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アルムが正式にククルーツイに落ち着いてから翌日。
アルムとスイキョウは1年もククルーツイにいる気は無く、できるだけ早く出る方針で纏まっていた。
なので翌日早朝から虚空からを飯を取り出し掻っ込む。
と言ってもこんなペースでは長く続かないのもスイキョウはわかっているが、アルムがやる気十分なら止める気はない。それに今日赴く場所はスイキョウにとっても深い意味を持っている。
『ククルーツイ神祀図書館』
それはシアロ帝国内で唯一、塾などの教育機関にある図書館などを除いて国立ではない公的な図書館。
勇者が発案した製紙技術と活版印刷技術は徐々に広がり成熟して、今や書籍の値段は約150年の間で平均1/5にまで低下したとされている。それにより市民にも本が渡る様になり、帝国の教育水準は飛躍的に成長を遂げたのだ。シアロ帝国が大陸の8割を手中に収めることができたのも、この技術と勇者が広めたもう一つの技術とされる革新的な農業技術にいち早く国を挙げて研究に取り掛かり、その国力を強化したからだと言われている。
だが、それはあくまでただの本。
一般的に魔獣や魔物の素材などを用いて一定の水準の魔法などが付加されている物品を『魔宝具』と呼ぶが、本の魔宝具も当然存在する。それは書き手が自分の命を擦り減らして書き上げた書物。神々と交信に成功した者が発狂ギリギリまでそこで得られた知識を書き殴った書物。神々の召喚をする方法を書き記した書物。
それは『魔導書』と呼ばれる危険すぎるアイテム。
読むだけで魔力を消費しその精神を侵す全て禁書級の書物群。
これは魔法でも、異能を用いても複製できる物ではない。
そんな書物が最も納められているであろうとされる図書館、それがククルーツイ神祀図書館である。原因は未だ判明していないがククルーツイは数多くの神々の分体が集中して存在しており、そこに数多の教団が築かれた。
だがあまりに距離が近くてどうしてもいがみ合う。一方でそれでは、大いなる力の弾圧にの前には易く斃されてしまう事も宗教関係者は理解していた。
そんな中、とある教団が提案したた『叡智の保護』というただ1つの点で垣根を越えて並居る教団が手を結んだ。彼等はその意思の表明する為、自らの教団が所有する知識、即ち神と交信した者が遺した魔導書を担保として納めた。
それらは手を結んだ教団達により守られ、その教団の集まりに他の教団も参加していく。そこに繋がりを求めた貴族や商人なども本を寄贈した。そしていつしかそれはいつの間にか大量に蓄積され、蔵書を整理していく中で図書館が出来上がった。
その図書館を中心に、参拝者に目をつけた商人が勝手に店を作り始め、それが更に人を呼ぶ。交易の為に勝手に道が整備されていき、それを元に更なる参拝者が現れる。噂が広まり異種族の者達も参拝をし始める。人が人を呼び、それは巨大な街へと成長していった。
シアロ帝国成立以前からある古い歴史を持つ街、それがククルーツイ。
絶対的なパワーを持つにも関わらず帝国は貴族を多数送り込むだけで、その主権を完全に奪い取らなかった。いや、帝国でさえ取れなかった。
何故なら無理に押し通して多数の宗教を敵に回したら帝国ですら太刀打ちできないからだ。単一宗教なら何とか押さえつけられても、それが100や200を超えてしまうと制御の効く範囲を超えてしまう。
ここで多額の税金を取れたら莫大な利益を国に供給できると知りつつも、帝国はそれも行わない。ここはシアロ帝国でも極めて異端なルールで街が動いているアンタッチャブルな場所。故にヴェル辺境伯であろうと派閥の者がククルーツイに住んでいない以上手出しはできない。
しかしそこで宗教家も商人達も調子に乗らず、帝国とうまく関係を築いてきた。だから今まで複雑な権力を構造をとりながら一度として街が破綻の兆しを見せることはなかった。
つまりは、ククルーツイ神祀図書館は帝国どころか、世界規模で見ても現存する最古の図書館でもあるのだ。
それ故に、当然ながら図書館には簡単に立ち入りはできない。
納められている書物の貴重さから見ても、図書館自体の歴史的価値から見ても、ククルーツイの象徴としても、ククルーツイで最重要とされる場所がククルーツイ神祀図書館である。
その立ち入りは貴族、商人でもそれなり高名な者、神官でも誓約に参加している教団の士官であり、且つトップクラスの立場である者に限り、ただの参拝者や一般人などは立ち入りを許可されない。
アルムも一般人ではあるが、辺境伯のメダルは十分に身元証明としての効力がある。スイキョウの知る図書館とはことなり、ククルーツイ神祀図書館は“生きる遺跡”であり、世界遺産級の文化財を保護する施設の一面も兼ね備えている。財力的にも社会的にも万が一のことが起きても責任能力があり、責任の所在が明確であればいいのだ。
なので辺境伯がバックについていることを示すメダルを持つアルムも図書館に立ち入ることは可能であると予想していた。
