が広がって氷の蓋になる。そこにパキパキと亀裂が入ると、そこから漏れ出た光に包まれた白い塊が氷が割れる音と共に姿を現した。
体長約1.5m。それは純白の毛皮が陽の光に照らされて銀色に光る白狐。濡羽色の鼻とつぶらな瞳は可愛らしく、その威圧感すらある威厳を和らげる。何より特徴的なのが体と同じ程の大きさのある10本のふわふわの尾。スイキョウさんは『ホッキョクギツネと狼の中間みたいだ…………』と呟いた。ほっきょくぎつねってなんだろ?
「こんにちは」
僕がぺこりと頭を下げて挨拶すると、彼女は一瞥していつも通り気怠げに座り込む…………ことはなく、その瞳を細めた。
《おい、コイツは一体なんだ?》
「(実は、僕もよく知らないんだ。ただすっごく強くて気難しいからね、彼女は)」
《彼女?メスなのか?》
「(うん、そうだよ)」
彼女は音もなく僕のところまで近寄ると、何も言わずにすんすんと鼻を鳴らし、僕の周りをグルグル回る。まるで身体中の匂いをくまなく探るように彼女は執拗に嗅ぎ回る。
「えっと…………どうしたの?」
いつもはこんな事しないので余計に不思議だ。そもそも近づいてこないし。だけど彼女は問いかけを無視して首をかしげるばかり。
『主、何かあったか?』
《キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!!》
うわっ!?なに!?スイキョウさんちょっとうるさいよ!
それに僕だってビックリした。もちろん彼女とは何度もあっているので喋れることは知っていたけれど、彼女はとても無口で、最初の名乗り以外はほぼ独り言だった。
彼女はどういう訳か話せる魔獣だった。なぜかは教えてくれないけれど、知能も人並み以上だと思う。彼女の甲高い声は僕の中に直接響いてくるけれど、多分これも魔法の一種だ。父さんは失伝した『念話の魔法』と呼ばれる魔法の一種と推察していたけれどね。
「…………何か、とは?」
しかしそんなことを考えてる場合ではない。もしかして彼女はスイキョウさんの存在に気づいている?でもなんとなく正直にいうのは憚られる…………というより彼女は問答無用で祓ってしまうかもしれないので言えない。
《え、密かに俺死にそうだったの?》
『匂いが、とても濃くなった。何故じゃ?』
匂い?おかしいな。寒くても我慢してちゃんと体をよく洗ってるし、服だって母さんが丁寧に洗ってくれてる。スンスンと自分でも体を嗅いでみたけれど、全然わからない。
『違う、そうじゃない………………』
彼女は緩慢な動きで首を振ると、ようやくいつも通り寝そべった。
実のところ、召喚者である僕自身も彼女について知っていることは殆どない。父さんの協力のもと、初めて召喚した使い魔だったのが彼女だっただけだ。
使い魔というのは、一端の魔法使いなら大体2割程度は契約していると父さんから聞いたことがある。陣と贄を用意すれば、ある一定の魔法の素養があれば、魔術師と呼べるほどの魔力量があればだれでも召喚はできる。
一応拘束用の魔法陣も使って安全には留意するが、原則として召喚者よりも強力な魔獣が召喚されることはない。簡単な話、小さな虫が幾ら叫んでもご馳走を用意しても、小山ほど大きな化け物はちっとも気づかないのと同じだ。
だから召喚は基本的に安全、だったのだが、彼女は召喚と同時に安全装置や拘束魔法などを瞬時に破壊した。能力値は未知数、契約に必要な陣も砕かれたので交渉すら出来ない。制御を失った魔獣など暴れ出してもおかしくはない。しかし彼女はすんすんと僕の匂いを嗅ぐと、『何者だ?』と問いかけてきた。
獣型の魔獣が話すなんて例のないことで、これには父さんと思わず顔を見合わせたのだが、僕は素直に名乗った。そうすると彼女は『イヨド・スロダンティだ』と名乗った。そして彼女は自分の牙を僕に渡し、何かを語るわけでもなく氷の霧となって去っていった。
以来、彼女はどういうわけか僕が呼びかけると召喚できるようになった。彼女は一体何者なのか、なぜ僕の呼びかけに応じてくれるのか、さっぱりわからないし聞いても答えてくれない。でも召喚すると毎回律儀に現れてくれる。
