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「ねえ、聞いてない!全然私聞いてない!」
「ごめんって。今回は完全に僕も母さんも予想外だったんだよ」
何だかんだ言いつつも、アルムの家に着いてしまう頃には観念したヴィーナ。開き直って案内されたアルムの部屋をいろいろと見たり、魔法談義をしたりして時間を過ごし、4人で昼食を摂った。
だがここで誰も予想もしていない事が起きる。
なんといきなりアルムの祖父母が離れにやってきたのだ。
これには流石にアートもヴィーナ母も慌て、ヴィーナはガチガチに緊張してアルムの背に隠れてしまった。
本来なら顔を出してる暇もないのだが、目に入れても痛くないほど特に可愛がる孫がほぼ毎日の様に訪問する友達の存在は、彼等にとっても非常に気になる存在。
しかもそんな子が家族で泊まる。
なんとか時間の隙間を見つけて、というか強引に作って見に行かねば。
孫バカスイッチの入った2人はそんな気分で電撃訪問。僅か10分に満たなかったが、実際に見て少し話してみてこれなら大丈夫だと満足して帰っていった。
だがヴィーナ母やヴィーナにとっては生きた心地のしない程の緊張を強いられ、彼等が去ったあとヴィーナはアルムの部屋にアルムを連行して詰め寄ったのだ。
「今は休業期の筈なんだけれど、うちの商会は逆に利率が良いから寧ろ繁忙期でね、それにそろそろ春になって雪食い草の買取準備もあるし、忙しくて到底顔なんて出せるはずが無かったんだよ。今日と明日の母さんの休みも、相当無理してもらって実現したみたいだし」
アルムの言うことに嘘偽りはない。休めないほどスーリア帝国的に見てもブラックな労働環境(スイキョウから見たらブラックもクソもない)ではないが、常時主戦力クラスのアートが2日連続で居ないのは忙しい今の時期にはかなり痛手なのだ。
今だに生涯現役宣言で第一線を渡り歩く会長などもっと忙しい。
だから訪問など出来るわけがない、アートはそうタカをくくっていたのが思い切り裏目に出た。
「そう、だったらアルムに言っても意味ないのね。私はてっきり………………」
「てっきり、何?」
「な、なんでもない!」
祖父母はヴィーナ相手に当たり障りのない質問をしていたが、いくつかは明らかに孫の友達にするにはズレた質問と目線を向けていた。その様な空気に敏感なヴィーナは余計に緊張したのだ。
祖父母も今現在アルムへのガードを固めるのに色々憂慮していた。
街では圧倒的なパワーがあるミンゼル商会にお近づきになりたい者はごまんと居る。商人は耳聡であらねばならず、ミンゼル商会へのアンテナは非常に高くなっている。そんなミンゼル商会の会長の孫の話は塾の生徒から親へ伝播して街中に広がった。
会長の溺愛するお孫さんで、美麗で、成績は超のつく優秀さ。塾の女子生徒達など可愛く見えるほど現実的に周りはアルムの価値を試算しており、そのアルムの後ろに金の成る木どころか森林が見えている。知恵、金、才能全てを兼ね備えたアルムをなんとか自分のところ引きずり込みたい。
だがそれは祖父も承知している。何故なら自分も外野だったら当然そう思うからだ。
アルムに多少無理をしても接触を測りたい、その全容を知りたい者は多くいる。其奴らを影ながら叩き潰すのに祖父母はかなり苦心していた。どこから漏れたのかこの地を収める貴族まで興味を持ったらしいと聞けば祖父母も大慌てである。
しかし、聞くところによると当のアルムには非常に懇意にしている子がいる。祖父母は内密にその子、ヴィーナに探りを入れて、ヴィーナの父親もあっさりと突き止めていた。
その父親の正体を知った祖父母も思わず笑ってしまった、これなら馬鹿共も、この地を収める貴族でさえも黙らせることができると。しかも少なくない金額や物資がヴィーナ家に密かに流れておりその縁が切れていない事は確認済みだ。
いくら国に直接仕える豪商であろうと、この街の商人のボス、もっと言えば物流に最も敏感なミンゼル商会に全く気付かれずこの街に内密に物資を送る事など出来ないのだ。あとは逆探知すればそれがどこから来ているのかなど突き止めるのはそう難しくない。おそらく先方も必死になって隠すほどでもないと考えていことが幸いしたともいえる。
それに上がってきた情報でもヴィーナはなかなか良い娘だった。アートに少し探りを入れるだけでわかるほどヴィーナの想いもハッキリしている。