アルムが滞在している宿を跳ねる様に出ていくと、早朝、しかも上冬だというのに人がもうかなりの数出歩いている。アルムはそんなククルーツイに軽いカルチャーショックを受けつつも、来たときよりは十分空いている街道を縫う様に歩いていく。
「(朝から参拝する人がこんなにいるんだ)」
《戒律的な問題か?種族的に夜はダメってのもあるだろうし、まあ人種の割合を考えてみれば人より異種族が多いよな》
「(言われてみれば確かに)」
主に1番出歩いているのはローブを頭からかぶっている大柄な人々。見える腕にはキラキラした厚く白い翼が生えている。鳥人属っぽい特徴だが、手の内側の方や軽く見えるくるぶし付近には鱗が見え隠れする。
「(シャクンタ人だよ。確か神デァーロウデステァーンを信奉しているよ。その神は名前しかよくわかっていないし、シャクンタ人自体かなり閉鎖的な種族なんだけれど、夜は好きじゃないってのは聞いたことがあるよ)」
《それはどこ情報だ?》
「(4代前のご先祖様の手記だったかな?周りに無関心気味だけれど、礼儀を持って接すれば無礼で返すことはしないって書いてあったよ。縞瑠璃を大切にしていて、あげると喜んでくれるらしいよ。ただ声が何かを引き摺る音が凄く高くなった様な音で、聞き取りづらいんだって)」
《色んな種族もいるもんだが、くくり的に鳥人?爬虫人?ありゃどっちだ?》
「(羽も鱗も両方あるから人によって色々言ってることは違うんだけれど、そもそも彼らが議論に参加してくれないから勝手に決定もできないよ。でも彼等以外にもそんな種族は一定数いるから、まとめて複獣人種って広義には当てはめられるかな?)」
のっそのっそと歩いて行く彼等をチラッと見つつ、アルムは図書館へ向かっていく。昨日と違って街の中心部に突き進めば図書館には辿り着ける。ドンボに立ち入りはしないでほしいと頼まれた路地などは避けつつ歩く事8km、遠目から見ても巨大な、神殿の様な、ともすれば要塞の様な建物がアルムの前にあった。
「(凄い。建物自体の大きさとかもそうだけれど、とんでもない数の魔法で保護されてるし、魔力が濃密に溜まっているよ)」
紫がかった石を使って作られた石造りの建物は、地属性魔法の探索の魔法に秀でるアルムでも築何年なのかすらわからない。壁面には不思議な図形や文字がびっしりと刻まれており、どことなく神聖で荘厳な雰囲気があった。
更に図書館の周りは何故か堀が作られていて、何かが大きな物が泳いでいる。これが余計に要塞感を増しているのだ。
《ところで、こんな早く来てそもそも空いているのも不思議なんだがな》
「(空いているよ。ここの図書館は色々な種族が協力して運営し、いろいろな種族にも配慮しているから、時間帯関係なしに開いているんだ。最も、人間種はこんな早くに来る人は稀だろうけどね)」
アルムが吊り橋をとことこと歩いて行くと、今まで見た中で最も厳重な警戒態勢の中、いくつかのレーンのうち1つのレーンの列に並んで進む。
10分ほどしてアルムの番になり、門番の1人が対応する。
「オハヨウゴザイマス。トショカンヘノニュウジョウハハジメテデスカ?」
「おはようございます。はい、利用は初めてです」
門番を勤めていたのは件のシャクンタ人。スイキョウにはその声がガラスを引っ掻く様な不快な音に聞こえた。
「マズハミブンヲショウメイデキルモノヲゴテイジクダサイ」
「こちらでよろしいですか?」
アルムが辺境伯のメダルを見せると門番はヨロシイデスカ?と許可をとり手に持って検分する。それはマニュアルに沿った動きの様で、少し無機質だった。
「タシカニヘンキョウハクケノメダルヲカクニンシマシタ。ツギニ、オナマエトミモトホショウニンヲコチラニオカキクダサイ。ソチラニハトショカンデノキソクモキサイサレテイマス。ソレヲヨクリカイシタウエデ、セイヤクショニオナマエヲオカキクダサイ」
渡された誓約書に記載されているのはわりと簡単な事で、盗難の禁止から始まり飲食の禁止や細部にまで規則が設けられていた。
アルムは読み落としがない様に5分かけてじっくり読み終えると、誓約書にサインをした。身元保証人には事前に言われていた様にドンボの名を記しておいた。
ちなみにスイキョウは規則は8割がた読み飛ばしちゃう派の人なので、斜め読みに留めている。
「アリガトウゴザイマス。ソレデハセイヤクショニキサイサレテイマスガ、アラタメテニュウジョウリョウニツイテセツメイサセテイタダキマス。トウトショカンノキョウツウニュウジョウリョウキンハ10000セオン。エツランスルエリアノレベル二オウジテ、ツイカリョウキンノチョウシュウガゴザイマス。カイソウヲアガルゴトニキンガクハフエテイキマスヨ。エツランノシンセイヲスルバアイ、カイダンフキンノウケツケデオネガイシマス」
アルムが分かりました、と返事をして規定通り入場料金を支払うと、門番は後ろのドアのロックを解除した。
「オテスウヲオカケイタシマシタ。ソレデハゴニュウジョウクダサイ。オカエリノサイハウラモンヨリドウゾ」
アルムは門番に軽く会釈すると、遂に図書館に足を踏み入れた。