彼女とは契約を結んでいないので厳密には僕の使い魔ではない。実際、気に入らない頼み事は聞き入れてくれないし、質問も平気で無視する。でも暫く呼ばないと勝手に来たりする。何がしたいのかよくわからないのが彼女という存在だ。けれどその実力は、経験豊富な父さんですら何もできないほど強い。多分僕が知るなかで、神様以外で1番強いのが彼女かもしれない。そして絶対的強者だからこそ、彼女は自由気ままで、あまり周りに関心が無いように見える。
『ただ勝手になにかが急激に変わるわけもあるまい。何か原因があるはずじゃ。その匂いは…………』
だから彼女がこうして質問を投げかけるのは非常に珍しい。というか初めてかもしれない。
彼女は寝そべりつつも、どこか遠くを眺めてつつ静かに呟いた。それはまるで遠い昔のなにかを懐かしむような穏やかな瞳だった。
でも僕には答えられない。おそらく何があったと言われれば、心当たりはスイキョウさんが住み着いたことだけ。きっと普通に考えたら、自分の中にもう1人のナニカが居るなどと知ったら良いことだとは思えないだろう。しかし僕が勝手に巻き込んだだけだ。僕としては彼女は無関心さにおいては随一なので万が一スイキョウさんの存在に気付いてもきっと放っておくと思ったけれど、予想外に彼女は何かを気にしている。
《匂いってのは何を暗示しているんだろうな?シンプルに体臭って訳じゃないだろう?》
「(…………そんな感じがする)」
どうしたら穏便に済ませられるか、僕が必死に考えているとスイキョウさんがポツリと呟く。
《しかし解せないな》
「(何が?)」
それは彼女の態度だろうか、それとも会話が可能なことだろうか。しかしスイキョウさんの指摘は僕の予想と異なるものだった。
《例えばの話だ。彼女が人間と違う感覚器官……魂や精神について何か感じ取れる能力があるとしよう。まあ彼女はそれを匂いと評価したんだろうな》
「(“匂い”は魂や精神に関連すること?)」
《だって条件が変わってるのはそこだけなんだろう?俺が住み着いたから、彼女の反応が変わったわけだ》
「(なるほど)」
言われてみればそうなのかもしれない。
《しかしここで不思議な点がある。彼女は匂いが『強くなった』と言った。もし仮に俺の存在をなんとなく感じ取ってるなら、匂いが『変わった』とか『別の匂いが混じってる』とか言うべきじゃないか?まるで俺とアルムの匂いが一緒みたいじゃないか?》
「(…………たしかに、変だね)」
これで魔力性質が完全に一緒ならまだ似ている可能性もあったけれど、使える魔法が大きく異なる時点でやはり魂も魔法性質も別種。彼女の言葉には違和感がある。でもね〜彼女にあからさまな嘘をついたり変に嘘をついて誤魔化そうとしても看破されそうな気がするんだよ。
《だったら“嘘は”言わなければいいだろう?》
そういうとスイキョウさんは思わず苦笑するような屁理屈を言い出した。
「…………なぜ匂いが強くなったのか、僕にもわからないよ」
これは嘘であって嘘じゃない。根本の原因がスイキョウさんなのはほぼ確定だけれど、においが強まった“理由”は僕もわかっていない。
スイキョウさんは嘘じゃないだろ?と揶揄うような声で囁いた。
彼女は、イヨドさんは僕の答えを聞いても何も反応をしない。ただ眼を細めて何かを見ていた。
『まぁいい、今はそれでも。…………しかし、我はお前に興味を抱いた』
そう言うと彼女は此方を見た。いや、初めて僕を“僕”として見つめている気がした。いつも何か退屈そうで虚ろな瞳が、輝きを持って真っ直ぐ僕を見ていた。
『牙を持った手をそのまま差し出せ』
一体何をする気だろう?しかし僕は彼女の提案を退けることはできないのだ。だって彼女の気まぐれ一つで僕は最悪殺されてもおかしくないのだから。彼女にとって人間を殺すことは家の中で食べ物の周りを飛ぶコバエを叩き潰すぐらいの感覚でしかないのだと思う。
僕は少し震えそうなのを抑えながら、牙を持った左手を彼女の前に静かに出した。
そうすると彼女が光り出し、十の尾がピンと立つ。そして彼女の長く美しい毛が五本抜けると、フワフワと漂い、僕の左手の各指の先から巻きついて肘の辺りまで絡み合いながら僕に巻きついた。
『汝、アルムよ。汝と我が元に古き契りを結ぶ』
そして彼女がカッと目を見開くと、僕の手に持っていた牙が木っ端微塵に砕け散り、そのキラキラした微小な輝きが手に巻きついた毛に沿って付着する。
