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「ねえ、気づいてる?」
「…………ええ、少し前に」
アルム達は激しい徒手空拳を交えながら、密かに会話する。
「彼等は何かしら?」
「わからないけど、女の人は探査で僕等を探ってた。反応が妙だったから、人じゃないっぽい。多分、鳥人種」
「それが近づいてきてるのよね?」
「他にも3人。2人は超凄腕、1人は多分貴族」
「なんでわかるの?」
「探査の魔法に伝わる歩き方の感じで」
アルムの探査の魔法は非常に優秀で、近くになれば3Dマッピングのように周囲の状況を理解できる。それは空間作用を起こす【極門】の異能の副作用で、アルムは歩法から大方の予想を立てていた。
「…………そろそろ終わらせた方がいいかしら?」
「そう、だねっ!」
アルムはヴィーナに蹴りを入れて強引に距離を作ると、火の矢を高速で撃ち出す。
ヴィーナはそれ以上の水弾を作り出すとアルムに猛攻を仕掛ける。
アルムは凄まじいスピードで闘技場を走り抜け、そして空中を駆け出した。
周りも、そしてゼリエフですら呆気に取られた。
大体の者はアルムが空中を駆け出したから、ゼリエフはアルムがどれほど無茶苦茶な技を披露しているかに気がついて。
これにはヴィーナも一瞬目が点になる。
アルムがやって見せているのは、前半で見せた何もない空中を蹴って宙返りをした時の技を更に高度化させたもの。
足裏に凄まじく強固な魔力障壁を展開し、その足裏にピンポイントで高速の魔力の塊をぶつけて壁のように見せたのだ。しかしタイミングも超シビアで身体の動きも重要になる。
魔力の塊による移動はゼリエフの十八番だが、アルムはそれを発展させた。
その究極系…………凄まじい足の回転速度を前提として、踏み出した足の裏に魔力の塊をぶつける。塊が霧散する前に足を上げて、もう一方の足にも同様に塊をぶつけて踏み出す。足が沈む前に水の上を歩いて渡る様な曲芸を、精密な魔力の塊のコントロールと合わせる事で何もない空中を駆け抜ける事が出来てしまう。
水の上を走り抜ける程の足の回転をしつつ、同時に8つのボールをジャグリングしているようなレベルの頭のおかしな器用さとそれをやってしまう無謀さが無ければ不可能だ。
まるで空中に見えない足場でもあるかのように空中を飛び跳ね、その上更にアルムは火の矢で攻撃をする。
ヴィーナは即座にそれを泥で受け止めると、一部炎で硬くなった部分を掴んで泥で押し上げる。
「おいおい…………嘘だろ…………」
「空中戦やってるぞ、あいつら……」
ヴィーナは類い稀なる泥のコントロールで高所を移動し、アルムは自在に宙を駆ける。
その上徒手空拳まで仕掛けるのだ。
会場の誰もが上をポカーンと見上げる中、ヴィーナが掴む所から手を滑らせてしまう。落下するヴィーナ、追うアルム。
だがヴィーナはガクンっと宙で動きが止まる。そして宙で見えない板の上を転がりながら立ち上がって、見えない足場を蹴って呆然とするアルムに接近する。
今ヴィーナがやって見せたのは、超高速で塊をぶつけ続けて板のように見せかけた事。やってることはアルムと似ているが、こちらピンポイントではなくその速射性で模倣したのだ。
魔力効率は悪いが、アルムの明らかな動揺を誘う。
その動揺は繊細な動きを強いられていたアルムの精神を僅かに乱して、制御を失わせる。
ヴィーナは水で巨大な龍を創り出すと、落ちていくアルムにそれをぶつける。
落下していくアルムは、落下に身を任せたまま火を巨大な龍の形にすると、水の龍に対抗するようにぶつけさせる。
だがアルムはヴィーナの水の龍にぶつける前に、その目前に水の玉を作る。その水の中には今まで伏せ続けた獄属性で特殊な薬剤を混ぜている。
それが火の龍に呑まれ、大量の魔力が反発しあい、カッと発光すると爆発する。大魔力の衝突による衝撃波が客席の髪の毛をブワっと持ち上げて、全員が一瞬目を瞑る。
そして目を開けると、衝撃で一瞬意識が飛び地面に落下したヴィーナをお姫様抱っこの形で抱きとめたアルムが、床の鋭利な石片をヴィーナの頭側を支えている手のほうに握り突きつける。
「降参かな?」
「ええ、降参よ」
アルムの苦笑混じりの勧告に応じて、ヴィーナは頬を赤らめつつ棄権する。
「勝者……アルム君!!!!」
そして今日1番の歓声が会場に鳴り響いた。
◆
会場の熱狂は嘗てないほどに凄まじく、運営役員が叫んでもなかなか治まらない。
しかしアルムとヴィーナが急にアリーナの出入り口に向けて跪くと、会場の熱狂も二人の謎の行動に急激に治っていく。
その空気の中で、アリーナの出入り口から拍手が鳴り響いて4人の男女が姿を見せる。金髪灰眼の男が会場に鳴り響き、他の3人が従者のように側に控える。
その男を見れば子供でもその身分が分かるほど、彼は優雅な立ち振る舞いで堂々とアルム達に近づいていく。
「素晴らしい!大変素晴らしい!君達の闘いを観戦させてもらったが、実に見応えのあるものだった!」
アルムは賞賛の言葉を受けながら本部の方を探るが、彼らは明らかに蒼ざめて大慌て動き回っている。つまりこれは完全なイレギュラー。アルムとヴィーナはただその男の前で頭を深々と下げるのみだった。
