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《違う違う、もっとこう引くようにやるんだ。押し込んでも潰れるだけだって》
「(うーん、やっぱり難しいよ)」
それはスイキョウさんが体に住み着いてから1ヶ月たったころの事だった。スイキョウさんは色々な事を問いかけて、世界の常識をだいぶ学んべたと言っていた。それに僕の思考やスイキョウさんの呟きが常にダダ漏れにならない方法も編み出し、共生が軌道に乗っていた。
スイキョウさんは、一般常識は微妙に抜けているけれど、かなり物知りで、縄の効率の結び方とかを教えてくれた。お陰で最近は仕事が捗りノルマもすぐに達成できていた。そんな折に、スイキョウさんが夕飯を作って帰ってきた母さんを驚かせようと提案した。
なにせ、今日は母さんの誕生日なのだ。いつもの誕生日は肩を揉んだりしていたけれど、何か別の事をしてあげたい。そんな僕の要望に『なら料理でどうだろう?』とスイキョウさんが提案した。いきなりは無理だと言ったけれど、親は子供が作ってくれたことが嬉しいんだ、って説得された。
幸い父さんに刃物の扱いについても学んではいたのでなんとかなるかと思っていたけれど、結果は散々。野菜1つ切るのに悪戦苦闘していた。
《あー、焦れったい!焦ったすぎる!》
「(そんなことわかってるよ、代われるものなら代わってるよ!)」
あんまりにもあれこれ言われるものだから、ついなんの気なしに言い返しただのつもりだった。けれどそれは、とんでもない結果をもたらしたのだ。
◆
「あれ…………どうなってんだ?」
アルムがそう独り言をつぶやくと、瞬き以下の一拍を挟み、アルムは“アルムらしからぬ口調”で不思議そうな顔をする。
辺りを見回し、野菜を入れてあった水の中に入った器を見ると、水面には顔を顰め心なしか目つきの鋭いアルムが此方を見返していた。
「お、アルムだ」
第三者からすれば何を言っているんだお前は、と言いたくなる一言だったが、アルムは何かに納得するように頷く。
そしてやけにゆっくり包丁をまな板の上に置くと、おもむろに体操を始める。
「体の感覚のズレは、ないみたいだな」
やがて満足したのか、ここ1ヶ月の感覚を思い出しつつ、アルムは体内に呼びかける。
「(おい、アルム、聞こてるか?)」
《スイキョウさん!?あの、これって!?》
まるで急に電波が届いたラジオのように、いきなり“アルム”の大声が響く。そうすると、アルム改めスイキョウは目を細めた。
「(そんな大声じゃなくても聞こえてるっての。んで、こりゃどうなってんだ?)」
身体の主導権がチェンジしたのか?と言いながらアルムボディのスイキョウは跳ねたりくるくる回ってみたりして、久しぶりの肉体を楽しんでいた。
《え、スイキョウさんが何かしたわけじゃないの!?》
「(いや、全く?てか状況的にアルムがトリガーだった思うんだが?)」
スイキョウはアルムより比較的冷静に言い返すが、とりがーって何?と言われたので原因と言い直した。
翻訳がどこまで有効なんかよくわからん、スイキョウはここ1ヶ月で身につけた思考漏れを断つ技を使いながらボンヤリと考える。
《でも、どうしたらっ…………》
多少現実離れしているからだろうか。気の抜けたスイキョウと対象的に、アルムの声は涙ぐんで震えていた。
その声を聞いてスイキョウは状況に相応しくないと思いつつ微笑んでしまう。
「(なんか、初めてアルムの年相応な感じが見られた気分だ。まぁ落ち着け。なんとなくだがやはり俺が原因ではないと思うんだ。アルム、代わりたいって言ったときみたいな気持ちで、戻りたいって強く願ってみろ。それこそ神にでも祈りながらな)」
久しぶりの肉体を簡単に放棄するのか?そんな悪魔の囁きがスイキョウに聞こえなかったわけではない。でもこんな子供の身体を取り上げて何をしようというんだ、という考えで悪魔の囁きを追い返して脱力する。
アルムはスイキョウの提案に暫くは戸惑っていたが、取り敢えず今はそれしかないと思ったのか、うんうんと唸り始める。
トイレ我慢してるんじゃないんだから、とスイキョウは思わず苦笑いするが、その瞬間、入れ替わった時と同様に一拍なにかがズレたような感覚の後、2人は元に戻っていた。
◆
「あ、戻った!」
急に身体が元に戻り、僕は嬉しくてつい言葉が出た。
《だろ?やっぱり主導権はアルムにあると思うぜ?》
そんな僕を見て、スイキョウさんは苦笑するような声色でコメントする。
《俺も焦ったくて代わりたいと何度か思ったが、結局それでは変わらなかったが。つまりアルムがやはり主導権を握ってるってわけだ》
「(…………そうなの?)」
《むしろこっちが聞きてえよ。しかし偶然かなんだか分からんが、久方ぶりの肉体だったな》
少し懐かしむような、そんなスイキョウさんの言葉。きっと僕を責めたりしてる訳じゃないけれど、僕は後ろめたくなる。やっぱり、スイキョウさんの自由は僕が奪ってしまったんだ。そう思えば、素直に喜んでいる場合ではなかったのかもしれない。もう一度戻せるだろうか?