こんなに都合がいい事はない。
祖父母もただ孫バカ……いや、手の施し用はやはり孫バカなのだが、電撃訪問もいたずらに行われたわけではない。翌日この情報は風の噂で街に広がる。ヴィーナ家がアルム家に泊まり、ミンゼル商会のトップの会長夫妻もわざわざ、わざわざこの忙しい時に無理をして時間を作ってまで面会したのだと。
この意味は非常に、途轍もなく重い。
ある意味、母親同士だけでなく会長夫妻直々に公認の関係だと周知するのと等しいのだ。
ヴィーナ家が泊まる事が決定してその話をアートから聞いた時から祖父母は非常にしたたかに計画していたのである。
この際本人達の同意など関係はない。
一切具体的な話も明言もしていないの幾らでも言い逃れできる。周りが勝手にそう判断しただけだと言えば、幾らでも軌道修正はできる。とりあえず対外的な婚約者候補(擬き)を据えることでアルムの身の回りで騒げないように牽制ができる。
ヴィーナが思っている以上に、外堀はガッツリ埋められているのだった。
◆
「ねえ、本当に一緒に寝るの?」
「お爺さんがいいベッドを用意してくれたからね、寝心地は最高だよ。ヴィーナちゃんにも是非寝てほしいんだ!ダメなら僕が別の場所で寝るけれど……」
「ダメよそんな!それだったら私が別のところで寝る!」
「お客さんを暖かくない場所で寝させられないよ」
遂に、ヴィーナは必死に現実逃避していたが、その時間はやってきた。
日もすでに暮れて夕ご飯もアルム家で食べた。
そうすればやがて就寝の時間となる。
ヴィーナは父親が送ってきたモコモコした白い寝巻きに身を包み、枕を抱いて未だに粘っているが、アルムも全く引かない。
1時間に渡る攻防の末、ようやくヴィーナは折れた。ただしアルムが出来るだけ壁側で、自分が出来るだけ離れるように寝た。
「そこ、ベッドから落ちちゃうよ?」
「大丈夫よ!」
そうかなぁ、と言いつつ梃子でも動きそうにないヴィーナに観念して、アルムは身を乗り出してランプを消す。これが夏ならば虫の声も聞こえたのだろうが、今は雪で音は聞こえず、部屋はただただ静かだった。
ヴィーナは結構ギリギリの位置で寝ているのでベッドの真ん中を向いていないと今すぐ落ちそうだが、何故かアルムも自分の方を向いて寝ようとしている。しかし壁際に移動してもらって壁を向いて寝ていろとは流石に言えない。
ヴィーナは向き合う形でアルムと寝ることになってしまい、心臓がどうにも落ち着かない。
しかしアルムがいつもと変わらず話しかけてくれると、多少は落ち着くのだった。そんなアルムを見て、ヴィーナは1つの決意をする。
「ねえ、アルム…………」
「なに?」
「あのね、私、貴方に打ち明けたい事があるの。でも、まだ話すのは怖くて、心の整理もできていないの。でも私を守ってくれた貴方には、ちゃんと事情を説明しなきゃいけないって思っていて…………」
ヴィーナの顔は非常に辛そうで、手は震えていて、それでも気丈に笑おうとしていた。それはとても儚げで、月明かりがちょうど差し込んでいて今にも消えてしまいそうなほど綺麗だった。
その姿に不安を感じたアルムは、咄嗟にヴィーナの手を握った。
「ヴィーナちゃんが辛くなるならダメだよ。僕はヴィーナちゃんに何があっても、友達だよ。無理しないで」
「そんなことを言ってくれるアルムだから、私は信じたい…………アルムなら、受け入れてくれるんじゃないかって。これは私の勝手な願いなの。勝手な期待なの。でも、アルムに、アルムだけには聞いてほしいの。今すぐじゃないけれど、遠くないいつか、ちゃんと打ち明けたいの」
ヴィーナが涙を堪えながら、アルムの手をギュッと握り返した。
「それでヴィーナちゃんの気持ちがよくなら、僕はいつまでも待つし、いつでも聞くよ?」
「アルムのばか……すぐそういうこと言う…………」
ヴィーナにとっては相当の緊張を強いる事だったのだろう。アルムの言葉を聞くと、一気に体の強張りが弛緩して、緩く微笑む。そしてそのまま寝息をたて始める。
「(僕、なんでも聞くつもりだけどなぁ)」
アルムの手を握りつつ安心したように眠るヴィーナを見て、アルムは言葉を零す。
《あ〜…………そうだなぁ。アルムなら、大丈夫だろうなぁ》
「(え、スイキョウさんはわかるの?)」
《なーんとなくな。でも聞きたいか?》
「(気になるけれど、ヴィーナちゃんからちゃんと聞くよ)」
《うん、それでこそアルムだ》