彼の声量は途轍もなく大きいわけではないが、何故か会場中に響き渡っていた。誰もが彼の滲み出るオーラに圧倒されていた。
「申し遅れたが、私の名前はロヤルノスト・ヴェル・ツァリ・ネスクイグイ・サトラフ。皇帝陛下より辺境伯爵の地位を賜る者だ」
その言葉に周りは大きく騒めき、アルムとヴィーナは傅いたまま目を見開く。
ここでシアロ帝国の貴族の階級制度に触れておく。
シアロ帝国は強固な貴族社会が形成されており、その絶対的な頂点に位置するのが皇帝だ。次に、その広大な国々を7つに分けて、皇帝直轄領以外の6ブロックを1つの国の様に見立てその支配を任される『大公』。その下に皇帝の正統血縁者である『公爵』。大公と公爵は10年単位で交代されていくので、実質同じに思えるが似て非なる物だ。
その下には『侯爵』がいてその補佐を行う。
侯爵の下には『宮廷伯爵』と『辺境伯爵』がいる。この2つの伯爵家はシアロ帝国がまだ王国の頃から仕えていた名家の血脈で、ただの伯爵よりも強大な力を持つ。
宮廷伯は帝都や帝都周辺を治め、皇帝の守護と繁栄を担う一方で、辺境伯は逆に帝都から離れた国境付近や植民地を支配しているのだ。
その下には『伯爵』と『特級伯爵』が並ぶ。
特級伯爵は、主に人間以外の種族で、シアロ帝国の接収に応じた場合、その代表に与えられる特殊な地位だ。『特級伯爵』は身分や報償は伯爵同様だが、土地や臣下などを所有するのは禁止で、帝都あるいはその衛星都市での生活を強制される。いわば人質に近いが、生活に関してはしっかり保証されている。シアロ帝国流の飴と鞭だ。
その下には子爵、男爵、準男爵と続く。
そして末端には国家試験に合格すれば平民でもなることができる『騎士爵』と『魔術師爵』が存在する。
まず騎士爵と魔術師爵は平民に毛が生えた程度。
準男爵からは位の継承権があるので大きく地位は異なる。
準男爵はかなりの活躍をした平民などがなれる貴族で、男爵とはまた地位が異なる。
男爵からは正式な貴族と言える存在で、領地を持つケースが多い。
そして伯爵と宮廷伯・辺境伯の間外には外様と親藩のような絶大な差が存在し、侯爵迄が一般の貴族と呼べる存在の頂点になる。
つまり貴族のピラミッドに於けるNo.2が自ら姿を表したのだ。
商人達がいわば、俺は〇〇中学校の番長やってる□□先輩と仲良いんだぜえ!と威張りちらす小学生達だとすると、辺境伯は指定暴力団▲▲組の大幹部のようなものに相当する。
異常事態どころの騒ぎでは無い。
それがほんの気紛れでの観戦ならば、まだギリギリ正常なラインと言える。
しかし自らが公の場に出てくる意味は、そして平民達の前にその姿を堂々と見せるのは有り得ない出来事。
運営役員が泡を喰ったようになるのも無理はない。
小学生の文化祭に暴力団の幹部筆頭格がヅカヅカと出てきたら、誰だって慌てふためくだろう。
「私は、これからの帝国の栄光の未来を担っていく者達に出会えた事を非常に素晴らしく思う!そしてこの齢にして、入念な鍛錬の末に得られたであろう一級の実力に深く感服した!そして私は、これも何かの縁故だと強く思ったのだ!」
まるで辺境伯は舞台の俳優の様に観客達に呼びかけ、その視線を独占する。そして控えていた女性から、何かを2つ受け取ると、全員に見えるように掲げた。
「よって彼等の将来を祝福し、その未来の困難を払う一助になればと願い、私のメダルを君達に授与しよう!」
辺境伯が自分の家紋が刻まれた、鎖で繋がれたメダルを掲げると、会場中の時間が止まったような静寂が訪れた。
そのメダルは何か公的に力がある訳ではない。男爵以上の貴族家なら何処の家でも所有する、その位階に応じた金属を用いて作られる家紋入りのメダルだ。
だが家紋入りのメダルの授与は、貴族内の暗黙のルールとして当主のみしか行ってはならない。即ち当主自らが自分の家名を賭けて渡すのが、家紋入りのメダル。
それはその家が与えた者の身元保証人になる事の証であり、強力な縁故がある事を暗示する。自分の家の名前がかかっているので、到底軽々しく与えられる物ではない。特に辺境伯のメダルは、公爵ですら注視する程に価値がある。
このメダルを見せるだけで、勧誘をしようにも辺境伯・宮廷伯未満はすごすごと引き下がるしかない。ある意味、「俺の物だから手を出すなよ」という意思表示でもあるので、下手に手を出せば辺境伯の怒りを買うことになる。
またこれは一種の内定通知書の代わりであり、これを持って辺境伯家を訪ねれば、すぐに雇ってもらう事ができる。辺境伯クラスのお抱え私兵となれば、下手な子爵でも頭が上がらない存在になる。それほどまでに凄まじい効力を有するのが家紋入りのメダルなのだ。
「「謹んで拝受したく存じあげます」」
アルムとヴィーナは右手を心臓に起き、左手を背中に回して背筋を伸ばし30度の礼をする。これが貴族に対する、跪いている時の正しい敬礼。
因みに45度は皇帝のみに行う最敬礼だ。
ロヤルノストは進み出ようとする臣下を押し留めると、ロヤルノスト自らがアルム達の首にメダルをかけた。
「では、私も多忙の身。些か礼を欠くがこれにて帰らせてもらう。さらばだ諸君」
そう言い放つと、彼は闘技場から臣下を連れて出て行った。




