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振りむくと、まず目に入るのは本棚。活版印刷技術により本は庶民でも買えなくは無いが、それでも書籍は安くない。それにもかかわらず、本棚には500冊は軽く超える蔵書がある。次に目に入るのは壁に取り付けられた板の上に並ぶ何十種類という粘土。その下には部屋の中なのに花壇があって、何種類かの植物が育てられている。
それ以外には机と椅子と衣装棚と小さなベッドと、特筆する物は置いていない。
アルムの思い描いたような女性らしさはなかったが綺麗にまとまっており、ヴィーナの几帳面さを随所に感じられる部屋だった。
「ここって、ヴィーナちゃんの部屋?」
「そう……父親が用意した家らしいけれど、私の部屋ちょっと大きいでしょ?だから持て合してたスペースに花壇を作ったりしてるし、本も凄い沢山あるし……変、かしら?」
「ううん、そんなことないよ。落ち着いた雰囲気の良い部屋だと思う。でも、未婚の女性の私室に僕が入っていいのかな?」
アルムが少し困ったように頬を掻くと、ヴィーナは何を今更、と呆れた表情をしてしまった。アルムのズレた発言のお陰でやはり誤解だった事もわかり恥ずかしさも大分治った。
「いいわよ。アルムしか入れることも無いし」
「僕だけ?友達だから?」
「ええ、そうよ」
そっか〜、と一応の納得を見せるアルム。物分かりが良くて助かるが、ヴィーナとしてはいつか同じように女の子に引きずり込まれてもアルムがこの調子な気がしてなんだかモヤモヤする。
アルムは20人に聞けば19人は美少年と断言される優れた顔立ちをしている。なので塾に通う女子生徒もアルムをチラチラ見ていた。校庭では塾長の直接指導を受けるほどの優秀さで、いつも纏うローブも貴族が着ていても見劣りしないいい品質。家も相当に金持ちであることが予想される。その一方で、彼は何処のクラスにもおらず、まるで実態が見えない。
彼は一体誰なの?
アルムだけが気づいていないが、皆が謎多き美少年としてアルムに関心を寄せていた。
しかし1ヶ月ほど前、彼がミンゼル商会の孫だという噂が急に流れる。そして野次馬根性豊富な連中が詳しく調べた結果、それが本当の事だと突き止められた。
そうなると女子学生達は何としてもアルムにお近付きになりたい。
眉目秀麗、成績優秀、おまけにミンゼル商会がバックについている。この街で暮らす者たちにとってはこれ以上にない優良物件だ。
しかしそこは女の子、周囲との繋がりがないせいでアルムに関する噂話自体は知らなかったが、ヴィーナもアルムに対する女性陣の目の色が変わったことを敏感に感じていた。
ヴィーナにとって、アルムに他の女が纏わりつくのは面白くない。全くもって面白くない。初めてできた友達というのもあるし、他にも色々とあるが、面白い訳がない。なので余計な虫がつかないようにべったりくっついてヴィーナはガードしていた。
こうなると、容姿も非常に優れ、アルムと同じクラスで塾長に教わる優秀さで、他のクラスでもトップを独走状態のヴィーナに対抗でき無ければ、気後れしてアルムになかなか声をかけられない。そしてヴィーナがベッタリくっついてそれでもアルムが嫌がっているようならまだ考えようがあったが、周りから見ても分かるほどにアルムが楽しそうなのだ。
この状況下でアルムにアタックできるほど肝の座った子は流石に居なかった。
かといってヴィーナに攻撃しようにも、そもそもアルムがミンゼル商会の孫だと広まった発端が、ヴィーナを守るための行動だったという噂もセットで流れたため、周囲も迂闊にヴィーナに攻撃などできない。
それでもやはり隙があれば、そう考えたくなる程にアルムは超の付く優良物件。なのでヴィーナとの関係に僅かにでも綻びが見られれば彼女達は一斉にアルムへアタックを開始する。ヴィーナもそれを分かっているので、アルムとの関係を非常に大切にし慎重に保っている。
なのに騒動の中心のアルム本人はこの有様。ヴィーナも自分でやっておきながらどうかと思うが、友達という言葉で簡単に自室に連れ込めるアルムのガードの緩さに思わず不安を覚える。
「…………とりあえず、好きな所に座ってちょうだい」
「うん」
アルムは少し部屋を見渡し、一つことわりを入れて椅子に座る。今のところ緩い部分ばかり見受けられるアルムだが、ヴィーナも『そこらへんは常識があるのかな』と思いつつベッドに腰掛ける。
「それで、指輪の話って何?」
婚約じゃない事への謝罪?それともやはり50万セオンは不味かった?色々とヴィーナは考えるが、アルムの言葉は拍子抜けする物だった。
「いや、事故とはいえ僕がヴィーナちゃんに嵌めてしまったわけだし、何か不便だったらどうしようかな…………って思って。自由に外したり付けたりする方法も探してるんだけど、見つかってないんだ。だからごめんね、ヴィーナちゃん」
「え、あ、全然そんなこと気にしてないわよ?これ魔宝具だからか、サイズはずっとピッタリだし、キツかったりとか煩わしさも無いし、でも変な声がしたりとかもないし、むしろつけていることをたまに忘れかけるくらいなの。だから大丈夫よ」
「そう?よかったぁぁぁぁ、誕生日プレゼントなのにひどいことをしたかもしれないと思って心配だったんだよ…………」
こんな凄い贈り物をして、相手に迷惑をかけたかも知れないと悩む所が如何にもアルムらしい。そんなアルムに改めて色々な想いを強めつつ、ヴィーナは愛おしそうに指輪を撫でた。
「酷いなんてあり得ない…………人生で最高に嬉しいわ」
優しげに、心を許した者、今まで母親にしか見せたことのないヴィーナの幸せそうな微笑みに、アルムは初めて見惚れるだけでなく、明らかにドキッとしてわずかに動揺する。
「そ、それだけ喜んでもらえると、買った甲斐があるかな?」
なぜか少し恥ずかしそうに頬を掻くアルム。初めて見るアルムのすごく人間らしい年相応の反応に、ヴィーナはなんだか可笑しくなってクスクス笑った。
「な、何?なんで笑ってるの?」
「ううん、なんでもない。いつかは龍ですら倒してしまいそうなアルムが、普通に恥ずかしそうにしてるのがなんだか面白くて」
面白いってなんでよ…………と思いつつも、楽しそうなヴィーナに何故か目を合わせられず、アルムは顔を背ける。
おや?