そう思った瞬間、また視界がガクンと乱れた。
◆
「ん?戻った?」
《うん…………ちょっと試してみた》
スイキョウは再びアルムの肉体になったことに混乱していたが、それにアルムが応える。
「なーるほど、やっぱりメインコントローラーはアルムってわけだ」
しかし綺麗な顔をしてるなぁ、そんなことを言いながらスイキョウがアルムボディの顔をさすりながら水面に写る顔を見ていると、アルムは悲しげな声で呟いた。
《あの、スイキョウさん》
「(なんだ?)」
スイキョウは今まで見ていただけなので、自分で色々と見れるのが面白いのか部屋を意味もなく見渡してる。
《あの、その、僕》
「(はいストップ)」
つっかえつっかえで、吃りながら、それでもなんとかアルムが言葉を紡ぐ。しかし穏やかに、顔色も変えずにスイキョウは野菜を眺めながらその言葉を制す。
アルムは流れをを急に切られてしまい言葉が続かない。スイキョウも何も答えない。
しばらくして満足したのか、スイキョウはなにかを体から押し出すようにフーッと息を吐き出すと、フッと小さく笑った。
「(なんだ、定期的に体を交換しようってか?)」
《っ……!?》
言葉はでなかった。だがスイキョウは、アルムが激しく動揺しているのがなんとなくわかった。
「(まあ、その提案は全くもってナンセンス、とは言わん。むしろ魅力的ですらある)」
《うん、だから…………》
アルムは静かに呟くが、それ以上にスイキョウが何を考えているのか分からず言葉が続かない。
「(…………でもな、さっきも言ったが、子供の体を取り上げて何をしようって感じだ。アルムが責任を感じていることもわかるし、提案は嬉しく思う。だがな、物分かりが良すぎってもんだ。まだ10才だぜ?もっと甘えて駄々こねたってバチなんか当たりゃしねえよ)」
そう言うとスイキョウは、主婦ほどではないがアルムよりは遥かにマシな手つきで野菜を切り始めた。
トンットンットンッと包丁がまな板を打つ小気味良い音が部屋に響く。しかし内で響く音が消えるわけではない。スイキョウにはアルムのくぐもった声が聞こえていた。
「(それに、条件をつけてあれこれやろうとしても大概揉めるってもんだ。臨機応変こそ、俺は大事だと思うが?)」
スイキョウとて、色々と胸の内に溜まっているものもある。スイキョウは決して聖人君子と言うわけではない。不満も憤りも欲も当然ある。悪どい考えだって思い浮かぶ。
1ヶ月もあれば一通りの感情は治る。怒り、戸惑い、諦観、悲観、楽観、歓喜…………物分かりの良い人間を演じる事はスイキョウにとっても楽だった。どうせ何もできないのだから責めても仕方ない、そう思える程度には物分かりが良かった。
だが幼少期は散々やんちゃをして周囲の大人の手を焼かせるようなタイプだったからこそ、スイキョウはアルムの境遇には同情めいたものを感じる。それに元々捻くれ者であったからか、純真な子供と言うものはスイキョウにとって好ましいものだった。あるいは大人の入り口に立つ年齢だからだろうか。余計に自分は大人であらねばならないという気持ちが無意識に働いたのかもしれない。
再びなにかを押し出すように息を吐き出すと、スイキョウは野菜を切るスピードを心なしかあげた。
「(正直に言えば、アルムがもっと大人だったら、俺もここまで静かにしていられたかは分からん。もっと憤っていたかも知れない。口汚く罵ったかもしれない。まあただの仮定だ。でも察しのいいアルムなら今のでわかるだろうな)」
タンッ!と力強く最後のヘタの部分を切り落とすと、スイキョウは静かに包丁を置く。
「(アルムに対して、全くの怒りを感じなかったかと言えば……まあ、それは嘘になる。不満が無いなんて事もない。物分りを良くしていたって、どうしようもない現実がある。夢だったらいいと何度も思ったこともある。いや、そもそも入れ替われるなんて事に気がつかなきゃ、いつかは薄れた感情かもしれない)」
スイキョウとて完全に冷静ではない。それでもなんとか自分の想いを纏めようと言葉を紡ぐ。
「(でもよ、やっぱり俺の問題を解決できるのはアルムしかいない。何か確執があって『はいさようなら』、って出来るわけでもない。もしかすれば半永久的に道を共にする相棒になるかもしれん。いや、その可能性の方がずっと高いか。だからこそ、アルムとの関係は俺もよく考えている。アルムは賢い。そしていい奴だってこともこの1ヶ月でよくわかった。だからこそ、お互い何かルールを設けたりとか、遠慮をしたりとか、そういうことはしたくない )」
スイキョウはもう一度、奥底から絞り出すように息を深く吐き出すと、包丁を手に取った。
「(包丁は、使い方次第で道具にもなれば武器にもなる。今のアルムは、その境目を、使い方を学んでいる最中……その最中に教えを請うべき人を失ったわけだ。…………だが、それは俺ができる範囲で教えてやれるかもしれん。あるいは一緒に考えてやることもできる。どんなに大人びていても、アルムはやっぱりまだ子供だ。だから今は、大人の好意に甘えられるうちに甘えとけ)」
その言葉に何かが崩れ落ちるようなイメージが思い浮かび、アルムの啜り泣きが聞こえ始めた。
カッコつけちゃって、バカだなほんと。
スイキョウはアルムの泣き声を聞きつつ、心の声を封じながら自嘲し、なにかを振り払うように首を振ると、何事も無かったように調理を再開した。
しかしながらその表情は、本人の自覚に反して穏やかなものだった。