ほんと、いいやつだ。だからやっぱり憎めない。憎らしいと思うことがあほらしく感じるほど、アルムは根がいい子なのだ。
そう思えば、スイキョウは心の内でどうしようもなく脱力してしまう。独り相撲ほど虚しい物はないからだ。
「(あ、でも1つ聞かせて。なんでわかったの?)」
《それが年の功ってものさ。ほらもう遅いから寝ろよ。多分ヴィーナと数時間以上喋ってたからな》
やっぱり勝てないなぁ、そう思いつつアルムは眠りにつくのだった。
◆
アルムは基本的に凄く寝起きがいい。
朝方になれば勝手にパチっと目が開くのだ。
アルムが目を開くと、目の前にヴィーナが目の前で寝息を立てている。むしろ自分の腕の中で安らかに眠っている。
「(あれ?僕、壁際で寝たよね?)」
《あれだ。ヴィーナはベッドの縁で寝てただろ?それで体が冷えた上に、案の定一度ベッドから落ちたんだ。で、寝惚け眼で布団にしっかり入り直し、暖かい方暖かい方に移動しているうちにアルムの腕の中に辿り着いてしまった訳だ》
アルムが寝ている間、スイキョウも同時に寝てしまうということはない。その代わり、時間感覚は急激に緩くなるのだが、聴覚から入ってくる情報などは何となく伝わっている。そのなかで、ドンっという何かが落ちる音とヴィーナの眠たげなうめき声、モゾモゾと布団の中で何かが動き続ける音をスイキョウは聞いている。それらの情報さえあれば推測は容易だった。
「(やっぱりベッドから落ちたんじゃん)」
長い睫毛まで純白で、起きている時とは大人びていて分かりづらいが、ヴィーナは安心しきったあどけない顔で寝ていた。
年を重ねて生まれる白髪ではない、掛け値無しの純白の毛の色。
唇は非常に薄い桃色で、アルムの今までに感じた事ないほどにヴィーナの香りがアルムに伝わってくる。
少し意地っ張りで、でも根は真面目で素直な女の子。ヴィーナの顔にかかっている前髪を軽く払ってやると、んっ、と声を漏らして目をキュッと瞑る。
そしてぼんやりとした表情で、目をゆっくりと開いた。
「おはよう」
「………………」
ボーっと眠そうな顔で、宝石のような紅い瞳でアルムを見つめると、ヴィーナは状況が理解できないと言わんばかりに首を傾げ、布団に深く潜りアルムの胸元に顔を入れて甘えるようにスリスリする。
「あははは、ヴィーナちゃんくすぐったいよ」
ヴィーナの滅多に見られない子供っぽい動きにドキドキしつつも、擽ったくて堪らず笑うアルム。その笑い声を聞いて、ようやく夢半ばだったヴィーナの意識が覚醒し始める。
嗅ぎ慣れたようで嗅ぎ慣れていない匂い、いつもよりあたたかなベッド、聞こえるはずのない笑い声。
あれ、何かいつもと違う。
そこで泡が弾けたように意識がパチンと醒めて、一気に記憶が蘇る。
慌てたようにヴィーナがバッと布団から顔を出すと、至近距離にはアルムの顔が目の前に広がる。
「おはよ」
「っ!?」
ヴィーナは全身の隅々まで真っ赤になると、慌てて離れようとして、ベッドから転がり落ちていった。
「ヴィーナちゃん!?大丈夫!?」
ガバッと起き上がるアルム。
だがヴィーナはそれどころでなく、動きがカクカクとしたまま立ち上がれず、ドアにズルズルと寄りかかっていた。
「ななななんで!?なんでアルムに抱きしめられて寝てるの!?」
「朝起きたらそうだったんだよ。僕もびっくりしちゃった」
アルムの言う通り、アルムの初期位置が変わってないということは自分が近づいたということに気づけるくらいにはまだまともだった。そして深夜を回ったくらいでベッドから落ちて、寝ぼけたまま布団に入り直したような記憶がふと脳裏によぎる。
「ご、ごめんなさい。腕とか痛くない?」
「全然大丈夫だって」
ここで直ぐに相手を気遣うのがヴィーナの最たる美点だ。アルムは手をプラプラ振ると、ニコッと笑って問題ない事を示す。
なんとも言えない空気が部屋に満ちて、ヴィーナはアルムの顔を直視出来ずに俯くが、その空気を打ち破るようにノックが響く。
ヴィーナの肩がビクッと震えて硬い動きで跳ねるように立ち上がる。
「おはよう、アルム、ヴィーナちゃん。起こそうと思ったけれど、やっぱりもう起きてたみたいね。もうすぐご飯できるからいらっしゃい」
軽く開いたドアからアートは顔を覗かせると、ヴィーナを見て悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「よく眠れた?」
アートの質問に、ヴィーナは顔を真っ赤にしてただ俯く事しか出来なかった。