と思ったのは、スイキョウもイヨドもほぼ同時だった。
ちょっと天然なところがおおく男らしい所が薄かったアルムだが、そんなアルムもようやく成長してきたかな?とアルムの変化をスイキョウは1人静かに祝福していた。
そんな風に思われているとも露知らず、しばらく当たり障りのない談笑を続けたアルムとヴィーナ。
話は塾の宿題からコロコロと変わり続け、遂にアルムの上に鎮座する者の話になる。
「ねえアルム…………帽子なんて下冬ですらしなかった貴方が帽子を被っているから変だと思ったのだけれど、それって………」
「ああ、うん、帽子じゃなくて使い魔だよ」
そろそろアルムの頭の上にいるのも飽きてきたイヨドは、ピョンっと頭の上から飛び降りると、我関せずと言わんばかりにアルムの膝の上で丸くなる。
「私、使い魔って居ないけれど、随分と自由な感じの使い魔なのね」
「天属性を補うための使い魔なんだけれどね、魔力のみが対価だから本当にいるだけって言うか、かなり自由なんだよ」
「そうなのね。街で見る使い魔は、凄い事務的というか、ビジネスライクな感じだから、そうやって人に懐くのは初めて見たの」
ちょっと触りたそうにウズウズするヴィーナを見て、アルムは苦笑するとやんわり止める。
「ごめんね、僕以外には本当に懐かないから、うかつに触らせられないんだ。僕も勝手に触ると怒られるし、されるがままなんだよ」
それを聞いて、いいなぁと言いたげな感じでジッとイヨドを見つめるヴィーナ。そこでとある事にヴィーナは気づく。
「あれ?その使い魔、尾が10本ある…………」
アルムは不思議そうな顔をしてイヨドを見る。何故なら事前の打ち合わせでは尻尾が三本に見えるように幻惑の魔法を使うとイヨド自身が言っていたからだ。
『この娘の指輪、神の加護まで受けた神賜遺宝物に近い本物の神奉具じゃ。その上この子自身も相当の寵愛を神から受けている。おそらく神奉具との相性は最高じゃ。そこに指輪の精神強化が加わり、我の簡易な幻術なら見破れたのであろう。流石にローブのは強力ゆえに見抜けないようだがな』
しかし焦った様子もなく軽く流すイヨドを見て、アルムも気にしないことにした。
「そうだよ、珍しいでしょ?でも僕もどんな使い魔か正確にわかってはいないんだ」
「十尾の白狼?…………少し待って。何処だったかしら?確か…………」
なにかを思い出したようなヴィーナは徐に立ち上がると、沢山の蔵書の中から一冊の本を取り出してペラペラめくっていく。
「あっ、あったわ。これよこれ。勇者の伝承の中にね、十尾の白狼が勇者と一騎討ちをして、その実力を認めて白狼は仲間になったって伝承があるのよ」
そのページには銀の鎧に身を包み銀一色の神剣を振るう光り輝くような金髪の勇者が、十尾の白い狼に似た禍々しい巨大な化け物と向かい合っている挿絵があった。
因みにこの人間繁栄の礎と言われる勇者の子孫を名乗るものは世界各地におり、スーリア帝国の皇帝一族も勇者の子孫を名乗り国を建てていて、代々立派な金髪だった。
何か知っているかと思いアルムはイヨドを見るが、イヨドは心底興味無さげに勇者の絵を見ていた。
「だからねアルム、その子って殆どの使い魔の様な魔獣寄りな物よりもカテゴリーは幻獣寄りだど思うの。十尾の白狼は非常に賢く言葉を理解し話もしたそうよ。でも…………喋らないわね?」
アルムは最近どんどん上手になる微笑で誤魔化すが、首筋に薄っすらと冷や汗をかいていた。聞けば聞くほどなんだが合点が行くことが非常に多かったからだ。
『我は知らんぞ、こんな気障ったらしい金髪など』
だがその推測は多少のイラつきを含んだイヨドの声で否定された。
「多分、契約できる時点で召喚できる獣とかは多かれ少なかれ言葉を理解するし、珍しくはないんじゃないかな?」
「それもそうね」
アルムはなんだか全く後ろめたいこともないのに焦燥感を覚え、少し早口でもっともらしいことを取り繕う。ヴィーナも深い興味があった訳ではないのか、あっさりひいて本を戻した。
「でも、私も火属性の使い魔がいたら便利だと思うの。特にこんな時期はね。暖炉の火を一々見るのも面倒なのよ」
ヴィーナとしては只の冗談に近い希望だった。しかし指輪の件で少し納得いかない部分があったアルムは、自分の憶測から現実逃避するためにこれ幸いとその冗談に飛びついた。