『動くでないぞ』
彼女がそういうと、徐に彼女自身の手を噛んだ。深く噛んだのだろう。その牙と腕には彼女の赤黒い血がベットリと付いていた。
そして何をするのかと思えば、その血の付いた牙でいきなり僕の手の平に噛み付いてた。
「ッ!?」
予想外の事に動揺するが、血の出方に反して痛みは全くなかった。
彼女はすぐに離れると、僕の手を魔法で癒し血も消し去った。それと同時に光が強くなり、熱を放った。
気づけば、毛の代わりに僕の手に白い刺青が刻まれていた。
しかしそれは一瞬発光すると、すぐに消えた。
「これは…………」
『古き魔法じゃ。これは『縁脈誓約の魔法』……滅びた魔法じゃよ』
「縁脈誓約?契約ではなく?」
『契約とは違う。縁脈誓約の魔法は少し特殊な魔法でな、吸血鬼の行う血脈の能力に似た魔法なのじゃ』
「吸血鬼…………!?存在していたの!?」
吸血鬼は様々な伝承が各地に残っている伝説の一族だ。夜の神の眷属であり、神の守護者。遥か昔、勇者が活躍した時代の少し後にその痕跡が消えた謎多き一族だ。
彼らは血に重きを置き、血を凡ゆる対価とし、超常の能力を持ち、少数でありながら幾多の侵攻を退けた。彼等は伝承によっては破壊神のように描かれたり、理性的な信仰深き者としても描かれる。
また彼ら独特の能力も持っていた。
その中の1つが血脈連鎖。彼等は血の繋がった者ならどんなに距離があっても認識し意思の伝達が可能だったと言われている。故に少数ながら凄まじい連携能力誇り、大軍に対抗できていたらしい。それがまた彼らの閉鎖性を強化していたとも言われているが、やはり強力な能力には違いない。
僕の家には昔から吸血鬼に関する本が色々あった。その中でもうちに置いてあるものは真実に近いものだろうと父さんも言っていたので、実態と僕の知識が大きく乖離しているとは思いたくない。
『縁脈誓約は血脈連鎖と同様に、誓約を結んだ者の存在を認知し、その意を伝えることが可能となる魔法だ。またこの魔法の繋がりを使うことで、汝は我に自由に呼びかけることができる』
遥か昔に失伝した伝説級の魔法を目の前で披露され、僕は畏怖と感動に呑まれて言葉が上手く出ない。しかしスイキョウさんはあっけらかんとしたものだった。
《えー………プライバシーの侵害だぞこれ。しかも本人の同意なしって、なんか厄介な物に目をつけられてねえか?》
「(いや、すごいよ…………僕は今、とっても凄いものを見たんだ!しかも彼女は古い魔法を行使してるし吸血鬼まで知ってるんだよ!これはすごいことなんだよ!やっぱり彼女は凄いんだ!)」
《んなこと言っても、出てきた時から超強キャラ感出しまくってたし、十尾だし、喋ってるし、もう特殊キャラの塊みたいなオーラだし、ああはいはいテンプレテンプレみたいな?まあ俺は気付かれなくてラッキーってだけ》
なんだかえらく平然としているけれど、スイキョウさんは変なところで肝が座っているみたいだ。
《さらに水を差すようで悪いが、何故ここまでするんだ?コイツの狙いがさっぱり読めない以上、俺は手放しで喜べないぞ》
それを聞いて僕はハッとする。確かに、彼女は一体僕に何を望んでいるんだろう?神々を始めとして強大な存在ほど与えた物に対して何らかの対価を要求する。ただの興味本位でここまでするだろうか……………?
《まあ、返品不可能っぽいし、とりあえず礼はしておけよ。少なくとも完全に悪意を持ってやってるようには見えないし》
考え始めると途端に不安になってきたけど、やっぱりこういう部分はスイキョウさんは大人なのかな。警戒してた割にはあっさり割り切ったスイキョウさんのお陰で少し冷静になれた。
「あの、ありがとうござます」
スイキョウさんのアドバイスを受けてぺこりと頭を下げると、彼女はフッと笑った気がした。
『ただ興味が湧いただけである。礼を言われるものでもない』
そう言いつつも、尻尾をパタパタ振っているので機嫌は悪くないのだろう。
《いいかアルム。この手のキャラは丁寧に相手して優秀さを見せれば大体好感度上がるからな。多分案外チョロい。ただし忘れるな、特に感謝は大事だぞ》
スイキョウさんは何を口走っているのだろう。せっかく大人らしくて尊敬の念が湧いたのに、それが霧散していく。たまにこういうことを言うから安心しきれないのだ。